3-15 大切な存在



 その後の夏休みは穏やかに時が過ぎて、あっという間に長い休みは幕を閉じた。

 あの日、帰ってから。僕はなかなか寝付くことができなかった。観覧車の中での彼女きくもとの発言と行動が、どうしても気になって気になってしかたがなかった。

 今、僕たちの関係はお昼ご飯を一緒にする関係からさらに一つ格が上がってしまった。観覧車の中でキスする関係、だ。

 ――未だに僕は、この関係をどうやって一言に収めたらいいのかがわからない。


 朝からクラスメイトたちは夏休みに何をしていたか、という話題でもちきりで、正直僕はうるさいな、と思いつつも読書に勤しんでいた。

 しかし、午後からはそうもいかない。

 文化祭が目前に迫っており、本格的な準備が始まる。

 クラスの指揮に加え、僕たちの委員会活動も本格化する。彼女と先輩と一緒にクラスがルールを守って活動しているかどうかを点検しなければいけないのだ。

 当日の流れを確認したり、シフトを組んだり彼女がしている中、僕も他の班の仕事の進み具合を見るべく、うろうろしていた。

 外装をやっている班は、壁をレンガのタイル張りのようにするらしく、段ボールを切って細かくし、塗装しようとしている。その中には、こいずみや彼の友達も混ざっていた。騎馬戦で僕の下だった二人だ。


「塗る時、新聞紙引かないと減点になる。あとスプレー禁止」


 僕がスマートフォンの画面を彼らの顔が向いている方に滑り込ませると、ハンド部の彼は「びっくりしたー」と言って僕の方に顔を向けた。


和田わだ、もうちょっと気配を出してくれよな」


 サッカー部の彼も、笑いながらそう言った。

 体育祭の後、彼のところによく来ていた二人とはごくたまに、会話することがあった。彼が絡んできて、それに便乗する形で。


「ってか、スプレー禁止なの?」

「教室内では。中庭なら、新聞を引けば平気」


 珍しく僕が彼と彼女以外の人と会話しているのを見て、一緒に作業をしている他のクラスメイトたちは興味津々といった様子で、手を止めて僕たちの方を見ている。


「とりあえず絵具で塗ってみて、スプレー使うか決めるか」


 彼がそう言うと、ハンドボール部の彼も頷いた。



いとしくん」


 観覧車での一件があって、あの日ぶりに会う今日をどう過ごすべきかと悩んでいた僕にとって、彼女の態度は意外なものだった。まるで、彼女が僕にキスしたことなんてさっぱり忘れたように、普段通りの表情で普段通りに接してくる。

 ……正直に言うと、こんなものなのかと思った。僕が結構ずっと彼女のことを考えていたことが、バカみたいに思えた。


「そろそろ集合の時間だから、行こう!」


 やっぱり、あの雰囲気にのまれてしまっただけで、あれは間違いだった、と思ったかもしれない。きっとそうだ。

 僕も、忘れることにしよう。考えても仕方ない。


「わかった」


 僕だって何も気にしていないようなふりをして、彼女と一緒に教室を後にした。




 ***




「頼む!!」


 委員会の仕事を終え、教室へ戻ってくると今度は彼に教室から連れ出された。

 観覧車でのことを何も知らない彼は、僕にどうにかして彼女と休みを合わせて一緒に周れるようにしてほしい、と頼んできたのだ。


「できなくはない、と思う」


 シフトを最終チェックするのは僕たちだから、できなくもない。


 ――ほんの少しの罪悪感が、胸に沁みを作る。応援しているふりをして、裏切っているような気分だ。

 嘘をつくことは好きではないが、彼女と僕がキスをした、だなんて、僕は冗談でもひたむきな彼には言えない。


「でも、委員会の仕事もあるから、そもそも僕たちは休憩時間をたくさんとれない」

「……最悪、5分でもいいんだ。告白できる時間があれば」


 休憩時間が取れないことも事実だった。そもそも、委員会の仕事もこなさなければならない僕らは、当日のクラスの仕事は少ししかできない。


「わかった。なんとかしてみる」

「ありがとう!」


 彼女はあの一件を気にしていないみたいだし、きっと間違いだったということにして、僕は彼の願いをなんとかすることに決めた。断ったら、真剣な彼に悪いし。

 もし、彼と彼女が上手くいったら。もう、三人で昼を囲むこともなくなるのだろうか。前の僕だったら喜んでいたはずなのに、手放しで喜べない自分がいることに、気づいてしまう。ただ、前の僕に戻るだけなのに、今はそれが……寂しい。

 どうして。どうして僕は、あんなに辛い思いをしたのに。また、人と仲良くしようとしているのだろう。傷つくとわかっているのに。

 これも、全部彼女のせいだ。いつの間にか狭い僕の世界に入り込んで、その世界に入口を作った。彼女はそこから彼を招き入れたのだ。僕の世界は、知らないうちに広がっていたのだ。


 彼女のことが、恋愛的に好きかどうかはわからないけれど、彼女も彼も、僕にとって間違いなく大切な存在になりつつあるのは確かだった。



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僕が彼女を愛していると証明するためのたった一つの方法 天野雫 @monasu

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