第40話 最後のゲーム

Side 和彦

 グラウンドの中で、和彦は一体の感染者と対峙していた。

「ハッ、ハッ……このぉおおお!!」

「キガハ!?」

 和彦のありったけの力を込めたスイングは、感染者の顎を破壊し、顔面を歪な形に変形させた。だが、それでも感染者は止まらない。

「ぐぉ!?」

 感染者の振るった爪を躱し、慌てて後退。それを追うように感染者が突進してきて、和彦は吹っ飛ばされた。

 悲鳴を上げる暇もない。バリケードに背中からぶつかり、肺から息を絞り出される。見ると、防御した金属バットは、僅かに凹んでいた。

「ヒャァアアアアア!!」

 入れ歯でもなくしたような間抜けな声だが、迫ってくる感染者は脅威そのものだ。

 今の突進で肩でも脱臼したのか、どこか不格好に走ってくる感染者を、和彦はギリギリまで引き寄せる。そして、感染者が手の届くところまで来た瞬間、横に転がって感染者を躱した。

「ヒャァアアアアア!!」

 見ると、感染者の振るった腕は、バリケードの鉄柵を易々と貫通していた。

 それゆえ、なかなか腕が抜けずにもがく感染者の後頭部に、和彦はバットを振り下ろす。頭蓋骨が陥没し、断裂した皮膚から血液が滴り落ちる。今度こそ、その感染者は永遠の眠りについた。

「ハァハァ……っぐう……ハァハァ」

 感染者がもう動かないことを確認した和彦は、バリケードによりかかる。今までにないくらいの量の感染者との連戦で、既に満身創痍だった。

 和彦の眺めるグラウンドの一帯では、まだ感染者と人間の闘いが続けられていた。

 和彦たちが本格的に戦線に加わり、それから数分とかからずにバリケードの一部が突破され、そこから湯水のように感染者が侵入し、グラウンドが戦場と化すまで大した時間はかからなかった。

「このぉ! ……ッ! うびょごぉ!」

 薙刀を持った女子の腹に、感染者が直接手を差し込む。そのままグルグルと手をかき混ぜ、引っこ抜いた感染者の手には、少女の様々な臓物が握られていて、それを喜々とした様子で頬張っていた。

「ダメ……いや、ぐぶふぅうああああああああああああああ!!」

 グラウンドの端で感染者に囲まれたのは槍術部の少女だ。

 一斉に群がってきた感染者に、少女は断末魔の声を上げた。助けにもいこうにも、もう手遅れだ。

 だが、こちらが明らかに劣勢というわけでもない。

「みんな伏せて!」

 屋上から掛け声と共に、いくつもの弓矢が感染者に降り注ぐ。

 それらは殺傷力こそ低いが、確実に感染者だけに命中し、僅かにだが行動を阻害する。

 そこに静香や玲子といった得物を持った集団が一斉に襲い掛かる。

「ハァッ!」

「このぉ!」

 それぞれ裂帛の気合と共に得物を突き出し、感染者の目や口といった柔らかい部分に攻撃を浴びせる。そこに殺傷力の高い刃物を持った女子がトドメを刺す。

 個対個で挑めば勝ち目は薄いが、集団戦になればその限りではない。勿論、先ほどの人たちみたいに集団からはぐれたり、突然集団に飛び込んでくる個体によって被害は出るが、最小限にはとどめることは出来ている。

「――和彦!」

 新たに集団からはぐれた者、つまり和彦を狙ってやってきた感染者一体を横合いから突き飛ばし、俊介がやってくる。和彦が多少無茶して飛び出しても、俊介がフォローにまわって事なきを得ていた。

「お前が助けた女の子がありがとうだってさ。けど、和彦をフォローする俺の身にもなってくれよ」

「それは本当に感謝しかないけど……悪いけどまた付き合ってくれ!」

「――あ、おい!」

 再び集団からはぐれた人を見つけて和彦は走り出す。あの娘はまだ間に合う。

 和彦は、感染者の背後から、思い切りバットを振り下ろした。




「ハァハァ……今ので最後か……?」

「はい……おそらくは……」

 声の疲労の色を滲ませて聞いてくる玲子に俊介が頷く。

 周りには、数えきれないくらいの死体が転がっている。その中には見知った人物もいたし、それがやがて動き出して自分たちを襲うと考えると寒気がした。もし俊介が感染者になったとき、殺すことが出来るだろうか。

