第4章 ソフトテニス

第15話 ウエスタングリップ

 ユキの謝罪から数時間後。

 日本へ戻らなければならない俺なのだが、どういう訳か海辺のカフェでトロピカルウォーターなる、ほのかに柑橘系の味がする水を飲んでいた。


「でね、あの時のトモくんったら酷いんだから。ウチが浴室を暗くして、リラックス効果を高めて入浴するのを知ってるくせに、気付かなかったとか言ってさ……ねぇ、瑞穂。聞いてるのっ!?」

「あ、あぁ。トモくんったら酷いねー」

「それでね、ミコちゃんとトモくんったら双子だからかしら。いっつも二人で仲良さそうにしてさ、ウチに内緒でコソコソ何か企んでるんだよー」


 一方、テーブルを挟んで俺の正面に座るユキが、ハートレモネード? だっただろうか、淡いピンク色の炭酸ジュースに刺さったストローを弄りながら、日頃のうっぷんを晴らすかのように喋り続けている。

 どうしてこうなった。


 えっと確か、一旦日本へ帰るからユキは明日の夕方に来てくれって伝えたんだけど、俺が日本へ帰るためにはトモくんが能力を使わないといけない。

 トモくんが次に能力を使えるのは夕方だから、それまで時間もあるし、ユキのテニスラケットを買いに行こうってなって、そこから実は今まで着てたテニスウェアがバドミントンの練習着だって話になり、じゃあウェアも見ようってなったんだ。

 で、テニスショップよりも服屋さんの方が近かったから、一緒にユキの服を選んで、お詫びだからと何故か俺の服まで選んでもらって。で、そろそろお腹空いたねってランチして、面白そうな映画やってたから一緒に観て、疲れたからお茶しようか……って、何してんの俺!?


 これって、一歩間違えたらデートだよっ! というか、間違えなくてもデートだよっ! それに肝心のテニスラケットをまだ見に行けてないしっ!

 大会まで一ヶ月しかない中で、貴重な数時間を何に使ってるんだよっ!


「ん? 瑞穂、さっきからウチの顔を見つめてどうしたの? あ、わかった。ジュースは糖分が多いから飲まないとか言ってたけど、やっぱり飲みたいんでしょ? 仕方ないなぁ、一口だけだよ?」

「……あ、思ったよりも甘くなくて、スッキリしてる」

「でしょ? ピーチとレモンに、ウォクク特産の黄ニンジンのエキスを炭酸で割った、このお店の名物なんだから」


 そう言って、喋りっ放しの喉を潤すかのようにユキもストローを咥え、ピンク色の液体が小さな口の中へと吸い上げていく。

 何気なく、美味しそうに飲む様子を眺めていたら、「残念でしたー。全部飲んじゃったよー」と、ニンマリとしたユキの笑顔が向けられる。


「よーっし、次はどこへ遊びに行こっか? そうだ、歌お? 歌っちゃお?」


 無邪気にはしゃぐユキを見ていると、たまには休息も良いものだと気付かされ――


「いや、待って。俺の美声をって、言ってる場合じゃないよ! テニスラケットは!? てか、そろそろ戻らないと、俺帰れないんじゃない?」


 危ないところだった。たまには良いとしても、休息ばかり取っている訳にはいかない。テニスの練習をしなければ本末転倒だ。


「あ! そっか。そうだね。結構、家から離れた場所まで来ちゃってるし、一先ず今日は帰ろっか。明日の夕方に、いつものテニスコートへ行けば良いんだよね?」

「あぁ。それまでには、何とかしてみせるよ」

「何とかしてみせるって、何を?」

「んーっと、決意とけじめかな」


 説明していないから当然なのだが、不思議そうにユキが俺の顔を覗きこんでくる。俺はそれを苦笑いで誤魔化し、帰路へと就いたのだった。


……


「じゃあ、アニキ。日本へ送るっス。準備は良いっスか?」

「うん。よろしく頼むよ」


 ユキの家へと着いた頃には日が傾き始めていて、トモくんは既に能力を使える状態となっていたらしい。


「瑞穂君。また来てねぇー」

「はい、ありがとうございました。ご飯、美味しかったです」


 アミさんとユキがトモくんの後ろで手を振っている。が、ここにミコちゃんの姿は無い。

 ユキの言っていた通り、朝は無理をして出てきていたのだろうか。とは言え、今はミコちゃんに何て声を掛ければよいか分からないんだけどさ。

 そんな事を考えているうちに、再びトモくんが口を開き、


「では、いくっス。転移っ!」


 一瞬、視界が真っ暗になったかと思うと、あっと言う間に視界が見慣れた景色――俺の部屋になっていた。


「うわっ……今朝は起きたらユキの家だったから、凄さの実感がそこまでなかったけど、マジで凄いな。瞬間移動なんだ。てかもう、本当に魔法じゃないか」


 自分の部屋だというのに、キョロキョロと一人で周囲を見渡していると、視界に壁の時計が映る。時差があると言っていたけど、時計の針がもうすぐ五時になろうとしているところだ。

 って、五時だって!? もう里菜が部活を終えて、河川敷で待っている頃じゃないか。

 急いでテニスウェアに着替え、愛用のテニスラケットを手に取り――


「ふぅ、仕方ないよな。すぐ近くに困っている人が居るんだから。里菜に頼む訳にもいかないしさ」


 半年間、毎日振っていたラケットを戻す。

 そして、里菜との練習で使っているソフトテニスのラケットだけを持ち、俺は里菜の待つテニスコートへと向かった。


「お兄ちゃん、遅いよー」


 コートへ着くなり、里菜が俺の元へ走り寄ってきて、可愛らしくほっぺたを膨らませる。

 土曜日なので、いつもと違って貸し切り状態という訳ではない。里菜はテニスを嗜むおじさんやおばさんと一緒にラリーをしていたのだろう。十二分に身体が温まっているようだ。


「あれ? お兄ちゃん、今日はユキちゃん来ないの?」

「ん、あぁ。でも、明日は来るよ。それよりさ、里菜。久しぶりに兄ちゃんとラリーしようぜ」

「えっ!? ソフトテニスで!? 里菜は嬉しいけど、お兄ちゃんは良いの? 硬式テニスのフォームが崩れちゃうんじゃないの?」

「んー、少しだけ。一ヶ月だけ、兄ちゃんソフトテニスに戻ろうかなって思ってさ。あ、半年もブランクがあるし、お手柔らかに頼むぜ」

「そうなんだ! やったー! 最近はいつもお兄ちゃんの球出しだったから、一緒に打ち合うのって何だか嬉しいねっ」


 無邪気に喜ぶ里菜を相手に、俺は半年ぶりにソフトテニスへ全力を注ぐ。

 ミコちゃんを助けるためにと、一旦硬式テニスからソフトテニスへ戻る事を決意した俺は、里菜が打ってきたボールに対し、いつもと違うフォームで構える。

 硬式テニスのフォームよりも大きく腰を落とし、打点――ラケットでボールを捕らえる位置を、踏み込んだ左足よりも前に。

 長年身体に染みついたフォームなので、ブランクがあるにも関わらず、俺の打球はコートのベースライン際へ一直線に飛んで行き、


「もー、お兄ちゃん。そんなに速いボール、打ち返せる訳ないよーっ!」


 一人テンションが上がっていた俺は、里菜から怒られてしまったのだった。

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