うさみみテニス!

向原 行人

第1章 妹テニス

第1話 兄はソフトテニスから硬式テニスへ転向しました。

 十月も半ばを過ぎ、随分と涼しく過ごし易くなった秋の夕暮れに、小柄な少女が白いボールを追いかけて走っている。

 少し湿った土の上で、右へ左へと休む間もなく飛来するボールを追いかけ、そしてまた次のボールを追いかけていく。

 懸命にボールの傍まで走り寄った彼女がピタッと足を止め、右手に持ったラケットを思いっきり振り抜くと、順回転の掛かったボールがネットを超えて地面へ沈みこむ。


「おぉっ、里菜。今のは良く追いついたな! 良いコースに打ててたし」

「ほんとっ!? えへへっ、頑張ったでしょー」

「うん、やるじゃないか。じゃあ次はサーブの練習をするから、一旦ボールを集めようか」

「はーいっ! って、お兄ちゃん。どうしてラケットを片付けてるのー?」


 先程までボールが入っていた籠を里菜に渡して、テニスコートの周りやネット際に落ちているボールを拾うように言ったのだが、俺の傍でじーっと顔を見上げてくる。

 練習で少し走らせ過ぎたのか、すぐ傍で顔を紅潮させ、上目遣いでハァハァと荒い息を吐く里菜はちょっとエロい。かなり控えめな胸が呼吸に合わせて上下して……って、中学二年生の妹相手に何を考えてんだ、俺はっ!

 テニスの邪魔にならないよう黒髪をポニーテールに纏め、うさぎをあしらったヘアピンで前髪を留めた里菜は、中学校指定のダサいジャージ姿でも十二分に可愛い。ただ兄としては可愛い反面、仔猫のように無邪気で、誰とでも仲良くなってしまう性格が怖くもあるが。もう少し人を――特に男を疑う事を覚えてもらわないと。


「お兄ちゃん、まだ少し時間あるでしょ? 一緒に練習しようよー」

「いや練習は続けるけどさ、サーブなら兄ちゃんが球出しとかしなくても、里菜一人でも練習出来るだろ? だから兄ちゃんも自分の――硬式テニスの練習をしようかなって」

「えー、お兄ちゃん。里菜のサーブも見てよー」

「いやいや、かれこれ小一時間球出しを続けたしさ、もうすぐ日も完全に落ちちゃうから、兄ちゃんにもサーブくらいさせてくれよ」


 拗ねる里菜を宥めながら、先程よりも一回り大きな硬式テニス用のラケットを手にして、俺は白いボール――ソフトテニス用のボールを拾い始めた。

 ひょいひょいとボールを拾ってはラケットの上に載せ、ある程度溜まったら纏めてボールを籠へと流し込む。それを二人で数回繰り返し、籠がボールで一杯になったらコートの端へと移動する。

 里菜の傍にはソフトテニスのボールの籠を。俺の傍には硬式テニスのボールが入った籠を持ってきて、さぁサーブ練習を始めようかというところで、里菜が頬を膨らませながら俺のシャツを引っ張ってきた。


「もぉー、去年のお兄ちゃんは、里菜ともっと一緒に練習してくれたのにー」

「仕方ないだろ。ソフトテニスと硬式テニスは似てるようで、ラケットもボールも違うし、何より打ち方が違うんだからさ。両方やったらフォームが狂っちゃうよ」

「お兄ちゃんが高校で硬式テニスに転向するからじゃない。高校でもソフトテニス部に入れば良かったのに」

「何度も言っただろ? 兄ちゃんの入った高校には、ソフトテニス部が無かったんだって」


 世界的に広く普及しているテニス――硬式テニスに対し、ソフトテニスはマイナーなイメージを持つ。

 というのも、イギリス生まれのテニスが昔日本へ伝わった頃は、テニスボールの国内生産が難しかったので、代わりにゴムボールを使ったというのがソフトテニスの起源らしい。

 つまりソフトテニスはある意味日本独自のスポーツで、オリンピック種目でもないし、ヨーロッパではソフトテニスの知名度がほぼ無かったりする。なのでテニスと言えば、一般的にはわざわざ硬式と言わなくても、硬式テニスの事を指してしまう。

 それが直接の原因かはわからないけれど、俺が入学した高校には硬式テニス部しか無かったのだ。


「って、それよりボール拾い終わったし、サーブ練習しようぜ。早くしないと時間切れになる」

「むー、じゃあ家に帰ったらマッサージしてね」

「はいはい。って、いつもやってるじゃないか」


 そう言いながら、先程まで拾っていた白いゴムボールではなく、黄色く硬いテニスボールを手にする。

 コートの端――ベースライン際へ立ち、左手に持ったボールを上へ投げて、タイミングを合わせてラケットを振り下ろす。スイートスポットと呼ばれるラケットの中心部分でボールを弾き飛ばすと、里菜のそれとは桁違いの速さでボールが飛んで行った。