 やがて校舎の中から屋上にいた人達もやってくる。その数が思ったより少ないことに、和彦は戸惑いを覚えた。

 そこで気づいた和彦は生き残ったメンバーを見渡して、下唇を噛んだ。

 集まってきた人の中に、灯さんの姿はなかった。

「校内でまだ生きてるのは私たちだけよ。……他は全員、校舎に入ってきた感染者にやられたわ」

「そうか……」

 和彦たちの意図を組んだようにそう説明した弥生の表情は暗い。肩を落とした玲子は、周りに立つ人たちを指さしながら数えた。

「六、七……八人か。五十人近くはいた筈なんだけどな……」

 和彦は闘いが始まる前、八代さん……八代が言っていた台詞を思い出す。確か、四十九。それがここにいる生きた人間の数だったはずだ。今、ここにいるのは和彦に俊介、玲子と静香、弥生、葉月、そして弓道部と槍術部から一人だけだった。

 ……いや、待てよ。ここにはいないが、違うところで闘っていた仲間がいたではないか。

「ッ――姫路、姫路と千羽はどうしたんだ! あの二人は、直接八代さ……ッ! 八代と闘っていたはずだ!」

「そ、そういえばそうだ! 神奈様は! 弥生たちは屋上から見えなかったのか!」

 玲子が問うと、弥生は泣きそうな表情になった。

「……咲と神奈様は、あの男に体育館に連れ去られたわ」

「は? ……嘘だろ!」

 信じられないと玲子が弥生に詰め寄る。

 そこでポツポツと弥生が喋りだした内容に、和彦たちは再び口を閉ざした。

「私だってすべてを見ていたわけではないけど、神奈様たちは本当に良く戦っていたわ。それでも、あの男の強さは、本当に化け物みたいで……。それでも、最後は神奈様たちが勝ちそうだったの! けど、信じられないけど……最後にあの男が、は、早川って呼んで……、そしたらどこかから銃声が響いて、神奈様が」

 語尾は蚊の鳴くような声だった。

 沈黙が痛い。こんなところで突っ立っている時間はないというのに、誰も動こうとしない時間が続いた。

 グラウンドには濃厚な死の匂いが立ち込めている。月光が辺りを照らしているが、地に伏す仲間や感染者の表情までは見えない。そして、それに安堵している自分に気づき、和彦は死体から目を逸らした。

感染者を倒したとはいっても、いずれは今やられた仲間たちが感染者となり和彦たちを襲うのだ。本来ならすぐさまここから脱出せねばならない。だが、体育館に連れ去られた姫路と千羽はどうする。和彦としては助けたいが、もし二人が既に帰らぬ人となっていたら――。

 そこまで考えたとき、遂に沈黙を破る者が出た。

それは虚空に薙刀を振るった静香だった。

「――体育館へ行きましょう。神奈様を連れ戻しに。弥生の話が真実なら、まだあの外道は体育館にいるはずです。何の目的があるかは知りませんが、神奈様と千羽さんを連れ去った以上、二人がまだ生きている可能性は高い。罠である可能性は高いですが、あの二人を見捨てるわけにはいきませんし、何より……あの男が未だに生きていることに我慢なりません」

「よっしゃ、乗ったぜそれ!」

 静香の提案に即答で玲子が乗っかる。それを皮切りに、他の女子も概ね賛成の意を示した。

「神奈様がそう簡単に死ぬわけないよね! 弥生先輩、私たちも協力しましょう!」

「葉月……分かったわ。でも、相当危険よ。皐月も、それでも良いの?」

「はい!」「承知の上です」

「……そ。それなら私が止める理由もないわね」

「……で、お前らはどうすんだ? もうあたし達も無理に来いとは言わないぜ」

 着々と話がまとまりを見せる中、玲子が和彦たちに顔を向けた。

 和彦は俊介を見る。俊介は頷くと、ゆっくりと息を吸い、

「――勿論、俺たちも行くよ。けど、助けたまでで終わりじゃない。退路を確保する係と二手に分けよう」

 と言った。

 意外だったのか、全員が目を丸くして俊介と和彦を見る。

「……言っとくけど、お前らにとって姫路と千羽がすごい大事な存在なんだろうけど、俺たちにとってもあの二人はもう大切な“仲間”だ。仲間を出来ることなら助けたい。当然だろ」

