第15話 再会
「おいおい嘘だろ……」
避難所は既に感染者がひしめき合う魔窟と化していた。校舎に続くアスファルトで舗装された道には乾いた血痕がこびりつき、何かも分からない桃色の臓器があちこちに散乱している。敷地内には老若男女問わず感染者が徘徊し、中には頭をカチ割られている感染者もいたが、未だ動いている感染者の数は二十や三十じゃきかない。よく見れば、その中には避難所で見かけたことのある顔もあった。
正面玄関は大きく開け放たれていた。これで、校舎内に籠城しているという線も薄そうだ。まさか、俺がいないこの一日で本当に陥落したというのか。いくら大した戦力もないとはいえ、こうも容易く校門を突破されるとは思えなかったが……。
「ッ! そうだ、有斐さんは……っ!」
そのとき脳裏を駆け抜けた名前を思い出し、慌てて周囲を見やる。この避難所が滅びたのはどうでも良いが、彼女だけはなんとか助けたい。でなければ本当にここまでの努力が水の泡になってしまう。
そこで俺は最近の体の変化を思い出す。やけに鋭い聴覚。これを利用して有斐さんを探せないか……。
俺は目を閉じて神経を聴覚に集中させる。聴覚以外、五感から受け取る情報を全てカットし、息遣いさえ聞き逃すまいとじっと耳を澄ます。
感染者のうめき声。不規則な足音。流れ続ける水。何かを貪り喰う咀嚼する音。緊張で震える息遣い――。
「――ッ!」
それが聞こえた瞬間、俺は全速力で走り出す。確かに聞こえた。場所は二百メートル先の体育倉庫の中。決して普通の人間なら聞こえないであろう音でさえ気づいたということは、やはりこれも噛まれた影響なのだろう。もしかしたら俺は既に感染者なのかもしれない。
「まあ、そんなことどうでもいいけどな……!」
到着した体育倉庫では、感染者四体が倉庫の扉をガンガン叩きつけている最中だった。
扉はそこそこ頑丈そうではあったが、体のリミッターが外れている感染者に対しては心許ない。強い外力を与えられ続けた扉はくの字に曲がり、今にも壊れそうな体であった。
とにかく今は情報が欲しい。俺は途中落ちていた鉄パイプを拾うと、扉に集中している感染者のうなじに思い切り叩きつけた。
「ヴアアアア……」
頚椎を破壊され倒れた同胞に気づき、残った感染者は振り返る。しかし、その濁った瞳に俺の姿は映らなかった。
鉄パイプを器用に振り回し、残った二体も早々に処理する。棒術は武器がどこでも入手しやすいということから唯一教わった素手以外の武術だが、しばらく触っていなかったにも関わらず、体は覚えたままでいてくれた。やっぱり努力は人を裏切らないということかね。
感染者が動かなくなったのを確認し、俺は壊れかけた扉に向き直る。突然扉を叩く者がいなくなったことに動揺しているのが、扉越しでも息遣いで伝わる。
「当たりだといいんだがな……ッ!」
俺は鉄パイプを振り回して遠心力を付け、渾身の力で扉へと振り下ろした。
ガシャァン!
決して小さくない破砕音と共に扉が吹き飛び、中にいた人物の姿が目に入ったとき、俺は息を呑んだ。こんな偶然が起こることが本当にあるなんてな――。
吹き抜けた外気で一房だけ結った前髪がふわりと踊った。怜悧な美貌にはもう涙は伝っていなかった。困惑した表情の彼女に、俺は口元だけで笑みを作った。
「――よう、また会ったな」
「――あなた、は」
倉庫に隠れていたのは、あの日、大学で最後に俺が助けた女だった。
「何があったかを知りたい。君の知ってる範囲でいいから教えてくれないか?」
何かを言いかけた彼女に、俺は食い気味に問う。
「な、なにかって、あなた一体――」
「お――僕は警備班でね。昨日から校外に出て食料調達に行ってたんだ。それで帰ってきたらこの有様で、とにかく今は何があったかを知りたいんだよ」
なおも困惑した顔を見せる女に、
「時間がないんだ」
もう一度念を押した。
それで折れたように小さく息を吐くと、
「昨晩よ。みんなが寝てる中、突然悲鳴が上がったと思ったら、体育館に突然感染者が入って来たの。その感染者は一人しかいなかったんだけど、噛まれた人から次々と感染者になっていって……」
最後は消え入るような声で言うと、彼女は視線を落とした。
彼女の話には色々と疑問はあったが、それよりも今は優先して訊きたいことがある。
「それじゃあ生き残りは? 生存者はもう君以外にいないのか?」
「さあ……、ほとんどの人は私とは反対方向の校舎に逃げて行ったから……」
「……なるほどな」
そこで近づいてくる足音を耳が捉える。振り返ると、グラウンドを彷徨っていた感染者が俺たち――厳密には目の前の少女を捉え、走りだしてきたのだ。先ほど扉を壊したことで注目を集めてしまっていたか――。
「―――ッ!」
「ここにいろ。絶対に顔を出すなよ」
アスリート顔負けの速さで走ってくる感染者に、彼女の体が強張るのが分かった。自然と声が低くなる。被っている化けの皮が剥がれそうになっていることに気づき、軽く咳払いする。まあどのみち、大学で俺を見たこの女には消えてもらうのだが――。
体育倉庫から出ると、空気が若干湿り気を帯びてきた気がした。もしかしたら午後からでも一雨来るかもしれない。
先頭を走ってきた感染者の喉笛を一突きにして、俺の足は校舎へと向かって進み始めた。
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