第21話 逆巻く狂気

 周りを武器を持った少女に囲まれて連れてこられたのは、なんと桜坂高校だった。

 目が白黒したが、そこで俺は周りを取り囲む少女達が全て同じ制服である事に気づき合点がいった。桜坂高校はここらでは割と有名なお嬢様学校だ。おそらく彼女たちはこの桜坂高校の生徒だろう。

 だが、だとしても妙だ。ここは元々避難所として開放されていたはずだ。それに、これだけの人数がいれば食料の調達もかなり大変なはずだ。それをお嬢様学校の生徒であるこいつらだけで養っているとは考えづらい。

 俺は体育館の真ん中まで連れてこられると、跪くよう指示される。

 そこでこっちに近づく複数の足音と、何か言い争う声が聞こえ、そちらに首を巡らせると、つい数時間前に別れた奴らの姿があった。

「王馬……くん、それに岡崎くんに岸本さんまで」

「ッ、八代さん!? 無事だったんですか!」

「まあ生き延びはしてたけど、無事とは言い難いね」

 驚く三人に俺は苦笑を浮かべる。見れば三人も俺と同じく縄で縛られた状態だった。

「ほら、膝を付いて、額を床にこすりつけなさい。逆らえばどうなるか分かってるわよね?」

「くそっ……」

「……」

 近くで武装していた少女の指示で、王馬たちは渋々それに従う。

 俺は女の指示に従う前に、素早く周りに視線を向けた。

 体育館の端でこちらに侮蔑の視線を向けてくるのは本当に少女ばかり。そこには不安そうに眉を顰める灯の姿もあった。しかし、男どころか、大人の女性すらいない。避難してきたのがここの生徒だけだったとでも言うのか。いや、そんなのはあり得ない。

 ――とりあえず面倒くせぇことに巻き込まれたのは確かだな。

「もう一人のアンタ、聞こえなかったの? 言っとくけど、私たちは男を殺すのに躊躇なんてしない。今みたいに男を審判するのも、これが一回目じゃないんだから」

「……」

 少女の言葉に気になるところはあったが、俺は言われた通り立ち膝になり、額を床に付ける。隣で王馬の悔しそうな呻きが聞こえる。頼むから余計なことして俺まで被害被るのは御免だぜ? 仮にここで本気で暴れても勝ち目は薄いしな。

すると、前方で足音がする。力強く淀みのない、自信に溢れた歩き方だ。

足音は段差を上がり、中央あたりに来たところで止まった。次いでギシッと音がして、誰かが椅子に座る。

「全員、顔を上げろ」

 やや上の方から声がかかり、俺は言われた通り、ゆっくりと上体を起こす。

 目の前には、体育館のステージの上でパイプ椅子に座り、傍に置いた机を肘掛け代わりに使ってこちらを見る赤髪の少女と、その少し後ろに立つ髪を後ろに結った先ほどの少女がいた。

「私は千羽咲。ここの統括補助の任に就いている。そしてこちらにいるのが――」

「統括の姫路神奈だよ。やーやー苦しゅうない」

 千羽と名乗った堅い印象の少女と、赤い髪の姫路が対照的に名乗りを上げる。

 千羽が俺たちを一望した後、口を開いた。無機質な温かみの一切ない声だった。

「貴様ら名を何という。発言を許す。こちらからみて右から名乗れ」

うんうんとおおげさに頷く姫路。千羽という少女は予想通りの厳格な印象だが、反対に姫路は、どこかおちゃらけた様子で緊張感がない。

「……俺は王馬和彦。お前ら、何でこんな――ぐっ!?」

「和彦!」

 言葉の途中で和彦が後ろから棒で殴られ、岡崎が悲痛な声を上げる。

「神奈の聞いたことだけを喋りなさい。次」

「ッ……岡崎、俊也です」

「き、岸本和幸だ」

「……八代智也」

 俺が答えると、姫路は足を組みかえる。決して長いとはいえないスカートから健康的な太ももが覗く。

「なるほど。じゃあ和彦くんに俊也くん、岸本さんに八代さん。これから君たちを私の独断と偏見で審判します。有罪ならば死刑、無罪ならば死ぬまでここで私たちの為に働いてもらうことになります。まあ言っちゃえば奴隷みたいな感じかな」

