第32話 開門
「……それじゃあ出てきてください」
顔に明らかな不満の色を浮かべつつ、女が俺たちに放送室から出るよう指示する。
そこで違和感を感じたのか、王馬が小声で俺に話しかけてきた。
「八代さん、そういえば昨日の夜から早川を見てませんね。どうしたんでしょうか」
「さあね。あのドSっぷりが災いして世話係を首にでもなったんじゃないのかな?」
「そこの二人も早く出てください」
俺たちを呼びに来た女は早く仕事を終わらせたいようだった。部屋から出てきた俺たちに、女はそれぞれ無造作にリュックを投げ渡す。それは俺がここに来るときに持って来たリュックだった。
「あなたたちの私物は全て返却しますが、変な気だけは起こさないように。不審な素振りを見せた時点で殺して構わないと千羽さんから言われていますので」
それでは、ニ十分後に正面玄関に来て下さい。
そう言った女は、用件は伝えたとばかりに足早にその場を去っていく。
俺はリュックの中を確認する。するとあの日と同じもの(ただし食料は抜かれている)が入っていた。リュックの底を叩いてみるが二重底の中に隠しておいた携帯食料も盗られてしまったようだ。どうにもこうにも意外に抜け目のないことで――。
結果としてリュックの中にはペンライト、熊除けブザー、そして唯一の武器ともいえるサババルナイフが残っていた。ナイフが残っていたのは正直意外だったが、それほどまでに俺は歯牙にも掛けられていないということか、それとも――。
「――中身は本当に食糧以外そのままのようですね。武器が残っているのも驚きですが……。それで、ニ十分後に集合ということでしたけど、どうします?」
岡崎の質問に答えたのは指原の粗暴な返事だった。
「あ? そんなの俺たちの勝手だろうが。仲間面してんじゃねえぞこの裏切りモンが」
「指原さんっ――」
「いや、いいんだ、和彦。……ですけど指原さん。昨日のことは――」
「わぁーってるようっせーな。その代わり、これが終わったら二度と関わるんじゃねえぞ」
大きな舌打ちをした指原は、そのまま踵を返して背を向ける。その後ろを、どこか申し訳なさそうに西川がついて行った。まあ彼の方は、大方奥さんにでも逢いにいったんだろうけどね――。
二人が廊下の角の向こうに消えると、岡崎はそっと息を吐いた。
「お疲れ。嫌われ役も大変だね」
「八代さん……。こんなことは言いたくないんですが、八代さんも――」
「わかってるさ。僕に対して汚れ役を演じる必要はないよ」
「……すみません」
岡崎は俯くと、小さく頭を振って顔を上げた。その顔に、以前までのような青臭さは残っていないように見える。
「ところで八代さんはどうしますか? 俺は早めに集合して、姫路たちと話しておきたいと思っているのですが」
気持ちを切り替えるような声の和彦に、俺は首肯する。
「――うん。そしたら、僕もそれについて行こうかな」
「はい!」
和彦が嬉しそうに頷いた。昨日の事で俺に嫌われなかったか不安だったのだろう。大人びた岡崎と比べ、和彦は若い。ただ、それが良い意味で若いのだということを、昨日の夜まで俺は気づかなかった。
――まあ世間一般の良い意味は、俺にとっては大抵邪魔なのだけれどね。
玄関へ行くと、そこにはあの雨の日にいたと思われる武器を持った女が沢山集まっていた。数えてみると十七人いる。
すると奥の方で、こちらへ向かって手を振る女子が一人。身体の動きに合わせて紅蓮の髪が踊り、太陽に照り輝く。
「おーいカズくーん! こっちこっち~」
初夏の陽光を浴び、姫路は満面の笑顔で俺たちを出迎えた。
隣には当たり前のように千羽が佇んでいる。
「悪い、待たせたか?」
「ううん、今来たところ! いやぁ、この台詞、男の子に一度言ってみたかったんだよね!」
「……(ぎろっ)」
「だから俺を睨むなって……」
千羽の虫でも殺しそうな睨みから和彦は目線を泳がせた。
