第13話 突然の初試合
少し視線を下へ――足元を見ると膝の間にナミの小さな頭があり、真っ直ぐ上にうさみみが生えている。
うさみみは繊細だから、ユキから触れてはいけないと言われていたのに、どうすれば良いのだろう。というか、普通そんな所に座らないよ!?
初心者だと思うし、すぐ近くのベンチへ座るように促そうとしたのが、
「貴方。早く試合を開始しなさいな。それとも自ら審判を買って出ておいて、何も知らないのかしら?」
いつの間にかユキのサーブから始まる事も決まっているようで、サツキから催促されてしまった。
一方、黒いTシャツと白のスカート、そしてスニーカーという出で立ちのユキが、早く試合を始めろと言わんばかりに、審判台の俺を見つめてくる。
幸い動き易い服装ではあるものの、テニスコートに足を踏み入れるのであれば、本来はちゃんとしたテニスシューズを履いて欲しいのだが……仕方なく、試合を始めるために口を開く。
「セブンゲームマッチ、プレイボール」
久々にソフトテニスで試合開始のコールをしたと思う間もなく、ユキが早々にトスを上げる。
細い左手から放たれたボールは、昨日教えた通り真っ直ぐ……上がらない。ボールが違うからなのか、昨日教えた事を忘れてしまったのか、それとも怒りで動きが雑になっているのか。ユキの身体の真上から幾分右へずれたボール目がけてラケットを振り……まともに当たらず、ラケットの縁に当たったボールが地面を転がる。一応、前には飛んだものの、ネットにすら届いていないが。
「フォルト」
審判としてサーブが失敗した事を告げ、ニ回目のサーブを待つ。
テニスではセカンドサーブ――二回目のサーブでボールが所定の枠内に入らなければ、相手の得点になってしまう。なので、攻撃的なサーブというよりも、むしろコントロール重視で枠内へ入れる事を優先するのがセオリーだけど、
「ダブルフォルト。0-1」
残念ながら俺は二回目の失敗と、サツキに得点が入った事を告げる。
すると、突然ナミが後ろを振り返り、膝の間からハテナ顔を俺に向けてきた。
「ダブルフォルト?」
「テニスは一度サーブを失敗しても、もう一度打てるんだ。だけど、二回とも失敗した場合は相手の得点になるんだよ」
真剣な表情のうさみみ少女が膝の間から俺の顔を見上げ、説明後に軽い会釈をしてきたのだが……ちょっと勘弁してもらえないだろうか。
ちなみに、硬式テニスでは十五、三十と点数が増えたかと思うと、次は四十になって……と、良く分からない点数の数え方だけど、ソフトテニスは単純に一つずつ増えていく。
そして四ポイントを得ると、ゲームポイントと呼ばれる点数を得て、新たなゲームが始まる。
硬式テニスの試合では六ゲームを取得した方が勝ちとなるけれど、ソフトテニスは四ゲームで勝ちとなってしまう。つまり、最小で四×四の十六ポイントしか要らないのだ。だから一ポイントが、より大切になる。
「ユキ、落ち着いて。力を入れて打たなくていいから。先ずはサーブを入れていこう」
試合中に選手以外がアドバイスを送る事はルール違反なのだが、声を掛けられずにはいられなかった。
ユキが小さく頷き、そして――
「ダブルフォルト。0-2」
「ダブルフォルト。0-3」
連続六回のサーブ失敗で、あっと言う間に何もしていないサツキのブレイクポイント――サーブを受ける側がこのゲームポイント取得のリーチとなってしまう。
余裕の笑みを浮かべるサツキに対し、怒りと焦りからか、ますます表情の曇るユキがサーブを打って、
「ダブルフォルト。ゲーム、チェンジサイズ」
一度もサーブを成功させる事無く、あっさりサーブゲームを落としてしまった。
「あの、チェンジサイズとは?」
「コートの位置を交代するんだよ。それとこの時は、選手以外から一分間のアドバイス許されるんだ。だから、ちょっと通してね」
ナミが足元から離れると共に、俺はユキの元へと駆け寄り、
――うにぃー
硬い表情を作る、小さな顔のほっぺたを両手で左右に引っ張ってみた。
「にゃ、にゃにひゅるのっ!?」
「ほらほらリラックス、リラックス。ユキがバドミントンの試合をする時、怒りながら試合をしていたのか? 違うだろ? そんなに力んだ状態では、ラケットもスムーズに振れないぜ?」
サツキも言っていたけれど、スポーツにおいて身体能力はもちろんだけど、精神面だってもちろん重要となる。
『心技体』なんて言葉があるけれど、心が乱れていては、せっかく身に付けた技を活かす事が出来ないし、技が無く体だけで何とかなるものでもない。
精神、技術、身体の全てが重要なんだ。事実、ユキのサーブを打つフォームは目に見えて硬かったし。
「あの綺麗なフォームのサーブはどうしたんだよ。昨日みたいに、俺を見惚れさせてくれよ」
「むー! ままみめーっ!」
「あ、離して……か。ごめん」
手を離すと、ユキの頬が紅く染まっている。そんなに力を入れてなかったんだけど、女の子の肌はデリケートだと言うことか。腫れたりはしていないようだけど、以後気をつけなければ。
しかし、じっとユキの目を見ているのに、何も言葉を発してくれない。やっぱり痛かったのだろうか。
ユキは無言でラケットを脇に挟んだまま、暫く両手で頬を押さえて俺を見つめてくる。なので、再び謝ろうかと思ったところで、
「ふー。うんっ、瑞穂ありがとっ! 頭に血が登ちゃってたけど、まずはテニスをしっかりやってくるねっ」
「あぁ。ジャッジは公正にするけど、応援はしているからなっ! 頑張れよっ!」
相変わらず顔は紅いままだけど、ようやく口を開き、いつもの笑顔を見せてくれた。
完全に気持ちをフラットに出来た訳ではないだろうけど、コートの入替のために走る後姿を見るだけでも、先程と比べれば動きが遥かに良くなっている。
サツキが揺さぶりを掛けるタイプなのか、それとも素なのかは分からないが、スポーツや囲碁将棋に、テレビゲームにおいてさえ、対戦相手に精神攻撃を仕掛けてくる者は少なくない。
ユキはバドミントンで優勝経験があるという話だから、メンタルコントロールもそれなりに出来るはずなのだけど……今回、これほどまでに怒った理由は確認しておいた方が良いかもしれないな。そんな事を考えながら、審判台へと戻った。
「ゲームカウント、1-0」
いつの間にかナミが俺の足元に居るけど、また催促されても嫌なので、サツキとユキの両者の準備が整ったところで次のゲーム開始を告げる。
どうでも良いけど、サーブを打つ側のポイントを先に言う決まりを作ったのは誰なのだろうか。ややこしいよ……っと、早速サツキがトスを行い、サーブを打つ。
彼女はソフトテニスへ転向してどれくらい経つのだろうか。ユキのバドミントンを流用したそれではなく、しっかりとしたソフトテニスのフォームからボールが放たれ、ネットの上スレスレを通ってコートに入る。
ユキは右手側へ飛んできた速い球に向けて、見事なフットワークで移動して打ち返すが、
「アウト。1-0」
残念ながら、ボールは相手コートへ返らなかった。
持ち前の運動神経とバドミントンの経験からか、ユキは速い球に怯むことなく対応している。そして、先程と違って良い動きにもなっている。にも関わらず、テニスの経験不足と練習不足から、まともに打ち返す事が出来ない。
『心技体』の中で、圧倒的に『技』が足りていないのだ。なので、
「アウト。2-0」
「アウト。3-0」
あっという間に、点差が開いてしまった。
だが失点になっているものの、ユキはどうすれば返球出来るか考え、試行錯誤しているのに対し、サツキは大きな胸を無駄に反りながら笑みを浮かべている。
この気の緩みが、付け入る隙になるはず――
「フォルト」
まさに思っていた通り、サツキの打ったサーブがネットに阻まれた。
サツキが初めて打つセカンドサーブ。普通は威力を落とすので、これならユキも返せるかもしれない。
密かにそんな想いを込めて見ていると、サツキがラケットを肩程の高さから下へと降ろし、左手に持ったボールをラケットの表面で擦る様に押し出す。
「えっ!? えぇっ!? な、何これっ!?」
サツキの膝の高さから放たれ、山なりにネットを越えたボールがコートへ着地後、ユキの左手側へと大きく軌道を変えて跳ねる。
所謂カットサーブと呼ばれるもので、ソフトテニスでは多用されるのだが、硬式テニスでは滅多に使われる事の無いそれを、初見のユキが返せる訳も無く。
「ゲーム、チェンジサービス」
審判役の俺は、再びサツキがゲームポイントを取得した事を告げなければならないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます