第30話 和解
その日の夕飯の後、俺は姫路から話があると呼び出され、校長室に来ていた。
校長室は電気の点いていない薄暗い部屋で、携帯のライトで最小限の明るさを保っている状態だった。電気を付けないのは、おそらく外の感染者に気づかれないようにするためだというのは、部屋に入ってから少しして気づいた。
「やあやあ、夜分に呼び出してごめんね。まあ立話もなんだし座ってよ」
部屋に足を踏み入れた途端、薄暗い部屋を一転させるような明るい声で、姫路が俺に挨拶した。隣には凛とした佇まいで千羽も座っている。
一見友好的な態度だが、彼女の歪んだ性別観は既に嫌と言うほど教えられている。
姫路なら、この人懐っこそうな笑顔のままで「明日で君、死刑だから」とか言ってもおかしくない。いや、今日呼ばれた時点で、そんな事を言われてもおかしくないだろうくらいの気持ちでここまでやってきた。
「……一体なんの用件だ?」
俺は、決して媚びた態度だけは取らないと堅く誓って、姫路の真正面のソファに座る。目を閉じていた千羽の眉が、暗闇でぴくりと動いた気がした。
「えとね、今日は外の事について訊きたいんだ。和彦くんが知っている範囲でなんでもいいから、外の事について教えてくれないかな?」
単刀直入に本題を切りだした姫路だったが、その内容は、俺の予想を斜め上にいくものだった。
「外について、か。でもここにはこれだけの人数がいるんだ。捜索範囲とか研究量も俺から教えられることなんてないんじゃないか?」
「そんなことないよ。私たちが知っているのは、学校から歩いて二十分くらいまでの距離にある物だけ。そこから先はあんまり遠くても危ないし、今までは探索範囲外にしてたんだけど、明日の探索では、それよりもっと遠い所も行ってみようと思ってるんだ」
「神奈、あまりペラペラとそういうことを話すものではありません」
そこで千羽が釘を刺すと、姫路が頬を膨らませ、分かりやすく不満をアピールした。
「むー。でも、こうでも言わないと和彦くんは納得してくれないよ。拷問して訊きだしてもいいけど、それじゃ時間もかかるし死んじゃうかもしれない。和彦くんにはまだ利用価値があるもん」
千羽を説き伏せる姫路の喋る内容は相変わらず過激だが、早川のように何を考えているのか分からない奴に比べたら、こっちのほうがよっぽど分かりやすかった。
俺は少しの間考える。姫路たちに協力などしたくはないが、同時に最近になって、俺の中で生まれた一つの仮説がそれを押しとどめる。もし、この仮説が当たりならば、姫路たちとの『和解』すらできるかもしれない。
俺は姫路に、ゆっくりと頷いた。
「――わかった。そういうことなら俺の知っていることは話すけど、具体的には何を聞きたいんだ?」
「うーん、とりあえずなんでも! いらないと思った情報でも、何かしら役立つことがあるからね」
それからは、外を探索するうえで注意すべきこととして思いつく限りの事を二人に話した。
俺の話したことに姫路は「はー」とか「ほー」とか相槌を打ち、千羽はそれらをノートに書きつけていった。
「――なるほどねぇ。それじゃ、感染者とバッタリ会っても、基本はうめき声しか上げないから、無理して早く倒さなくても良いんだ。ゾンビ映画とかだと仲間を呼ぶ習性とかあったりするから、いつも見つけたらすぐ倒してたよ」
「むしろ急いで倒そうとしたりすると余計な音とか出して更に危険になる可能性があるな。パニック当初は感染者の人権の問題とかもあったから、消防車の放水とかで感染者を鎮圧してたけど、放水の音で感染者は更に集まるし、逆効果だったからな」
「雨の日は感染者が雨に打たれるのを嫌がって屋内に入りたがるっていう習性もあるんだっけ? いやあ、和彦くんは博学だねえ」
「い、いや、それは八代さんから聞いた話だから俺がどうこうっていうわけでも……」
こうして姫路と話していて感じたことは、閉鎖的な傾向のせいか、姫路たちの持つ感染者の情報は、俺たちの持っていた情報の半分くらいの量しかなく、また正誤の怪しい情報もいくつか混入していた。なんでも、情報は避難所などに一時退避していた生徒が、又聞きのような感じで聞いた情報も含んでいるんだとか。
すると、顎に手を添え何やら考え込んでいた姫路が顔を上げた。
