第42話 その人の名は、

Side 智也

 和彦が死んでからはあっけないものだった。

「くそ! 離せ千羽! あんたはそんなことする奴じゃ、いや、やめ、あああああああああ!」

 突如陣形の中央に現れた感染者――姫路によって、勝敗は決まった。

 前衛にいた玲子と岡崎は、多数の感染者に圧倒された。千羽に組み敷かれた玲子は何か言っていたが、感染者となった彼女に届くはずがない。蜜に群がるかのように、彼女の足、腕、首、腹と、感染者に食いつぶされていく。俊介も善戦はしているが、時間の問題だろう。

 本来、その二人を援護する筈だった後衛の二人は、姫路によって早々に殺された。崇めていた彼女に喰われるなら彼女たちも本望だろう。

 ――ああ、満足した。

後は見ていてもつまらないし、帰るか。

「ッ……うおおおおおおおお!!」

「うん?」

 踵を返したとき、そこで不似合いな雄たけびが聞こえた。

 振り向くと同時に、後ろから迫っていた鉄パイプを握って止める。

「……タフだな」

「八代ぉ……!」

 体の至るところに赤い染みを作り、息も絶え絶えの岡崎が正面から俺を睨む。

 最後に残ったのはこいつだったか。

「お前は最初会った時から厄介な奴だと思っていたが……とんだ“期待外れ”だったな」

「畜生ぉおおおおお!!」

 いつも理性的な岡崎から想像できない、感情をむき出しにした雄たけびを上げ、後ろから迫っていた感染者に四肢を引き千切られ、岡崎は感染者の群れの中に消えた。

 それを醒めた表情で見届けた俺は、今度こそ体育館を後にした。

 咀嚼音が響く室内を出れば、打って変わって静寂に包まれる。

 外の感染者はあらかた片付けられたのだろう。死体の一つすらない校舎の様子は、インフルエンス・パニック以前の、真夜中の学校と変わりなかった。

 さて、それじゃあ早川と合流するか。

 そう考えたとき、ちょうどよく校舎の方から人影が現れる。早川だ。

「よう、静香たちの誘導、良く出来てたぜ。お陰で良いモンが見れた――」

「智也先輩」

「あ?」

 言葉の途中で俺を呼んだ早川は、いつもの、生意気な笑顔を作って首を傾けた。

「すみません。とちりました」

 パァン。

 乾いた音が学校の壁を反響して木霊した。

 ゆらりと揺れる早川。

 そのまま彼女は、地面に倒れた。

「――――」

 突然のことに理解が追い付かない。

 だから俺は、素直に“そいつ”に訊くことにした。

「……これはどういうことだ? ――灯」

 早川を撃った女――灯は、手にした銃を下げて微笑んだ。

「どう、愉しかった? 智也」

 まるで友達と遊んできた息子に問うように、灯は優しい声音で言う。

「……質問に質問で返すのは馬鹿と思われるからやめた方がいいって聞いたことあるぜ」

「知ってる。茜もよく言ってたもの」

「ッ――茜?」

 突如出てきた名前に、俺は久しぶりに動揺する。

有斐葵。長年俺が欲し、終ぞ手に入らなかった存在。彼女の名前が何故今になって灯の口から?

「有斐茜。姉さんなの。私の」

「――ッ!?」

「嘘じゃないわよ。証拠に、こんなことも知ってる」

 灯はそういうと、俺と有斐さんの出会った時の話をスラスラ話した。

 このことは俺と有斐さんしか知らないはずだ。そもそも、今灯がそんな嘘を吐く必要性も感じない。

だが、仮に灯が彼女の妹だったとして、そもそも、灯は一体何が目的なのか。そこが見えてこない。

「……確かに、その話は本当だし、仮にお前が有斐さんの妹だって信じても良い。それで、お前は一体俺に何の用だ? 俺の貴重な奴隷を殺しやがって。こんなことした俺への復讐か?」

「いいえ。そういうわけではないわ。ここにいた奴らの事なんか端から興味なかったもの」

 そこで灯はあの、影の濃い笑顔を作った。そこで俺は、しばしば感じていたこの表情への既視感の答えを知る。この笑顔は、有斐さんに似ているのだ。

「私が興味あるもの――――それはあなたよ、智也。今も、昔も。ずっとね」

「…………」

「あら、驚かないわね」

「知ってたからな」

「あら、それは恥ずかしい」

 少しも恥じらう素振りを見せず、灯は『嗤う』と、政治家さながらに両手を広げた。

「……実はね、今まで智也にずっと隠していたことがあるの」

「奇遇だな。それは俺もだ」

「ふふ。でしょうね」

 灯は微笑すると、物憂げな表情で前髪を横に流す。露わになった雪を想わせる透き通った美貌は、やはり有斐さんを連想させる。

「私ね、あの日、智也に学校で助けられたすぐ後、感染者に噛まれたの」

「…………」

 驚きはなかった。例えあの場で助けても、彼女が生き延びるとは限らなかったし、今それでも灯が目の前に立っている理由だってなんとなく理解できる。

「……つまり、お前も同類ってことか」

「ふふ、やっぱり智也もそうよね。あの教室で、智也が無事で済むわけないもの。……もう分かってると思うけど、感染者に噛まれるとごくまれに、私や智也みたいに自我を保ったまま身体に変異をきたすことがあるわ。例えば姫路さんなら髪色の変化、筋力の上昇。あとは微量の凶暴化くらいかしら。ここに来るまでに出会ったモヒカン男(へんたい)もそうね。彼はちょっと元々がアレすぎてよく分からなかったけど、痛覚の鈍化とかだと思うわ。智也はそうね……聴覚の鋭敏化とかかしら。微細な音を拾ったり、弓矢とかを見もせず避けるなんてそれくらいしかないでしょうし。――そして私。私は第六感、分かりやすく言えば本能的な危機回避能力の向上。覚えてるかしら。この学校に来るときやそれ以外の時でも、私が危険だって言った事は大体当たったでしょ?」

