2-3 彼女と彼



「愛くん!」



 ダンスのペアに選ばれてからというもの、彼女きくもとはやたらと僕に話しかけてくるようになった。

 そのせいで、毎日僕はクラスメイトからの視線を一身に浴びている。注目されることも目立つことも嫌な僕にとって、学校に来ることが苦行になってきた。

 まだ話しかけてこないだけましだけれど。



「今日もノート借りていい? 今度は生物が借りたいんだけど……」



 最近は英語だけじゃなくて他の教科も僕にせびるようになってきた彼女。そんなに授業中寝ているのか……と思って後ろから彼女のことを眺めていたら、きっちり授業は受けているようだった。

 ちゃんと授業を聞いているのにノートが書けていないところから察すると、彼女は書くスピードがやたらと遅いのだろうという結論に僕の中で落ち着いた。


 机の中からノートの山を取り出して、生物のノートを掘り当てる。それを彼女に何も言わずに渡す。




「ありがとう!」



 その場から立ち去るものだと僕は思っていたので、読んでいた本に目を戻すと、彼女は僕に言った。



「それ、何読んでるの?」



 何を読んでいるのか他の人に見せることを嫌がる僕のためにしんが作ってくれた――僕の弟は裁縫まで出来るのだ――ブックカバーをかけて本を読むのが習慣だった。そのせいでタイトルが見えなかったからだろうか、彼女が尋ねてきたのは。



「もしかして……官能小説?」

「黙ってくれる?」


 一番近くで話していたクラスメイトは、お喋りに夢中で彼女の変態発言には気づいていないようだった。

 彼女の唐突な発言を防ぐ力がない自分にうんざりしつつ、僕は小説のブックカバーを外して彼女にタイトルを見せた。



「あ、これ最近話題になってる小説だ! どう? 面白い?」



 最近テレビやネットでも面白いと話題になっているこの小説。それでも、本が好きじゃない人にとってはこの本のタイトルなんて目にもくれないだろうと思っていた。彼女がここまで本を読む人だとは思っていなかったから、僕は驚いた。



「まあ悪くないと思う」



 まだ半分も読んでいないから、はっきりと感想は言えないし、今の段階で面白いと断言できるほどの話だとは僕には思えないから、そんな曖昧な感想を返した。



「もしよかったらなんだけれど……読み終わったら貸してくれない?」

「いいよ」

「やったー! 読んでみたかったんだよねー」



 彼女はそう言って嬉しそうに笑った。



「本、読むの好きなんだ。文字って……なんだか安心するよね」



 そう言いながら彼女は僕が持っていた本に目を向けた。


 彼女の言葉に、僕は不思議な感覚を覚える。なぜなら――僕も同じことを考えたことがあったからだ。


 言葉ではなく、文字の方が僕にとっては身近なものだ。あまり人と関わらない僕は、空いている時間があれば文字を読んでいる。一番近しい友は文字と言っていい。

 それに、僕は……言葉が嫌いだ。文字だって言葉だろうと、きっと言われるかもしれない。ならば、この条件をつけよう。僕は目で見える文字以外の言葉が嫌いだ。

 人の口から紡がれる言葉は、あまり深く考えずに放たれるものが多い。そんな言葉は、人に向けて使われるにはあまりにも残酷なことがある。僕はそのことを身に染みて知っているから、言葉が嫌いなのだ。

 その点、文字は違う。手紙も、メールも、一度言葉を可視化することによって冷静さがプラスされる。見て、頭の中で考える時間がある。だから、口を経由する言葉よりも信頼度がある、と僕は考えている。



 「君って、思っていたよりも」そう彼女に向けて言おうとして、僕は思いとどまって出てきた言葉を消した。認めたくなかった。彼女は日向、僕は日陰。

そして、代わりの言葉を考える。



「君って……僕に話しかけるのは面倒じゃないの?」

「なんで? 愛くんと話すのはとっても楽しいよ」


 まるで嘘など微塵も感じられない一点の曇りもない瞳に吸い込まれそうになりながら、僕は持っていた本のブックカバーを戻して、また本の世界へと半ば無理やり入った。




***




 僕が恐れていたことが起きた。



「和田くんって、最近菊本と仲良くしてるみたいだけど……付き合ってるの?」


 一人の男子が帰りの会直後、僕に近寄ってきて穏やかにそう言った。口調は穏やかな割に、目は鋭く僕を睨んでいる。勘弁してほしい。

 リュックを背負うだけで帰る準備は完了だったのに、あと一歩の所で阻まれてしまった僕は、面倒だと思いつつもここで否定をしないとますます大変になる予感がしたのでとりあえず一言だけ返事をすることにした。



「彼女と僕は、そんな関係じゃないよ」


 恋は人を盲目にする、というより、恋は余計なものを視界にたくさん入れてしまうようだ。たとえそれが恋の障害になんてなりえないものだというのにも関わらず。

 だって、こんな僕を彼は鬱陶しく思っているみたいだから。


 彼は、まだ僕のことを睨んでいる。どうにかしてほしい。頼みの綱になるかはわからないけれど、彼女の席の方に目を配ると、彼女はもういなかった。まあ、想定内だ。頼りにするつもりは端からなかったし。


 彼女は、結構男友達が多いようだった。休み時間に彼女を見てみると、男子と話していることもしばしばある。だから、こんな風に想いを寄せる男子がいてもおかしくないと思う。それに、顔は悪くないと思う。あくまで、クラスメイトとの相対的評価だけれど。



「……分かった」


 僕が何も言わないでいたら、彼はそう言って大人しく帰って行った。納得はしていないようだったけれど、あとは彼に話しかける隙を与えないようにしばらく注意していれば大丈夫だろう。

 あとは、彼女が僕にあまり話しかけないでくれれば……。それが一番の僕の望みだった。




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