第37話 最期の審判

 その後、消毒など早川の左目を処置したあと、目を覚ました早川を翌日の朝まで思いついた限りの方法で拷問した。

長時間の水責めに加え、左目を潰したのが相当堪えたらしく、早川が俺に従順な奴隷になるのに、それほど時間はかからなかった。最後の方で、早川が苦痛を与えると笑顔を見せるようになった時点で洗脳を終了した。

予想外だったのは、恐怖で俺に従うようになると踏んでいた早川が、何故か喜々として俺の命令に従うようになったことだ。

「……お前、なんでそんな嬉しそうなんだ?」

「はい! 実を言うと、加虐趣味はインフルエンス・パニックが起きてすぐに、感染者になった家族を皆殺しにした時に目覚めた性癖でして、元は自分、かなりのマゾなんすよ」

 ……こいつは笑顔で何を言い始めるんだ。

「だから、智也様がプールで自分を拷問したとき、自分の身体にちっちゃな傷が沢山あったの見たっすよね? あれは自分の父親が付けたものでして。家庭内暴力ってやつっすか? その影響で痛いのとかは受け入れられるように身体が自然と変化したからだと自分は考えてるっす」

正座してちょこんと座る早川が自嘲的に笑う。その左目には、以前まではなかった白い眼帯があった。

「……なるほどな。まあいい。後、様付けはやめろ。これから奴らと接触したときに余計な疑いをもたれる可能性がある。態度ももっとフランクで構わない」

「――お、じゃあこんな感じっすかね。了解です、智也先輩♪」

フレンドリーな調子で早川が右目でウインクする。こういうこいつの絶対的な従順さは価値がある。頭もそれなりに回るし、独眼だが腕も立つ。遠近感に多少の不備は出るが、銃を扱えるのも貴重なポイントだ。顔だって悪くないしな。

「……お前が俺の期待に応えるうちは使ってやる。だが、不必要だと判断したときは、地の果てまでお前を追って、前の拷問が優しく思えるほど凄惨なやり方で殺すからな。そっちがお好みなら今すぐにでも殺してやる」

「そんな脅さなくても大丈夫っすよ。これだけ苦痛(かいかん)を与えてくれる人を自分が放っておくわけないっすから。自分は先輩に付いていくっす。殺されるのは、最期のご褒美に取っておきます!」

「……お前も大概イカれてるよ」

肩をすくめると、俺と早川は同時に噴き出した。

「さて……それじゃあこっからは俺たちのターンだ。せいぜい足掻いて見せろよ、餓鬼ども――」

 既に人の消え失せた眼下の通りを見て、俺は心弾む気持ちで嗤った。




Side 和彦

目の前の光景は、正に英雄の凱旋のようだった。

 食糧確保の目処も立ち、また、『女性』に一人も怪我人が出なかったことから、留守番をしていた人たちからまた一つ、姫路を神格化する声が上がった。

「――でもね、今回私たちが無事なのは、カズくんのお陰なんだよ」

 しかし、それらの声を否定して、こう言った姫路に、当初は全員が狼狽した。

「ひ、姫路様……一体何を? このような男が、神奈様を助けるなど」

「ううん、これは事実。……この探索が終わったら言おうと思ってたんだけど――」

 姫路が話したのは、和彦と俊介を奴隷ではなく、仲間としようということだった。

 流石に、男に対する固定観念――つまり男がインフルエンス・パニックを起こしたという『設定』までは壊すわけにはいかず、「私たちを救ったことで、彼等は罪を悔い改めたのだ」としたが、勿論それでも予想した通り多くの非難を浴びることとなったが、そこで意外な助太刀が入った。

「……けどさ、あたし達がこいつらに助けられたってのは事実だぜ?」

「ええ。大変不本意ですが、彼等がいなければ、ここに顔を見せていない者だっていたかもしれません」

「お前ら……」

 そう声を上げたのは、男を毛嫌いしていた部活の筆頭である槍術部、薙刀部の玲子と静香だった。

「玲子先輩に静香先輩まで……」

「二人とも……」

 それまで非難の声を上げていた二人の後輩たちだけでなく、和彦や姫路まで息を呑み、結果的にはそれが決め手となった。

 元々部内の結束が強く、それを束ねる部長の二人は特に信頼が厚かったのだ。トップである二人が男を認めたならば……と、それまで姫路にさえ苦言を呈していた一同が押し黙ったのだ。それほどまでに二人の信頼は厚かったということだろう。

 何はともあれ、結果的に渋々ではあるが、『協力者』と認められた俺たちは、その晩、姫路に招かれ、校長室へと足を運んだ。

 扉を開けると、月夜の光だけの薄暗い室内に、千羽と姫路がいた。

「……やぁ、カズくんに岡崎くん。疲れてるだろうに呼びつけて御免ね」

「いや、俺たちも話したいことがあったしいいんだ」

部屋の中央にあるソファーに座った和彦たちは、対面に座る三人を正面から見据える。

そして、俊介と同時に深く頭を下げた。

『ありがとう』

「へ?」

 仰天する姫路に、和彦は顔を上げずに続ける。

「今日、帰ってきてから正直不安だったんだ。いくら姫路が皆から信頼されてるからって、周りがそう簡単に納得するのかって。でも、姫路の言った通り、皆納得してくれた。やっぱり、お前はすごいよ」