 確かにこれまで灯と行動を共にしたとき、灯は何というか、危機回避能力が高かった気がする。命運を分ける咄嗟の場面で、絶対に自分が生き残る選択をする、というか、これまで俺は『勘が良い』んだと思っていたんだが、今灯の言ったことが正しいなら、あれらは全て優れた直感による判断だったっていう事なのか。

「なるほどな。だが、本当に変化はそれだけか? もう分かってるとは思うが、今回のこれだって、復讐って名目の殺戮ショーだ。俺はただあいつらを絶望のどん底で殺したかっただけなんだよ。俺は狂ってる。それはあのモヒカンや、姫路だってそうだった」

「ふふ、流石ね。その通りよ。あなたが狂ったように、私にも、常人とは違う、頭のネジが外れた部分がある。それはね、智也――――――愛した者に対しての、狂気的なまでのカニバリズム」

 灯は謡うように言葉を紡ぐ。


「智也と目が合った人の目をくりとってやりたい、智也の声を聞いた人の耳を嚙み千切ってやりたい、智也に喋りかけた人の舌をねじ切ってやりたい、智也に触った人は全身の皮膚を剥いで和彦自身もぐつぐつ煮えたお湯に入れて消毒したい、智也の匂いを嗅いだ人の鼻をミキサーにかけてやりたい、智也の記憶にある私以外の人を全てを殺したい、智也に危害を加えた人にはこの世全ての苦痛を与えたい、智也が発した言葉全てをレコーダーに保存したい、智也が味わった物を全て完璧に感じたい、智也に笑いかけた人を殺したい、智也が笑いかけた人も殺したい、智也が表に出した感情は全て私に向けて欲しい、智也が流した涙全てを飲み干したい、智也を馬鹿にする人を自殺するまで徹底的に追い込みたい、智也の記憶を私だけにしたい、智也の視る世界を私だけにしたい、智也の食べた物だけを食べて生きたい、智也の考えた事全部を知りたい、智也の全てを知りたい、智也の髪の毛をパスタにして食べてしまいたい、智也が聞く音は全て私の声でありたい、智也の五感全てを私だけの物にしたい、智也の血を飲み干したい、智也の脳みそをストローで吸い取ってしまいたい、智也の皮膚を食べたい、智也の筋肉を細かく刻んでステーキにしたい、なんでステーキかって? 私の好物なのよ。智也の舌を食べたい、智也の胃腸を食べたい、智也の小腸を食べたい、智也の大腸を食べたい、智也の膵臓を食べたい、智也の肝臓を食べたい、智也の腎臓を食べたい、智也の肺を食べたい、智也の心臓を食べたい、智也の骨を食べたい、――――――――智也を食べたい」


灯は真っ白な肌を朱に染め、少しはにかんだ表情でこちらを上目遣いに見る。

それはまるで、愛の告白でもしたかのようにいじらしく、乙女な仕草だ。

「くっ、くくく」

「智也?」

「あっははははははははははははははははははははははは!!」

 それを見て俺は心の底から嗤う。喉が潰れそうなほど嗤う。腹がねじ切れそうだ。

「な、何でそこで笑うの? そこは普通怖がるとかするところじゃない?」

「ははははははははは…………はぁ、はぁ、だってよ……お前、そりゃ、可笑しいよ。だって」

「ッ!?」

 何かに気づいたように、灯の表情が突然凍り、手に持った早川の拳銃を慌てて構えた。そういえば、こいつはそういう変化をしたんだったな。

 だが、ダメだよ。お前は助からない。

 銃を俺に向けた時点でお前は間違ったんだよ。

 俺の微笑に気づいた灯が後ろを向いた時には遅かった。

「――だってよ、そんなお前が逆に喰われちまうんだから」




「どうだ、喰われる気分は?」

「ああ……あ、あああ……」

 既に絶叫を上げる力もなく、ただびくびく痙攣するだけの灯に、俺は鼻から大きく息を吐く。

「ま、良かったじゃねえか。これでお前もゾンビになれるかもしれねえし、そしたら俺を喰える時が来るかもしれねえぞ? ま、俺を喰う口残ってたらの話だけど」

 途中で灯が漏らしたのだろう。血の匂いに混じる仄かなアンモニア臭に眉を顰める。

 やっぱり人の肉は俺には合わないな。前みたいに調理されてるのならともかく、こいつみたいに生のまま喰うっていうのはやっぱりそそられない。

 それにしても良い喰いっぷりだ。一人で灯を食い尽くすかのような勢いだ。どんだけ腹減ってたんだよ。

「……つか、生きてたらまだ色々と訊きたいことあったのに、テメエはすぐにがっつき過ぎだ。次からは気を付けろよ」

 灯に跨っていた奴は、俺を見上げると、小さく頷いた。

 その瞳は、真珠のようで吸い込まれそうだ。

「ん~、さて、と! これで本当に終わりだ。それ喰ったら次の所行くぞ。次は……そうだなぁ、自衛隊の駐屯地とか行ってみるか。まだ機能してるかはわからんが、もし生き残りがいれば、また沢山遊べるぞぉ」

 すると、ごくん、と喉を通る音がして、こちらに駆けてくる足音。

 どうやら、彼女も次の目的地に興味が湧いたようだ。

 俺は口の端を歪めると、隣に向かって嗤いかけた。

「ふん、それじゃ、行くぞ」


「――――うっす、智也先輩!」

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新訳 その人の名は狂気  無道 @mudou

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