第38話 グラウンドの死闘 1
『――ッ!!』
言葉と同時に、先頭を走っていたトラックが突如加速する。
このままこっちに突っ込んでくるつもりか――それを全員が瞬時に悟ったとき、真っ先にアクションを起こしたのは姫路だった。
姫路は、校長室の隅に飾ってあった学校旗――二メートルくらいの大きさで、先端が槍のように加工されている――を“片手”で持ち上げると、
「っらぁあ!!」
それを窓から全力で投擲した。
「なっ……」
視認するのさえ困難な速度で飛翔する槍の先には、益々速度を上げていたトラック。槍が飛来する直前、トラックの運転席から人影が飛び出た。
刹那、投擲した槍がフロントガラスを軽々と突き破り、運転席へと突き刺さる。舵主を失ったトラックは速度を落としながら、それでも走行を続け、やがて校門の柵へと激突した。
轟音と共に、鉄柵が大きくひしゃげるが、途中で速度を落としたせいか、幸い鉄柵は突き破られず、大きく原型を損なうだけに留めた。
『キシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
だが、大きく鳴り響いた激突音に、感染者たちは狂ったように雄たけびを上げ、一斉に駆けだしてくる。大人数が街を走るその様子は町内マラソンのようでもあるが、老若男女入り乱れる集団の速度は世界陸上顔負けの速さだ。
まだいくらか距離があるとはいえ、ここまで来るのに三十秒とかからないだろう。そのとき、姫路が窓枠に足を掛けると――三階の窓から外に向かって飛び出した。
「ひめ――」
慌てて窓から見下ろすと、姫路は何事もなかったかのように着地しており、いつもの大型ショベルを地面に突き立て、高らかに宣言した。
「――傾注!! 見て分かる通り、現在感染者の群れがこちらに向かって侵攻してきている! 襲撃者は奴隷の八代智也! これより我々は、侵攻する感染者及び八代智也の迎撃にあたる! これまでにない激戦になるだろうが、私を信じて付いてきてほしい!!」
姫路の号令の効果は覿面だった。
駆けてくる感染者の群れを前にして全く統率の取れていなかった集団が、瞬時に一つのチームへと変貌した。
「弓道部は屋上へ集合! 矢をありったけ持ってきて!」
「槍術部と警備班の人たちは校門へ! 柵の向こう側から少しでも感染者を叩きます!」
「他の人たちは武器の運搬に回って! 感染者はもうすぐそこまできてる! 急いで!」
怒号のような指示が飛び交い、忙しなく足音が校内を行き来する。
思わずそれに圧倒されていると、千羽が鋭い声を上げた。
「何をぼーっとしているのですか! お前達も外で感染者の迎撃にあたりなさい!」
「ッ……お、おう!」
「和彦! お前のだ!」
俊介が投げて寄越したのは、もう使い慣れたといってもいい金属バット。それを受け取り、俺と俊介は校長室を飛び出した。
玄関を通り抜け、外に出た時には、既に感染者は鉄柵の目の前まで迫ってきていた。
校門に突っ込んだトラックに分断される形で、感染者は右翼と左翼といったように二手に分かれており、右翼側には静香、左翼側には玲子の姿があった。
空を見ると、屋上から弓矢が次々と注がれ、先頭を走る感染者が時折崩れ落ち、後ろの感染者に踏み砕かれる。
「来るぞ! 一体も通すなよ!」「皆さん、死守です!」
玲子と静香の号令を合図に、遂に感染者と人間がぶつかりあう。
いくら鉄柵の向こうからこちらだけ一方的に攻撃が出来るとはいえ、この数の感染者相手に鉄柵がどこまで保つか分からない。先頭を押しつぶすような勢いで鉄柵に突進を続ける感染者のせいで、早くも補強したはずの鉄柵は悲鳴を上げ始めている。軋み、歪みを作り、徐々にひしゃげる鉄柵の向こうで、玲子たちが必死に長物を突き入れ、少しでも感染者の数を減らしている。
――まさに戦争だ。
「俊介! 俺たちも……!」
「ああ! 静香さんたちの方が押され気味だ。俺たちはそっちの援護に――ッ!?」
「なっ……あれは!」
そのとき、玄関付近で全体を見渡せる位置にいた俺たちだからこそわかった。
前方に集中する感染者ばかりに気を取られている姫路たちのちょうど真横にあたる位置から、棒高跳びの要領で、軽々と鉄柵を乗り越えてきた最初の侵入者に。
「――よぉ、愉しんでるか?」