 馬鹿にするなよ、と少し不貞腐れたように言った和彦に、やがて呆れ笑いが返ってきた。

「……はは、男のくせに格好つけやがって。後で逃げたいって言っても遅いからな」

「ふん、男だから格好つけるんだよ――」

 その後、手短に作戦を話し合い、やがて和彦たちは体育館へと赴いた――。




話し合いの結果、弓道部と槍術部の娘が一人ずつ、そして静香の三人が退路を確保するチームとして残ることになった。

「玲子、神奈様を頼みましたよ」

「ああ、任せとけ――」

既にグラウンドからは先ほどまで共に闘い、命を落とした仲間たちが、続々と感染者へとなり始めている。改めて心の準備などする時間も無い。

小さく頷き合い、すぐにお互い背を向ける。生きていればまた逢える。その為に、今は自分に任された仕事をするだけだ。

玲子は迷うことなく体育館の重い扉を開く。

 鉄製の扉がスライドし、僅かながら体育館の沈黙を破る。

 開けた瞬間いつ攻撃されてもいいように構えていた和彦たちは、警戒をそのままにゆっくりと辺りを見渡す。

「――よう。思ったより早かったな」

『――ッ!』

響いてきた声はステージの方からだった。

そちらを向けば、そこには朝までとは見違えるような雰囲気でこちらを見下ろす八代の姿があった。

その姿を見た瞬間、ああ、この人はやっぱりこれが本当の姿なんだな、と何故か妙に納得した。

見ているだけで全身の産毛が逆立ち、彼の瞳に捉えられると、金縛りにあったみたいに指一本動かせなくなりそうになる。姫路やモヒカン男と初めて相対した時も並々ならないプレッシャーは感じたが、八代から放たれるソレは他に追随を許さない。

八代はステージで椅子に座り、その隣には“はだけた”下着を身に纏った少女が猿轡をされて倒れている。その少女の赤い髪を見た時、空気を裂くような悲鳴が上がった。

「――神奈様ッ!」

「貴様ぁ!」

 状況を理解した葉月が悲鳴を上げ、激昂した弥生がその弓をつがえたところで手を止める。八代が、手に持っていたナイフを姫路の喉元に突きつけたからだ。

「あんまり下手な真似はしない方が良いぜ。うっかり手元が狂っちまうかもしれねえからなぁ」

「……下衆が! どこまで卑怯な手を使えば気が済むんだ!」

「はっ。何言ってんだ。お前らだって今まで似たようなえげつねえことしてきただろ」

肩から息を吐いた八代に、和彦は意を決して問いかける。

「八代さん。あなたはこれが望みだったんですか?」

「あん?」

 八代の視線が自分に注がれ、和彦は一瞬息が詰まりそうになる。すごいプレッシャーだ。

 それでも、和彦は喋る。これだけは、何があっても訊いておきたかったからだ。

「……俺たちはここで色々な辛い目に遭いました。人も死にました。八代さんが復讐に走るのも分からないわけではありません。けど――」

「和彦。お前の頭がお花畑なのは勝手だがな――てめえの価値観を俺に押し付けるなよ。そもそも今お前の頭の中にある道徳観念も、所詮は共同体で生きていくうえでの約束事にすぎん。共同体もクソも無くなっちまった今の世界で、道徳を説こうなんてのがそもそもの間違いなんだよ」

 その言葉に反論したのは俊介だ。

「八代さん。それは違います。こういうときだからこそ、生き残った俺たちは協力しなきゃいけない。生き残る為に人の命を奪うのは仕方ないかもしれませんが、今八代さんがやっていることは、犯罪です」

