第41話 紅の瞳

 八代が取り出した鍵を体育倉庫の鍵穴に差し込もうとしたとき、玲子が一気に駆けだし、ステージへと飛び乗った。

 寝かされていた姫路を、玲子は大事そうに抱き起こし、猿轡を外す。

「神奈様、助けに来ました! 早くここから出ましょう!」

 和彦たちも急いでステージに陣取り、弥生と葉月は、八代に向かって弓を引き絞る。

 しかし、玲子の呆けた声を聞いた時、八代は小さく肩を震わせた。

「神奈様! ……くそっ、ダメだ。完全に意識を失ってる」

「くっ、しょうがないわ! 葉月、神奈様の護衛を! 他のメンバーで脱出の道を作るわよ!」

「了解です!」「わかった!」

 和彦が返事をしたとき、八代が大仰に手を広げた。

「――――さあ! それじゃ感動の再会もしたところで、最後の殺し合いを始めようじゃねえか!! お前らの最後の相手はコイツ等、お前らの大事な大事な仲間たちだぜ!」

 八代がそう言って勢いよく扉を開くと、中からぞろぞろと感染者が姿を現す。

 その姿を認めて、誰からともなく悲鳴が上がった。

「ッ! みんな……」

「ヴァアアアアアア……」

 その感染者たちは、全員自分たちの仲間であった者達だった。

 先頭を歩くのは、眼球が片方なく、腹から腸を飛び出させているサイドテールの少女。ここに来たとき以来、一度も会っていなかったが、まさかこのような形で再会することになるとは。彼女はよほどむごい殺され方をしたのか、彼女の手にも足にも、指が一本も残っていなかった。

 そしてそれに追随するかのように現れたのは、なんと先ほど別れたばかりの静香。何故こんなにも早く、と思ったが、彼女の身体を見て納得した。ほとんど皮膚が残っていないのだ。余りにも食べるところが残っていなかったせいか、彼女の頭頂部からはぶよぶよしたピンク色の物体が覗いていた。お嬢様という感じだったあの美貌は、最早見る影も無い。

 そして、次々と出てきた仲間たち――なぜか、自分たちと特に友好的だった人ばかり――の中で、最後に出てきた人物を見て、弥生が「はぁ」と悲嘆と絶望を交えた溜息を吐いた。俊介がその人の名前を呼ぶ。

「千羽、さん……」

「…………」

 大量の痛々しい傷を負った感染者の中で、千羽だけは、ほとんど生前のままの姿であった。ただ、致命傷となったであろう、征服の左胸部分に残る赤い血の跡は、刀によるものだろう。おそらく死の間際、自分の最期を悟った彼女は、持っていた自分の刀で己の命に終止符を打った。自害した者が感染者になるかどうかは賭けだったようだが、どうやら彼女は最後の最後でも天に見放されたらしい。

 結局、倉庫から出てきた感染者は十余人くらいだろうか。さっきからすすり泣く声が聞こえるのは葉月のものだろうか。数自体は先ほどグラウンドで闘った時の比ではないが、心に与えられたダメージも大きい。さっきの闘いでも仲間は沢山死んだが、今回はその中でもよく知る人物ばかりであった。連戦というのもあり、全員の疲労は、精神的にも肉体的にも、ピークに達している。

 八代を見ると、その和彦たちの様子を見て、何か期待するような笑みを浮かべていた。

 これが八代のやりたかったことなのだろう。和彦たちが失意と絶望の中で死んでいくこと。彼を、一体何がそこまでやらせるのだろう。最初は、姫路たちに、ただ復讐したいのだと思っていたが、多分それだけじゃない。八代が何を求めているのか、結局最後まで理解できなかった。

 それでも、まだ諦めはしない。

「――諦めるな! ここで死んだら、本当に全てが終わりだぞ! 静香や千羽、皆がここまで俺たちを生かしてくれたんだ。ここで諦めて死んだらそれも無駄になるし、何より八代の思う壺だぞ!」

「王馬……」

 和彦の叱咤で、いち早く前に出たのは、俊介だった。

「――和彦は好きに暴れてくれ。フォローは全部俺がする。それが全員の士気の向上にもつながるだろう」

「俊介……いつも、悪いな」

「いいさ。それで今まで上手く行ってきただから。今回も、お前と一緒なら、なんとかなる気がする。ははっ、何でだろうな」

「ははっ、何だよそれ」

 俊介に釣られて和彦も笑うと、その横に並んできたのは玲子だ。

「おしゃべりはそこまでだ。“奴ら”もそろそろ来るよ」

「玲子……」

「……初めてあたしを呼んだと思ったら呼び捨てかよ。ったく、なってない後輩だな。これが終わったら姫路様への口の利き方から教育してやるよ」

「……はい! よろしくお願いします!」

「――皆さん、来ますよ!」

 弥生の言葉通り、感染者がすごい速度で押し寄せてくる。ステージの上から弥生と葉月が弓を射て、何人か感染者の足を止める。

 いよいよ、本当に最後の闘いだ。

 戦意を奮い立たせ、雄たけびを上げようとしたその時だった。後ろから、聞こえる筈のない足音が聞こえた。

「…………え?」

 時が止まったように、まるで吸い寄せられるように、首が後ろに動く。


 そこには、しっかりとした足取りで立つ姫路の姿があった。


「ひめ……じ?」

「え……?」「神奈様……」「ああ、神様……」

 遅れて気づいたみんなが、それぞれ呟きをもらす中、姫路は悠然とした足取りでこちら、和彦の前へと迷いなくやってくる。

「え……おい、姫路……」

 やがて和彦の前で止まった姫路は、見上げるように和彦を見つめる。彼女の髪と同様、瞳も紅蓮のように真っ赤に染まっている。

 一瞬、何か違和感を覚えた。それが何か考えようとしたところで、後ろから足音がすぐそこまで迫っていることに気づいた。

 しまった、今はまさに戦闘に入るというところだった。きっと、それに違和感を覚えていたのだ。

 和彦が慌てて感染者に向き直ろうとした時、姫路にそっと、肩を掴まれた。

「姫路……今は後に……ッ!」

 名前を呼んで和彦は固まる。姫路は、そのまま瞳を閉じ、和彦へ頭を近づけてきたからだ。彼女の桜色の唇が迫ってくる。

 突然のことに和彦は、今の状況も忘れて硬直する。

「ひ、姫路ッ!? ど、どどどうしたんだよ!」

「か、神奈様!? 今はそれどころでは……!」

 もう少しで唇が重なる、というところで、姫路が突然止まる。視界一杯に映し出される姫路の相貌。さっきからどうしたというのだ。訳が分からない。

 姫路がパッと目を開いた。至近距離で視線がぶつかる。見る者を魅了する鮮烈な赤い髪と瞳。そして、また違和感。

 肩を掴んだ姫路の手に力が加わる。

そこまできて、やっと和彦は違和感の正体に気づいた。

「ああ……」

 口から諦観のため息が漏れた。そうだ、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。

 肩からブチブチと嫌な音が聞こえてくる。俊介が「和彦?」と視線を寄越してきたので、黙って首を横に振った。

 視線を戻すと、再び姫路と目が合う。吐息がかかりそうなほど近い距離。

 だというのに、彼女の方から息を吸う音は、全く聞こえてこなかった。


「そうだよ、姫路――お前が赤いのはその、綺麗な髪だけで、瞳はこんな、感染者と同じ色なんてしてなかったもんなぁ――」


「――キシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」

 姫路が――感染者が獣じみた咆哮を上げ、大きく口を開けたところで、和彦の意識は途絶えた。

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