第20話 少年と少女たち
「大丈夫か? なんであんな無茶をした」
「……言ったでしょう。あなたは命の恩人だもの」
「……余計なお世話だ」
灯が立ち上がるのを確認して、俺はさくさくと移動を再開する。それに灯が速足で隣に並ぶ。
「なぜ怒ってるの?」
「女に守られて気を良くする男なんていねえよ」
いくら外道と化しても、こういう価値観自体は以前のまま変わらない。
『男が女よりどうして腕っぷしが強いのか、それは男が女を護るためだ』
一馬が度々口にしていたことだ。今では男女差別とも捉えられかねない考え方だが、不思議と今でもこの考え方は嫌いじゃなかった。
自分でもわかるくらい仏頂面の俺の顔を、灯は不思議そうにのぞき込む。
「……あなた、さっきまで大学で助けてくれた時とは雰囲気が全然違うと思ってたけど、やっぱりそっちが本物?」
「……そうだよ。生憎人見知りでな。大勢の前だとしおらしくなっちまうんだよ」
「あれはしおらしくなるとは違うと思うけど」
風向きが変わった。空気が緩む。
見ると、灯は僅かに微笑んでいた。雪の中から小さく芽を覗かせた程度の笑みであったが、俺は自然と体が軽くなったような気がした。
それからも何度か感染者と散発的に遭遇したが、道中での感染者との戦闘は不思議なほど少なかった。その代わりと言うか、感染者は屋内や物陰に潜んでいるケースが多く、灯が指摘しなければ見逃していた感染者も幾体か遭遇した。
今は華和小学校に続く坂を下り、とりあえず桜坂高校方面へと歩いている。目に見える範囲、聞こえる範囲では、感染者の気配はない。
「お前さん、よくあんなところにいた感染者に気づいたなぁ」
「なんとなくそこにいた気がしたのよ。私も気をつけてみるけど、あなたも注意して。身体能力で大きく劣る私たちが不意を突かれたらひとたまりもないわ」
「……まぁな。けど、なんだって今日の感染者はこんなかくれんぼみたいなことしてるんだろうな。まさか感染者が隠れる知恵を身に付けたとかだったら洒落にならんぞ」
「いえ、今日出会った感染者にも相変わらず知性のようなものは感じなかったわ。物陰に潜んでいるのにはもっと違う理由があるんじゃない?」
「違う理由、ねぇ」
一応考える素振りはするものの、正直感染者についてそこまで真剣に考えてはいない。どうせ見えないからな、俺は。
「こういう時は大抵いつもとは違う条件に目を向けるのが基本ね。昨日までと今日で違うことと言ったら何かしら」
しかし、感染者に襲われる可能性がある一般人には死活問題だ。灯が手を軽く顎に添え視線を落とす。理知的な彼女がこういう仕草をするととても絵になる。
「うーん、せいぜい雨降ってるくらいだよな」
「ええ、やっぱりそれしかないわよね。とすると……感染者は雨が嫌い、てところかしらね」
「はっ、ああみえて清潔好きってか」
そのとき、少し先にある喫茶店から路上に人影が飛び出した。感染者かと身構えるが、悲鳴を上げて助けを求めてるあたり、おそらく非感染者だろう。まあ、既に噛まれている可能性はあるが。
「た、助けてぇえええ!」
「おいおい、こっちに逃げて来んなよ……」
予想通り、次いで喫茶店から飛び出してきたのは蒼白い肌をした片腕のない学生服の少年――感染者。感染者は獲物を求め、ぐんぐんと男との距離を縮めていく。