「八代……さん……」
先ほど受話器越しに聴いたときよりはっきりと。
その人は、確かな笑みを浮かべて、再び俺たちの前に姿を現した――。
最初、その人が八代さんだと分からなかった。
半日前まで一緒にいて、姿形も全く変わらない八代さんに、和彦はどうしようもない違和感を覚えた。
理知的な表情も、常に余裕のあった口元も、優しい眼差しをくれた瞳さえもそこにはなく。
ただ、和彦はポツリと思った。八代さんは俺たちの前で、こんなに楽しそうな表情で笑っていたことがあっただろうか。
「――八代ォおおおお!!」
「ッ……ま」
刹那、最初にバリゲートを越えた『化け物』に、姫路は雄たけびを上げて突進した。
勿論、手には限界まで引き絞られた彼女の得物――。
インフルエンス・パニックが起こってから今日まで、立ち塞がる者全てを屠ってきたその一撃は、今回も新たな肉塊を作ることになるだろうと信じて疑わなかった和彦は、疾走する姫路に制止の声を上げかけた。
「――フン」
「……え?」
しかし、その予想もまた、八代さんによって裏切られることになる。
ひょい、と。
まるで人に道を譲るかのように八代さんが一歩後ずさる。
その僅か一歩で、人体を完全に破壊する姫路の一撃は、八代さんの前髪を風で揺らすだけに留まった。
呆けた顔を浮かべた姫路の顔に次の瞬間、八代さんの振るった鉄パイプが炸裂する。
「ッ!? ~~~~ッッッッ!!」
間一髪それをショベルで防御した姫路だったが動揺したのか、反射的に八代から距離を取る。
「神奈様ッ!」
それを好機と、屋上で弓をつがえていた弓道部の一人が、八代に向かって弓を射た。
距離はそこそこあるが、高さの利を存分に活かしたその矢は月夜の空を滑空し、正確に八代さんの身体へと吸い込まれていく。
シュッ……カァン!
音が響いた直後、何が起こったのか一瞬分からなかった。
弓矢の空気を切り裂く音が聞こえた瞬間、八代さんが何でもなさそうに鉄パイプを振るったら音がして、気づけば傍に胴の真ん中から折れた矢が転がっていた。
「落ちてくる矢を、撃ち落とした……?」
驚愕した様子で呟いた千羽の言葉で、やっと和彦も何が起こったのか理解する。だが、そんなことが可能なのか? 八代さんは今、向かってくる矢を視ることさえしなかった。飛んでくる矢を撃ち落とすというただでさえ曲芸じみた技に加え、更にそれを一瞥もせずやってのけるなど、それはおよそ人間の出来る芸当なのか――。
「……アンタ、一体何者なの?」
硬い声で問いかける姫路でさえも、今見た光景を信じられないというように眉に深い皺を寄せている。
八代さんは、嘲笑するように姫路に言う。
「はっ。“お前と同じだよ。”姫路」
「――ッ!?」
姫路が動揺したのを、八代さんは見逃さなかった。
ノーモーションで走りだした八代さんは、数メートルはあった姫路との距離を、気づけばゼロにまで縮めている。姫路のような脚力に物を言わせた歩法でなく、まるで瞬間移動でもしたかのような――。
そして、そう見えたのは和彦だけではなかったらしい。
「神奈ッ!」
「……ッ!?」
叫びながら千羽が飛び出し、姫路が慌ててショベルを構えたのは、八代さんが鉄パイプを引き絞った後だった。
「フッ――」
「ッ……! ッ~~ぐぅ!?」
嵐のように始まった八代さんの猛攻を、姫路はかろうじて避けながら後退する。
八代さんの棒捌きは最早達人だ。以前、俊介に棒術を見せてもらったことがあったが、俊介には悪いが、それとは比較にもならない。変幻自在、疾風怒濤。むしろ、姫路はよく耐えていると思う。
「神奈ッ!」
姫路の防戦一方だったところに、やがて千羽が加勢する。それでも、勝負は五分五分のように見えた。
「――こ! おい、和彦っ!」
「……ッ!」
俊介に揺さぶられ、和彦はやっと我に返る。そうだ。戦闘を眺めている場合ではない。俺たちも防衛に回らないと――。
「――一体飛び越えたぁ!」
直後に、バリケードを飛び越えて侵入してくる感染者。まずはこちらをどうにかしないと、あっちの戦闘云々では無くなってしまう。
「ッ! 俺たちでやる!」
和彦は気合を入れるようにそう叫ぶと、最前線へと走りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます