3-3 テスト勉強会




 僕は今、軽いショックを受けていた。


「お、大きくない……?」


 しん彼女きくもとも、口をあんぐり開けていた。

 テスト期間に入り、週末の土曜日に言っていた通りこいずみの家へ招待された。僕たちは彼女と彼の家の最寄の駅で待ち合わせて、スマートフォンが示す通りに街中を歩いた。

 すると、僕たちが辿りついたのは――一軒の豪邸の前。立派で古い門の扉は閉ざされていて、中は見えないが、周りの塀を辿ってみると、かなり家が大きいということが予想された。


「とりあえず、押す……?」


 心がそう言ってインターフォンを押すと、すぐに「はい」と応答が返って来た。


「こんにちは。将太しょうたさんの友達です」

「あ、少々お待ちくださいね」


 小さくインターフォンが切れる電子音がした後、ガーっと大きな音を立てて扉がひとりでに開く。

 すると、そこには日本式の庭園が広がっていて、さらに奥には日本式の大きな家屋が立っていた。綺麗に整えられている木や芝は青々としていて、池には立派な鯉が数匹と、金魚が泳いでいた。


「うわあ、素敵なおうち……!」

「すごい……」


 僕は元から何も話せないけれど、いつもは騒がしい彼女と弟まで、やたらと口数が少ない。この予想外の光景に圧倒されているらしい。


「いらっしゃーい」


 玄関へ着くと、彼がドアを開けて待っていた。こぎれいな私服姿の彼はいつもの学校のイメージとは全く違う。彼の育ちの良さがにじみ出ている気がした。


「おじゃまします」

「おじゃまします……」


 彼女と心がそう言って、僕は声を出す代わりに頭をぺこりと下げた。


小泉こいずみ先輩って……すごいんですね……」

「親がすごいだけで俺は何もすごくないけどな。ほら、上がって!」


 まるでなんとでもないという様子で彼は僕たちを招き入れて、スリッパを履くように促した。広い玄関先には、いかにも高そうな掛け軸が掛かっている。

 二階にどすどすと上がっていく彼に着いて行く。彼女は興味深そうにあたりをきょろきょろと見回していた。


「ここ、トイレな。んでこっちが俺の部屋」


 外観は日本の伝統な家屋なので部屋は畳張りなのかと思っていたけれど、想像していたよりも普通で、フローリングの床だった。けれど、部屋は子ども一人に割り当てるにはかなり広いのは確かだ。

 中央には絨毯が引かれ、そこにみんなで勉強できそうなくらい大きな机が置いてある。その机とは別に勉強机があり、上には教科書が乱雑に重なり合っていた。部屋にはテレビも、最新型のデスクトップパソコンもある。そこから察するに、彼はかなり裕福らしかった。


「広いねーいいなー!」

「俺のところに嫁にくればこの家にゆくゆくは住めるぞ」


 彼はさらっとそんなことを言う。そんな彼にはなんの反応もせず、彼女は面白そうに部屋を見回していた。彼が少ししゅんとしているのを見て、憐みを感じた。


「さ、勉強すっか」


 彼は平然と絨毯に座って僕たちに座るように指示した。心が彼の隣に彼女を上手く押しやり、僕は彼女の前に、そして心は僕の隣に座った。彼は満足げな顔をしている。


「あ、先輩。これお土産です」

「私も少しお菓子持ってきたよー! みんなで食べよう!」

「お、気を遣わせて悪いな。ありがと」


 心が持ってきたものは手作りのカップケーキ。母さんが何か持って行きなさいよ、と僕たちに言ったので、心が少し早く起きて焼いてくれた。テスト期間にも関わらずお菓子を焼けるなんて、弟の余裕さが怖い。これだけ余裕なら僕に勉強を教わらなくたっていいはずだ。


「後で食べよう」

 彼はそう言って勉強机の方にお土産を置いた。







 机にそれぞれの教科書を広げて勉強会が始まった。とりあえず僕はあと少し範囲が残っている数学に取り掛かることにする。数学は好きだ。答えが明確に出るところが気持ちがいい。


