第3話 眠っている間の出来事
突然現れて、俺を変態呼ばわりしていたユキが食事を要求してきた。
初対面で、まだ顔すらはっきり見えて居ないという状況で、どれだけ図々しいんだよと、もちろん俺はきっぱり断ったのだが、
「いいよー。ユキちゃん、お家で一緒に晩御飯べよー。里菜からお母さんにお願いするねー。お兄ちゃんも……良いよねっ?」
「あ……あぁ」
「うぅ……ありがとう。里菜ちゃんは優しいね。ウチ、里菜ちゃんが天使に見えるわ」
「ううん、里菜は普通の中学生だよー」
人を疑わず、誰とでも仲良くなってしまう里菜が、あっさり覆してしまった。
今は暗くて顔こそ見えないものの、きっと里菜はいつものように、キラキラと目に星を浮かべてお願いしているのだろう。そんなの断れる訳が無いじゃないか。
そんなわけで、いつもは兄妹二人の家路に、ぐーぐーと腹を鳴らす三人目がついて来ている。
「……里菜。兄ちゃん、前から言ってるけどな。見ず知らずの人を、すぐに信用しちゃダメだぞ」
「はーい、わかったー。でも、テニスが好きな人に悪い人は居ないよねっ!」
「そ、そう……だな」
これは、絶対分かってないな。
それに、ユキがテニス好きかどうかもわかってないよね? テニスを教えてって言ってきただけで、テニスをしたことがあるかも怪しい……というか、こんな暗闇の中で突然コートに現れるなんて、全般的に怪しいよっ!
俺は内心溜め息を吐きながら、後ろを歩くユキをチラリと覗き見る。その見ず知らずの少女は、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡していた。
河沿いの道から右手に見える大きな電気店に、左手にある河の向こう岸の空港と、俺からすると何も珍しくは無いものに興味を示しているようだ。この辺りに住んでいる訳ではないのか?
と、街灯すらない河沿いの歩道を歩いているのだが、車道を走る車のライトで一瞬ユキの横顔が照らされる。
ほんの一瞬、それも横顔しか見えなかったけど、かなり幼い印象を受けた。そう言えば、何歳なんだろうか。
「あ、ここで道路を渡るから気を付けて」
「……」
「おーい、そっちじゃないって。早くしないと、信号変わっちゃうよー」
ユキが何かに目を奪われたまま、真っ直ぐ歩き続けて行く……って、飛行機か。真っ暗な空を、飛行機のライトが点滅しながら空へと舞い上がって行く。
飛行機を見慣れている俺は何とも思わないけど、好きな人はいつまでも眺めていたりするもんな。
「って、信号変わるから。早くっ」
「ひゃあぁぁぁっ!」
俺の声が全く届いていなかったようで、明後日の方向へ歩き続けるユキの手を取ると、またもや悲鳴を上げられてしまった。
とはいえ、手を離す訳にはいかない。この先に大きなショッピングモールがあるので、ここは細い道なのに週末は大渋滞してしまう。そのせいか、ここの信号は変わるまでに結構な時間がかかるのだ。
ユキの手を強引に引いて道路を渡り、いつも行列が出来るカフェを横切った先に並ぶ戸建の家。その中の青い屋根の家が、我が川本家だ。
「ただいまー」
「たっだいまー。お母さーん、メール送った通り、お友達のユキちゃんを連れてきたんだー。一緒にご飯食べてもいいー?」
「えぇ、準備は出来てるわよー。でも急だったから、大したものはないけど……」
どうやら里奈が既に母さんへ連絡していたらしい。よく考えれば、突然夕食を一人前追加などと言われたら、母さんだって困るよな。
まぁ十分足らずしか無かったけれど、母さんが笑顔で現れたから、一先ず何とかなっているようだ。
「お邪魔します。ユキと言います」
「まぁ可愛いらしいわねー。外国の方かしら? 二人と一緒に来たって事は、テニス仲間ね。どうぞ、狭い家だけど上がって」
外国の方? って、そう言えば未だちゃんと顔を見て無かったな。
振り返って後ろに居るユキを見てみると、家の照明に反射して明るい茶色の髪がキラキラと輝いていた。いや、これは金髪と言った方が近いだろうか。
そして小さな顔に大きな茶色い瞳、雪の様に白い肌と、妖精か人形とでも言った容姿のユキは、母さんが外国人かと思うのも仕方ない程日本人離れしていた。
いや、もしかしたら本当に外国人なのかも。そう考えると、先程のテニスコートや、家に着くまでの会話に所々変な言葉使いが交じっていたなと、少し変な日本語だと思えてくる。
それから、どうしても俺が見てしまうのが……不可抗力とは言え、触ってしまった胸だ。小柄でスリムな身体に見合う、控えめな膨らみがニットセーターの下に窺える。
うむ。触っておいてなんだけど、やっぱり小さい部類に入るのかな? それとも歳相応なのか? 女子の胸の大きさなんて全然わからないけど、里菜より少し背が高いくらいで、胸の成長具合も同じくらいに見えるし中学生だよな?
「な、何よ。ウチの事をまじまじと見て」
「いや、外が暗くてどんな顔なのか、全然見えてなかったからさ」
「暗くて……って、顔が見えない程では無かったでしょ?」
「いや、俺には影しか見えてなかったんだけど……って、それはまぁいいや。せっかくここまで来たんだから、上がっていけよ」
――くぅぅぅ
「腹の音で返事って、どれだけ器用なんだよ」
「ち、ちがっ……へ、変態の上に意地悪だなんて。ミコの話がなかったら、絶対にこんな所へ来なかったのに」
ミコ? ……巫女の事か? 俺の住む街は酒の発祥地だとかで、しょっちゅう祭をしている。祭と言えば神社。神社と言えば、巫女……って苦しいか。
しかし、そんな事より俺を変態と呼ぶなって。里菜はよく分からずにキョトンとしているけどさ、母さんが聞いたらどんな目で俺を見て来るか。まぁ、幸い母さんが既にリビングへ移動していて、聞こえていなさそうだけど。
「三人共、早くいらっしゃーい。冷めちゃうわよー」
母さんから催促もあったので、里菜がユキを洗面所へ案内し、俺は里菜の荷物も纏めてそれぞれの部屋へと片付ける。
「いただきまーす」
用意してくれていた夕食を四人で囲みながら、お喋り好きな母さんがユキを質問攻めにしていく。
「ユキちゃんは、何年生? 里菜の同級生なのかしら? 生まれはどこの国? 日本語上手だし、お箸の使い方も綺麗よねー」
「……んっ……っと、ウチは五年生です。ウォクク生まれですよ」
「五年生っ!? え……マジで!?」
早速箸を伸ばしていた魚を慌てて飲み込み、ユキが聞いたことの無い土地の名前を出す。
が、それどころではない。五年生って事は、小学生かよっ! 小柄どころか、割と背の高い小学生だと言えるけど、その歳なら道理で胸が無いはずだ……って、俺いろんな意味で大丈夫!? 故意ではないから! 不可抗力、不可抗力なんだからねっ!
「ウォクク? ごめんなさい、聞いた事のない国ね。それより五年生って事は、十一歳かしら? おうちに連絡しておいた方が良さそうね」
「ウォククは、ちょっと遠い場所にある小国なので。あと、お母さん。ウチは十一歳ではないですよ? 中学五年生なので、十七歳ですよー」
「……十七っ? えぇっ!? ……マジで!?」
ウォククって、国名だったのか。でも、やっぱり聞いた事すらない。が、この際どうでも良い。学校制度が日本と違うから、中学五年生なんて言葉が出るのだろう。
だが何よりも俺が驚いたのは、ユキが十七歳……俺よりも年上だって事だ。里菜とそこまで大差ないユキは、小学五年生と聞かされても納得出来る程の容姿だというのに、俺より年上だと!?
内心、小学生の胸を触ってしまった俺の人生はどうなるんだろうと、必死で言い訳を考えて居たけど、ただただ残念な胸なだけだったのか。……いや、もちろんだからと言って触って良い訳ではないけどさ。
などと考えている間に、母さんが矢継ぎ早に質問を繰り返す。
そのせいで、ユキがお腹を空かせた犬みたいに、目の前の料理へ釘付けになりながら質問に答えている。いやもう、ご飯食べさせてあげてっ! 見てるこっちの方が辛くなるわっ!
「って、母さん。時間、そろそろヤバくない?」
「まぁ、もうこんな時間なの? ユキちゃん、ごめんなさいね。今からお仕事なのよ。遅くならない程度にゆっくりしていってね」
「……母さん。それだと、ゆっくりして良いのか悪いのか、わかんないよ」
「そこは程良く、常識の範囲内でね。外は暗いから、帰りはちゃんと瑞穂が送ってあげるのよ。じゃあ、後はよろしくねー」
ユキに笑顔を見せつつも、母さんがバタバタと出て行く。看護師っていう命を預かる仕事は立派だが、大変そうだし、身体を壊さなければ良いのだけれど。
「ユキちゃん。お腹空いてるのに、ごめんね。えっと、好きなの食べてね」
「ホントっ!? いただきますっ!」
「悪かったな、質問ばっかりで。とりあえず、俺も聞きたい事があるんだけど、とりあえず食べ終わってからでいいや」
我が家は里菜が小食なので、大皿に盛られたおかずを自分の食べる分だけ取るというスタイルだ。そのため、ユキが取り皿へ大量に盛っているのだが、果たして食べきれるのだろうか。
横目でチラリと様子を窺うと、ユキが嬉しそうに舌鼓を打っている。
小さな口に次々と箸を運び、美味しそうにご飯を食べるユキはとても幸せそうで、その姿を見ているこっちまで笑顔になってしまいそうだ。
「って、里菜。食べ終わってたのか。食事の後片付けは兄ちゃんがしておくから、先にお風呂へ行っておいでよ」
「えっ? いいの?」
「あぁ。このペースだともう少し時間がかかりそうだしな」
幸せそうにご飯を食べているユキだが、小さな顔に合わせて口も小さいため、食べるペースはかなり遅い。
だが、お腹はかなり空いていたようで、既に里菜と同じ分量を食べて居るけれど、まだ止まる様子は無さそうだ。
里菜もユキと話したそうだけど、母さんのせいでおあずけ状態になっていた訳だし、ゆっくり食べさせてあげた方が良いだろう。
「じゃあ……先にお風呂行ってくるねー」
「はーい。あ、そうそう。シャンプーが切れかかってたから、新しいの持って行ってー」
「わかったー。じゃあ、ユキちゃん。また後でねー」
里菜がリビングを出て行き、手持ち無沙汰になってしまった。だけど、食べ終わるまで待つと言ってしまった以上、待つしかない。
とりあえず食べ終えた分の食器を洗い、お気に入りのカップへミネラルウォーターを。里菜のうさぎコレクションの一つ、うさぎをモチーフにしたマグカップへジュースを注ぐ。
それなりに時間が経っているので、キッチンからそっとリビングを覗いてみると、ユキはまだ箸を握っていた。
よほどお腹が空いていたようだ。
「おーい、食後に何か飲む? アップルジュースかお茶、ミネラルウォーターの三択だけど……って、要らない?」
十分聞こえる距離なのに、ユキの返事がない。
やれやれと、自分のカップを手にしてリビングへ戻ると、ユキが右手に箸を持ち、深く椅子に腰掛けたまま動かない。
「ど、どうしたっ!? 喉に何か詰めたのかっ!? おい、しっかり……」
――くぅ
ユキの細い肩を慌てて揺さぶろうとしたのだが、聞こえてきたのは小さな寝息。食事中に寝てしまうだなんて、やっぱり小学生じゃないのか?
俺が小学生の頃――まだ父さんが居た頃、こんな風に里菜がよくご飯を食べてる最中に寝ちゃったっけ。
そんな昔の事を思い出して一人でクスりと微笑んでいると、当時の里菜の様にユキの服へご飯粒が付いているのを見つけた。
「ははっ。まったく、ホントに歳上なのか? セーターにご飯粒はダメだろ」
なんだか懐かしいなと思いながら、服に付いたご飯粒を摘まんだ所で、大きなユキの瞳が開いていく。
「ふぇ? えっと……瑞穂?」
「あ、悪い。起こしたか」
「ん。ウチ寝ちゃってたんや……って、きゃあぁぁぁっ!」
至近距離で大音量の悲鳴を浴びせられ、耳がキーンとする。
一体、どうしたというんだ。
「あ、あんたっ! ウチが転移で疲れ果てて眠ってしまった隙に、胸を触るなんて……やっぱり、変態っ!」
「いや、胸なんて触ってないだろ? 服に付いてるご飯粒を……あ、ここって……胸だったのか」
「ちょっと! 今の、どういう意味っ!?」
しまった。里菜の幼少期を思い出してしまったせいか、起伏の無いセーターを気にせず触っていたけど、その位置が思いっきり胸だった。
人差し指と親指が、ご飯粒と共にしっかり触れてしまっており、ユキが顔を真っ赤にして怒っている。
幼いからか、ユキは怒った顔も可愛らしい。けれど、テニスコートでの事もあるし、ここはきちんと謝っておこう。また吹き飛ばされても嫌だし。
「え、えっと……ごめん。本当に、悪気は無いんだ。ただ、胸だと気付かなくて」
「その弁解は、尚更傷つくよぉぉぉっ!」
「えぇぇぇっ!?」
誠心誠意、正直に謝ったというのに、何故かさらに怒りだしてしまった。……うーん、女心は難しい。
しかし、どことなくユキの様子がおかしい気がする。顔を紅く染めて静かに立ち尽くしているだけなんだけど、何か違和感がある。
何だろう? 何か変なんだけど……って、髪型が変わってないか?
玄関ではフワフワのボブカットだったのに、今はその一部が重力へ逆らって上へ伸びており、まるで角の様になっている。
「ちょ、ちょっと待て。それは一体何なんだ!?」
ユキの頭に現れた二つの大きな角みたいなもの。
どこかで見たことのあるそれは、フワフワした柔らかそうな茶色の毛に包まれ、周囲を窺うようにピクピクと動く、うさぎの様に大きな耳――うさみみだった。
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