1-2 僕と友達




 特定の女子たちからの熱い視線を感じながらも、できるだけ目立たないようにと校門をくぐる。昇降口は二年が上、一年と三年は下と幸運なことにも分かれているので、ここでしんとは自然と別れることになる。


「はい。これ今日のお弁当。今日はいとしくんの好きな鶏つくね入れてあるからね」

「ありがと」


 まるで夫に愛妻弁当を渡す妻のような心の言葉のせいで、そばにいた女子が崇めるような目線で僕たちを見てきた。背筋が寒くなった。

 ……間違えられると嫌なので念のためまた言っておくが、男色の気は僕にも心にもない。



「じゃあ、何かあったら連絡してね」


 心はそう言ってぶんぶんと手を振りながら、下駄箱へと消えて行った。もう少し兄離れして欲しいものだけれど、もはやこれが日常になりつつあり、慣れてきている自分がいて少し怖くもある。



 やっと解放されたような気持ちで下駄箱にややくたびれたローファーをしまい、自分の教室へ向かうとクラスメイトたちはそれぞれ固まって話し込んでいた。そんな彼らに気づかれないように僕は後ろのドアからそっと入って、窓際の一番後ろの僕の席に座る。まあ、気づかれても誰も僕に話しかけては来ないから、前から入ったって後ろから入ったって同じことなのだが。


 運がいいことに、僕の名字は“和田”だ。新学期はいつも、外を見ながら考え事もできる、しかも太陽が当たるとても温かい一番後ろの席に、願わなくたって座ることができた。まあ、一か月ほどの特典だが、一年で一回そこが保証されているのは悪くない。

 いつもどおり外を眺める。校庭に生えている桜の花はもうとうに散ってしまっていて、新芽がどんどん生えてきていた。



「おはよー!」



 そんなことを思いながらぼうっとしていると、昨日聞いた溌剌とした声が耳に入って来た。


 ――彼女きくもとだ。


 彼女が真ん中の側の前から二番目の席に荷物を置くと、周りにはあっという間に人が集まってきていた。「おはよう」「昨日のドラマ見た?」「めっちゃかっこよかったよね、山崎くん」などと女子たちと世間話をしている様子が聞こえてきた。


 うっすらと微笑みを浮かべながら彼女の周りにいる女子の話に頷く彼女を見ると、つまらなくないのかと思えてきてしまう。あんな中身のない話を朝から聞いて、時には相槌を打って、一緒に愛想笑いをして。きっと話を合わせるために彼女はくだらないドラマを見ることに時間を費やしているのかと思うと、可笑しくて笑えてくる。

僕からしてみたら友情というものはとてもくだらない。

そして、この世で一番信用ならないものだ。

 まあ、別に彼女が女子たちに囲まれていようが、相槌を打っていようが僕にはどうでもいい。



 僕は、また目線を外へ戻した。

 どれくらいの時間、僕はこうやってぼうっと外を眺めているんだろう。きっと、総計するととんでもない時間に違いない。人からしてみればクラスメイトと話さずに外を眺めている高校生なんてズレているようにしか思われないかもしれないが、この時間は僕が僕であるために必要不可欠な時間なのだ。


「和田くん」


 そこに、思いもよらない声が僕にかかる。

 振り向くと彼女がいつの間にか僕の机の隣に立っていた。


「おはよう!」


 彼女を取り巻いていた女子たちは、彼女がいなくなった席を囲って、さっきのように騒ぎながら話している。ほら、やっぱり彼女が欠けたところで、その穴は容易く埋まるのだ。


「あの、お願いしてたノート、貸してもらってもいいかな?」


 ……というか、ノートを借りるなら、あそこで喋っている親切そうな友達たちに借りればいいのに。なんでわざわざ僕に借りようとするのか。

 やっぱり彼女はあの女子たちと、想像しているほど仲良くないのかもしれない、と僕は予想した。それとも、彼女がよっぽど僕に取り入りたいかだ。後者は絶対にないだろうと言い切れるけれど。だって、彼女は僕に取り入ったってなんのメリットもない。ゼロだ。


 僕が鞄の中から持ってきていた英語のノートを彼女に差し出すと、彼女は他の人に向ける時と同じように、僕に微笑みを向けた。


「ありがとう!」


 そんな僕たちのやりとりを見て、周りにいたヤツらは驚いた様子でこちらを見ている。

 それはそうだ。僕みたいに滅多に他人と交流しないような人種が、クラスの中心である太陽のような存在とコミュニケーションを取っているんだから。クラスメイトにとっては青天の霹靂へきれきといった感じなのだろう。昨日まで一言も会話している姿など見なかった二人が、いきなりノートを一方に貸していたら誰だって何があったか勘ぐりたくなる。

 しかもとりわけが、だ。高校に入って一度もそんなやりとりをしたことはないし、そもそも友達という存在がいない僕が、だ。



「いつまでに返せばいい? 明日?」


 僕が頷くと、彼女はまた笑顔を見せた。


 しかし、彼女は僕を友達かと思っているかもしれないけれど、僕はそんなことさらさら思っていない。彼女はクラスメイトだ。要するにただの他人だ。それ以上でも、以下でもない。



「わかった! 本当にありがとう!」



 僕は不思議だった。なぜ彼女は僕に率先して話しかけるのか。

 その理由が判明するのは、もう少し先のことである。

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