「そ、そそそそそんなことないよ! 私こそ、カズくんたちには今日散々助けてもらったし! それに、お礼をするなら玲子ちゃんたちに言ってよ。あの娘たちがああ言ってくれたから、ああもすんなり納得したんだよ」

「それは俺も意外でした。まさか、ああも俺たちに否定的だった二人が擁護してくれるなんて」

 俊介が言うと、姫路は「ノンノン」と指を振る。

「もう仲間なんだしタメ口で良いよ。岡崎くんも、今日はありがとね」

「いいえ――いや、それこそ俺より和彦に言ってあげてくれ。最初にあの化け物から君を助けようとしたのは和彦なんだから」

「お、おい俊介。それはいいだろ」

 突っ込んだはいいものの、千羽と俊介がいなかったら和彦は死んでいたし、それなら二人に言うべき――そうした言葉は、俺の喉まで出てきて止まった。

「――ありがとう、カズくん。それに、ごめんなさい。今日だけじゃなくて、今までのことも含めて」

「……ッ! いや……」

 こちらの瞳を覗きこんできた姫路の顔が、すぐそこまで迫る。

 彼女の瞳を見て、あー、瞳の色は赤くないんだなーとかどうでも良いことが頭に浮かび、なんで今そんなことを考えているのかと苦笑を浮かべる。

「あ! 笑った! ひどーい!」

「王馬和彦……貴様、不敬罪で斬りますよ」

「ちょ、刀抜くのは駄目だろ! 今のは違うんだって!」

「和彦……今までありがとな」

「俊介まで!?」

 驚く和彦を見て、我慢できずに姫路が噴き出した。

 釣られて和彦、俊介、千羽までもが笑い声を上げる。

 部屋の中に朗らかな笑い声が反響する中、こんなに思い切り笑ったのはいつぶりだろうか、と和彦は思った。

 最初は和彦たちを殺そうとしていた姫路たちとさえ、こうして今は笑いあえるようになったのだ。世の中、無理だと思うことだって力を合わせればなんとかなる。

 そのとき、薄暗い視界が、突然懐かしい風景に切り替わった。

 それは、つい一ヶ月前、インフルエンス・パニックが起きる前の世界の一部。そこで、和彦たちは学校の制服を着て、姫路たちと談笑している。机を挟んで座る二人も、淡い桃色の制服に身を包み、楽しそうに笑っている。

 それは確かに幻だったのだろう。和彦はインフルエンス・パニック以前に姫路たちと話したことはないし、そもそも知り合いですらなかった。

 それでも、刹那に見た幻視は、和彦の心に希望の息吹を与えた。外は感染者が跋扈し、今にでも壁を越えてこの部屋に押し寄せてくるかも分からない。それでも希望は生まれるのだ。

「おーい、どうしたの、黙り込んじゃって」

「……いや」

 小首をかしげた姫路に、和彦は小さく頭を振ると、

「俊介、姫路、千羽。これからよろしくな――」

 と微笑んだ。




「……入るわよ」

 そのとき、控えめなノックと共に、校長室に入ってきた人物がいた。

 その見知った人物に、和彦は一瞬窒息しそうになる。

 部屋に入って来たのは、灯さんだった。

「……西側のバリゲートの近くに、こんな物が落ちてたって弥生さんが」

 そう言って手に持った物を渡した灯さんは、今まで見たこともないくらいに憔悴していた。

「……灯さん、大丈夫?」

「……ええ」

 躊躇った末にそう問いかけたが、返ってきた返事には明らかに覇気がない。氷細工のような精巧な美貌を持っている彼女だったが、今や本当に触れれば砕け散ってしまうような儚さをたたえている。

 彼女は……灯さんは帰ってきてからずっとこの調子だ。

俊介を見ると、困り顔で頷いた。いまはそっとしておいた方が良いということだろう。

 そして、姫路たちは姫路たちで何かあったらしく、仰天した声が聞こえた。

「――どうしたんだ?」

 姫路と千羽が見ていたのは、黒いカバーに入っているスマートフォンだった。

 少し汚れている以外はどこにでもある、普通のスマートフォンだったが、次の千羽の一言を聞いて、二人が驚いた理由が分かった。

「この携帯が、どうかしたのか?」

「このスマホは、確か早川が持っていた物です」

「ッ! そういえば今朝、早川が見つからないって……」

「ええ。そして今も、早川の居場所は分かっていません」

「……」

 難しい顔で姫路のスマートフォンを睨んでいた姫路だったが、突然血相を変えた。

 何故なら、その携帯に、突然電話が掛かってきたからだ。

『ッ!』

 電話はパニック当初、回線が混雑しているとかで全く使えなかったため気づかなかったが、そういえば電話の機能自体はまだ使えたのだということをそのときになって思い出した。

 電話の相手は非通知。姫路は、恐る恐るといった様子で通話ボタンを押し、周りに聞こえるようスピーカーモードにした。

「……もしもし」


『――よお、随分出るのが遅かったじゃねえか』


「――――――――え?」

 その聞き覚えのある声に全員が思考停止に陥り、やがて一人が呆けた声を上げた。

「……と……もや……?」

 真っ先にその答えに辿りついた人物――灯さんは、フラフラとした足取りで携帯へと歩み寄っていく。

『その声は……灯か。お前もどうやら無事だったようだな』

「智也こそ……生きてたの……? 本当に……ッ?」

 後半の声に嗚咽が混じる。見ると、灯さんの瞳から、一滴の涙が頬を伝っていた。

 そこで和彦も我に返る。生きてる。本当に。八代さんが生きてるんだ!

「――八代さんっ!! 和彦です! 本当に八代さんなんですね!?」

『ははは、おいおい、落ち着けって。そうだよ、俺はその八代だからそう慌てるなよ』

 呆れ声の返事に、和彦は嬉しさで興奮する一方、何か違和感を感じて冷静になっている自分もいた。八代さんが生きている。姫路たちとも完全に和解したことに続いてこんなに嬉しいことはないのに、何かが引っ掛かる。そう、何か重大なことを見逃しているような……。

 そこで、タイミングを見計らって姫路が八代さんに話しかけた。

「……やぁ八代さん。カズくんとあーちゃんも喜んでいるみたいだし、私も生きてくれていて嬉しいよ」

 話す内容に反して、姫路の声音は硬い。よく見れば、姫路だけでなく千羽や俊介までも怪訝な表情を浮かべていた。

『……そうかい。けど、その割に浮かない声音だな?』

「それはそうだよ。だって――普通あんなになったら死ぬでしょ」

 姫路の言葉はガツンとハンマーで殴られたような衝撃を俺に与えた。

「……和彦、常識的に考えて、あの化け物の一撃で八代さんが無事なわけないんだ。仮に生きていたとしても、なんですぐに俺たちと合流せず、今電話を掛けているんだ?」

 俊介の諭すような言葉に、先ほどまで感じていた違和感の招待が、パズルを埋め込むかのように明瞭になっていく。

 探索に出る前、八代さんは何を主張していた?

 そもそも今、誰の携帯で八代さんは電話を掛けてきている?

 今この瞬間にも、何か違和感が無いか?

『ハッ、そんなことを悠長に訊いてていいのか? 本当はお前が真っ先に知りたいことがるはずだぜ。例えば、『この携帯の主はどうした?』とかな?』

「ッ……! やっぱり、知世ちゃんはアンタが……!」

『――あっははははははは!! 良いねぇ! 受話器越しでも伝わってくるぜ、お前の殺意が! そうこなくっちゃなぁ!』

「や、八代さん……」

 最早、口調も態度もまるで違う八代さんの豹変ぶりに、和彦はこの電話の相手が本当に八代さんなのか疑いたくなった。だが、聞き覚えのある独特の低い声は、間違いなく俺の記憶の中にある八代さんの声と一致する。

 一体何がどうなっているんだ。

「神奈、落ち着いてください! ……おい、お前の目的はなんですか? 報復ですか? 復讐ですか?」

『ああ? その声は千羽か。つまらねえこと聞くんじゃねえよ。てめえらがおっさんたちを何人も殺したことも、俺を奴隷にして好き勝手したことも、どうでもいいことだ。ただ俺は――』


『――愉しみたいだけなんだよ』


『――ッ!?』

その瞬間、外からの光が急に強くなり、全員の視線が窓へと移り、驚愕した。

学校のすぐにある十字路の向こうから、ライトを点けた大型トラックが一台、ゆっくりとしたペースでこちらへと向かってきていた。そして、そのトラックの後ろから追随してくるのは、そう、無数の――


感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者感染者――――――――。


「――――な、なんなの。なんでこんなに感染者が……!」

「百……いや、それはいるように見えます……。こんな大群は初日以来見たことない……」

それは正に悪夢のような光景だった。

桜坂高校――和彦たちの聖域へとゆっくりと歩を進める感染者は、時代が違えば戦地に赴く兵隊のようにも見えただろう。だが、目の前に迫る奴らにはそのような愛国心も忠義心も無く、あるのは人を喰うという破壊的な衝動だけ――。

耳をすませばここからでも感染者のうめき声が聞こえてきそうだ。言葉を失う俺たちにその人は――今あのトラックを運転しているだろう八代さんは、本当に愉しそうに“嗤った”。


『さあ、それじゃあ始めようじゃねえか。四十九の人間(おまえら)対百一の化け物(おれたち)による――最期の審判ってやつをなあ――』

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