第16話 二人のやりたいこと

「ごちそうさまー。お兄ちゃん、先にお風呂行くねー」


 夕食を終えた里菜が、リビングを後にする。

 今日は母さんの仕事が休みなのだが、ユキが来ていないからか、ごくごく普通の夕食となった。いや、母さんがここ数日張り切り過ぎだっただけなんだけどさ。

 その母さんはというと、食事を終えたばかりだというのに、早くもキッチンで洗い物をしていた。

 既に心は決まっている。残るはけじめ。


――ゴクリ


 どういうわけか、テニスの試合前よりも緊張している俺は、いつものミネラルウォーターで喉の渇きを潤し、


「行くか」


 通すべき筋を通すために、席を立った。


「母さん。ちょっと、話があるんだ」

「あら、どうしたの? 瑞穂がお母さんに話だなんて、珍しいじゃない」


 母さんは口元に笑みを浮かべながらも、洗い物を続けている。

 一旦手を止めて貰った方が良いのだろうか? それとも、あえてこのまま話すべきか?


「どうしたの? ユキちゃんの家に行って、カルチャーショックでも受けたのかしら?」

「えっ!? どうしてそれを?」

「ふっふっふ。お母さんは、瑞穂の事なら何でもお見通しよっ。……まぁ実際は今朝お仕事から帰ってきて、里菜に聞いたんだけどね。で、話って? ユキちゃんの事でしょ?」


 何だろう、この余裕は。いつもの母さんなら、俺が女の子の家へ招待されたって聞いた途端、根掘り葉掘り聞いてきそうなのに、食事中にもユキの話はなかったし。

 母さんはらしくない程落ち着いた様子で、洗い物の手を止めずに促してくる。仕方ない、このまま話そう。


「うん、そのユキの事なんだけどさ。一ヶ月間だけ、家に居候させる事って出来ないかな?」

「あら、全然良いわよ? 家族が増えて楽しいじゃない。いつから来るの?」

「えっと、明日から」

「おっけー。じゃあ、明日から四人分の食事を作るわね」


 随分あっさりと承諾されてしまった。どうやら母さんは、ユキの事が相当気に入っているらしい。

 だけど、問題は次だ。


「それでさ。その一ヶ月間の内に、どうしてユキに教えないといけない事があってさ。その……それに専念するため、一ヶ月間だけ学校を休学させて欲しいんだ」


 覚悟を決めて言い切ると、流石に母さんの手が止まった。

 驚いた表情を見せたかと思うと、洗剤の泡を洗い流し――


「瑞穂。お母さんから詳しい事は聞かないけれど、本気なのね? お母さんとしては、ユキちゃんが毎晩こっちへ来るなら、学校を休まなくても出来ると思うのだけど」

「そうかもしれない。けど俺もユキも、やると決めた以上は全力でやりたいんだ。だから一ヶ月、一ヶ月だけ俺の我儘を許して欲しい。もちろん、その後はちゃんと学校に行くし、補習でも何でも受けて留年しないように頑張るからさ」


 母さんが真剣な表情で見つめてくる。俺はその視線を正面から受け止め、目を逸らさない。


「瑞穂、そこまで……わかったわ。じゃあ、お母さんは瑞穂とユキちゃんのために、これから精がつく食事を作るわ。だから、頑張るのよ」

「母さん。ごめんよ、ありがとう」

「二人で決めた事なんでしょ? だったら、親が口出しなんてしないわよ。ただ、学校には連絡しておくのよ」

「あ、そうだね。月曜にでも……いや、時間が勿体無いな。あ、千葉先生は日曜でも部活の顧問で学校に居るかも」


 ユキが来るのは明日の夕方だし、どうせならそれまでに全て終わらせておきたい。月曜に学校へ行って説明して……ってなると、貴重な時間を失ってしまう。


「じゃあ、明日学校へ電話してみて、先生が居たら学校へ行ってくるよ」

「そうね。大事な話だし、先生には直接伝える方が良いと思うわ。お母さんもついて行くべきなのかもしれないけど、ごめんね。明日は用事があってね」

「いいよ。別に学校を辞めるわけじゃないんだし、俺一人で行くからさ」

「そう? 一応、お母さんからも千葉先生に電話はしておくわね」


 俺一人だけ行くと、保護者の了承がどうとか言われかねない。無駄な時間を省くためにも、事前に母さんから電話してもらっておいた方が、良さそうだ。


「うん。じゃあ、悪いけど先ず母さんから連絡してもらえる? 詳しくは後で俺が直接話すって事で」

「わかったわ。けど、良かった」

「良かったって、何が?」

「だって、瑞穂ったら自分の全てをテニスに費やしていたでしょ? 多分、お父さんの事とか考えているんでしょうけど、そんな事気にしなくて良いのよ? 瑞穂も里菜も、自分のやりたい事をすればいいの。そうやって、子供たちが育っていく方が、親としては嬉しいんだから」

