第7話 うさみみ少女のテニスレッスン

「おーっし、じゃあ球拾いだっ。時間が無いから、急いでやるぞっ!」


 改めてユキにテニスを教えると約束してから、ひたすら手で球出しを行い、ストロークの練習を続けている。

 その理由は二つ。一つは、ユキの手首を使って打ってしまう癖を矯正するため。

 テニスはバドミントンやソフトテニスに比べて球が重い。今の打ち方のままで、相手が打ってきた速くて威力のあるサーブなどを返そうとすれば、間違いなく手首を痛めてしまう。それに、打ち方の矯正は時間がかかるので、ユキが怪我をしないようにするためにも最優先事項となる。

 もう一つは、単純な人手不足だ。俺がユキとテニスの練習をすれば、里菜が一人でソフトテニスのサーブ練習をしなくてはならず、俺が里菜とソフトテニスの練習をすれば、ユキが一人になってしまう。

 よって、コートの中央にテニスとソフトテニス双方のボールの入った籠を置き、右手でテニスボールを。左手でソフトテニスのボールを球出ししていくという、通常有り得ない練習をしていた。


「最後はサーブだ。ユキ、バドミントンのサーブって上から打って良いんだっけ?」

「ううん、ダメよ。ルールとして下からしか打てないわ」

「そっか。じゃあ、サーブは打ち方を教える所からか。……念のために聞くけど、どこへ打たなければならないかは知っているよね?」

「大丈夫。ルールブックくらいは読んでいるわ。だから、基本的なルールは知ってる」

「なるほど。なら、その辺は割愛して、とにかく打ち方だね」


 昨日に引き続き、里菜に自分でサーブ練習するように言い、ユキにサーブの打ち方を説明する。

 と言っても、ソフトテニスはともかく、テニスの打ち方は俺もまだまだ未熟なので、俺が双海高校テニス部で教わった方法を伝えているが。


「テニスのサーブは基本的に上から打つんだけど、まずはトス――左手に持ったボールを真っ直ぐ上にあげるんだ。打つサーブの球種によっては真上以外もあるけど、まずは真上から始めよう」

「いくわよっ! ……あっ!」


 ユキの上げたボールは真上ではなく、かなりずれた場所へと上がってしまった。


「ボールを上げる時に肘を曲げてしまうと、安定しなくなるんだ。肘を伸ばしたまま、左腕全体を使ってボールを上げるようにしてみて」

「こう? あ、いい感じ」

「お、おぉ、そうそう。じゃあ、暫く練習してみて。出来そうなら、打ってみても良いからさ」


 俺から言われた通りに身体を使い、綺麗にボールが上がっていく。

 教えられて、即出来るものでもないと思うんだけど……自分で言っていた通り、運動神経は抜群らしい。だけど、ユキにはバドミントンを長く続けていた故の呪縛がある。


――ぽふっ


「ふぎゅぅっ」


 安定してトスが上げられるので、ユキがサーブを打ってみようとして……空振りの後、頭にボールが直撃してしまった。

 これがユキが囚われている呪縛の一つだ。身体に染みついたバドミントンのシャトルの落下速度と、テニスボールの速度が異なり、タイミングが合わないのだ。

 しかし、驚いたからなのか、ユキが倒れ込んでしまった。打球が当たったならともかく、自分が上げたボールが落ちて当たった程度なので、そんなに痛くはないと思うのだが、一体どうしたのだろうか。


「お、おい。大丈夫か? 随分、大げさに倒れてるけど……」

「だ、ダメかも。くらくらするぅ」

「ちょ、ちょっと、ユキ!? ユキってば!」


 もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない。慌ててユキの傍へ駆け寄り、そっと頭に触れてみる。たんこぶなどは出来ていなさそうだけど――


「ふにぁぁぁっ! ら、らめぇ……」

「えっ!? な、何がっ!?」

「そこ……ウチはそこ弱いから……お願い、触っちゃいや……んんっ!」


 突然、ユキの身体がビクンと跳ねる。

 え、えっと、俺は頭を触っただけなんだけど。一切、変な事はしてないよ!? いや、本当に。

 ユキのフワフワした髪の毛が俺の手をくすぐるくらいで……って、ユキの頭は随分柔らかいな。それに何だか、モフモフしてる。まるで、ネコやうさぎを撫でているみたいに。

 と、俺の掌へ太い髪の毛の束が触れる。いや、これは髪を束ねたものじゃないな。柔らかいけど、長くてモフモフしているから、髪の毛と言うより小動物そのものみたいだ。そうそう、さっき感じたうさぎに生えてる大きな耳なんてピッタリの例えではないだろうか。


