第12話 女の子の戦い

 朝八時。ユキの家を一歩出た瞬間から、潮の香りが鼻をくすぐってくる。

 ユキの家が島の中のどの辺りにあるかわからないが、小さな島だと言っていたし、この国ではどこへ行ってもこの匂いがするのだろう。

 すぐ後ろにあるユキの家もそうだけど、基本的に建物は高さがあるので、前を向いているだけだと、ほとんど空が見えない。

 だけど真っ直ぐ上に目をやれば、日本の空となんら変わらない青空が広がっていた。


「瑞穂。いきなりごめんね。その……うちの家族が」

「えーっと、何かあったっけ? 謝られるような事は無かったと思うけど?」

「あー、そのミコが中途半端なパジャマ姿で現れたりとか、ママがいきなり瑞穂にキ……キスしようとしたりとか。それより、よく避けたよね」

「あぁ、そういう事か。アミさんのは、頭が寝ぼけたままだったんだけど言葉は聞こえててさ、脳が……というより、本能が避けさせた感じかな」


 まぁ今となっては、唇を奪われていても、まぁいいかと思えなくも……って、いやいや。見た目は若いけど、ユキのお母さんなんだから、若くても……いや考えないでおこうか。

 そもそもアミさんを恋愛対象とする気もないし、しちゃダメだろ。


「アミさんもミコちゃんも、普段からあんな格好なの? トモくんが目のやり場に困りそうだけど」

「き、今日はまだ頑張ってた方かな。ミコはパジャマすら着ないで、下着姿でウロウロしている事もよくあるし、ママに至っては……うん、聞かないで」

「はは……た、大変そうだね」


 第三者の俺としては、トモくんハーレム状態じゃないかって思ったりもするけど、身内となったらまた違うんだろうな。

 女性三人の中に男が一人。まぁ、うちも似たようなものか。


「そうそう。そのユキの妹のミコちゃんだけどさ。あの子だけ銀髪なのは、どうしてなの?」

「えっ……うん。まぁ、いろいろあって。それより、試合会場とか見に来たんだよね? 案内するよ」

「あ、うん。そうだね。お願いするよ」


 しまった。あからさまに話題を逸らされた。聞いちゃいけない話だったか。

 髪の色は違うけど顔や体型がそっくりだったから、うさみみ特有の理由かと思ったんだけど、そんな単純な話ではなくて、もっと込み入った話のようだ。

 前を歩くユキの後ろを、一人反省しながら暫し歩くと、どこかで見た事のある建物が目に映る。


「あの角にある、八の数字をロゴマークにした、緑色を基調としたお店って、もしかして……」

「エイトマートがどうかしたの? 瑞穂の家の近所にもあるでしょ? コンビニくらい」

「やっぱりかぁー! ちょっとだけ覗いてもいい?」


 家の近くにある大手コンビニ店を見つけ、思わず入ってしまう。うさみみの国なんだけど品揃えとかって、一体どうなっているんだろうか。

 ワクワクしながら店に入ると、入ってすぐのところにレジがあり、商品棚に囲まれた通路があって――まぁ普通のコンビニだった。

 並べられている物も日本と大差なさそうだし、雑誌だって日本で売っているのと同じ。たった一箇所を除けば、近所のコンビニに居るのと勘違いしそうなくらいだ。


「ありがとうございましたー」


 何も買っていないけど、エイトマートの制服を着て笑顔で声を掛けてくれたお姉さんが、頭から大きな耳が生えていた。

 それだけで、ここが日本では無いと再認識させられる。ユキやユキの家族だけでなく、コンビニの見知らぬ店員さんまでもが、うさみみなのだ。ただ、ユキたちとは違って垂れておらず、ピンと立ったうさみみだったけど。


「ユキ。さっきの店員さんって、こげ茶色のうさみみだったけど、うさみみが上に向かって立っていたよね? ユキたちは垂れているけど、何が違うの?」

「んー、うさみみって言っても種類がたくさんあるからねー。元々そういう種類かもしれないし、もしくは店員になりたてとか?」

「店員になりたてっていうのと、うさみみが何か関係するの?」

「店員がどうこうってわけじゃなくて、うさみみって緊張したり警戒すると、どういう訳かピンと立つのよ。で、おそらく店員になりたてで緊張してたか、瑞穂の事を警戒していたかのどちらかじゃないかなって」


 なるほど。うさみみって感情で動くんだ。じゃあ、ユキはいつも平常心だって事か。

 あれ? けど、ユキのうさみみが立った事もあったような気がするな。確か、初めて俺の家に来て、服に付いてたご飯粒を手で取ったときか。めちゃくちゃ警戒されてたんだな。

 って、何の警戒だよっ!

 タイムラグがあり過ぎて、本人には突っ込めないから、心の中だけに留めるけどさ。

 そう思った瞬間、俺の心を読んだかのように、唐突にユキが足を止める。


「ど、どうしたの?」

「見えたわ。あれが試合会場のテニスコートよ」


 ユキの示す方角に目をやると、『テニスプラザ海洲』と書かれた門があり、近づいてみると、そこから更に奥へと道が続いていた。


「ふーん。案内図に書かれている内容だと、テニスコートが十ニ面もあるんだ。結構大きいんだね」

「まぁ王族の偉い人が、国を挙げて作った施設だしね」

「なるほどねー。これ、中に入っても良いのかな?」

「大丈夫よ。予約は必要だけど、誰でも使える施設だしね」


 どうやら大会が開催されていない日はレンタルコートとして利用可能らしい。

 一先ず実際のコートを目にしたいのだが、門をくぐって少し進むと、強い横風が吹いてくる。

 狭い領土と、強い風。そして、ユキの家を出た時よりも一層強くなっている潮の香り。これらから想像される事は……


「このテニスコートって、もしかして海の上に建てられてるのかな?」

「多分、そうじゃないかな? こんなに広い施設を作れる場所なんて、ほとんど無いと思うし」

「そっか。仕方が無いのかもしれないけど、テニスには向いてないかも」

「どうして?」

「風だよ。バドミントン程ではないけどさ、テニスも風の影響を強く受けるからね。海上に吹く強風は、かなりプレイし難いかも」」


 まぁ羽の付いたシャトルを打ち合うバドミントン程では無いにしろ、向かい風なら打球が遅くなるし、横風なら変に曲がってしまったりもする。ソフトテニスの柔らかくて軽いゴムボールに比べれば幾分マシだけどさ。

 硬式テニスに転向してからはまだないけど、以前に河川敷のテニスコートで里菜とソフトテニスをしていて、ロブ――ボールを高く上げた時に突風が吹いたせいで、河までボールが運ばれた事があったくらいだ。


「そうなんだ。風かぁー。いつもバドミントンは屋内でやるから、イメージが無かったよ」

「バドミントンは強風が吹いたら試合にならなさそうだよね」

「屋外でバドミントンの試合をした事がないけど、凄そう。軽く打っても、どこかへ運ばれちゃいそうだしね」


 一先ず大会までに、このテニスコートで練習して風の程度は体感しておく必要がありそうだな。

 やはり試合会場を見に来て正解だった。後は、実際のコートを見てみようと、足を進めて行くと、緑色のフェンスと防風ネットに囲まれたテニスコートが見えてきた。

 コートはハードコートか。表面が硬いため、ユキが俺たちと共に練習しているコートと比べてボールが高く跳ねてしまうし、足への負担も大きい。これも対策が必要かもしれないな。

 ユキは大会当日までにしなければならない事が山積みなのだが、そこへまたもや課題が増えてしまった。


「よし、コートはわかった。後は、この国のテニスのレベルが分かれば完璧なんだけどなー」

「うーん、あっちからボールを打つ音が聞こえるよ? 見てみようよ」

「結構広い場所なのに、良く聞こえるね。よし、行ってみようか」


 流石はうさみみと言ったところだろうか。コートが横に三面ずつ並び、それぞれが区画のように仕切られ、間が通路となっている。

 まだ朝の八時過ぎだからか、それともテニス人口がそこまで多くないからか、どうやら今現在コートを使用しているのは、ユキが聞こえたという一面だけのようだ。

 見学させてもらっても大丈夫だろうか? 少し躊躇いながらも、ユキの後を突いていくと、コートの上を白いボールが飛び交う。


「なんだ、ソフトテニスか。残念だけど、試合には関係ないかな」


 見れば、うさみみの少女二人がソフトテニスのラリーを続けている。

 奥に居る、ユキにも負けず劣らず小柄な少女は初心者なのだろう。フォームもフットワークもぎこちなく、ボールも相手コートの様々な場所へと散らばっている。

 一方、手前側に居る少女は結構……いや、かなり上手い。ユキと同じく手首を使う打ち方をしてしまっては居るものの、フットワークもしっかりしているし、何よりあちこちへ飛ぶ初心者の打球を、打ち易いように一定の場所へ返してあげている。