「――ぷ、ははははははは!! よりにもよって犯罪ときたか! 今、こんなになっちまった世界で! こりゃ傑作だぜ!」

「……ッ! 八代さん――」

「――ああ、もう面倒くせぇなあ。お前ら、もう黙れよ」

 八代の声が、一段低くなる。

 唸るように吐き出されたその一言で、俊介と和彦は、ぴしゃりと二の句を継げなくなった。

 外で遠吠えのような声が聞こえた。静香たちが戦っているのだろう。こっちも、ゆっくりはしてられないのだが、状況はそれを許さない。

「岡崎に、和彦。もう、いいじゃねえか。この後、俺はお前らを殺そうとするし、お前らだって俺を殺そうとするだろう? 殺るか殺れるか。それで全部で、それ以外ない。どのみち、もう話し合いに意味なんかねえよ」

「八代さん……」

 和彦の呟いた声に八代は薄く嗤う。やはりそこに、以前の和彦の知る八代智也の姿はなかった。

 視線を手元へと戻した八代は、そのまま姫路の身体をまさぐり始める。

「――ッ!」

 それで、今まで黙っていた玲子と弥生が激昂し、武器に手を掛けた。

「ああ、待て待て。そう殺気立つな。流石に今ここで一発ヤるほど俺も図太くねえよ。ただ確認したかっただけだ」

「……確認?」

 訝し気な声を上げた俊介に、八代は頷く。

「ああ。で、やっぱり予想通りだった。この女――姫路は、今までに感染者に噛まれたことがある」

「……は?」

 和彦の喉から気の抜けた声が出た。多分、周りも同じような反応だっただろう。

 しかし、次いで八代が意識のない姫路の身体を起こして、その箇所を和彦たちに見せた時、胡乱な声は悲鳴に変わった。

「なっ……」

「うそ……」

「感染者の……歯形……」

姫路の鎖骨の下あたり――白い大人しそうな下着のやや上のところには、今も痛々しく残る黒い歯型の傷があった。傷の具合からして、今さっき出来たというわけではなさそうだが……。

「ま、まさか神奈様が……。いや、しかし、神奈様に感染者の特徴は見られなかった……」

「まあ、そうだろうな。こいつに何があったかは大体想像がつく。これであの馬鹿力にも納得がいく。……内面については何ともいえんが、髪の色も確実にこれが影響してるだろうな。だが、感染者への不可視能力は早川が言うには持ってないらしいし、噛まれて無事でも、その影響には個人差があるのか? いや、そもそも参考になるのがまだ二人しかいないから断定は出来ないが……」

「――ごちゃごちゃと何を言ってる! 言っとくけど、これくらいであたし達が神奈様を裏切ると思ったら大間違いだぞ!」

「あー、いや、もうそういうのはいらねえから」

 八代はため息を吐くと、ステージを下りて歩き出す。

 何気ない行動であったが、すぐに和彦たちはそれに気づいた。

 八代は、人質を手放したのだ。つまりそれは、自分の絶対的アドバンテージを放棄したということ。罠という可能性もあるが、それにしても妙だった。

「ん、ああ、“それ”のことか。別に好きにしていいぞ。言ったろ? 俺は人質なんて取らねえってな」

 八代も、和彦たちの様子に気づくと、信じられないような事を言ってくる。

 玲子は弥生に頷くと、慎重にステージへと移動を始める。その間にも、八代は滔々と語りだす。

「その代わりって言っちゃなんだけどよ、一つ、俺とのゲームに付き合ってくれや。簡単なことだ。俺が死ぬか、お前らが死ぬかの簡単なゲームだ――」

 そこまで言って八代が足を止めたのは体育器具庫。八代は、ポケットに手をやると、中から鍵を取り出した。

「ふん、丁度良いわね。私もさっきから、アンタを殺したいと思っていたところよ」

 ステージ手前まで来て、挑発的に言った弥生だが、周囲に目配せして、姫路を助けたらすぐに逃げよう、ジェスチャーを送ってきた。和彦もそれが良いと首肯する。幸い、八代はこちらを見ていない。

「へぇ、じゃあ乗ってくれるんだな。そりゃよかった。これで、俺の下準備が無駄にならないで済むぜ――」

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