2-7 彼女の笑顔




「じゃああとは体育祭実行委員に任せたぞー」

「はーい。では、種目決めを行って行きたいと思います!」


 前にいかにもスポーツ大好きです!といった感じの男子と女子が独りずつ出てきて、その場を仕切り始めた。

 丁度僕の右斜め前の方向から、強い視線を感じるけれど、それを無視して僕は窓へ目を向けた。


 しんは、家に帰ってからも僕に質問攻めだった。どうして彼女きくもとと映画を見に行くことになったのか、何時にどこへ行ったのか、映画を見た後は何をしたのか、何時に帰って来たのか、こいずみは誰なのか――。

 質問に次ぐ質問は、僕を辟易させた。心を安心させるためにはしょうがないけれど、事細かに聞いてくるので面倒なのだ。



「じゃあまずは100M……」


 そして、休み時間になると僕のもとへ来る彼も、相変わらず僕と争いたがっている。彼女からなんとか言ってくれと頼もうと思っていたのだけれど、すっかり僕は諦めた。


 とりあえず、僕の希望としては男子が全員出る競技とクラス全員参加の競技にだけ出られればそれでいい。出たくもない他の競技に立候補などしない。

 体育委員は手際よく順番に競技の参加者を決めていく。時に人数が多いときはじゃんけんで決めたりしていた。団対抗選抜リレーだけは、タイムの順で決めるようだ。


 そして、どうやら彼女は障害物競走に出るようだった。



「次、1000Mまずは男子」

「ハイっ!」


 彼が勢いよく手を挙げた。



「はいよ~小泉ね」


 彼の他には、手を挙げる人はいない。

 すると、彼は僕の方を勢いよくバッと振り返った。そして、強い目つきで睨みつけてくる。


「わ~だ~!」

「なに? 和田くん出てくれるの?」


 長距離ゆえに、1000Mは毎年人気がない競技の一つだった。しかも、校舎の外を回るものだから、基本的に観客はいない。なんとも地味な競技だ。僕にぴったり。

 でも、僕はそもそも運動が好きではない。だから、パス。


 僕は首を振って、読んでいた本に目を戻し、無視を決め込むことにした。


 結局、陸上部の男の子が走ることになった。




***




「出ればよかったのに、長距離走」


 いつも通り廊下でダンスの練習をしている最中、彼女は僕に言った。


「嫌だよ。君も彼を止めてくれたらいいのに」

「嫌だよ。だって面白いもん。彼と話してるときの愛くん」

「そんなことだろうと思った」


 彼女が僕と彼のやりとりを聞いている時、やけににこやかな訳がわかった。


「君が誤解を解いてくれることを僕は期待しているんだけど」

「やだよ。私は小泉くんと愛くんが仲良くなって友達になってくれたらいいなって思ってるから」

「ならないよ」


 無理な話だ。あんな騒がしい、その上僕を憎んでいる彼と友達になれだなんて。安眠している僕にずっと鳴り続ける目覚まし時計を押し付けないでほしい。


「もったいないなあ。愛くんって話してみたら面白いのに」


 彼女はそう言った。

 自分が面白みの欠片もない人間だとわかっているので、僕は彼女が気を遣ってくれたのだと思った。彼女に気を遣われても、僕の中での彼女の評価がプラスになるわけではない。


「彼もいい人だよ。ちょっとしつこいみたいだけど」

「じゃあ付き合えばいいのに」


 彼女と彼が付き合えば、僕にとってそれほど嬉しいことはない。僕は三つの面倒から一気に解放されるのだから。


 ……まあ、心は定期的に厄介だけれど、それは身内だから問題ないとして。


「私はパス」

「なんで」

「私と小泉くんは……きっと合わないから」


 彼女のその言葉の真意がわからず尋ねようとしたら、先輩に「そこの女の子~喋ってないでダンスに集中!」と少し怒られたので、僕たちは先輩の言う通り黙って練習することにした。




***




「和田!」



 帰ろうとして廊下で彼に呼び止められた。


 他の和田くんが呼ばれたと勘違いしたふりでもしようと思ったけれど、残念ながらこの学年には和田は二人といない。



「なに?」

「他の事でもいい。俺と勝負しろ!」

「お断りします」


 その話であれば、聞くつもりはない。


「お前の菊本への気持ちより、俺の気持ちの方が強いことを証明してやる!」


 いつも通り、彼も僕の話を聞く気はない。


「じゃあ、君は彼女のどこが好きなの?」

「……誰にでも優しいところ。でも一番は、笑った顔。底抜けて明るく笑うじゃん、菊本って」


 あれだけ強気で僕に突っかかって彼は、今はまるで恋する乙女のようにピンクのオーラを発して、頬を赤く染めている。どうやら恋は、屈強なラグビー部の男子の顔を乙女の顔にしてしまう働きもあるらしい。


 それにしても、彼にとって彼女の笑顔は底抜けに明るく映るらしいが、僕の解釈は違った。出かけた日に見た彼女の笑顔は、少なくともどこか悲しげなオーラを纏っていた。彼は、そのことに気づいていないようだった。

 僕の前でしか、彼女はそんな表情を見せていないのだろうか。あの、どこか大人びた表情を――。



「和田はどこが好きなんだよ?」



 そう聞かれたタイミングで心がやってきて、僕は彼から逃げることに成功したのだった。




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