「……咲ちゃん。良いこと思いついた。明日の探索には和彦くんたちも付いてきてもらおうよ」
「ッ……! 何を言い出すかと思えば、危険すぎます!」
「それを言うなら、これだけ知識のある和彦くんを置いて行く方が危険だよ~」
声を荒げた千羽に対して、姫路が渋面を作る。
「この男が言っていることには証拠もありませんし、第一連れて行けば嘘を言って私たちを罠にはめるかもしれません!」
「えー。それを言っちゃお終いだよー」
「……ごめん。俺から一ついいか?」
話に割って入った俺に、千羽は剣呑な、姫路は不思議そうな眼差しを向けてくる。
ここ最近考えていたこと、それを確かめられるのは今しかないと思ったからだ。
「これから言う事は、多分二人には俺の命乞いにしか聞こえないと思うけど、そうじゃない。俺の境遇はひとまず置いて聞いてほしい。……俺たち――男を一方的に迫害するのはもうやめないか?」
――刹那、気づけば俺の喉元には木刀が突きつけられていた。
木刀を手にした千羽の瞳が、射殺さんとばかりにこちらを射抜く。
姫路が「待って咲ちゃん」と言った。
「……ふうん。面と向かってそれを私に言ったのは和彦くんが初めてだよ。すごい勇気があるのは認めるよ。けど、それを今ここで言うのは自殺行為ってやつじゃないかな?」
「勿論、その場の思いつきで言ったわけじゃない。ここ数日色々考えたさ。まずは話を聞いてくれ。俺をどうするかを、その後決めても良いだろ?」
沈黙を肯定と受け取った俺は話を続ける。
「最初はなんでここの女子たちは、こんなに男を迫害するのかってことを考えた。なんていっても、俺たちがインフルエンス・パニックを起こしたなんてあり得なかったからな。だから、こうなった理由として挙げられたのは二つ。一つは、元々女子校に通っていたお嬢様がほとんどで、男という未知の生物への忌避間と、恐怖があったのではないかということ。もしかしたら俺たちが来る前には、男と何かしらトラブルもあったかもしれない。そして二つ目の理由が姫路、リーダーであるアンタが積極的に男を迫害するからだ」
「……ふうん。それで?」
表情を変えることなく姫路は頬杖をついて先を促す。依然として喉元には千羽の木刀が当てられている。聞く価値なしと姫路が判断した瞬間、千羽は躊躇いなく俺を処分するだろう。
自然と早口になりそうになる自分をどうにか律し、これまで何度も考えてきた順序で言葉を並べる。
「一つ目の理由だけじゃ、例え男を嫌っても、あれだけ残虐に振舞うまでには至りにくい。となるとやはり姫路が理由で、ここまで女尊男卑が進んだと考えるのが妥当だ。じゃあなんで姫路がそこまで男を嫌うかという新たな疑問が生じた。これには大分頭を悩ましたが、ここで過ごすうちにその理由に検討がついた」
「そんなの最初の審判の時に言ったでしょ。男はインフルエンス・パニックを引き起こした張本人なんだから、それで――」
「違うな。そもそも、その理論は誰が見ても明らかに無理がある。国家間や宗教間での結託ならともかく、人間の性別的な結束は少人数ならともかく、世界規模での大きな争いではかなり薄い。そんなの、いくら世間知らずのお嬢様でも分かっているはずだ。それでも、ここに住む女子の誰もが姫路の理論を信じて疑わない。真実はどうあれ、それを信じる事によって内部の結束力が高まるからだ」
喉元の木刀が微かに揺れた気がした。生きた心地がしないが、もう後には退けない。構わずしゃべり続ける。
「ここに隔離されてから一週間近く経つけど、ここの女子たちが言い争いとかをしている場面を見たことがない。幾らここが比較的安全だからって、一歩外に出れば感染者が蔓延る死の街だ。これだけの人数がいれば食料だっていずれ底をつくし、ストレスが溜まれば小さなことでも争いは起こるはずだ。だが、ここにはそれがない。それがずっと不思議だった。けど、最近になってその訳に気づいた。それは――捕まえた男を共通の敵に仕立て上げて、ストレスの捌け口にしているからだ」
散々考えて導き出した俺の結論を述べると、姫路の表情が少し動いた。驚いたような、嬉しそうな、そんな表情。
心の中でガッツポーズを取る。これでもし何も反応を示さなければ結論が外れである可能性が高かった。それはすなわち、俺の命が無いことに等しかった。