――和彦の話は本当だったのか。
この時点で俺は小さな驚きに包まれた。和彦の、この敵を味方にする誠実で真っ直ぐな心というのは後々厄介になるかもしれない。
「ところで、今日の探索はここにいるみんなが行くのか? 昨日はもっと少数で行くっていう話だったけど」
昨日姫路と話し合った結果、今回はいつもの探索範囲外の偵察が主目的であるため、人員は十人程度とすることになっていたらしい。本当ならば、感染者と出会う確率を減らすため、もっと少数にしたかったらしいが、「この探索が終わるまで、この男以外はまだ奴隷なのですから、最後まで有用に使うべきです」と千羽が主張してきかなかったため、俺たちは集団より先行して偵察する役目として、今回参加させられるらしい。
しかしそれにしても、ここにいる人数は優に十人を超えている。
すると和彦の疑問を察した姫路が説明を始めた。
「あ、この娘たち? この娘たちはね、見たことあると思うけど探索班の人たちで、元は武道系の部活に所属してた娘がほとんどなんだ。今日はその中でも選りすぐりの娘だけで行くんだよ」
「まあつまり、お前達が反乱を起こそうとしても対処できるということです」
皮肉を言った千羽は涼しい顔だ。
千羽の態度に苦笑を浮かべた姫路は、そこにいる少女たちの紹介を始めた。
「まずは弓道部の五人。弓道部の娘たちは比較的男嫌いもなくて、私が朝事情を話したらあっさり了承してくれたよ。右から皐月ちゃん、卯月ちゃん、弥生ちゃん、葉月ちゃん、睦月ちゃん。名前は全くの偶然なんだって。すごいでしょ」
「もう、ひとくくりにしないでっていつも言ってるのに~」
「集団訓練の時はごめんなさいね。神奈様の指示は絶対だから……。代わりに、今日は私があなたを絶対護るからね!」
「そうそう! 今日は私、葉月と隣の弥生が弓道部の中から同行するから。神奈様、千羽さん、今日はよろしくお願いします」
明るいが、どこかお淑やかな印象の弓道部から、二人が頭を下げる。
それにならって岡崎と和彦も軽く目礼する。
「次に薙刀部と槍術部から一人ずつ。玲子ちゃんと静香ちゃん。この二人は元々部のエースで、探索班の皆は二人から習って使えるようになったんだよ。ちょーっと気が強くて、カズくんに当たりが強いかもしれないけど、よろしくしてあげてね?」
「ふん、勘違いするなよ。神奈様の命令が無ければだれが男なんかと……」
「あの訓練の時、もっと痛めつけておけばよかったな」
怖いお姉さま方といった様子の二人が、敵意を剥きだしてそう言う。彼女たち一帯の女子は全員そんな空気を醸している。こいつらは調教すると愉しそうだな――。
「玲子姉さま、どうかご武運を! 感染者もそうですが、男にも十分に気を付けてください!」
「静香先輩も! 先輩の留守の間、学校の警備はお任せください!」
「ああ、行ってくるよ」
後輩と思われる女の子たちに激励され、玲子と静香と呼ばれたが出発組に加わる。これで女からは四人。神奈も併せれば五人だ。
「んで、剣道部からは、もうお馴染みになったさっちゃん。さっちゃんは今年の剣道の全国大会でもベスト4に残った天才剣士で、そのうえ今日は武道場に飾ってあった真剣まで持ってきてるから百人力だよ! 今日はさっちゃんが主にカズくんたちの護衛につくから大船も大船、タイタニックに乗った気持ちでいてね!」
沈没必至だな
「神奈の頼みです。頼まれた以上は全力でお前を護りましょう。……ただ、もし不審な行動をすればその時点でお前たちの首をはねますので、そのつもりで」
あくまで剣呑な態度を崩さない千羽に俺は内心舌打ちする。
見ただけで分かる。この女は強い。制服の袖から伸びるしなやかな腕に付いた筋肉。重心の偏りがほとんどない歩き方。何より、俺たちへの剣呑な雰囲気は鋭く研ぎ澄まされていて、まるで一本の刀のようだ。そのうえここまで警戒されてると不意打ちもしづらいだろうしな――。
