第24話 家畜小屋  2

「……大変なことになってしまったな」

「そうですね……大丈夫か、和彦」

「ぐ……ふぐ……」

 岸本が途方に暮れたように嘆息し、岡崎が同意を示す。あと王馬、えずくのが良いが、絶対にここでは吐くなよ。ただでさえ糞みてぇな匂いのするこの部屋が益々酷ぇことになっちまう――。

「――アンタたち、新しくここに連れてこられた人たちかい?」

 黒一色の視界の中、突然部屋の奥の方から枯れたような声を掛けられる。周りの奴らは驚いたように息を呑んだが、俺は入った瞬間からそいつらの存在に気づいていた。隙間風みたいな弱い息遣いが聞こえてたからな。

 岡崎たちは警戒するように口を噤んでしまったので、代表するように俺が闇に向かって問いかける。

「……あなたたちは?」

「私たち君たちより前に連れてこられた男、言ってしまえば先輩の奴隷さ。――ああ、まだそんなに若い人もいるなんて。奴らには本当に人の心が無いのか……!」

 その言葉から、どうやら向こうからは俺たちの事が多少なりとも見えているらしい。まあ、ずっとこの暗闇の中にいるのだから有りえなくはないか。幸い、扉の隙間からほんの僅かだが光が漏れているお陰で、段々と近くの物の輪郭だけは見えるようになってきた。

「……申し遅れました。僕は八代智也と言います。よかったらここについて何か教えていただけませんか? 僕達は元々避難所に指定されていたここを目指してやってきたところをいきなり彼女たちに襲撃されまして、何が何やらほとんど分かっていないんです」

 ほとんど分かっていない、というのは嘘だ。先ほどの体育館の一件で、奴らに何があったのかはおおよそ検討がついている。それでも、それを裏付ける確証と、少しでも利用できる情報がないかを探るため、俺は疑問を口にした。

「……私たちも元々は、避難所に指定されていたここに避難するためにやってきた。インフルエンス・パニックが発生して数日のうちは自宅に立てこもり、近所の人たちと食糧を分け合いながら過ごしていたんだが、それも限界が来てね。何とか必死に桜坂高校までたどり着いたと思ったら既にこの有様だった。大人がほとんどいないし、男性に至っては一人も見当たらなかった。拘束された私たちはやがて髪の赤い少女の言う『審判』とやらを受ける羽目になり、そこで独り身だった男は殺され、家内や娘を持っていた私たちは、家族の安全の代わりに奴隷行きさ」

 そう言って闇の中、男は湿った溜息を吐いた。魂までも抜け落ちそうな、深い溜息だった。

 やがて鮮明になってきた視界の中で溜息を吐いた男の『欠損した』身体を見たとき、俺は妙に納得した。あの深い溜息は人生を既に諦めた者のだったなら理解できる。

 ――まあ、おおよそ予想通りだったな。

 大して驚くこともなかったが、他の奴らにとっては違ったらしい。暗闇の中で男の姿を確認した者の喉から引き攣った悲鳴が漏れ出た。

「ね、ねえ、変ですよ。あなた、右腕が短すぎじゃないですか……?」

「そんな、まさかここまでするなんて……、一体どうして………」

 王馬が茫然とし、岡崎が声を震わせて疑問を口にする。背後でぺたんという音が聞こえた。岸本さんが腰を抜かしたらしい。

 おいおい、そんなんでこれからやっていけんのかよ――。

「腕は奴隷になってすぐに切り落とされたよ。反抗的な態度を取った罰と、周りへの見せしめの意味を込めてね。碌な医療器具もないからね、私はもう長くはないだろうね――」

「……ッ、どうしてこんなことっ! やっぱりあいつら狂ってますよ!」

 我慢ならんとばかりに叫んだ王馬の声が部屋に木霊する。幸い、外には聞こえてないだろうが、あまり勧められる行為じゃない。

 事実、男も力のない声で王馬の軽率な行動を諫めた。

「私のようになりたくなければ、今後は彼女たちに反抗的な姿勢を取ってはだめだ。奴らは私たちを同じ人だとは思っていない。早ければ明日にはその意味も分かるだろう。何をするにしても今日はもう休でおいた方が良い」

 なまじ死期を自覚しているせいか、男は冷静で、言動は理に適っていた。

 俺もやんわりと男の言葉に同調し、とりあえず適当な所に座り込む。埃っぽく、糞尿がそこらじゅうに垂れ流されているであろうここには、あらゆる細菌が蔓延してるだろう。いくら感染者に対しては無敵だろうと、それ以外は一般の人間と変わらない身体だ。自分だけでもなるべく清潔を保った方が良いだろう。

 今日は華和小学校に行ってからまさに激動の一日だった。少しでも休もうと俺が目を瞑った時、ゆっくりと部屋の扉が開いた。

 突然差した光に目を細めると、やがて心配そうな声が聞こえてきた。

「智也……皆さん……無事ですか?」

「灯……どうしてここに」

 光を背負ってやってきたのはあれから散り散りになっていた灯だった。

 やがて目が慣れてくると、灯の顔が真っ青になっているのが分かる。それはこの部屋の匂いのせいか、奥で横たわる男たちのせいか。

 とにかく、灯は桃色のトレーに缶詰を乗せてこちらにやってくると、その缶詰を一つ渡した。

「あの千羽って人の命令で、私が皆の身の回りの世話をすることになったの。私の他にも、ほら、ここにいる人の家族もそれに選ばれたわ」

 見れば、入り口から二、三人の女が入ってきて、奥にいる男達に駆け寄った。おそらく家内か何かなのだろう。

「あんた! こんなになっちまって……ぐずっ」

「おぉ、痩せたなぁ幸子……」

 瀕死の夫に駆け寄り涙を流す女。感動的な場面だが、女がもう少し若ければ見栄えもあったろうな。あんなオヤジとババアの三文芝居観ても何も興奮しねえよ。

 そこで頬の辺りに視線を感じ振り返る。灯は王馬や岸本にも缶詰を配りに行っている。気のせいだったか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る