「どうする?」
「感染者と競争しても勝てないわ。頼ってばかりで申し訳ないのだけど、お願いできる?」
「りょーかい」
他の人にとっては命がけでも、俺にとって感染者一体を仕留めるなど人を殺すより簡単だ。だから灯、そんな顔をしなくてもいいんだぞ。
俺は男に向かって走り出し、男とすれ違った直後、そのすぐ後ろまで迫ってきていた感染者に鉄パイプをお見舞いした。
肋骨を砕かれた感染者は衝撃でアスファルトに転がり、倒れたところに俺がマウントを取る。
「キシャァアアアア!!」
「わざわざありがとよ」
叫ぶ感染者の口内に鉄パイプをねじ込み喉を貫く。感染者の開いた口から洩れる濃厚な死肉の匂い。痙攣してやがて動かなくなったのを確認すると、俺は鉄パイプをそっと抜いた。
「――あなた、怪我はない?」
「あ、ああありがとうございます……!」
灯の問われ、震える声で感謝の言葉を告げる男。もやしのような体型に特徴のないヘアスタイル、黒縁の丸眼鏡が唯一の特徴のその少年は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を手で乱暴に拭う。
「危ないところだったね。君は一人であそこにいたのかい?」
急に口調を変えた俺の態度を胡乱気に見つめる灯を無視して、俺は「どうかな?」と好青年の面をかぶる。
「は、はい。実は、昨日まではここの近くで避難所になってた華和小学校ってところにいたんですけど、ちょっと色々ありまして……」
「なんだ、君も華和小学校から逃げてきたのかい? それなら、僕達と同じた」
「え、そうなんですか!? よ、よかったぁ。僕の他にも、逃げ延びた人がいたんだぁ」
「――うん。それで、君にちょっと訊きたいことがあるんだ」
「……なるほど、つまりお二人は、道野さんを捜してるんですね」
「厳密には、彼が攫った女性の方を捜してるんだけどね」
場所を変えたいという少年の要望に応え、表の通りから何本か外れた通りにある空き地に移動していた。そこは某猫型ロボットのアニメに出てくる空き地をそのままにしたような造りで、唯一違うのは、近くのバス停用の小さな対合室があることだ。この近くに住んでいたという少年は、多少は雨風を防げるからと、ここに俺たちを促した。確かに、夏とはいえ、着替えもいつ出来るか分からないときに好き好んで濡れたくはないからな――。
「……すみません。少しでも助けてもらった恩を返したいんですが、生憎僕も逃げるのに必死で、他の人がどこにいったかは……」
「使えねえな。助けて損したぜ」
咄嗟にそう言いたいのをこらえ、
「いいや、そうだろうね。当たり前だよ。こっちこそ、無理を言ってすまないね」
と苦みを含んだ笑みを浮かべた。だから灯、そんな目で見るんじゃない。
「……八代さんは強いですね。さっきだって、あんなに鮮やかに感染者を倒して……。僕なんか何もできません……」
「自分を卑下しても始まらないわ。智也と自分を比べて嘆くのなら、少しでも近づけるよう努力する方が生産的よ。今の世界なら尚更、昔ほど世界は優しくないから」
灯よ、お前さんは本当に現実的というか、手厳しいな。普通初対面の人にそこまで言うか。いや、こんな状況だからこそ言うのは灯なりの優しさなのか?