 相手が初心者なので本気で打っていないと考えると、里菜では勝てないくらい上手いのではないだろうか。


――カシャン


 奥側の少女の打ったボールが大きくコートを越え、俺たちが居るすぐ近くのフェンスまで飛んできた。そのボールを拾いに、手前の少女がやってきて、俺たちの存在に気付く。


「あら、貴方……もしかしてユキさんじゃない? 南中学校の」

「……あ、えっと、西中学のサツキさん?」

「えぇ、そうよ。どうして、貴方がこんな場所に? まさか、貴方に負けてバドミントンを辞め、テニスへ転向した私をわざわざ笑いに来たのかしら?」

「い、いえ。そういうわけじゃ……」


 興奮しているのか、それとも元からなのかは分からないが、黒いうさみみを真っ直ぐに立たせたサツキと呼ばれる少女が、ユキへ冷たい視線を浴びせてきた。

 彼女は険しい表情のせいか、それともテニスウェア越しにでも分かる胸の膨らみのせいか、ユキよりも大人びて見える。


「そう言えば、バドミントンの中学部門で優勝した選手が突然引退したって話を聞いたのだけれど。一体どういう事かしら? ねぇ、ユキさん」

「そ、それは……」

「あら。確か、ユキさんの家は母親が一人で支えているんでしたっけ? ……まさか、今度開かれるテニス大会の賞金に目が眩んで転向だなんて言わないですわよね?」

「当たり前よっ! そ、その大会には出るけど……賞金目当てという訳では無いわ」

「そうなんですの? 私ったら、てっきりユキさんのお宅が貧しくて賞金に欲しさにテニスを始めたのかと思ってしまいましたわ。賞金では無くて、賞品のマジックアイテムが目当てかしら? 空を歩ける靴に、一週間相手を意のままに出来る惚れ薬。それから胸を大きく育てる魔法の下着……どれも、高く売れそうですものね」


 なんだ、この女!? おそらく、かつてバドミントンの試合でユキに敗れたのだろう。

 だからと言って、ここまで誹謗される云われは無いはずだ。あまりの失礼さに、俺が割って入ろうとしたところで、再び口を開く。


「あ、魔法の下着はユキさんが着用された方が良いかもしれませんわね。まさに、ユキさんの為に創られたかのような、夢のようなアイテムですし」


 そう言うと、突然サツキが見せびらかすかのように胸を逸らす。

 一方ユキはというと、無言。ただただ、無言。だけど、プルプルとその身体が小刻みに震えている。


「あなた。一体、何なの!? ウチにバドミントンで負けたからって、そんな言い方しなくても良いじゃない!」

「あらあら、スポーツはメンタルコントロールが大事だというのに。ここへ来たのも、どうせ下見か偵察と言ったところでしょ? そちらの日本人がパートナーかしら? パッとしませんのね」


 悪かったな。

 内心ちょっとムッとしたけど、それ以上にユキとサツキとの間に、激しい火花が散っているので割りこめなかった。

 女の戦いは恐ろしい。


「ちょっと! 瑞穂は関係ないじゃない! それに、パッとしないって何!? そんな事ないもん」

「あら、そうかしら? 男性にも女性にも見える中途半端な顔付きだし、見てない振りをしながら、バレバレなのにチラチラ私の胸を盗み見たり、それから……」


 あ、やめて。二人して俺を白い目で見るのはやめてっ!

 特にユキは、怒りが俺に向けられているみたいで生きた心地が……って、あれ? 俺に対して本気で怒ってない!?

