第19話 急転直下
甲高い音を立て、ガラスが粉々に砕け散る。
何事かとリビングから部屋を覗いたサイドテールが、モヒカンの姿を認めて悲鳴を上げた。
「ひゃはっ」
「ッ――こいつは!?」
吹きさらしとなった窓を跨ぎ、部屋に入ったモヒカンに対し、岡崎は警戒を高めてバットを構える。
しかし、こいつ相手にその対応は悠長すぎる。最初から迷うことなくバットで頭をたたき割るべきだったのだ。その結果、モヒカンに先制攻撃を許す羽目になる。
「ッ!」
話しかける暇すらなく攻勢に出たモヒカンに、岡崎が明らかに狼狽する。
初撃のパンチをバックステップで回避。しかし部屋は狭く、すぐに岡崎の背に壁がぶつかった。続けて放たれたモヒカンのストレートは、木製の壁を易々と貫通した。
「岡崎くんっ!」
「大丈夫です!」
咄嗟に頭を下げて躱した岡崎だが、次は正真正銘逃げられない。
俺は手に持った鉄パイプを強く握ると、モヒカンに鋭い刺突を放つ。
「ひゃはっ」
だが、それをモヒカンが体型からは想像もつかない機敏さで回避、自分の入ってきた窓まで後退すると、あの独特の脱力した構えを取った。
そこになって部屋に王馬も駆けつける。モヒカンを視認した王馬はげぇ、とうめき声を上げた。
「何ですかあれ……感染者、なんですか?」
「わからない、けど油断しないで。食糧調達に行った僕たちのほとんどはアレに殺されたんだ!」
「え、本当ですか!」
まあ、嘘だけどな。
それでもこのタイミングで出会えたのは好都合だ。今なら王馬や岡崎もいる。数的有利があるうちにコイツをここで処分しておこう。
「――和彦。みんなを連れて玄関から逃げて。ここは俺と八代さんで引き受ける」
だというのに、ここでもまた岡崎が厄介なことを言い出した。
「で、でも、こいつはかなりやばいんだろ!? それならみんなで協力した方が――」
「今の音で周辺に残ってた感染者もやってくる。ここで固まっているより分散した方が――ッ!?」
「ひゃはっ!」
突然動き出したモヒカンが距離を詰める。
僅かに動揺した岡崎だったが、彼の目に既に迷いはなかった。
「っおおお!」
「ひゃは!」
岡崎のフルスイングをモヒカンは難なく掌底で跳ね上げる。目を丸めた岡崎は次の瞬間、モヒカンの前蹴りで吹き飛んでいた。
「~~~~~ッッッ!!?」
悲鳴を上げる間もなく、岡崎は壁に激突し、肺から空気を絞り出される。
王馬だけでなく、これには俺も目を疑った。拳で人一人が吹き飛ぶなんて一馬以外で初めて見た。床に伏した岡崎は何度もえずいているので死んだわけではなさそうだ。
「ひゃはっ!」
「ックソ!」
その岡崎にトドメを刺そうとモヒカンが動いた瞬間、俺は床を蹴り、その勢いを乗せて刺突を放つ。瞬時に己への攻撃を察知したモヒカンは体を逸らしてこれを回避。目標を俺へと変更して間合いを詰めてくる。
長い得物には有効な手段ではあったが、それを読んでいた俺は鉄パイプを回転させ、反対の柄でモヒカンの横っ面を強かに打つ。
手応えあり。してやったと感じた刹那、俺は胸倉をモヒカンに掴まれていた。
こいつ、今のが全然効いて――
「あははははぁ!!」
視界が回る。胸倉を掴んだモヒカンは、そのまま『片手』で俺を外に投げ飛ばした。
無事だった窓ガラスに大きな風穴を開け、俺は外へと転がりだされる。何が何だが分からないまま、手に持った鉄パイプだけは離さないようにして地面を転がる。
「痛つぅう……ゴリラかよあいつは……」
思わず悪態を吐きながら顔を上げると、モヒカンもちょうど外に出てきたところだった。どうやら俺を新しい玩具に決めたらしい。岡崎は早々にやられるし、どうにも事は上手く運ばないものだ。
更に不運は続く。しとしと降る雨の音に混じって、遠くから聞き慣れた足音が真っ直ぐこちらに向かってくる。間違いようがない。感染者だ。
この時点で、感染者に視認される岡崎たちは戦力外の存在と成り果てる。本来なら歓迎できることなのに、モヒカンの存在で計算が一気に狂ってしまった。
俺は露骨に舌打ちをし、本来取りたくなかった方針に切り替える。