「……そう、ですね。神城さんの言う通りです。僕はすぐ無理だと諦めてばかりで、避難所でも、警備班に勧められた時も怖いからって諦めて……。けど、やっぱりこのままじゃダメですよね」
いや、知らねえよ。
突然始まった思春期特有の自分語りに俺は辟易とする。そんなことよりこいつが有斐さんの情報を持っていないって分かったんだから早く捜索を続けたい。まあ、それも感染者が屋内に潜んでいるせいで手詰まりなんだけどさ。
「――だから、僕にも神城さんたちのお手伝いをさせてください!」
何がだからかはわからんが、考え事をしている最中の長い演説は終わったようだ。
それをひとしきり聴いていたらしい灯は表情を変えず一言。
「気持ちは嬉しい。けど、足手まといよ」
お前ほんとにすごいな。
「力の強さ、という意味では私も同じ、足手まといよ。だからこそ、智也にはいざというときに私を見捨てるようお願いしている。間違ってほしくないのは、覚悟を試しているわけじゃないの。あなたを失って、誰か悲しむような人がいないかっていうことを考えてほしいの」
「そ、それは……」
灯の諭すような言葉に少年は唇を噛む。今彼の頭の中にはいくつかの顔が浮かんでいるのだろう。
「……分かりました」
主語のない言葉だったが、それだけで俺も灯も理解した。正直、本当に邪魔でしかないから、それでもついてくるとか言ったら本当に困ってた。灯に見えないところで殺しちゃおうかなって思ったレベルだ。
「ただ、これだけは話させてください。道野さんの居場所を訊いて考えていたんですが、道野さんはおそらく中層マンション――五、六階建てのマンションの一室に潜んでいる可能性が高いと思います」
少年が続けた予想外の言葉に驚く。気持ち、居住まいを正す。
「……続けて」
「はい。僕も道野さんとは何度か話したことがありますが、本性までは見抜けなくても、あの人が『ずる賢い』というのは何となく、話してて感じました。態度や物言いは優しくて頼りがいがあるんですけど、何か薄っぺらい感じがしたんです」
俺は黙って首肯。先を促す。
「だから、あの人が避難所を出てまず目指すのは比較的安全な所、そして……言いにくいんですが、女性を連れていることから、そういう目的もあるんだと思います」
「僕は大丈夫。続けて」
「すみません……。ですから、多少音が出ても大丈夫な場所、この二つの条件で考えると、まず出てくるのがマンションの高層階です。けど、そういう部屋って大抵はお金持ちが住んでる場合が多いですし、セキュリティも厳しいですから、籠城している人も多いと思うんです」
「道野ならそれくらいまでは考えてるだろうってこと?」
灯に頷き、複雑な表情を浮かべる少年。
「なのでおそらくですが、道野さんは今、中層マンションの最上階、又はそれに準ずるところで、且つ、いつでも最終手段として避難できる桜坂高校付近にいるっていうのが僕の考えです。……な、長々とすみません。勿論、これは全部僕の推測なんですが……」
「――いや、その発想はなかった。説得力もあったし、とても参考になったよ。ありがとう」
これについては俺も心から礼を言う。真っ暗だった先行きに僅かな光が見えた気がした。
頭を下げた俺を見て、少年は慌てて手を振った。
「い、いえとんでもない! 僕の方こそ、八代さんたちは命の恩人ですし!」
「桜坂まで送るよ。雨の勢いもだいぶ収まった。今のうちに行こう」
「いえ、ですけど……」
「大丈夫。ここからなら桜坂なんてすぐさ。僕たちも避難所に行って確認したいこともあるしね。灯も、いいよな?」
「智也がいいなら構わないわ。それと、あなた」
「は、はい!」
「あなた、さっき自分のことを何もできないって言っていたけれど、そんなことないわ。――ありがとう、あなたのお陰で助かったわ」
「――ッ!」
肩を震わせる少年を見て俺も薄く微笑む。同時に、こういうことにもまだ感慨を覚える自分の心に驚きもした。俺の中にも、まだ一端の人の心というのが残っていたんだな。
警備班を殺したときとは違う類の心が弾む感覚に懐かしささえ覚えながら俺は停留所から外に出る。
そんな時だった。心地よい胸の高揚を断ち切るように聞こえてきた微かな音に俺は思い切り顔を顰めた。
