第27話 奴隷の日々 2
空を夕暮れが血の色に染め上げ、やがて端々に星が浮かび始めた時、校舎の方から姫路がやってきて、直々にその日の仕事の終了を宣言した。
「みんなお疲れ様! 明日も仕事があるからゆっくり休んでね……って、なんか昨日見た時より減ってない?」
「いやー、実は早速一人死んじゃいまして」
「――もぉ、いきなりぃ!? 知世ちゃん、昨日奴隷の人はなるべく殺さないようにって私と咲ちゃんあんなに言ったよね!?」
「いや、そうなんすけど、これには深い事情がありまして……」
「だとしても、結果として一人死なせちゃったんだから、知世ちゃんの『かんとくふとどいき』もあると思うよ!」
「うぅ、面目次第もないっす……」
姫路の説教に首を垂れる早川という構図は、傍から見れば部活の先輩と後輩のようにも見えるが、逆に言えば、その程度であった。つまり、人が一人死んだというのに、姫路の態度は『軽いミスをした後輩を叱る』程度のものでしかなかったということだ。
「――今回は事故だっていうのは分かったけど、奴隷の人だっていつでも調達できるってわけじゃないんだから気を付けてよね!」
「うう、肝に銘じておくっす……」
しゅん、と項垂れた早川はこちらを見ると、キッと睨みつけてきた。いや、俺たちは何も悪くないからな。
姫路に叱られ、落ち込んだ早川は、そのままやる気ない所作で俺たちを奴隷小屋へ押し込む。しばらくしたら食事を運んでくる、と言うと、そのまま早足で奴隷小屋を後にしていった。
「……予想以上に子供っぽい人のようですね、彼女は。逆恨みで厄介なことにならないと良いんですけど……」
岡崎は不安そうにそう言ったが、幸い、それは杞憂だったようで、後から食事も少量ながら運ばれてきたし、その後には早川がやってきて、耳を疑うような提案をしてきた。
「この後、プールで水浴び出来るっすけど、使いたい人います? もし行くなら自分も見張りでついていかなきゃなんで、正直あんま使って欲しくないんすけど」
むすっとした顔で告げられた内容に、俺たちは一瞬黙りこくる。
これまでの早川知世という人間の性格から、俺たちにそんな気遣いをするとは考えにくい。何かの罠ではないか。おそらくその場にいた誰もが抱いた危惧だろう。
「……誰もいないようですね。安心したっす」
別に、是が非でも水浴びしたいわけじゃない。インフルエンス・パニックが始まってから、ロクに風呂なんて入っていないし、今までそんなことを考える余裕すらなかった。わざわざリスクを冒してまで行くものではないと、そのとき誰もが考えていた。
「――いや、僕は行きたいかな」
『……ッ!?』
まあ、俺は行くんだけどな。
臭いの嫌だし、何より、面白い事があるかもしれねえしな。
その後考えてみると、このときから既に俺の目的は、「いかにして生き延びるか」ではなく、「いかにして己の快楽を追及できるか」ということに変わっていた。思い出すのは、インフルエンス・パニック発生日にちょうど受けていた倫理学の授業――「四端の心」。人間は生まれながらにして善人であるというこの考えに、以前は疑問を抱いていたが、今では絶対に眉唾であると断言できる。それほどまでに、今の俺に善性というものは微塵も存在しない――。
「あーマジすかー。八代さん、私がやめて欲しいって言ってるんすから空気読みましょうよ。今日は初日だったから大変だと思って遠慮してたのに、そんなに私の教育を受けたいんですか?」
「……身体もボロボロだし、衛生面って意味でも心配なんだよ。傷口から化膿なんてごめんだぞ」
「あ、それは困ります。お二人には出来るだけ長生きしてほしいですし。じゃーしょうが
ないですね。ついてきてください」
「や、八代さんっ!」
「向こうも無暗みたらに僕をどうこうしようってことはないはずさ。大丈夫だよ」
岡崎に笑いかけ、俺は早川について歩き出した。
「それじゃ、裸になってください」
「……」
プールに着き、灯がバケツに水を汲んで去っていくと、早川は俺の拘束を解いて開口一番にそう言った。
「ずっとそこに?」
「逆にここで自分が帰ったら監視に来た意味無くないっすか?」
「あー」
確かにね。
もたもたしていたらあの警棒で殴られかねない。俺は着ていた服を手早く脱ぐ。
「……あんまり恥ずかしがらないっすね。見られるのが恥ずかしくてもじもじしてるところを横からフルスイングするのが自分のささやかな愉しみだったんすけど……」
色々ツッコミたいことはあったが、その前に早川に警棒で引っぱたかれる方が早かった。
「……そう言いながら何故結局殴った」
「自分から愉しみを取った罰っすよ」
早川の警棒は的確に俺の顎をふり抜いていて、脳が一瞬ぐわんと揺れる。かなり殴り慣れてるのかもしれない。
「はい、それじゃあ桶っす。それに汲んで二杯までなら自由に使っていいっすけど、プールの中には入らないでくださいね。水が汚れちゃうんで」
警棒をしまうと、早川は何事も無かったかのように俺に桶を渡すとにこりと微笑んだ。
悪戯っ子のような八重歯を見せる笑顔は中々見栄えが良かったが、直後にまた警棒が飛んできた。
先ほどしまったはずなのに、気づけば右手には警棒が握られている。
「……今のは何で殴られたんだ?」
「勿論、自分が殴りたかったからっすよ♪」
――ぶっ殺すぞ。
喉まで出かかった言葉をなんとか飲み下すと、俺は黙ってプールの淵に向かう。背中から「なんかさっきとキャラ変わってません? 反応うっすいなぁ」と声が聞こえた。
プールに張ってある水はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、特段汚いというわけでもなかった。飲み水としては使えないだろうが身体を洗うぐらいならば何も問題は無い。あまりにも汚い水だと、傷口に細菌が入る可能性もあったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「驚いたっすか。プールは雨が降る前に念入りに掃除をしておいたので、それなりに綺麗なんすよ」
「……なるほどな」
水はプールの深さ半分くらいのところまで溜まっている。それほど深くはないプールだが、これだけあれば俺たちにも使わせてくれるのは頷ける。
俺は屈みこむと桶を水の中に沈めた。その拍子に水面に俺の顔が映し出される。
まあ、他の奴のよりはマシか。
先ほど奴隷小屋で見た奴らは、もっと生気のない顔で、こう、悲惨な顔をしていた。自分は何故こんな仕打ちを受けなければならないのか、と悲嘆する顔であった。今水面も映っている顔も、あまり上等とは言えないが、少なくとも瞳の奥にギラついた炎を宿している。
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