第17話 七畳間の騒乱
途中出くわした感染者は、俺、岡崎、王馬で倒した。
何度か危ない場面もあり、俺が助けることも出来たが、勝手に死んでくれるなら楽だと助けられないふりをしたのだが、残念なことに二人は協力してその困難を脱出、結局誰も犠牲にならずにここまで逃げてきてしまった。
俺の実力についても、単身で岡崎たちを助けに行った時点で既に隠しきることは不可能だった。そのため、せめて『大した戦力にはならない大人』から、『棒という武器があれば強い』程度に認識させるよう方向転換を試みた。
「――それじゃあ八代さんは、学生の頃は槍術を習っていたんですか?」
「うん、意外でしょ? まあ、二年くらいで辞めちゃったから、大してすごいことも教えてもらってないんだけどね――」
「そんなことないですよ! こういう状況ではすごい心強いです!」
かくしてそれは成功したようだった。目を輝かせる王馬を見て、俺は苦笑を浮かべる。
俺たちがいるのは、学校から五分とかからない公営住宅の一つだ。部屋の主人は不在だったらしく、確認したが部屋の中には誰もいなかった。
今後の方針について話し合うため、俺たちはリビングに集合した。七畳程度のリビングに八人は流石に狭かったため、俺は前もってそそくさとキッチンに退避していた。
すると不意に横から圧迫感。見やると先ほど倉庫で助けた女が体を寄せてきていた。
「……狭いんだけど」
「一人だけ台所に逃げといてよく言う台詞ね。私だって狭いのは御免よ」
澄ました顔で告げる女の顔を横目で盗み見る。やっぱりコイツも中々に上玉だ。まあ、あの人とはタイプが違う、クールビューティーって奴だがな。
そのクールビューティーな女は視線をリビングから動かさないまま口を開いた。理知的な、冷たいようにも聞こえる声音だ。
「ねえ、あなた名前は?」
「……八代。八代智也」
「そう、私は神城(かみじょう)灯よ。助けてくれてありがとう。これからよろしくね、智也くん」
「……ああ、灯さん」
俺は隣の女に顔を向けた。
灯は相変わらずリビングに目を向けていた。その横顔からは、何の感情が読み取れなかった。
――表面通りに受け取れば、俺に恩義を感じてるように聞こえるが……。
そこで不意に名前を呼ばれた。首を巡らすと岡崎と視線が絡む。
「そろそろ今後について話し合いたいんですけど、いいですか?」
「おいおい、別に僕はリーダーというわけじゃないんだ。いちいち僕に了解なんて取らなくていいよ」
「いえ、正直さっきも八代さんが助けにきてくれなければだめだったかもしれません。僕としては、出来ればこれからは八代さんに仕切ってもらいたいのですが――」
「いやいや、それならもっと相応しい人がいるだろう? ――ね、岸本さん?」
「――ッ!」
俺が壁際に座っていた岸本さんに声を掛けると、奴はびくりと肩を跳ねて、驚いたようにこちらを見た。
「岸本さんは警備班の班長だってやっていたし、同じ班長だった岡崎くんよりも歳上だ。ここは岸本さんに任せるのが妥当だと僕は思うよ?」
「や、八代さん……。それはそうですけど、岸本さんは……」
「…………」
岸本が視線を外に投げ、王馬が慌てて俺を制した。
ここまで来る途中で聞いたが、この岸本は感染者が学校に雪崩れ込んだ時、奥さんと娘を真っ先に喪ったらしい。最愛の家族を目の前で喰い殺されるというのはかなりのショックだったようで、本来なら岡崎たちを先導する立場にあるはずが、今はすっかり生気を失い、彼の丸まった背は、まるで薄紙のように厚みを感じなかった。
「あっ……すみません、僕は何て無神経な発言を……」
俺は神妙な顔で頭を下げる。まあ勿論わざとだけどな。野暮ったいおっさんであろうと、やはり他人の絶望した顔を見るのは心地良い。
ふと、こめかみの辺りに視線を感じた。顔を上げると、灯がじっとこちらを見つめていた。その瞳はまるで俺の心を見透かしているみたいで不愉快だった。
その視線から半ば逃げるように、俺は言葉を紡ぐ。
