第11話 生き意地

「――八代くん。もしかして……」

「ええ、これからちょっと外に出てきます」

 体育館に戻って外に出るための準備をしていると、有斐さんが心配そうに眉を寄せた。

「やっぱり危険じゃない? 何も八代くんみたいな若い人が行かなくても……」

「俺くらいの歳がちょうどいいんですよ。俺より上だとおじさんばかりだし、何なら年下だって多いんですから」

 俺は登山リュックを漁り、必要な物だけをピックアップして小さめのリュックに移し替えていく。あまりかさばる物や重い物は動くときに負担になる。

 携帯食糧、ペンライト、防犯ブザー、水、救急キット――

「まあ大丈夫ですよ。そんなに遠くまでは行きませんし夜には帰ってきます。有斐さんはお土産でも期待していてください」

 荷物をまとめると、俺は自然に見えるよう微笑んだ。

 正座した有斐さんが俺の正面に向き直り、翳りを帯びた表情で呟いた。

「……気を付けてね」

 決して声を張ったわけではなかったが、有斐さんの言葉は、全身から溶けいるように入り込み、暖かく俺の芯を温めた。

「はい」

 それだけ言うと俺は立ち上がる。同じく立ち上がろうとした有斐さんを手で制し、もう振り返ることなくその場を後にした。




 校門に着くと、既にそこには俺以外の後藤班のメンバーと佐々木達が集まっていた。

 見れば他にも道野や岡崎らもいる。まるで卒業生の見送り式だ。さしずめ岡崎らが在校生で道野は校長と言ったところか。

「八代さん。僕らだけ安全な所にいるようで、すみません」

 俺を見つけてやってきた王馬が心配そうに言う。

「気にしないでくれ。佐々木さんも言ってたけど、こういうのは大人の役目だよ。王馬くんたちも、ここの事は任せたよ」

「はい、任せてください!」

「十分にお気をつけて」

 王馬と岡崎に親指を立てると、道野が図ったようなタイミングで声を上げた。

「全員揃ったようですね。それでは時間です。皆さんの健闘を祈ります」

 一人が校門の錠を開けているとき、後藤班のオヤジの一人が長物を持って近づいてきた。

「おう。坊主はこれでいいんだよな?」

「ええ、ありがとうございます」

 渡されたのは、所々が錆びた一メートルくらいの鉄パイプだった。その先端は学校の器具で加工して鋭利な形になっている。

それを軽く振り、しっくりくる感覚に満足する。

 その様子を見ていたオヤジは、ポツリと聞いてきた。

「坊主は何かスポーツでもやっていたのか?」

「いいえ、スポーツには生憎触れる機会がなくて、今の歳になってもボール一つまともに投げられませんよ」

「なんだぁ、ひょろひょろそうには見えねえけど、もったいねえなぁ」

「スポーツはどうにも肌に合わなくて、全然できなかったんですよね。スポーツは――」

「ふん、今度騒動が収まったらうちの自治会でやってる草野球に来な。俺が一から教えてやるぜ」

「ええ、機械があれば是非」

 重く鈍い音を立てて校門の柵が横にスライドし、遂に開錠した。

 そうして後藤班と佐々木班は、内に獣を従えたまま、二度と帰れない遠征へと出発した――




 何のことはない。簡単な仕事だ。俺にとっても。向こうにとっても。

「後藤さん、そのコンビニってのはすぐに着くところにあんのかい?」

「そうですね。この坂を下った中腹辺りにありますから、十分もかからないと思いますよ」

「へぇ、それならすぐに帰れそうだ」

 学校を出てから五分足らず。各々武器を持ってはいるものの、集団に緊張感は薄い。

 道中で感染者に会うこともなく、やがて俺たちは目的のコンビニに着いた。幸い、シャッターは閉まっておらず、電気も通っているため、自動ドアはなんなく開いた。

 ピロローン。

 聞き慣れた電子音が俺たちを歓迎するが、当然、店員がやってくることはなかった。

 店内は荒らされた形式もなく、店が機能していた時のままの状態だった。

 その後、店内に感染者がいないかを確認したあと、佐々木が声の調子を落としていった。

「よし、それじゃあみんなで手分けして食糧を集めよう。火事場泥棒のようで少し気は引けるが、これも我々の家族のためだ。ここはどこかの誰かよりも自分の家族を助けようじゃないか」

「ひゅー、佐々木さんは愛妻家だねぇ」

 誰かの合いの手に、皆がゲラゲラ笑い合う。

「皆さん、ここはもういつ感染者が来てもおかしくない所なのです。もう少し緊張感を持たないと……」

「おー、学校の先生は流石真面目だねえ。分かったよ、俺たちも死にたくはないからな」

「まあ、その感染者も引っ掻かれたりしなきゃ大丈夫だろ。な、坊主!」

「……ええ、まあ」

 馴れ馴れしく肩を抱いてきたオヤジを我慢しつつ、首肯する。

「それじゃあ、始めるとしますか。一応、外に感染者が来ないか見張りを置いた方が良いだろうけど――」

「それ、僕が行きますよ」

 佐々木の言葉に半ばかぶせるようにして立候補する。

「お、じゃあ俺も行こうかな」

「八代くんと白井さんですか。分かりました、お願いします。それでは私たちも始めましょう」

 バラバラに店内に散っていく周りを尻目に、俺も白井と店を後にする。

 外に出て自動ドアの横合いに立つと、初夏を思わせる熱気と陽光が待ち構えていた。最近はこんな天気ばかりだ。前に雨が降ったのはいつだったろう。

不意に、隣から藍色のパッケージを突き出された。

「吸うかい?」

「……それじゃ、遠慮なく」

 普段、俺は煙草は吸わない。心肺機能が落ちるからと昔一馬に口酸っぱく言われたせいかもしれないが、白井にオイルライターを借りて吹かした初めての紫煙は中々悪くなかった。

 同じく隣で煙草に火を点けた白井も目を細め、

「……この騒動も、いつまで続くんだろうなぁ」

 と呟いた。

「……しばらくは続くと思いますよ。これだけの感染規模ですから。もしかしたら、もうこの街には戻ってこれないかもしれない」

 原発事故でもあったでしょ、そう俺が付け加えると、

「そうかぁ……。この街には長い間暮らしてたからなぁ」

 と、若干ズレた答えを返してきた。

おそらく俺に対して答えたわけではないだのろう。

白井の煙のような声音と、遠くを見るような瞳には、俺の知ることのない白井のこれまでの生活の記憶が思い出しているような感じだった。

「最初にこの街に来たのはぁ、カミさんと会う前だったか。会社の転勤でやってきた時のここは、まだ今ほど人も住んでなくて、不便な街だと思ったもんだ」

 こちらを見ずに話を続ける白井を一瞥し、咥えた煙草の長さを確認する。あと半分。俺はもう少し白井の話に耳を傾けることにした。

「この街でカミさんと出会って、結婚して、子供が出来て。それからはあっという間だった。孫も最近生まれてな、後はいつ死んでも良いって思ってたのに、気づけばこうして避難してまで生きながらえようともがいてる。生き意地が汚いもんだね、全く」

「――でも、それは素晴らしいことだと思いますよ」

 頬の辺りに視線を感じたが、俺は手元に視線を落としたまま続ける。

「確かに潔いのが良し、と捉える慣習は日本には根強いです。しかし、生の執着が薄いというのは、自分を生んでくれた母の痛みが無下にするというのと同義です。僕は母が自分を生んでくれたことに感謝しています。だからこそ、母のくれた命を大事にしたいと思うし、同じように他人が醜く這ってでも生きようともがくのを美しいと感じます。だから、生き意地が汚くても、僕にとってどれは美しく映りますよ」

「……」

 しばらく無言が続いた。手元の煙草はほとんど残っていない。アスファルトに落とすと、それをグリグリと踏んで消した。

隣ではぁ、と小さくため息が聞こえた。

「その歳でそこまで考えてるとは大したもんだ。坊主は後藤さんみたいに学校の先生でも向いてるんじゃないか?」

 ポケットをまさぐりながら俺は朗らかに笑う。

「はは、まさか。僕には無理ですよ。――だって」

 刹那、俺の体が素早く動く。隣でくすぐったそうに笑っていた白井の喉に、俺はポケットから取り出したナイフを躊躇いなく突き入れた。

「……………………へ?」

 心底不思議そうな顔で白井は焦点を俺に合わせる。

「――だって、そんな命を壊すのが、俺はたまらなく大好きなんですから」

「………な、ぁ」

 俺は刺さったナイフを思い切り横に引き抜く。鮮血が飛び、俺の頬に何滴か着いた。それを拭うこともせず、遅れてもたれかかってきた白井の体を乱暴に振り払った。

 白井の体が勢いよくアスファルトに音を立てるのを聞きながら、俺はリュックから防犯ブザーを探り当てる。

「おい、今音がしたけど何かあった、か?」

 様子を見に来たオヤジに俺は微笑むと、防犯ブザーのタグを躊躇なく引っ張った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る