「だが、今まではそれで上手くいっていたかもしれないが、それだって限界が来る。これだけ男を乱暴に扱えば、当然死ぬ可能性は高まるし、男がいなくなれば、溜まった不満はやがて集団を内部から崩壊させる。校外に出る捜索隊は別として、校内に残る女子には、まだ平和だった時の甘さが抜けていない。だが、まだ余裕のある今から対策をすればまだ間に合う。――男に頼った生活をもうやめるんだ」
「……ははっ、よりにもよって男に頼った生活とはねえ」
姫路が乾いた笑いを浮かべたので身構えたが、杞憂だった。
姫路は千羽に手をひらひらとやる。
「降参だよ咲ちゃん。ここまで正確に言い当てられたなら、和彦くんはもう脅す必要はない。むしろ、協力してもらう方が良いと思うよ」
「神奈……、しかしっ!」
「実際、このままじゃ遅かれ早かれここもやばいっていうのは私たちも話してたでしょ? 今は、新しい協力者が必要だよ。和彦くんも、許されないことだと分かってるけど、今までごめんね」
「か、神奈っ」
姫路がその場で深く頭を下げる。それで俺は確信した。
「……やっぱり、男にあんな風に振るまってたのはフリか」
「半分本気だけどね。思い込みのせいかな? 最近じゃあ本当に男は下劣で、非道な生き物だって思うようになってきちゃった。なんかね、心の中でスイッチが入ると、自分でも分からないくらい凶暴な自分が出てきて、全部ぐしゃぐしゃにしちゃえーって気持ちになるの。まあ、完全にそうなる前に和彦くんみたいな人が現れてホント良かったよ」
あははと笑うが、その顔には分かりやすく翳りが見えた。それは今までの自分の行いへの罪の意識か。
「まあそれは置いといて、和彦くん。君には、奴隷じゃなく協力者として、私たちに知恵を貸してほしい。虫が良いっていうのは自分でも分かってるけど、私も、皆を護らなきゃいけない責任がある。そのためなら、どんなことでも辞さない」
姫路の態度から、本当に彼女は皆を救うためなら何でもするんだろうな、という強い意思が感じられた。これだけ大勢の人の期待を背負い、前へ進む彼女に、俺は今までの憎しみが少しだけ薄れるのを感じた。
「――協力を惜しむつもりはない。姫路たちも生きる事に必死だったんだってことは分かるし。けど、これだけは聞いておきたい。岡崎や八代さん――他の男の人も奴隷じゃなくなるんだよな?」
「――うーん。それはそれで問題なんだよねえ」
「ッ……何でだよ!」
「当たり前です。お前が何と言おうが、まだ私はお前を信用する気はありません。それほどまでに、女(わたしたち)と男(おまえたち)の禍根は根深い。仮にお前が私たちを完全に許したとして、他の奴らも全員同じように私たちを許すと思いますか?」
「それは……」
千羽の言う通り、岡崎や八代さんはともかく、指原さんと西川さんはこれまでに多くの仲間を殺されたのだ。姫路たちにも理由があったとはいえ、素直に許してくれるとは思えない。
「……なら、協力じゃなく解放ならどうだ。今回の遠征が上手く行ったら、俺以外の男の人をここから解放する。それならみんなも納得してくれるはずだ」
「馬鹿な。いずれ武器を持って報復に来るに決まっています」
「そこは俺がどうにか説得して絶対にさせないようにする。もしみんなが襲って来たら俺を殺してくれても良い。だからこれ以上みんなを苦しませないでくれ」
懇願に近い形で頭を下げるが、千羽が渋面を作っているのは顔を見なくても分かる、秩序がなくなったこの世界で口約束など信用性が皆無に等しい。この状況で俺を信じろというのが酷だというのも分かってる。
それでも、一縷の望みを賭けた俺の懇願は、彼女にはちゃんと届いたようだ。
「……分かったよ。その条件で呑むよ」
「神奈ッ!」
「私たちと同じように、和彦くんにも守らなきゃいけないものがあるんだよ。それは和彦くんの顔を見ればどれだけ大事なのかもわかる。和彦くんが私たちを信じてくれたんだ。今度は私たちの番だよ」
「姫路……ありがとう!」
ありったけの感謝の気持ちを言葉に乗せると、「た、だ、し」と姫路は悪戯っ子のように微笑んだ。
「今の話を奴隷――ううん、男の人たちにしてちゃんと説得すること。信用してるからね、カズくん?」
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