「……しかし、それでもやっぱり僕はリーダーには就けないよ。僕にはこれからやらなくちゃいけないことがあるからね――」
「八代さん、それってやっぱり……」
「ああ、道野さんと有斐さんを探しに行くよ」
俺の発言に岡崎と王馬だけでなく、その場にいた全員が表情を暗くする。自分たちを助けてくれる側の筆頭であった道野が、よもや人質まで連れて真っ先に逃げ出したのだ。警備班だけでなく、一般の避難者の落胆も大きい。
「八代さん、気持ちは分かりますが、それはいくら何でも無謀です。外には感染者が数えきれないくらいいるのは食料調達に行ったあなたが一番よく知ってるはずです」
「――そ、そうよ! 食糧、食糧はどうだったの!?」
そこで今まで黙っていた一般避難者の四人のうち、サイドテールの少女が素っ頓狂な声を上げた。顔にはあどけなさが残り、まだ中学生くらいに見える。彼女は何かを期待するようにその瞳は欲望に濡れている。
「……悪いけど、食糧は入手できなかった。目的地に向かう途中で感染者の群れに遭遇。皆散り散りになって逃げたけど、避難所に戻ってこれたのは僕だけだったんだ……」
「そ、そんなぁ……」
少女が萎むようにへたり込む。同じ一般避難所の老夫婦のばあさんが少女の背中を擦るが、前髪から覗いた俺を見る彼女の瞳は、能無しを見るような失望の眼つきだった。
うん、あのサイドテールは今度遊んでやろう。
「……悪いけどね、岡崎くん。危険なのは承知の上さ。それでも、少しでも可能性があるなら、俺は有斐さんを助けに行きたいんだ」
「八代さん……」
改まってそう告げると、岡崎は困惑と同情の念を浮かべた。気持ちは分かる、しかし行かせたくはない、と言ったところか。王馬もそうだが、大抵お人好しだね、こいつらも。
「そ、そもそもなんでこんなことになったのよ! 警備班とかいう大人たちが校門を見張ってたんでしょう! 何で体育館にあいつらがやってきたのよ!」
サイドテールが親の仇でも見るような目で俺を睨みつける。胸にわだかまるストレスを誰でもいいから発散させたいといった様子だった。
その態度にはイラッとしたが、俺も訊きたかった事があったので、真面目に答えてやることにした。
「それに関しては警備班の落ち度だ。申し開きのしようもない。が、僕もそれについてきになっていたことがある。岡崎くん、何故こうも容易く感染者を、よりにもよって体育館に、侵入を許したんだ。仮に校門か裏門が突破されても、事前に避難者を誘導できるよう連絡網も作っていたはずだ。だが、話を聞けば、感染者は完全な不意を突く形で体育館に登場した。それは何故だったんだい?」
「それは……八代さん。二日前の定期連絡の後、体育館近くの水飲み場を水浸しにした人を覚えていますか?」
記憶を探ると、確かにそんなことあったと頷く。大したエピソードでは無かったにも関わらず、すぐに思い出せたのは、あの時、俺も嫌な予感が胸をよぎったからだ。
「実は、あの人が夜中に感染者になって、周りの人を襲ったんです。そちらの伊藤さん夫妻が、あの人の近くにいたそうなので話を聞いたんですが、どうやらあの人、避難所に来る前に、その……、感染者の血を飲んだらしくて」
「はぁ?」
思わず素で訊き返してしまった。幸い、周りは特に気にした様子もなく、岡崎も話を続ける。
「予想外でしたよ。まさかそんな方法で感染するなんて……。多分何らかのアクシデントだったんでしょうが、外ばかり警戒していた僕たちは対応に遅れ、結果、この始末というわけです」
「なによそれ、それじゃあ結局アンタたちのせいじゃない!」
ここぞとばかりに喰いついてきたサイドテールを、流石に王馬が窘める。
「お前、それは流石に筋違いだろ。俺たちだってみんなを護るために必死に――」
「そう言って結果的に護れてないじゃない! 口だけならなんだって言えるわよ!」
「ッ! こいつ……」
ただでさえ重たかった雰囲気が、更に剣呑な雰囲気へと変わる。いいねぇ……、いっそここで殺し合いでもおっぱじめるか?