千羽をどう“処理”するか考えていると、千羽が幾分か声を柔らかくして、
「……まあ、それはいいとしても、神奈。この男たちを見張るのは、本来は早川の仕事のはず。彼女は何をしているのです?」
と聞いた。
「あー、知世ちゃん? それが、昨日の夜から見ないんだよねー。流石に学校の中から出てるってことは無いだろうけど、結局見つけられなかったから、今回はさっちゃんに頼むことにしちゃった。まあ知世ちゃんは自由だからねぇ?」
「全く、腕は立つというのにあの女は……」
「早川ってそんなに強かったのか?」
和彦の問いに答えたのは疲れたように目頭を揉む千羽だ。
「ええ、それなりには。早川は空手部の新人のホープでしたから」
千羽の答えに俺は納得した。通りであんなに一発一発が重かったはずだ。
これで六人。そして、その次に出てきた人物に、和彦たちだけでなく、俺も驚いた。
「それじゃあ最後の一人を紹介するね。最後の一人は薪割り部からの参戦。カズくんも御馴染みのこの人です!」
「――ッ! 灯!?」
最後に人垣を掻き分け現れたのは灯だった。その瞬間、長年の親友に再会したような感動が、俺の身体を突き抜ける。
「……」
こいつのことを、久しぶりにまともに見た気がする。
灯は相変わらず見惚れるようなポーカーフェイスで、じっと俺を観察するように見つめる。
「な、なにかな……」
「……傷は大丈夫」
「完治はしてないけど、軽く走ったりするくらいなら大丈夫だよ」
「そう……馬鹿」
「いてっ」
灯はそう小さく呟くと、おもむろに俺の肩にパンチしてきた。軽くではあったが、そこに傷があった俺は眉を顰める。
「こんなのでも痛がってるのに、外に出て散々嬲られた相手の人助けをしようだなんて。ホント、あなたは“喰えないわね”」
「……」
灯の言い回しに多少引っ掛かるものはあったものの、この時には特に詮索しなかった。何故なら、そこで灯は突然表情を崩し、俺に初めて笑顔を見せたからだ。
「――でも、また逢えてよかった」
「――ッ!」
その笑顔は、宝石のような輝きと同時に、陰の部分も持ち合わせていた。影の濃い笑顔というのだろうか。こんな顔で笑う人を、俺はどこかで見た気がする。
「ひゅーひゅーお二人さん熱いねえ! こりゃ楽しい探索になりそうだねぇ」
「……神奈、その昭和みたいなノリはおっさん臭いですよ」
姫路の冷やかしで我に返る。くだらない。所詮は灯も処分する女だというのに、何を入れ込んでるのか――。
と、そこでこちらに近づく足音があるので振り返ると、眉間に皺を寄せた指原と、困り顔の西川がいた。
メンバーも揃い、紹介も一段落したところを確認すると。姫路が表情を変えた。
あの歴戦の猛者のような、見るだけで気が引き締まるような不敵な顔だ。
「諸君! 今回の探索は、私たちの未来を繋ぐうえで重要な意味を帯びるだろう! 学校に残る者には帰るべき場所の守護を、探索にでる者には未来への希望を、己が使命として全うせよ! では……開門!」
姫路の言葉に合わせて、自動式の校門の柵がゆっくりと開く。その奥からは、何体かの感染者がこちらに向かって走ってくる。
「……いつも思うけど、あんなに大声出す必要ないんじゃないか?」
和彦の呆れ声に、姫路が振り向いて笑った。
「何言ってるの。これがないと気合い入らないでしょう? それに、これは景気づけにもなるし、ね!」
姫路が跳ぶように前に躍り出る。十メートルくらいあった校門までの距離を一歩で詰め、もう一歩で感染者と肉薄し、手に持った深紅のショベルで、感染者を一気に薙ぎ払った。
「ゔああ……」
まるで木の葉のように軽々と吹き飛ぶ感染者。デタラメな力に一同が唖然とする中、こちらに振り返った姫路が声を張り上げた。
「さあ、未来を獲りに行くよ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます