2-8 サボタージュ




 ――ついに、体育祭当日がやって来た。


 僕が出るのは、男子の必須競技である騎馬戦と、クラス全員の綱引き、そしてクラス全員で走るリレーとメインの応援合戦だ。


 その他の時間は、こっそり教室に戻って読書に勤しむことに決めていた僕は、開会式が終わりトイレに行くふりをしつつ校舎へ戻った。まあ、誰も僕のことなんて気にかけてはいないのだろうけれど。

 教室は、がらんとしていた。今日は椅子を校庭に運び出しているため、机しかない。窓の外から聞こえる声と相反して、静かな教室。いつもと違う光景は、少しだけ僕をわくわくさせる。


 今日は長丁場になると思って、僕は二冊の本を用意していた。一冊は、“キースと魔法の旅”。映画を見て、また読み返したくなって持ってきてしまった。気に入った本は何度だって読み込むのが、僕の読書の習慣だ。もう一冊は、最近図書室で借りた有名な外国の推理小説。


 椅子のない自分の机を窓から見えないくらいの位置に念のためずらして、僕は本を読み始めた。

 すると、暫く経たないうちに、教室の前のドアが音を立てた。


「あっれー? 愛くんじゃん!」


 彼女は笑顔、僕は不満顔。


「偶然だねー」


 偶然を装っているのか、本当に偶然なのか、はたまた僕を気にかけてわざわざ追いかけて来たのか。

 彼女は僕の隣に来て、誰のかはわからないが、間違いなく彼女の席ではない机に座った。


「サボり?」

「そうだよ」

「へへへ、私もー!」


 彼女は、鉢巻を首に巻いて、いつも通り長い髪の毛を垂らしている。


「悪いこともするんだね、君も」

「もちろん! そんなことしない純粋な女子だと思ったー? うはははは、愛くんって結構夢見る男子タイプ?」

「……」

「ごめんごめん!」


 彼女は、またうはははは、と大きな声で笑った。絶対からかったことを悪く思っていないだろう。

 僕は、そんな彼女を無視して本に目を走らせる。


「なんでここに来たのかなーとか、聞いてくれてもいいのにー。つれないなあ」

「じゃあ聞いてあげよう。なんで来たの」


 僕は、彼女にわざわざ質問してあげることにした。


「ちょっと騒がしくて疲れちゃったー。ま、もともと私も応援はサボるつもりだったんだけど、誰かさんが教室に入るのが見えたからさ、ちょっと早めに来ようかなって思って」



 どうやら、偶然ではなかったようだ。

 サボるつもりだった、という彼女の言葉が気になるが、あえてそこには触れないでおいた。日向にいる彼女がなぜ僕のように日陰に飛び込んで来ようとするのか――。


 彼女は一度自分の机に戻って鞄の中から文庫本を出した。

 そして、わざわざ僕の隣の誰かさんの机にまた腰掛ける。



「私も本持ってきたんだー。キールと魔法の旅!」

「……」


 僕の顔に、何か感じたらしい彼女は、僕が読んでいた本を覗き込んだ。


「同じだ……!」


 ふふふ、と彼女は笑った。

 彼女も同じ風に感じていたのかもしれない。そう思うと、心が不思議な変化を起こそうとする。



 僕は慌てて本を読んだ。


 非日常な教室に、僕らは二人だけ。

 今はもう、ページを送る音と、窓の外の遠い歓声だけが教室に響いていた。





***





 彼女が机の上に置いていたスマートフォンが突然鳴った。



「そろそろか~」


 机の上から「よっ」と言いながら小さくジャンプして降りると、本を鞄の中に仕舞った。


「気分が悪いからってこっちに来たんだ。でも障害物競争には出たいから友達に声かけてって言っておいたの」


 彼女にとって友達は、タイムキーパーも兼ねてくれるらしい。それは純粋に便利だと思う。

 ふうん、と彼女を一瞥して、僕はまた本の世界へ戻ろうとした。すると、彼女はその世界からまた僕を引っ張り出す。


「見に来てよ! 私の勇士!」

「やだ」

「なんで?」

「面倒くさい」

「そんな君に、私の障害物競争を見る理由を教えてあげよう」

「なに」

「障害物の次、騎馬戦だよ」


 今外で何が起きているのかをすっかり忘れて小説の世界に入り浸っていたから、競技の順番なんてまるで忘れていた。そういえば、障害物競争の次だったはずだ。


「ね、行こっ!」

「仕方ない」



 僕は、教えてくれた彼女に免じて障害物競争を見物することに決めた。





***





「かっこー! 連絡してくれてありがとねー!」

「体調はもう大丈夫なの?」

「うん! すっかり! ありがとう!」


 グラウンドに戻ると、クラスメイトは僕が早々に消えたことに一人も気づいていないようだった。ただ一人、彼女を除いて。

 そんな彼女は、帰ってくるなり友達に囲まれていた。

 体調が悪いなんて嘘なくせに、と思っていたら、彼女は僕の方をチラリと見てきてウインクを飛ばした。







 彼女の障害物競争は見事だった。想像していたよりも、彼女は運動神経がいいらしい。結果は2着。

 応援席に帰って来た彼女は、顔に白い粉が付いていた。途中で小麦粉の中に隠れている飴玉を口だけで探す、という障害があるのだ。それで派手に付けてきたらしい。

 彼女は白い勲章を付けたまま、友達と写真を撮っていた。僕が見ていたことに気づいた彼女は、こっちを向いてにっと笑った。だから僕は口パクで「ぶさいく」と言った。


 すると、彼女は何を思ったのか僕の元へ一直線に小走りでやって来た。


「ねえ! 今なんて言ったの!?」

「不細工って」


 彼女は、がっかりしたように肩を落とした。でも、すぐに表情を変える。


「ねえ、一緒に写真撮ろう! ハイ、チーズ!」


 肩を組まれてほぼ無理やり僕は彼女とスマートフォンのインカメラで写真を撮った。


「うはははは! 愛くんぶっさいく!」


 けらけら笑う彼女の元から離れようと思ったら、僕の肩に手が伸びてきた。


「抜け駆けはずるいぞ」

「あ、小泉くん。じゃあ一緒に撮ろうよ?」



 なぜか、僕は二人に肩を組まれて、三人で写真を撮ったのだった。




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