第2話 ゴムボールみたいなあれ
俺の両手の間に小さなうさぎが居たはずなのに、何がどうなったのか、小柄な女の子が背を向けて座っている。
女の子といっても、暗いのでシルエットでしか判断出来ないけれど、肩まで伸びるフワフワの髪の毛に、スラリと伸びる細い手足。それから、俺の鼻をほんのりとくすぐるシャンプーの香りが、女の子だと言っている。
そして、うさぎを抱きかかえたはずの両手に、ソフトテニスのゴムボールくらいの大きさで、それを更に柔らかくしたような弾力の何かが、左右それぞれに収まっていた。
ムニュムニュとした小ぶりな膨らみは、触り心地がとても良く、クセになってしまいそうだ。だけど、この触り続けてたくなるこれは一体何なのだろうか。
いや、それよりも突然現れたこの女の子は誰なんだろう。上半身が前かがみになっているから、俺がこのムニュムニュとしたものを放すと、倒れてしまいそうだけど……って、俺の手がある場所ってまさか、おっぱい!?
え!? でも、マジで!? 今、女の子のおっぱいを触っているのか!? ど、どうしよう!? でも、放して大丈夫? いや、そもそも触り続けていて、大丈夫なのか!?
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「えっ!? い、いや、うさぎ……が居たはずなんだけどね」
周囲の暗さと少女が小柄なおかげで、俺の背後に居る里菜には見えていないようだ。
けど、どうしよう。里菜も不思議がっているけど、俺の手の中にあるものが心地良過ぎて、手が離せない!
十六年間生きてきて初めて手にする柔らかさに、俺の本能が手を離す事を拒んでいるみたいだ。
だけど夢の様に素敵な時間は、いつか終わりを迎える訳で。腕の中に居る少女がビクッと動いたかと思うと、もの凄い勢いで立ち上がる。
「きゃあぁぁぁっ!」
耳をつんざくような悲鳴と共に、俺の身体が後ろへ大きく押し飛ばされた。
幸い里菜に当たらなかったものの、地面で腰を強打したらしく、めちゃくちゃ痛い。顔を上げると、少女のシルエットから数メートル程離れている。
って、あんなに細い腕で俺をここまで突き飛ばすって、どれだけ怪力なんだよ!
「お兄ちゃん、大丈夫?」
すぐさま里菜が駆けつけ、悶絶する俺の腰をさすってくれる。兄想いの良い妹だなぁと感謝しつつも、腰の痛みで冷静になった俺は、里菜を護るように立ち上がった。
どこからともなく突然現れた謎の怪力少女から里菜を遠ざけ……って、あれ? 女の子が立ち尽くしたまま、両手で顔を押さえてる?
「うぅっ……誰にも触られた事なんてなかったのに……酷いよぉ……」
あ、えーっと、これは俺が泣かせてしまったって事!? ど、どうしよう。
けど、俺はあくまでうさぎを抱き上げようとしたわけであって、気付いたらいつの間にか女の子が居て、手の中に柔らかい膨らみがあって……初めて触れる気持ちよさに、ついつい触り続けてしまった訳なんだけどさ。
とりあえず、俺が謝っておくべき……だよね?
「あ、あの……ご、ごめん。わざとじゃ、無いんだよ?」
「……嘘っ! 移動直後で抵抗出来ないウチをずっと弄んで……変態っ!」
混乱しているのか、少女の言葉の意味が良くわからないけれど、とにかく怒っている事はわかった。
少女はシルエットからすると、里菜より少し大きいくらいだろうか。胸の前で腕を交差させ、胸を隠すようにして立っている。
だけど、俺も胸を触り続けてしまったという非はあるけど、そもそも突然俺の腕の中に飛び込んできたのは彼女の方だし、胸を触ってしまったのは不可抗力だっ!
「変態って……いや、そもそも俺の腕の中に突然現れたよね!? 俺が悪くないとは言わないけどさ、そもそもどこから現れたんだ!?」
「腕の中で具現化した? そんな間が悪い事なんてある? ……ううん、今は変態と関わっている暇なんて無かったわ。今回は見逃すけど、次に会ったら遥か彼方まで吹き飛ばすからねっ!」
「いや、その変態は訂正しろよっ!」
「ウチにした行為なんて、変態そのものじゃない! ド変態っ!」
里菜の前で謎の女の子から変態呼ばわりされるだなんて、兄の威厳がどんどん失われていくじゃないか。
ましてや、中学二年生という多感な時期なのに。ここは何としても、訂正させないと兄として示しが付かない。
「お兄ちゃん。随分楽しそうだけど、その人は……お友達なの?」
「変態って呼ばれて、楽しいのっ!? うわぁ……」
「いや、ちょっと待てぇっ!」
初対面の女の子に変態呼ばわりされた上に、ドン引きされてしまったよ。
いや、この際見ず知らずの少女に引かれたのは置いといて、それよりも里菜が俺と少女とのやり取りを楽しそうと表現し、お友達かと聞いてきた方が問題な気がしてきた。
未だに、一緒にお風呂へ入ろうとか言ってくるし、無垢な里菜は可愛いけど、テニス以外にもいろいろと教えないといけない事がありそうだ。
だいたい、普通はお友達に向かって変態だなんて言わないと思うぞ? あ、でも変態って言葉は、健介に向かって言った事があるな。
って、里菜? いつの間に少女のすぐ傍へ移動していたんだ?