 俺に負けじと里菜もサーブを打つが、男子高校生と女子中学生の身体の差に、硬式テニスとソフトテニスの差もあって、当然圧倒的に俺の打球の方が速い……サーブは。

 高校に入学して約半年。ソフトテニスから硬式テニスに転向した俺は、実はまだラケットの握り方の違いで苦しんでいたりする。

 自分でボールを上げるサーブは硬式テニスの握り方で打てるようになったけど、それ以外の打ち方は未だ硬式の握り方がなじまない。結果、俺――双海中学ソフトテニス部部長、川本瑞穂と言えば、それなりに名が通っていたのだが、硬式テニスでは初心者に毛が生えた程度の腕なのだ。

 だから少しでも練習しなければと、籠からボールを手にしてサーブを打ち、また籠からボールを取ってはサーブを打つ。それを十数回繰り返した所で、タイムリミットが来てしまった。


「里菜、もう限界だ。急いで片付けるぞっ」


 申し訳程度のフェンスと、所々穴の開いた古いネット。そして、汚れの目立つベンチに審判台。トイレも無ければ更衣室も無いこのコートに、ナイター設備などがある訳も無く、日没となれば強制終了となってしまう。

 だけど家から徒歩五分の場所にあるので、俺たち兄妹は小学生の頃から毎日ここでテニスをしていて、高校生となった今も部活終わりに二人でテニスをしている。

 今は硬式テニスとソフトテニスが混ざる通常有り得ない状況なのだが、誰も居ない貸し切り状態のテニスコートなので、気にする必要も無い。まぁ人は居ないけれど、別にうちの――川本家の所有物という訳ではないので、後片付けや掃除などはちゃんとしなければならないが。

 というのも、俺たちが使っているのは市が管理している河川敷のテニスコートだ。コートは二面しかないし、自販機すら無いけれど、無料で利用出来るので土日や祝日となるとそれなりに人が集まってくる。だけど平日の、それも夕方となれば誰も使わないし、そもそも誰も居ない。だが――


「ねぇ、お兄ちゃん。何だか、誰かに見られている気がするんだけど」


 後片付けを終えた里菜が、そう言いながら俺に抱きついてきた。

 先程までの無邪気な仔猫から一転して、里菜がプルプルと小さく怯えている。


「里菜、ちょっと待ってろ。どうせいつもの健介……あれ? 誰も居ない?」


 俺たち兄妹だけが毎日使うこのテニスコートには、招いてもいない観客が来る事があった。

 俺の同級生で、共にソフトテニスで切磋琢磨した良きライバルにして、変態――高木健介だ。中学一年からの付き合いなのだが、奴は中学卒業まで見事にその本性を隠し続け、高校入学を境に……って、あのロリコンの事はどうでも良いや。

 里菜と同じく俺も視線を感じたので、てっきり今日も健介が里菜を覗きに来たのかと思ったけど、そうでは無いらしい。コートの周りを囲む茂みは、いくら暗いとは言っても人が隠れられる程のものではないし、気のせいだったのだろうか。

 と、俺の足元の茂みでガサガサと音がする。野良猫でも居るのかと視線を下げると、猫のようにモフモフだが、異様に大きな耳を持つシルエット――うさぎが居た。


「野良うさぎ……な訳ないから、誰かがペットを捨てた? もしくは逃げ出した?」


 ここは大阪と兵庫の境目にある一級河川の河川敷なので、広いし草花が沢山生えている。だからと言ってこんな場所にうさぎが居るのは変だけど、一先ず今は怯える里菜を安心させてあげよう。


「里菜。何かの気配がしたけど、可愛いうさぎが居ただけだったよ」


 そう言いながら、小柄なうさぎを両手で抱っこし、里菜の方へ振り返り……って、あれ? 何だか、掴んだ感じが変だ。両手で抱えられる程の大きさだったはずなのに、持ち上がらない。

 モフモフな感触は想像通りだけど、うさぎってこんなに柔らかかったっけ? ムニュムニュしてて、丁度掌に収まるくらいの膨らみで……何だこれ?

 首だけ里菜の方へ向けて居たのだが、うさぎが動かないので自分の正面へ顔を向けてみると、どういうわけか俺の腕の中に女の子が居たのだった。

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