「王馬くんっ! ここは僕が引き受ける! 君たちは玄関から逃げるんだ!」
「そんな……八代さん! でも!」
「感染者が向かってきている! それも一体や二体じゃない!」
「……ッ」
王馬が悔しそうな表情を浮かべたタイミングでモヒカンが第二ラウンドとばかりに駆け出した。
「行けっ!」
「ッ――避難所で会いましょう!」
背を向ける王馬を横目に、俺は意識を目の前の狂人に集中させた――。
「伏せて!」
「――ッ!?」
王馬たちを送りだしてどれくらい経った時だろうか。このころには感染者の足音もはっきりと聞こえ始め、戦いながら、奴らをどうにか利用できないかと思考を巡らせていたときだ。
突然聞こえた覚えのある声に、肉薄するモヒカンへの攻撃をキャンセル、言われた通り地面を転がる。
直後に、頭上をブゥンと鈍い風切り音が通過した。
「ひゃ――あばっ!?」
だらしなく口を開いていたモヒカンの口に、突如飛来した野球ボールが直撃し、前歯数本を叩き折る。これは流石のモヒカンも効いたらしい。悲鳴と共に口を押さえる。
「今のうち! 感染者がすぐそこまで来てるわ!」
「灯……!?」
背後で窓に足を掛けて外に飛び出してきた灯を見て、俺は信じられない物を見るような表情を浮かべる。
「お前、何でここに……」
「あなたの力になりたいって言ったでしょ。いいから早く!」
灯に手を引かれ、俺たちは感染者の足音とは逆方向に向かって走り始める。
その行動は、確かに他の者なら当然なのだが、俺にとっては悪手以外の他でもない。もう少しあそこに留まっていれば、感染者を利用して、モヒカンを始末できたかもしれないないのだ。有難迷惑という言葉が頭をよぎった。
「はっ、はっ……どうしたの」
「いや、なんでもねえよ」
息を弾ませながらこちらを見る灯の手を振り払い、俺は先行するように前を走り出す。
水たまりで靴が汚れることも意に介さず、俺たちはそのまま学校に戻るようなコースを走る。後ろを振り返ると、感染者もモヒカンも追ってくる気配がない。お互い潰し合ってくれているということか。
前方に王馬たちの姿は見えなかったが、代わりに道中で倒れる男女の老人と、それを貪る二体の感染者と遭遇した。
腸の部分にぽっかりと穴を開け、苦悶の表情で空を見上げる老夫婦の瞳には既に光はない。
「伊藤さん……ッ」
後ろで灯が呟いたとき、老体に跨っていた感染者二体が顔を上げた。どちらも歳を食った婆で、共喰いだな、と内心で笑った。
「キシャァアアアア!」「キシャァアアアア!」
「――うるせえ」
腰を上げた感染者が、人間の声帯とは思えない咆哮を上げる。
そのうちの一体――金歯を覗かせた感染者に次の瞬間、投擲された鉄パイプが喉を貫通し、頭を串刺しにする。
痙攣した感染者は、そのまま重力に引かれて倒れる。それに構う様子もなく、もう一体がこちらに突っ込んできた。
大学でも素手だったしまあいいか、くらいの考えで俺が拳を握った時、目の前に灯が躍り出る。
目を丸めた俺の眼前、灯は手に持った手斧を振りかぶり、獣のような速さで迫ってきた感染者の喉元に、その刃を喰いこませた。
「ギシャァアアアアッッ!」
耳が痛くなるような咆哮を上げる感染者。だが、殺しきるには勢いが足りなかったようだ。喉に手斧を食い込ませたまま、感染者は灯を片手で吹き飛ばす。
「ぐぅ……」
手で防御したものの、為すすべなく横合いに飛ばされる灯。しかし、それによって感染者が大きく隙が生まれたのも事実だった。
まあ別に放置しても俺は大丈夫なんだけどな。
そんなことを思いながら、俺は拳を未だ突き刺さる手斧に打ち込んだ。
メリメリと筋線維の切れる音がはっきりと聞こえ、刃がその半分を感染者の体に埋めた。
「ヴァアアアアアア……ッ」
ぶくぶくと血の泡を吹き、もんどり打って倒れる感染者。そいつから手斧を引き抜くと、横合いに飛ばされた灯の元へ向かう。
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