――聞こえてきたのは、多数の人の息遣いと、キリキリという弓を引き絞る音。
「――こんな時に誰だよ!!」
「――ッ!?」
俺が真横に跳んだ瞬間、先ほどまで俺の太ももがあった所を高速で矢が通過する。微かに息を呑む音。音の先を追えば、この空き地がちょうど見下ろせるような家の二階の窓に弓を構えた少女が一人。それを合図にするかのように周りの家の窓から次々と女弓兵が姿を見せる。
「え……弓矢!?」
「伏せて!」
後ろで慌てる声が聞こえる中、第二射が迫る。その数は先ほどとは比にならない数。
前から飛んできた弓の一つは鉄パイプで叩き落すが、視覚から飛んできた一つが俺の肩に掠めた。
「智也!」
「僕達を庇って……!」
視覚からの一撃ではあったが、風切り音で予想はしていた。命に係わる怪我ではないが、パフォーマンスが下がるのは否めない。ここは逃げるのが賢明だろう。幸い弓は次弾装填に時間がかかる。
「逃げるぞ! こっち――ッ!」
二人を促し、逃走しようとした時、唯一の脱出経路――正面の通りから複数の足音が聞こえた。
やがて次々と現れた者たちは、皆一様に弓か長物を携え、こちらに向けて一斉につがえた。
驚いたのは、そこにいるのが全員中学生から高校生くらいの少女だったことだ。顔にあどけなさが抜けない少女も多い中で、しかし動けば即座に射抜くという明らかな敵意がこちらを見つめる瞳越しに伝わってくる。
「――逃げようとしても無駄っすよ。動かないでください」
「――なっ!?」
そして警告を口にした最前列にいるウルフヘアの少女。それを見た時、俺でさえも絶句した。彼女だけ携えているのは弓ではなく、警察などが使っていそうな自動小銃を構えていた。
素人が銃など使えば返って自分が怪我をするとか聞いたことはあるが、銃を向ける少女の身体は無駄な力みが無く、扱い慣れているような雰囲気さえ感じられた、ハッタリだとしても、他に多数の弓兵がいる中では俺も下手にこれは身動きが取れない。
「――二人とも逃げてくださいっ!」
「っあなた――!」
しかし、俺でさえ動けない状態でそこで意外な人物が行動を起こした。俺の後ろの停留所で姿を隠していた少年だ。
灯が止める暇もなく走り出した少年は、囮にでもなるつもりだったのか。しかし、空き地に一発の乾いた銃声が鳴り響いた時、少年は地面に四肢を投げ打ち、二度と動くことはなかった。
「あーあ、だから動くなって言ったんすけどねえ」
呆れるようにウルフヘアが言い、今度こそ完全に俺たちが動けなくなったところで、やがて正面の集団の中央が開き、奥から二人の少女が出てきた。
まず先頭を歩いてきたのが髪を後ろに括った少女。そしてその後ろから堂々とした態度で現れた少女を見て、俺だけでなく灯たちも息を呑んだ。
所謂ツインテールという髪型に結った少女の髪は、燃えるような紅色だった。
「――ふん、罠にかかった獲物は『一人』か」
俺を見て赤髪の少女は言う。現実では見たことのなかった赤い髪だが、染めたときのような独特の艶はなく、不思議なほど彼女の容姿とマッチしていた。
「神奈、ここもいつ“ケガレ”共が来るかも知れません。長居は無用かと」
「それもそうだね――ケガレの尖兵よ、よく聞け!」
外にいるにも関わらず、気にした素振りもなく赤髪の少女が大声を張り上げる。灯が怪訝な表情をしているのが見なくても分かる。
「貴様は不届きにも我らが神聖なる領域に足を踏み入れた。おおよそケガレを領内へ誘導したかったのだろうがそれを見逃がす私では無い!!」
「……何言ってんだこいッ!?」
「誰が発言を許した。次は貴様の頭に射るぞ」
ボヤいた俺の足元には髪を結った少女が言う通り一本の矢が刺さっていた。そこでまた弦を引き絞る音が聞こえ、鼻から息を吐きつつ口を噤む。
――一体何だってんだよ……。
「貴様の処分は戻ってから下す。大人しくついてこい」
少女の言葉の後、縄を持った少女が二人やってくる。
それに大人しく縛られつつ、俺は曇天の空を見上げた。
いつの間にか、雨足はまた勢いを取り戻していた。
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