「こんばんわっ。川本里菜だよっ! お兄ちゃんのお友達の人ですか?」
「へっ!? え、えっと、ウチはユキよ。あの変態の妹だなんて大変……って、カワモト!? 今、カワモトって言った?」
「うん。里菜の苗字は川本だよー」
「やったぁ! 位置ピッタリ」
「位置……? まぁいいや。それよりあんた、一体うちに何の用なんだ!?」
俺に向かって話しかける時とは大きく違い、里菜に向かって少女が明るい声でユキと名乗る。
この近辺で川本という苗字の家は、うちしか無いはずだが。
「あんたみたいな変態に用なんて無いわっ。ウチが探しているのは、ミズホさん。カワモトミズホさんって人。……里菜ちゃん、知ってる?」
俺には再び不機嫌な声で話しかけてくるのだが、ユキの言葉を聞いて、思わず俺と里菜が顔を見合わせる。
「変態っていうのはよくわからないけど、ミズホさんは知ってるよー」
「本当っ!? やった! こんな時間に悪いんやけど、案内してくれないかな?」
「うん、いいよー! ……はいっ! 里菜の隣に居るお兄ちゃんが、川本瑞穂でーすっ!」
「……どーも。俺が川本瑞穂だけど。んで、何の用なんだ?」
シルエットだけだが、ユキの顔が引きつっているのが容易に想像できる。
何の用があるのかは知らないけど、散々変態呼ばわりされたからな。……いや、うん。わかってる。俺も散々胸を触らせてもらったというのは。だから、変態呼ばわりさえ訂正すれば、話は聞こうと思うのだが。
「……ミズホ? この変態が? まぁ、確かに中性的って言うか、女の子に見えなくもない顔だけど……あ、もしかして、実は女の子なの? も、もしもそうだったら、ごめんなさい」
ユキが俺の顔を覗きこむような仕草を見せ、深々と頭を下げて来た。
この名前の読みと中性的な顔のせいで、小学生の頃は何度も女の子に間違えられた事がある。しかし、俺にはユキの影しか見えていないけど、ユキは夜目が利くのか、俺の顔が見えているようだ。
まぁ今まで何度もこんな事があったので今さら別に何とも思わないけど、とりあえず説明だけはしておこうか。
「瑞穂ってのは稲の事なんだ。うちの親が昔農業を営んでいたから、瑞穂と里菜っていう名前を付けたんだってさ。まぁそういう訳で、女の子みたいな名前で実は男の子な俺に何の用なんだ?」
「……えぇぇぇっ!? じゃあ、男のあんたがカワモトミズホ!? こんな変態が導き手!? うそっ……なんでっ!?」
導き手? 事情は知る余地も無いが、ユキが突然頭を抱え出す。
その一方で、里菜が小声で「変態って何の事?」と小首を傾げて聞いてくる。そっちに食いついちゃったか。まぁ俺だって何が起こったかわからなかったし、俺の方が頭を抱えたいくらいなのだが。
暫くすると何か考えが纏まったのか、ユキが顔を上げてビシッと俺に指を突きつけ、
「川本瑞穂っ! あんたは、ウチの……」
――ぐぎゅるるるぅ
何か言いかけた所で、盛大に彼女の腹が鳴る。
格好付けた分、余計に恥ずかしかったようで、暫しの沈黙が続く。
「えーっと、何の話だっけ?」
「コホン。あんたは、ウチの家……」
――きゅるるるぅ
「ウチの家に来……」
――ずぎゅるるるぅ
腹の音が鳴る度に、恥ずかしそうに言葉を止めるユキは、左手を腰に当て、右手で真っ直ぐに俺を指さすポーズから一転し、両手でお腹を押さえる。
「う、ウチにテニスを教えて……あと、ご飯。何かご飯を食べさせて……」
どこからともなく現れた謎の少女は、俺たちに食事をたかってきたのだった。
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