3-14 二人の逃避行



 僕たちはあっちじゃないこっちじゃないと騒ぎながら、ついにゴールまで到達した。しんこいずみに追い越されてしまうことはなかったので、割と早くゴールできたのかもしれない。


いとしくん……」


 彼女きくもとは、出口から出ると僕にニヤリ、と怪しげな笑顔を向けた。

 ……これは何かをたくらんでいる顔だ。



「逃げちゃおっか!」


 僕の腕を取って、彼女はいきなり走り始めた。声で彼女を止めることが出来ない僕は、ひたすらに彼女に引っ張られながら、人の波を縫って、走って、走って、走った。


「つ、つっかれたー……!」


 はあはあと肩で息をする彼女に合わせるように、僕の肩も上下する。肺がポンプのようにフル稼働をしているのがわかる。照りつける日差しを一身に浴びながら走ったから、身体は一瞬で汗ばんだ。彼女の額からもつーっと汗の雫が伝っている。


「逃げるってなんで」

「だって、息苦しかったから」

「帰ろう」

「……お願い。少しだけ、二人で周ろう。あれ、乗りたい」


 彼女が指さした先には、観覧車があった。日本でも有数の大きさだと、どこかに書いてあったことをふと思い出す。


「彼と心がいたっていいじゃん。4人乗りなんだし」

「少し疲れちゃったの。人がいっぱいいるし、がやがやしてるし……静かな場所で、静かにしたい」


 僕はあまり納得できなかったけれど、彼女の気がそれで済むならと、僕たちは観覧車に乗る列に並ぶことになった。


「あ、小泉くんから電話だ」

「出れば」

「ううん、切っちゃう」

「君は見かけによらずひどいね」

「普通だよー。あ、心くんから連絡来ても出ないでよね」


 連絡をしてもしなくてもどうせ面倒なことになるんだったらと、僕も心に連絡をしないことにして、スマートフォンを機内モードに設定した。


「君は僕の理解の範疇を越えてる」

「そう?」

「僕ならこんなことはしない」

「こういうシチュエーションって萌えない? 少女漫画みたいで。一回くらい愛の逃避行!みたいなことしてみたかったんだよね」

「それが目的で僕のことを連れ出したなら帰るけど」

「違う、違います! 本当に少しだけ、うるさくて疲れちゃったの。愛くんといると、大分楽だから」


 彼女は笑いながらあわてて否定をした。どうやら、今のは冗談で、疲れたというのが本当の理由らしい。どうして僕といることが楽で彼らといることが疲れるのかはわからないけれど、つまりはそういうことらしい。


「僕は君の耳栓みたいな役割ってこと」

「はは、うん。そうかも。愛くんは私の耳栓!」

「自分で言ったけれど、なんか嫌だね」


 もっといい例えをすればよかった。






***





 他愛ない会話をぽつぽつとしながら少し待つと、僕たちの順番が回って来た。


「何名様ですかー?」

「ふたりです」

「ではこちらのピンクの観覧車でどうぞー」


 係員さんは、僕たちを手で促して、観覧車に乗せる。僕と向かい合うのではなく、彼女は僕の隣に腰掛けた。


「カップルさん、行ってらっしゃい!」


 わざわざ余計なひと言をつけてくれた係員さんに反応して、彼女がにやにやと笑っている。


「カップルだって」

「違うけどね」

「カップルに見えるんだね」

「違うけどね」

「恋人と観覧車、乗ってみたかったんだ」

「違うけどね」


 文章を打ちなおすことなく、三度同じものを彼女に見せた。


「いいじゃん。私、この先彼氏なんてできないかもしれないし」

「君は、えり好みしなければモテるでしょう」


 少なくとも僕は、彼女のことを大切に思っている男を一人は知っている。


「……私の表面しか見てない人たちは、好きって言ってくれるかもしれない。けど、裏まで知ったら私のことなんか、見向きもしないと思うよ」

「そんなこと思わないけど」

「愛くんだって、きっとそうだよ。離れていく」

「君が僕から離れていくのは分かるけど」


 彼女は、外を眺めた。だんだんと地上から離れていく僕らは、静かな観覧車の中で二人きりだ。この状況を切望していたであろう彼に、一応心の中で申し訳なく思っておくことにする。


「……愛くんは、いいなあ。むしろ惹きつけてるじゃん。大きなハンデがあっても、こうして私も、小泉くんもそばにいる」

「君と彼くらいだけど」

「愛くんは、もっと人と関わればもっと人が集まってくるよ。自然と。私とは違う」


 それは僕のセリフだ。


「君のそばには常に人がいるじゃないか」

「私には飾らないと付き合っていけない友達しかいない。……でも、愛くんだけは」


 そう言うと、外に向けていた視線を、彼女は僕に向けた。


「……やっぱり、なんでもない」


 彼女はふっと息を吐いて、また目線を窓の外へ向けた。


 ――僕だけは、なんだというのか。無性に気になって、しかたがなくなる。

 僕だけは、彼女にとって“特別”なのだろうか。

 僕だけは、彼女にとっての薄っぺらい友達とは異なるものなのだろうか。


 観覧車は、もうすぐ頂点に差し掛かっていた。



「僕だけは、何なの?」


 彼女の肩をぐいっと引っ張って、僕は画面を彼女に見せた。

 答えが目の前にある問題を、解かない性分ではなかった。


 驚いた表情をしながら、彼女はゆっくりと口を開く。


「……私は、愛くんのことが、好き」


 好き。

 彼女が、僕を好き。

 きっとその好きは、多分他の友達の好きと同じなんだろう。彼に向いた好きと同じくらいの好きなんだろう。

 きっと、そうだ。


 観覧車が、丁度頂上に差し掛かったころ、彼女は僕に、キスをした。




***




 僕たちは、その後は一言も喋らずに、お互い外を見て過ごした。

 観覧車を降りると、出口の所で彼と心が待っていた。どうやって見つけたかは知らないが、二人はかなりご立腹の様子だった。彼女が「私が連れ出したんだ」と言ったから彼の怒りはしぶしぶ収まったものの、心は僕がスマートフォンを連絡のつかない状況にしたことにかなり腹を立てていた。


「ごめん」

「心配したんだからね!」

「すみませんでした」

「もう、二度としないで」



 心が怒る理由も、僕はよくわかっていたので、これからは連れ去られるときもなるべく連絡をしようと心に決めた。



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