 若干、後ずさってしまったところで、サツキが胸の前でパンッと手を合わせた。


「あ、良い事を思いつきましたわ。せっかくですから、試合をしましょう。初心者の相手にも飽きてきた所ですの」

「試合!? ウチと!? やってやるわ。バドミントンの時みたいに、圧勝してやるんだからっ!」

「待った。ユキ、試合って言っても、彼女たちがやっているのはソフトテニスだ。似ているけど、全然別の種目だって。それに、今はラケットも持って来てないしさ」

「ソフトテニス? 一体、何ですの? テニスと言ったら、これしかありませんわ。それに、私のラケットを貸してさしあげますの。どれでも、お好きなものをお使いになって」


 俺の話に聞く耳をもたない程に、頭へ血が登っているのだろう。まだ試合が出来るレベルにまで達していないというのに、十本近くあるラケットの中から白いフレームのものを手に取る。

 それは正にソフトテニス用のラケットで、硬式テニスのラケットよりも一回り小さい。


「ユキ。俺たちがやっているのは硬式テニスだ。出場するのも、硬式テニスの大会だろ?」

「硬式テニス? それは一体、何ですの? 言っておきますが、ここにあるラケットやテニス用具一式は、国営のテニスショップで買ったものですし、間違いありませんわ」


 国営のテニスショップなんてあるのか。国内初のテニス大会を盛り上げたいからって、そこまで用意するなんて、凄い情熱だな。

 ……あれ? 国内初? この国ではテニスがまだ普及していないって言っていたけど、まさかこの国で言うテニスって、硬式テニスじゃなくて、ソフトテニスの事なのか!?

 周囲を見渡すと、時間が経ったからなのか、ちらほらと他のテニスコートにも人が入って来ている。中には、既に打ち始めている人が居るけど、浸かっているのは白いゴムボール――ソフトテニスだ。

 もしかして俺は、とんでもない勘違いをしていたのか!?

 突然現れたユキにテニスを教えてくれと言われて、金髪だからヨーロッパ系なんだろうと勝手に決め付け、それだけで硬式テニスの事だと思い込んでいた。

 しまった。どうして俺はちゃんと確認しなかったのだろう。

 ユキが優勝を目指すテニスの大会とは、ソフトテニスの大会だったんだ。

 激しく後悔する俺を余所に、二人のうさみみ少女は話を進めて行く。


「先に言っておくけど、ウチが勝ったら謝ってもらうからねっ!」

「よろしくってよ。でも貴方がバドミントンを引退したのは、確かほんの数日前でしたわよね? そんな付け焼刃で私に勝てるかしら?」


 ダメだ。バドミントンとテニスはもちろん、硬式テニスとソフトテニスでも打ち方が似ているようで違う。

 そして俺は、ユキに硬式テニスの打ち方を教えてしまっている。あの打ち方では、ソフトテニスのボールで強い打球は打てないんだ!


「そちらの貴方。ユキさんと共に大会へ出場するのでしょう? ラケットは必要無いのかしら?」

「いや、俺は硬式テニスプレイヤーなんだ。ソフトテニスをしたらフォームが狂ってしまうから、見学……そうだな。審判をさせてもらうよ」

「先程から硬式とかソフトとか、よくわかりませんわね。まぁよろしいですわ。……ナミ、こちらへ来なさい」


 そう言って、サツキが先程までラリーをしていた奥の少女――ナミを呼び寄せる。

 何事かとこちらの様子を窺っていた彼女は、サツキに呼ばれるや否や、猛ダッシュで駆けつけて来た。


「サツキ様。いかがなさいました?」

「ナミ。今から、こちらのユキさんと試合をする事になりましたの。貴方、まだテニスの試合はした事がないでしょう? 少し見ていなさいな」

「はい、畏まりました」


 先程までテニスをしていたはずのナミは、フリルの多い白のブラウスと茶色いスカート。そして、胸元に赤く大きなリボンと、白いエプロン……って、どうしてメイド服でテニスしてたんだよっ!

 サツキが大量にラケットを持っていたし、ナミの服装と話し方から、サツキの家に仕えるメイドさんなのだろうけど……大きな灰色のうさみみに、小柄な身体の割には膨らんでいる胸と、おまけに露出の多いメイド服って、反則だろっ!

 俺が一人でそんな事を思いながら審判台へ登ると、ルールを知らない故の行動なのか、ナミが審判台へ登る梯子――俺が座った膝の間へ腰掛けたのだった。

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