1-6 彼女と弟
突然現れた僕の弟は、さも当然といった様子でにこやかに僕の方へ小さく手を振って、一年の列で一つ変に空いていた席に腰掛けた。
――おかしい。
なんでここにいるのか、僕には全く見当がつかなかった。
「じゃあ係ごとに分かれて打ち合わせで」
先生がそう言ったのを皮切りに、それぞれの係長がメンバーを呼び寄せる。
「
「わ、係も
心はそう言って僕の隣に満足そうな笑みを浮かべながら座る。
「なんでここに?」
「どうしても代わってほしいってうちのクラスの実行委員が言うから代わったんだ」
……僕の弟の純朴な笑顔の下から、どす黒いものがはみ出ているのが見えてならない。
弟がどんな方法を使ったのかは知らないが、きっと委員の座をどうにかして奪ったに違いない。虫も殺せないような爽やかな笑顔を放つくせに、自分のやりたいことはなにを犠牲にしてでも押し通す。特に僕が絡むと途端に心は盲目になるから、タチが悪い。我ながら大した弟だ。
「まあ係まで一緒だとは思わなかったんだけど、ラッキーだね」
「和田くんの弟さん?」
僕を挟むようにして心とは反対隣の席に座っている彼女が、心の方を見て言った。
「和田心です。もしかして、あなたが愛くんを委員会に引き込んだっていう
心なしか、心の口調が強く尖っている気がする。笑顔を浮かべているつもりなのだろうが、目は全く笑っていない。
「引き込んだ……。確かに、見方によってはそうなるのかな。私、和田くんと同じクラスの
そんな心の視線には気づいていないのか、彼女もまっすぐな微笑みを心へと返す。心の攻撃は、全く効いていない様子。
「どうであれ、愛くんには俺がついているので」
「こんな弟くんがいるなんて、心強いね、和田くん!」
尖った言い方をしても、彼女の心には少しも刺さらないみたいだ。そんな様子の彼女を見て、心は苦い表情をしていた。
……間に挟まれる僕の気持ちを少しは考えてほしいものだ。
「えっと……前回いなかった人がいるみたいなんだけど……」
心と彼女が話していると、前で困ったようにおろおろしている係長の女の人が言った。
申し訳ない。かなり申し訳ない。
さっきから係長が何やら話そうとしているところを完全に無視して話し込んでいたのだ。
「あ! うちのクラスの委員、引っ越すことになって急遽代わったんです! 和田愛くんです!」
彼女がそう言ったので、とりあえず僕は彼女の言葉に合わせて軽く頭を下げた。
すると、僕を紹介するというミッションを彼女に取られてしまったからか、心は悔しがりながら彼女の後に続けた。
「俺は愛くんの弟の和田心です。たまたま委員を代わってと言われて一年八組の文化祭実行委員をやることになりました」
わざわざ僕の弟というところを強調して言うと、心は対抗心をむき出しにして彼女の方を見た。彼女はそんなの少しも気にせずにニコニコと前を向いていた。
「そうですか。和田くんたちは兄弟なんですね。これからよろしくお願いします!」
監査と見回りの係長の先輩は、真面目でとてもいい人そうだ。全身から頑張っているオーラがあふれている。
そんな人が率いるチームにこんな厄介事を持ち込んでしまい、申し訳ないばかりだ。
その後、係長がこの班の細かいスケジュールや仕事内容を説明してくれた。監査・見回り班のスケジュールは、文化祭準備期間に入るまではほとんど仕事がないようなものだった。つまりは実行委員の中でも楽な係らしい。
でもその代わり、当日は見回りをするために時間を取られるというわけだ。クラスの仕事をしないでそこらへんを歩き回るだけでよくなるから、僕にとってはむしろ好都合だった。
***
最後まで心は一方的に彼女にイガイガとした言葉を投げながら委員会は終わった。
「じゃあ愛くん、またあとでね」
彼女を僕の横に残して自分は部活に向かわなければいけないことがかなり不本意と言った顔をしながら、心は僕に手を振った。
「またね、和田くん!」
彼女がそう言ったけれど、心はちらりと目線を向けたくらいで何も言わずに去って行った。
「和田くんのこと、とっても好きなんだね、弟くん」
「ごめん あんな態度だけどいいやつなんだ」
「うん。なんとなくわかるから大丈夫だよ」
彼女はそう言うと、くすっと小さく笑った。
「でも、兄弟がいるってうらやましいな。私一人っ子だから憧れるかも」
確かに、僕は心がいなかったら……と思うことは今までに多々あった。心は言葉通り、いつも僕を守ろうとしてくれる。
「あ、私も弟くんみたいに愛くんって呼んでもいい?」
「なんで?」
いきなりの彼女の申し出に、僕は眉間にシワを寄せた。
もし心の前で僕のことを名前で呼んだりしたら、心は今度こそ彼女を
「だって弟くんも和田くんで、和田くんも和田くんでしょ? ややこしいじゃない」
「僕この名前あまり好きじゃないんだ」
それに、僕はこの名前があまり好きじゃなかった。だから、今までも僕のことを名前で呼ぶのは僕の家族ぐらいだった。まあ、名前で呼び合うほど仲のいい人なんて他にいないのだけれど。
「いい名前だと思うけどな、愛と書いていとしくん。私は好きだよ?」
「君が好きでも僕は嫌いだ」
「決めた! 私が呼びたいから呼ぶ!」
僕の話など彼女はすっかり無視した。結局彼女がやりたいようにするらしい。
いつも彼女は強引だ。委員会に僕を引きずり込んだ時も、僕に拒否権はほぼなかったし、今もそうだ。だから、彼女のペースにどんどん巻き込まれてしまう。
「私のことも名前で呼んでいいんだよ? ことはって!」
「遠慮しておく」
僕がそう返すと、彼女は不満げに頬を膨らませた。
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