 姫路があっけらかんと言った内容に、流石にこれには王馬だけでなく、岡崎や俺も言葉を失った。審判の件は置いておくにしろ、高校生くらいの少女に悪くて死罪、良くても奴隷にすると聞かされれば無理もない。

 そんな俺たちを見て、姫路は悪戯っ子のようにくつくつと笑う。

「くっふふふふ。この話聞くと、みーんな最初は同じ顔するよね。おっかしー!」

「神奈。いいから早く始めましょう。夕餉などの準備がある娘もいます」

「あ、もうそんな時間か。じゃあちゃっちゃと終わらせますかー」

 コホン、と姫路は咳払いを一つする。まるで夕飯前に宿題を終わらせるかのような軽い調子。

「じゃあ、早速だけど審判を始めるね。まず二人に聞くんだけど――なんで『ケガレ』なんてものを作ったの?」

『――は?』

 予想もしていなかった突拍子のない質問に、俺たちの声が重なる。

 代表するように王馬が訊き返す。

「それ……どういう、ことだよ?」

「あれ、分かりづらかったかな? 言葉の通りなんだけど……。なんで男の人は、インフルエンス・パニックと呼ばれるものを、世界にばら撒いたのかーって聞いてるの。どぅーゆーあんだすたん?」

「なっ……ふ、ふざけるな!」

「わ、びっくりした」

王馬がたまらず叫び、また後ろから棒で殴られ、顔を床に強打する。

心配そうに王馬の名前を呼んだ岡崎は、眼光だけは鋭く前方の姫路たちを見据える。

「……それは僕たちが、インフルエンス・パニックを引き起こしたって言うことですか?」

「んー。流石に全員では無いだろうけど、世の中の成人した大半の男はアレに関わっているだろうな、とは思ってるよ。あんなおぞましいもの、女のひとが生み出すわけないもん」

「そんな根も葉もないことを……! 何を根拠に言ってるんですか!」

「根拠ならあるよー。なんていったって、この私がそう言ってるからね。姫路神奈の言葉に間違いはないのだっ!」

「なっ……」

相変わらず口調こそふざけてはいるが、姫路は冗談を言った様ではない。

俺は今日何回目になるか分からない絶句をする。意味が分からない。同じ言語で話している気がしなかった。

「……少しいいかしら?」

「およ?」

「灯……?」

端の方で突然手を挙げた灯に、姫路は可愛らしく小首をかしげた。この少女は一挙動一挙動に不気味なほど華がある。

「えーと……あなたの名前は?」

「神城灯です」

「じゃあ、あーちゃんだ」

いきなり灯にあだ名と付けると、姫路は屈託なく笑う。太陽のような曇りない笑顔。隣で王馬が震えた。

「……私、今そこで捕まってる人たちの仲間なんだけど」

「んー? でもあーちゃんは女の子だよね? じゃあ私たちの仲間だよ!」

当たり前だとでも言うように姫路は親指を立てる。敵視していた相手にいきなり友好的にされ、灯は毒気を抜かれたような表情をするが、先を続ける。

「……姫路さん。あなた、さっき根拠は自分がそう思っているからと言ったけど、何故、あなたはそこまで自分を絶対視しているの?」

「あー、確かにあーちゃんはまだ私の事知らないもんねー。じゃあせっかくだし、見せてあげようか。さっちゃーん」

「御意」

呼ばれた千羽はふいとステージ裏に消える。やがて帰って来た時、彼女は俺たちと同様に縛り付けられた男を引き連れてきた。

 その人物を見た時、王馬たちは息を呑み、俺はどす黒い感情が心に流れた。

 それまでずっと黙っていた岸本さんが茫然とその名を口にした。

「――道野さん」

「んんー! んー!」

千羽は男――道野を物のように床に放り捨てる。

久しぶりに見た道野は、両手足を縛られた上に猿轡もされ、くぐもった声しか上げることが出来ず、マグロのようにステージの上でもがいでいる。こちらを見る眼からは、助けてくれと懇願するような意思が感じられた。

血眼になって探していた相手。だが、それでは奴に連れ去られたあの人は――?