「あ~わかんねえ~~~」


 最初に根を挙げたのは彼だった。彼には集中力というものがまったくないらしい。そして、見てみると躓いているのはテスト範囲の最初の方だった。

 僕たちの学校は、前にも言った事があるけれど進学校で偏差値は高い。だから、それなりに頭のいい人たちが集まっている。と、思っていた。

 聞いてみれば、彼は高校受験の時に偏差値が足りなかったが無理して僕たちの高校を受けたらしい。本人曰く、受かったのは奇跡に近いとかなんとか。だから、勉強のレベルが高く、追いつくのがやっとのことらしい。確かに彼が躓いているのは初歩の初歩の問題で、なぜこんなものも解けないのかが僕には理解できない。

 

「で、何がどうわかんないの?」

「これ、どの公式使えばいいの?」


 僕がスマートフォンで説明を打つ間、彼はうんうんと唸りながら教科書とにらめっこをしている。それなりに考える気はあるのだろうかと思いきや、彼が読んでいるのは全く見当違いなところだった。


「これはこの60ページの公式に当てはめるんだ」


 持ってきておいた白い紙にやり方を書きこんでいく。必要があれば、補足説明もして、なるべく簡単に、そしてわかりやすく説明した。言葉が話せないのにわかりやすく説明なんてできるのかは疑問だが。


「あー、そっか」


 こんな問題もわからないなんて彼は真のバカなのかと思っていたけれども、思っていたよりも物分りはいいらしい。詰まっていた部分を聞いてそこを教えてあげると、彼はあっさりその問題をクリアした。


「めっちゃわかりやすいじゃん、和田わだの教え方」


 彼はそう言っていつもと違う表情と言葉を僕に向けた。ライバル宣言も今日は一時休戦らしい。


「じゃあ、この問題はどう解くの?」

「ん~」


 同じ傾向の問題を問題集から見つけてそれを解かせてみたら、彼はあっさり問題を解いた。なんだ、いけるんじゃん、と僕は心の中で思った。


「君の問題はただ一つ。面倒くさがって教科書を読むの飛ばして問題集からやってるからできないんだ」

「だって面倒だし、時間もないしー」


 教科書を読む気はさらさらないらしい。


「わかった。僕でよければヤマ張ってあげる。そのかわり外れても文句言わないでね」

「まじ!? サンキュー!」


 僕がさらさらと教科書の大事な部分に丸印を付けていると、彼女も「いとしくーん! ヘルプ!」と僕に助けを求めた。


「特に大事なところに付けたから、最低限これは読んで」

「はーい!」


 これで暫くは彼は大丈夫だろう。


「愛くん、俺もわかりませーん!」


 彼女に合わせて、心も僕にそう言った。きっと心はただ彼女の邪魔をしたいだけなのだろうから、僕は心を待たせて彼女を優先することにした。心は不満げな顔をしているが、順当でいったらこの順番なんだからしょうがない。


「英語なんだけど、この文の訳しかたがよくわかんないんだよね~」

「この、関係接続詞の前の分まではわかる?」

「えっと……」

「私は男に会った」

「その後ろは?」


 答えはすぐには教えない。あくまで僕は解き方を教えるだけ。それが僕のモットーだ。答えだけを教えてしまうと、次に同じ問題を解くときに結局またわからなくなってしまうから。


「私は思った、あなたの友達?」

「関係代名詞があるよね、あなたの友達って誰?」

「男。……あ、男の人をあなたの友達だと思ったってこと?」

「そう。だから訳は?」

「私はあなたの友達だと思われる男に会った。……これ連鎖関係代名詞?」


 僕が頷くと、彼女はぱああっと表情を明るくした。


「そう。この形を覚えておくといいよ」



 彼女が理解したと言って喜ぶ横で、心は僕が活躍をしている様子を見て喜ぶ反面、彼女と話している様子を見て悔しそうにしていたのだった。



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