第25話 シンパシー
「ちーす。お食事は配り終えたっすかねぇ」
そのとき、入り口から新たに人影が伸びてきた。ツンツンに逆立った髪型。ウルフヘアの少女だ。
「うわ、ていうかやっぱここ臭すぎ。よくこんなところでご飯なんて食べられるっすね」
「ここに監禁してる本人がよく言うぜ……」
俺が自嘲気味にそう言うと、ウルフヘアはこちらに向かって歩いてきた。
何事かと訝しんだとき、彼女は腰から警棒を取り出し、瞬きする暇もない速さで俺の横っつらを思い切り振り抜いた。
「づっ!?」
「智也さん!?」
口の中で骨の軋む音が鳴り、視界がチカチカ明滅する。一秒でも歯を食いしばるのが遅かったら歯の何本かがお釈迦になっていた衝撃だ。
「お、よく歯取れませんでしたね。『教育』ついでに二、三本はもってくつもりでやったんすけど。これは教育のしがいがありそうっすね」
「お、お前! 何てことを――ごふゅ!?」
「うるさいっす」
顔色を真っ青にしながらも、王馬がそう食って掛かった瞬間、奴の顔にもウルフヘアの警棒がめり込む。ミシリとこちらにまで聞こえてきた骨の折れる音。あれは鼻の骨いっちまったかもな。
「あがあああああああ!! ぱがっ!?」
「だからうるさいですって」
激痛に悲鳴を上げた王馬に更に激痛を与えて黙らせるウルフヘア。体調を崩している状態で二度も殴られた王馬は気絶したのか起き上がる気配は無い。
「あのですね、皆さんもう少し自分の立場を考えた方がいいんじゃないっすか。自分は姫路先輩と千羽先輩以外で、唯一奴隷の生殺与奪の権利を持ってるんすよ。あんまり舐めた口きくとこれでアンタ等の口内吹っ飛ばしますよ」
『ッ!』
そう言ってウルフヘアが取り出したのは漆黒の拳銃だった。銃には疎いためよくわからないが、テレビドラマなどで警官が持っているタイプと同じように見える。
「――やめて」
「およ?」
銃という絶対的な死の象徴に全員が固まる中で、立ち上がったのは灯だった。そこには、以前大学で見たような感染者に震える彼女の姿はなかった。
「彼等は奴隷になる代わりに命の保証だけは約束されたはずよ。それをあなたのどうでも良い気まぐれで破るのはおかしいわ」
「それを言うならおかしいの灯さんの方っすよ。何で女性のあなたがそんな奴らを庇うんですか」
ふとウルフヘアがこちらを一瞥する。その顔は緩められていたが、瞳には俺たちへの確かな殺意と嫌悪感が宿されていた。
「これだけは言っておくっすけど、ここにいる自分ら全員が姫路先輩と同じ考えとは思わない方がいいっすよ。中には、男を庇う灯さんを今すぐ『処分』した方が良いって思っている娘も少なくないんすからね」
「ええ、分かってるわ」
ウルフヘアの脅しにも、灯は鷹揚に頷いた。そしてチラリと俺を一瞥した。
「……相当その人に入れ込んでるみたいっすね。まあ、自分はそこまで過激派じゃないんで別に良いんすけど。じゃ、自分は部屋の外にいるんで、食事と掃除が終わったら呼んで下さいね」
ウルフヘアが肩を竦めると、途端に張り詰めていた空気も弛緩する。
ヒラヒラと手を振って彼女が部屋を後にすると、誰からともなく溜息が出た。
その後は急かされるように灯と女たちは部屋の掃除を始めた。暗闇によって隠されていた部屋の匂いの根源を見た女たちは一様に顔を蒼白にしたが、嘔吐(えず)きながらも、誰もやめようとはしなかった。
やがて部屋中にまき散らされていた汚物は片付けられ、饐えたような匂いもかなり緩和された。
それを入り口から眺め、感心したように頷いたウルフヘアは、
「ほあー。だいぶマシになったっすねー。おじさんたちは良い奥さんをもらったもんですねー」
と言った直後に、
「今度は綺麗に使わなきゃ駄目っすよ?」
と悪戯っ子のような顔で付け足した。何が綺麗に使えだ。大方、トイレにすら連れて行かず、ここに隔離していたのだろうに――。
ぐるりと部屋の中を見渡し、満足気に頷いたウルフヘアは腰に手を当てた。
「それじゃあ皆さん食事も終わってるようですし解散としますか。ほら、灯さんたちも戻るっすよ」
「も、もう少しだけ時間を」
「――くどいっすよ。二度も言わせないでほしいっす」
ウルフヘアの顔から表情が消える。声が一段低くなった。ゾワリ、と一瞬心が掻き立てられる。
「……分かり、ました」
女の一人が頷いたことで、他の女も名残惜しそうに部屋から出て行く。灯りが部屋を出る前にこちらを振り返った。
「……必ず助けるわ。だから諦めないで」
やがて全員が退出したところで、残った女、ウルフヘアは手に持っていた空のペットボトルを投げた。
「就寝前と朝食前に、見張りの子がここに来るので、トイレはそのときにでもしてください。我慢できなかったらそれでも使ってどうにかしてください。奴隷の生活環境は清潔さを保つよう、先ほど姫路先輩から言われました。これを守れなければあなた達の命も保証しないのでどうかそのおつもりで――それじゃ、明日は朝九時からお仕事なのでそのつもりでお願いしますっす!」
調子を戻したウルフヘアは扉に手を掛けたところで、
「――蛇足ですけど、ちなみに自分は早川知世って言います。一五七センチ、四十七キロ、歳はピチピチの十五歳。――趣味は人を痛ぶること、またはそれを鑑賞することっす。あなた達が来る前にももう少し人はいたんすけど、二日くらいで『壊しちゃった』んで、皆さんは長持ちするよう祈ってるっす♪」
てへぺろ、という感じでウルフヘア、もとい早川はポーズを決めると、今度こそ、この場を去っていった。
あまりの鮮烈な自己紹介に、最初は誰も口を開けなかった。
やがて、恐る恐ると言った様子で、岡崎が虚空に問いを投げかける。
「えと、今の娘が言っていたことは……」
「――本当だよ。俺たちが入れられた時、ここには他にもう何人かいた。全部あのイカレ女に殺されたけどな」
答えたのは先ほどとは違う、粗野な男の声だった。忌々しいと言った感じの男だったが、その言葉の裏に早川への確かな恐怖があるのを俺は見逃さなかった。
そこで奴隷の男の一人が、「明日も仕事があるから」と締めたことで、全員が雑魚寝になり、目を閉じた。誰も、岡崎ですら何も喋らず、すぐに寝息が聞こえてきた。思うことは全員あったのだろうが、身体が休養を欲していた。すぐに深い眠りに落ちてしまうくらいには、俺たちも疲れていた。
ゆっくりと睡魔が落ちてくる中で俺は明日に思いを馳せる。だがそれは、決して他の奴らのように暗いものではない。むしろ明日何が起こるのか、少し期待している俺がいた。
「趣味は人をいたぶること。またはそれを鑑賞することっす」
先ほど早川が話したことを思い返す。あいつはどんな方法でここに今はいない奴隷を殺したのだろうか。姫路を俺の物にするのも楽しみだが、奴とも気が合いそうだ。気が向いたらペットにでもしてみようか。
まるで遠足を待つ子供のように、俺は微睡の中で意識を手放した。
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