第14話 備えあればなんとやら
謎のモヒカン野郎と闘ったその日は、久しぶりに自宅に帰り、冷蔵庫に残っていた食糧をありったけ胃袋に詰めると泥のように眠った。自棄食いからの不貞寝だ。嫌なことがあった日はこれに限る――。
翌日、僅かに残ったアルコールで明瞭としない意識の中、重い瞼を渋々持ち上げる。まだ寝ていたい。しかし時計を見れば既に午前九時を回っている。そろそろ避難所に戻らなければと、ノロノロと支度を始める。
「いって……」
未だ止まっていない水道の水で顔を洗うと、針で刺したような痛みが俺の顎を貫いた。鏡で見ると、決して小さくない傷が顎に出来ていた。いつ出来たものかと考えたところで、昨日のモヒカンとの戦闘を思い出す。
「あのときか……」
表面の皮膚が少し切れて全体が腫れ上がってはいるが、触診の結果、骨に異常はなさそうだった。同じくシャツをたくし上げ、奴にやられた脾臓の辺りを見るが、内出血で醜く変色しているものの、幸いそちらも骨は大丈夫なようだった。
ほっとしたのも束の間、俺の思考はすぐさまモヒカンの戦闘能力についてで一杯になる。
俺だってもう昔みたいに朝から晩まで鍛錬に時間を費やしているわけではないが、戦闘、特にルール無用の殺し合いでは、ほとんど敵なしだと過信していた。それをたった一人、それもステゴロでああも苦戦するなんて想定外だった。俺の腕が鈍ったわけでは無いと思うのだが……。
とにかく、ああいう奴がこの街にいると分かった以上、警戒レベルを一つ上げる必要がある。俺は避難所に行く前に一軒に店に寄ることを決めて、足に靴を引っ掻けた――。
今日の天気は少し曇っていた。日差しが弱々しい代わりに、どこかまとわりつくような熱気が外に漂っている。まだ七月は始まったばかりだ。これで本格的に夏が到来すれば、今年もあの殺人的な猛暑がこの街にもやってくるのだろう。
そんなことを考えながら俺がまず向かったのは、近所のスポーツショップだった。
ここら辺ではそこそこ大きい店で、マイナーな部類に入るスポーツアイテムもここになら置いてある。
店内に入ると、軽快なBGMと共に冷房の効いた涼風が客を出迎える。店の管理をする人もいないからそのままになっているのだ。電気代すごいことになりそうだなと、どうでもいい感慨を抱く。
俺が真っ先に目指したのは二階のアウトドアコーナー。そこにあった目的の物を見つけると、手に取って確認してみる。
それは、刃渡り十五センチ程度のサバイバルナイフだった。俺が持っていた果物ナイフをちょうど二倍したくらいの長さのソレは、安直的な頼もしさがあった。
こんなもの、普段なら使わないし、頼りたくもないが、ちゃんとした武器がないといざという時に困るというのは昨日学習済みだ。基本滅多に使うつもりはないが、昨日のモヒカンや強力な武器を持った相手と相対した時にあって損はないだろう。
他に、昨日失った感染者誘導用に熊除けブザーを回収し、カロリーメイトもいくつかリュックにしまう。店を出るとき、背中にありがとうございました、と声を掛けられた気がした。勿論、お金は払わなかったけどね――。
スポーツショップを出た後は、そのまま華和小学校を目指す。道中は、感染者ばかりで動く生者どころか、動かない死体すら見かけなかった。どうやら奴らの感染力は、俺たちの想像の遥か上を行っているらしい。
額に張り付く前髪を払い、歩き続けること三十分、ようやく俺は学校の坂の下までたどり着く。が、そこで俺は昨日の光景との変化に気づく。
昨日は俺たち以外に人影なんて見当たらなかった坂は今、大勢の感染者が我が物顔で闊歩していた。
無論、昨日俺が誘導したため、何体かは坂にいてもおかしくはないのだが、ざっと見ただけでも二十や三十はいる。明らかに多すぎる。
不自然に思いながらも後藤たちを処理した坂の途中のコンビニに来ると、後藤やら佐々木がゔ―ゔ―呻きながら奴らのお仲間になっていた。
「お、ちゃんとできてるじゃん」
自分で作った玩具がちゃんと動いた時のような嬉しさだ。俺はナイフの切れ味を確かめるついでに後藤ゾンビの指を一本ずつ切り落として遊んでいると、そういえば避難所は現在絶賛食糧不足中であったことを思い出した。昨日の晩は家でたらふく食ったので忘れていた。
少しでもコンビニから食糧を持ち出そうかとも思ったが、どうせ俺一人が運べる量などたかが知れている。有斐さんの分は俺が分けるとして、今はとっとと避難所に戻ろう。
そう決めて再び坂を登りはじめ、十分くらいするとようやく華和小学校の校門が見えてきた。ようやっと着いた、と息を吐いたのも束の間、俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。
「校門が……開いてやがる」
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