「……って、ユキ! これってもしかして、うさぎの耳!? うさみみっ!?」

「そ、そうよ。見れば分かるでしょ? だから、触らないで……あふぅっ」

「見れば分かるって、分かんねーよっ! 一体、どうなってんだ!?」

「と、とにかく手をどけてよぉ。うさみみは繊細で敏感なんだからぁ」


 よくわからないまま謝り、頭から手を離して待つ事暫し。少し回復したのか、弱々しいながらもユキが立ち上がる。


「ユキちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫だよ。ちょっと、ボールが当たっちゃって。でも、もう大丈夫っ! もっといっぱい練習しないとね」


 元気を装うのは構わないんだけど、俺のラケットを杖代わりにされるのは困るんだが。

 いや、今はそこを突っ込むところでは無い。それよりも、うさみみだ。昨日俺が見たと思っていた、ユキのうさみみは思い込みや錯覚ではなかった。現にこの手で触れたし、ユキもうさみみだと言っていた。

 うさみみ……俺のイメージにある、バニーガールのような白くてピンと立ったものではなく、明るい茶色の垂れた耳だったが、柔らかくて長いフサフサしたものがあったのだ。


「よーっし、今度こそっ!」

「お、おい。ユキ、大丈夫なのか!?」


 復活したばかりだというのに、早くもサーブを打とうとしているユキを止めようとしたのだが、既にモーションに入ってしまっている。

 真っ直ぐ上げたボールの落下に合わせ、横向きの身体を身体ごと前に回し、肩から肘、手からラケットへと、腕を内側へ回転させつつ、しならせる様に振り抜く。

 最初のラケットの構え方はテニスのサーブというより、バドミントンのスマッシュだけど、流れるようにスムーズな動作だ。


――ぽてん


 まだタイミングが合わず、ラケットのフレームに触れたボールは、ユキの頭ではなく少し離れた場所へと落ちた。


「うーん、もう少しゆっくりかぁ」

「ユキ! ちょっと、今の打ち方って……」

「えっ!? バドミントンの打ち方だけど。ダメ?」

「いや、むしろ凄くよかった。ストロークと違って手首をスナップさせてないし。フットフォールト――足がコート内に入らないようにだけ気をつけて、もう一度やってみよう」


 ユキがラケットを肩の位置にまで移動させた状態でトスを上げて、サーブを打つ。今回もフレームに当たってしまったけれど、さっきと違って前へと飛んだ。

 そしてもう一度、ユキがまたもやラケットを肩の位置に。トスを上げ、今度は少しタメを長くして――スパッと聞き慣れた音がコートに響く。

 これまで、何百、何千、何万ともこのフォームでスマッシュを打ったのであろう。少しもブレの無いフォームに、思わず俺は見惚れてしまっていた。


「出来たっ! 瑞穂っ! 出来たよっ!」


 ユキが子供の様にはしゃぎながら、笑顔を向けてくる。

 生憎、フォールト――所定の枠内には入らなかったものの、しっかりとスイートスポットを捕らえ、綺麗で速いボールが飛んで行ったのだ。

 ストロークは怪我を防ぐために改善しなければならないけれど、サーブは相手の球を打ち返す訳でもないし、打ち方も手首に負担の掛かる打ち方となっていないので、このままでも問題ないだろう。

 これなら絶望的に短い期間の中でも、何とかなるかもしれない。

 飛び跳ねるユキと、よくわかっていないけど一緒にはしゃぐ里菜を眺めながら、そんな事を思っていると、


「ほらほら、お兄ちゃんも一緒に。ぴょんぴょんっ!」

「お、おぅ。ぴょんぴょん……って、何をやらすんだ。それに見惚れてる場合じゃなかった! うさみみが……って、ダメだ。早く片付けないと真っ暗になるっ! ユキ、里菜。後片付けをするぞっ!」


 飛び跳ねる二人を制して、急いでボールの回収を指示する。ボールだって無料では無いからね。失くして数が減ったら、買わなくちゃいけないし。

 一先ず片付けが終わってから、ユキのうさみみについて聞かせてもらおうと思い、俺はコートへブラシをかけていく。


「お兄ちゃーん。ボール拾い終わったよー!」

「おっけー。じゃあ、帰ろうか。ユキ、今日も家でご飯食べて行くよな?」

「ど、どうしたの? 昨日はお腹を空かせて泣きそな美少女に対して、『我が家に見ず知らずの人へ食べさせる食事は無い』なんて、言ったくせに」

「うわ、めちゃくちゃ根に持ってる。いや、その……あれだ。落ち着いて、ゆっくりとテニスの話をしたいなって」


 まぁ実のところ、うさみみに興味津々なんだけどさ。でもテニスの話もするつもりだから、テニスの話が四割、うさみみの話が六割ってところかな。


「でも、昨日もお邪魔しちゃったし、ご家族の方に悪くない?」

「大丈夫だよ。むしろ、母さんについては、こっちが申し訳なくなるくらい喋るだろ? それに昨日は里菜の友達だったけど、今日は俺の友達として連れて行くから大丈夫」

「そ、そういうものなの? なら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

「うん。じゃあ、俺は母さんに連絡してくるから、ユキは着替えておいでよ。俺と里菜はこのまま帰るし」


 そう言い残し、鞄からスマホを取り出して母さんへメッセージを送る。――今日は、俺の友達を連れて行くので夕食よろしく。女の子だけど、結構食べるかも――っと。

 既読になったのを確認してコートへ戻ると、ユキが困り果てた表情で立っていた。


「あれ? 着替えないの? って、しまった。いつも部活の格好で着て、そのまま帰るから失念してたけど、ここは更衣室とかが無いのか」

「え、えーっと、そうじゃないの。あの……ウチ、このままの格好で来ちゃって、着替えを持って来るの忘れちゃったんだ」

「え!? マジで!? ノースリーブでスコートだよね!? その格好で遠くから……って、あれ? そう言えば、自転車でもないし、電車って訳でもなさそうだけど、まさか走って来たの!?」


 大抵のスポーツは服装がルールで厳格に決められているけど、テニスやソフトテニスだって例外ではない。

 なので、真冬は除くものの、俺も里菜も練習中はテニスウェア姿だけど、流石に移動中は目立つのでジャージを着る。

 里菜に至っては、時々健介が覗きに来る事があるから、ここではジャージのまま練習するように言っているけど、まさかユキはテニスウェアのまま移動してきたのだろうか?


――くしゅんっ


 ユキがくしゃみで返事をしてきた。昨日も腹の音で返事をしてきたし、随分器用だな。


「運動している間はともかく、汗も掻いた状態でそんな格好してたら風邪をひくよ。ユキ、こっちへ来て」


 自転車の傍へ連れて行き、鞄から取り出したタオルを手渡す。


「それは学校で使った奴じゃなくて、このコート用に持ってきてた奴だから未使用だ。汚くないから、それで汗を拭いて。で、それからこっちを羽織って」

「あ、ありがとう」


 小柄な身体なので、俺のブレザーの上着でユキの膝上くらいまで隠れている。ブカブカだけど、手足を曝け出すよりかは、よっぽど良いだろう。


「まったく世話の焼ける……って、里菜? どうしたんだ?」

「むぅー。お兄ちゃん、何だかユキちゃんに優し過ぎー。里菜には? 里菜もお兄ちゃんの制服着てみたいー」

「いや里菜はジャージ着てるし、何だったら自分のセーラー服があるだろ?」

「えぇー。わかった! じゃあ、里菜もジャージ脱ぐっ!」

「何でだよっ! って、脱ぐなーっ!」


 里菜の上半身が双海中学ソフトテニス部のユニフォーム姿となり、何だか懐かしい気持ちになったのと、去年の部活で見ていた姿よりも僅かに胸が成長している……って、こんな発想になってしまうのは、毎日ちっぱいがどうこうと俺に語る健介のせいだ。

 俺は本来、もっと硬派でストイックなんだよっ!

 誰に言う訳でもなく、俺は一人心の中で叫びながら、帰路へと就いたのであった。

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