「え……どうしてそれを?」


 先程と同じ驚きなのだが、衝撃が全く違う。父さんを探すために――母さんの負担を減らす為に、俺が硬式テニスをしているという事が、母さんにバレている!?

 どうしてだ!? 実は母さんも、ミコちゃんのように予知夢が見れるのか!?


「息子が何を考え、何を想っているかなんて、一緒に過ごしていればわかるわよ。だからね、お母さんも瑞穂とユキちゃんを応援するから、二人でやりたいようにしなさい……ねっ」


 いつの間に俺より背が低くなったのかは忘れてしまったけど、母さんが満面の笑みを浮かべて、俺の頭をわしゃわしゃと掻き回してきたのだった。


……


 翌日。既に母さんが学校へ電話し、千葉先生へ俺が一ヶ月休学する事は伝えたそうだ。

 後は自分の口から恩師へ話してきなさいと言われ、昼休み時間を狙って学校へ。


「失礼します」


 恐る恐る柔道場の扉を開くと、柔道着姿の千葉先生が不機嫌な顔で仁王立ちしていた。

 狙い通り、柔道部員は昼飯を食べに行っているのか、誰も居ない。母さんとは違って、多少の事情は説明しないといけないのだろうが、果たしてどこまで話せるか。というか、全て正直に言った所で、うさみみの話など絶対に聞き入れて貰えないだろうし。


「川本。一ヶ月休学したいそうだな」

「はい。どうしても、深い事情がありまして」

「ふ、ふふ……深い事情か。まぁ確かに事情は人それぞれだ。外国人という事もあり、文化や習慣の違いもあるのだろう」


 外国人? あ、ユキの事か。でも、文化や習慣の違いって、何が言いたいんだろ?

 しかし、まだ何も説明していないというのに、千葉先生はどうして機嫌が悪そうなんだろうか。


「正直、これまで教え子に先を越された事は多々あった。だが、まぁそれは仕方が無い。風紀委員会の顧問だろうと、卒業してからの事に口出しする権利はないからな。だが、川本。お前は在校生だというのに、この私を越えようと言うのかっ!」

「あの、先生? 何の話をしているんですか?」

「川本の休学理由の事だっ! 一ヶ月間、子作りに専念するから学校を休ませろ!? 外国の文化なので、仕方が無い!? ふざけるなぁぁぁっ!」


 吠えたっ! 千葉先生が、柔道場の真ん中で変な事を叫ぶ。一体、この先生は血の涙を流す勢いで、一体何を言っているんだ?


「いや、子作りって何の事ですか? てか、本気で何の話をしているんですか?」

「……今朝、川本のお母さんから電話があり、一時間くらい延々と聞かされたぞ。お前と奥さん――ユキちゃんだったかの自慢話を。何でも外国の金髪美少女で、その国では中学生から結婚出来るそうじゃないか。このロリコンがっ!」


 そう言うや否や、柔道場の中央に居たはずの先生の姿が掻き消えた。

 と、思った途端に視界が硬くて白いもので覆われ……って俺、いつの間にか倒されてる? 上半身に何かが乗っていて、起き上がれない。


「って、痛いっ! 痛いですってば!」

「うわぁぁぁっ! 先生だって結婚したいんだぁぁぁっ!」

「ちょっ! 俺は結婚なんてしませんよっ! 誤解ですっ!」

「うるさいっ! 結婚したければ、私の横四方固めから脱出する事だっ!」

「先生。脱出するとか以前に、その技……顔に白い板みたいなのがぶつかって、痛いです」

「板みたいな胸で悪かったなぁぁぁっ!」


 先生の愛の鞭? で若さを吸われかけながらも、昼休みが終わる前にようやく解放された。結論としては、休み明けに補習と課題を頑張れば、留年は避けられるようにしてくれるそうだ。

 その後テニス部の顧問にも休む事を伝え、フラフラになりながら帰宅したのだけど……よくよく考えると、俺とユキが恋人同士だという母さんの誤解を、未だ解いていなかったのだった。

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