「――あなた、今の状況が分かってるの?」
一触即発の空気の中、沈黙を破ったのは誰であろう隣の女だった。
矛先を向けられたサイドテールは、予想外のところからの言葉に、瞼を数回瞬かせた。
「え……ど、どういう意味よっ!」
「もうここは以前のような世界じゃない。法も秩序もない弱肉強食の世界よ。ここでは何よりも集団意見が優先される。つまり分かりやすく言えば、集団を乱す者は疎まれるということよ」
「――ッ!」
「神城さん! そんな言い方は……ッ」
灯の言った意味が理解できたのか、サイドテールは顔を強張らせ、岡崎は渋面を作る。
灯はつまりこう言いたいのだ。あまり孤立すると、切り捨てられるぞ、と。
サイドテールが周りをキョロキョロ見渡し、自分を見る人たちの表情に気づく。彼女の顔はみるみる蒼白になり、怯えるように膝に顔を埋めた。
「ごめんなさい。けど、こうでも言わなきゃずっと話が進まないと思ったから。それより、早くこれからの指針を決めましょう」
「……確かに、それは最もです」
灯の淡々とした言葉に、岡崎も不承不承と言った感じで頷く。俺も、灯の歯に布着せない物言いには驚いたが、この現実主義的な考え方は嫌いではない。コイツはあれだ。料理する時とかも分量をレシピ通りにしないと気が済まないタイプだ。
「それじゃあ話を戻しましょう。八代さんは結局、どうしても道野さんたちを捜しに行きたいんですね?」
「正確には有斐さんを、だけどね」
「――お、俺も行きます!」
突然裏返った声で手を挙げたのは岡崎の隣に座った王馬だった。
顔を紅潮させ、挙げた手がぶるぶると震えているのは恐怖のせいか。それでも瞳だけはまっすぐに俺を射抜いていた。
どんなに言い繕っても、外道であることには違いない俺だが一馬の影響か、こういう気概のある奴は嫌いじゃない。だからこそ、俺もまっすぐ王馬を見つめ返し、ハッキリその事実を口にした。
「――付いてくれば、死ぬよ」
「……ッ! 死にません!」
てっきりそれも覚悟の上だとか言うのかと思ったが、予想の斜め上を行く答えが返ってきた。大した根性だ。今のは純粋に感心した。
しかし、その気概に水を差す者がいた。
「和彦。悪いけどそれは認められない。八代さんが行くっていうなら、俺たちだけでここにいる人たちを護る必要がある。和彦まで抜けるなら、俺一人で護れって言うのか」
「……ッ」
岡崎の言い分は最もだ。やはりコイツは頭が切れる。後々色々勘づかれる前に消す必要があるかもな。
しかし、そこで手を挙げた人物に、今度こそ俺は瞠目した。
「じゃあ、私が付いて行くなら問題はないかしら?」
「灯……!?」
皆が驚く中、灯だけは当たり前のように平然としている。そこに王馬の時のような恐れや気負いはまるでない。
「待ってください。それは戦力云々以前に、八代さんの、その」
「足手まといになる、っていいたいの? そこは大丈夫よ。いざとなれば私は置いて行ってくれて構わないから」
しばし眉間を指で押さえ、俺は訊く。
「待て。そもそも君はどうして、そこまで俺にしてくれる?」
「決まってるじゃない。あなたが命の恩人だからよ」
「……」
確かに、理屈としてはおかしくない。だがなんだ、この引っ掛かる感じは。
俺が灯の真偽を見極めようと口を開きかけた時、外から小さな音が聞こえた。
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