大仰に姫路が両手を広げる。まるでイベントの主役のようなジェスチャーだ。

「ではあーちゃん、ついでに諸君! ここで私、姫路神奈がちょーぜつさいきょーな秘密を暴露しよう! なお、アシスタントは、先日審判で有罪が決定した道野昭三さんです!この人は、うちの近くのマンションの一室で婦女暴行してるところ発見されて、今現在この学校内で一番死刑を求められてる嫌われ者さんでーす。――ちなみにその被害者がこんな感じ」

 俺たちの近くまでやってきた姫路が唐突に携帯を取り出すと、画面に映った画像を俺たちに見せてきた。

「―――――――――」

 そこには、両手足があらぬ方向に曲がり、一糸纏わぬ姿でベッドに伏した有斐さんの姿だった。

 ついさっきまで、あれほど渇望していた彼女の非現実じみた裸体も、作り物のように全くリアリティーを感じない。抵抗し、逃げられないようにするためであろう折られた両手足。死因となったであろう首を絞められた跡。身体に数えきれないほど残された内出血の跡は、むしろこの半日でよくここまで出来たなと感心するくらいだ。

 ふと、酸っぱい匂いが鼻につく。

 隣で王馬と岡崎が仲良く嘔吐していた。それをゴミでも見るような目で少女が見つめている。なんだ、やっぱり世界とはこういう仕組みだったんだ。

「あー、流石に高校生には刺激が強すぎたかー。私も最初これを見た時はごはん食べられなくなったからね。まあ、というわけで今からこんなことしたクソ野郎を処分したいと思います!」

そこで千羽が道野の拘束を解いていく。道野は最後に猿轡を外されたところで、大きく息を吸った。

「っぷは! お、俺は助かるのか!?」

 開口一番にこれを言えるのは俺でさえも感心するレベルだが、姫路は気にした素振りもなく口元に人差し指を当てた。

「んー、可能性は限りなくゼロに近いけど、あとはおじさん次第かなー。あ、はいこれ。

慈悲深い神奈様からのせめてもの贈り物です」

状況が分からず混乱する道野に、姫路は文房具か何かを渡す。

「これは……カッター?」

姫路が渡したのはカッターだった。道野は初めてこんな物を見たとでも言うようにしげしげとそれを眺める。

「じゃあそれがおじさんの武器ね。で、私の武器はこれ。ちょっと私のやつの方が強いけど、それはほら、レディファースト? みたいなやつで、一つ大目に見てね?」

「――ッ!」

「ひぃっ!」

続いて千羽から受け取った武器を姫路が掲げたとき、唯一顔を上げていた岸本は息を呑み、相対する道野は情けない声を上げ、俺は感嘆の声を漏らした。

姫路が掲げたのは、土木用に使うような、大きなショベルだった。

決して長身とはいえない姫路のような少女が使うには余りにも不釣り合いなゴテゴテのショベルは、土を掘り返す鉄の部分が真っ赤に染まっており、それが元からそのような色では無かったことは容易に想像できる。おそらくあれは返り血――。

俺は結論に辿りつき、そして同時に目の前の道野に待っている結末についても理解した。

姫路がショベルをゆっくりと掲げる。それにしてもデカい。ショベルの長さが姫路の身長と同じくらいあるように見える。

「それじゃおじさん。ちゃっちゃと始めるよー。おじさんが勝てば晴れて自由の身。私が勝てばゲームオーバー。一度きりの大勝負。行くよ~、3、2……」

「ちょ、ちょっと待っ――!?」

無骨なショベルを剣のように構えた姫路に道野のパニックはピークに達する。へっぴり腰になりながら、申し訳程度のカッターを姫路に向けるが、刃すら出していないそれに脅威などない。

そして遂にカウントがゼロになる。

「1……ぜろっ!」

「――は」

道野が何かを言おうと口を開きかけた時、真下からすくいあげるようなショベルの一撃が決まる。


そして、道野はそのまま体育館の『十数メートル上の天井』に激突した。


「――え?」

果たして呟いたのは誰だったか。ステージの上に設置された機材に身体を埋めた道野は、やがて重力に引かれてゆっくりと落ちてくる。その身体は既に糸が切れたように動かない。

「これはぁ……」

しかし、姫路はそれを気にした素振りすらなく、ショベルを小さな身体で限界まで引き絞る。夏服の半袖から覗く二の腕は、最近の女子高生の例にもれず細く、全く力があるようには見えない。

次の瞬間、姫路が『片手で』振るったショベルの爆風が、俺たちの身体を通り越した。

「おまけだよッッ!」

「―――――――」

道野の身体が物言わず吹き飛ぶ。ほぼ直線に飛んだ道野の身体は、灯の近くの壁に激突し、バコォンッ!と凄まじい音を立てた。

誰もが声を失う中、ドスンと道野だった肉塊が崩れ落ちる。

そう、道野という一人の人間を形どっていた肉体は、最早元が人間だったとは思えないほどに醜く変形し、床に落ちていた。

「あっははははっ! ホームランッ! 今日も神奈ちゃんは絶好調である!!」

「……神奈、せめて飛ばす方向は考えてください。皆が驚いているでしょう」

「あーほんとだ! あーちゃんごめん。血とか飛ばなかった?」

静寂が支配する体育館に、マイペースな二人の会話のみが木霊する。

だが、次の瞬間、沈黙は予想外の形で破局する。

「――素敵です!」

一人の少女がそんなことを言いながら拍手を始めた。それを皮切りに、拍手する数はどんどん増えていく。

「相変わらず人間を超越した膂力! 流石は神に選ばれた神奈様です!」

「また一人、ケガレを生んだ忌むべき男をこの世から消し去った……、今まで死んでいった友達の無念が晴れていく想いです!」

拍手はやがて喝采に変わる。それらを一心に浴びながら、姫路は戦場の戦乙女のように、ある種の神々しささえ湛え、ステージで手を広げる。

「忌むべき大災害、インフルエンス・パニックにより、世界は大きく変貌した。それにより友を、師を、家族を、それぞれ喪ったものは数多くあるだろう。だがそれでも、私たちは決して下を向いていてはいけない。死んでいった人たちの分もより生き、そして彼らを殺した忌むべき災害を引き起こした者たちを抹殺し、この世界に希望をもたらそうではないか!!」

それまでの緩い態度とは一変した、政治家も顔負けの堂々とした態度、演説に、体育館内は異常な熱気に包まれる。まるで異界の惑星に一人だけいるような気分になる。

「な、何なんだよこれは……」

歓声に掻き消されそうな声で、王馬が呻く。岡崎と岸本も、目の前の現実に理解が追い付いてない様子だった。三人は疎外感や孤独を感じるというよりも、この集団に対する本能的な恐怖を感じているようだった。

確かに、ここは異常だ。元からこうだったわけでは勿論無いだろう。

おそらく、インフルエンス・パニックが起こり、隣人が次々と死んでいき、世間を知らないお嬢様たちが希望を失わずに生き残っていくために、超常の力を有した姫路を核にし、男を敵対視することで、結束力を高めたのだろう。

俺はステージで喝采を浴びる姫路を見る。

手に持つショベルと同じ紅い髪を揺らし、自分の身の丈と同じくらいのショベルを床に打ち付け、顔には返り血が飛びながらも凄惨な笑みを浮かべる。

――美しいな。

それまであった道野への殺意や、有斐さんへの渇望はやがて、新たな胸を焦がすような熱い衝動となって身体を駆け巡る。

あの女が欲しい。陰惨な現実によって壊れて絶望を忘れ、今、己を救世主か何かと勘違いしている狂気を孕んだ女を、俺の物にしたい。

だが状況は絶望的。彼女を自分の物にするどころか、逆に自分が彼女の狂気の元にいつ両断されてもおかしくない圧倒的不利。だが、高嶺の花ほど、それを手にした時の恍惚は大きい。

「……滾るぜ」

狂気が場を蹂躙する異常な空間で、捕食者が、実は自分が獲物であったことに気づく場面を想像し、唇を歪ませた。

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