第22話 1年前

俺が有斐茜という女に出会ったのは、人が溢れる夜の歓楽街だった。

当時、大学に入って一ヶ月も経っていなかった俺は、初めての都会に浮かれていて、その日も友達との飲み会の帰りだった。

ほろ酔い気分で多大勢の人が行き交う通りを歩いていると、それを縫うようにして駆けてきた人とぶつかった。

「おっと」

「……ッ、すみません!」

俺の胸から見上げるように持ち上げられた顔を見て息を呑んだ。幻想的なまでに透き通った美貌を持つ女だった。

緩くウェーブかかった栗色の髪が肩から滑り落ちる。その肩を、おもむろに後ろから掴んだ手があった。

「ここまでだ、茜。いい加減観念しな」

「ぁ……」

当時、茜には恋人がいた。だが、その恋人というのが絵に描いたようなヤクザの下っ端で、仕事でヘマしたそいつが担保として用意していたのが恋人の茜だった。なにせ初めて会った時それほどの衝撃を受けるほどの美女だった茜さんだ。情婦として売りだせば忽ち金の成る木になることは想像に難くなかった。

「早く来い! これ以上親父を待たせると俺もやべぇ」

「いや……やめてーーぐぶっ」

鈍い音が鳴り、近くを歩いていた数人が奇異の視線を向けた。嫌がる有斐さんの腹に男が拳を食い込ませたのだ。

「手間取らせんな。お前は俺の女なんだから逆らうんじゃねぇ」

「やめな」

「ーーあ?」

自分の女と称した有斐さんを背に隠すように立った青年をみて、男は胡乱げな視線を向けてきた。

「横から首突っ込むのも悪いが、女に手ぇ挙げるとは穏やかじゃねぇな。こんな良い女のすることの一つや二つくらい笑顔で許すのが男の度量ってもんだろ」

いくら有斐さんが絶世の美女とはいえ、普段の俺ならこんな面倒そうな事には絶対関わろうとしなかった。しかし、繰り返すがその時の俺は酔っていたし、今となっては恥ずかしいばかりだか、その衝撃的な出会いに、俺は有斐さんと運命のような物を感じていた。まあそれもこの一瞬だけで、翌日目を覚ましたら物凄い自己嫌悪と二日酔いで頭を痛ませたが。

まあとにかく、向こうからしたらいきなり見ず知らずのガキが酒臭い息を吐きながら一丁前の口を利いてきたのだ。みるみる顔が紅潮して震えだす。

「ガキは黙ってろや!」

「男なら女守るために拳握れや!」

「ぶおッ!?」

一馬の臭い受け売りを叫んで男に加減の利かないワンツーを繰り出したそのときの俺は、今までの短くない人生の中でも一二を争う黒歴史の一つだ。しかし、有斐さんにはそれがどうやらお気に召したらしい。即効で伸びた男をそのままに、俺が有斐さんの手を引き歓楽街を抜けたところで、有斐さんは背中から俺に抱きついてきた。

「……ありがとう、本当に……怖かった……」

腹に回った腕は小さく震えていた。

このときばかりは一馬の口車に乗っかって良かったと心の底から思った。ただ、そのときはそれで満足してしまってその後の行為に及べなかったことは今となっては後悔の念しか浮かばない。

落ち着いた有斐さんから事情を聞いた俺は、そこで戻るに戻れないところまで首を突っ込んでしまったことに気づく。一度首を突っ込んだなら最後まで責任を持て。まだ一馬の教えを嫌々ながらも極力守っていた俺は、それから有斐さんと関係を持つようになったーー。




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