3-9 夏の誘惑



 夏の日差しは、必要以外に外出はしない主義の僕には想像以上に酷だった。僕の黒髪はじりじりと焼けるような暑さをそのままに受け、僕自身に増幅した熱を伝える役割を果たしている。今日ばかりは、茶髪に染めている人たちがうらやましい。

 日陰に入ると日差しは幾分かましになるけれど、陰日向関係なくじめっとした湿気たっぷりの熱は相変わらず僕に付きまとっている。

 文化祭でお世話になるポップコーンの会社に行くと、人のよさそうなおじさんが対応してくれた。僕が言葉を持たないことを一応メールで説明しておいたからか、おじさんは少し僕に好奇の目線を向けただけで、あとは何も言うことなく淡々と説明してくれた。パイプ役の彼女きくもとにも今日の流れを説明しておいたからか、想像していたよりスムーズに事は進んだ。

 一通り説明が終わった後はポップコーンの試食をさせてくれた。塩やキャラメルの定番の味から、チョコレートやいちごミルク味なんかもあって、なかなか興味深かった。僕たちは独断と偏見で決めた5種類の味のポップコーンを販売することになった。


「ねえねえ、アイス食べたくない?」


 彼女は水色のストライプのワンピースに、麦わら帽子といういかにも真夏に適した格好をして、僕の隣をまるで当たり前といった様子で歩いていた。

 じりじりと照りつける太陽は、彼女の提案をやたらと魅力的に見せる。そして、目の前にあるアイスクリーム屋さんの放つ冷気もそれを手伝っている。

 誰かと外でアイスクリームを食べるなんて、もはや何年振りだろう。気恥ずかしさが少しあったが、いとも簡単に僕の心は欲望に負けた。


「行こう」


 夏の暑さには、誰も勝てないのだ。

 彼女はその三文字を見て、ぱあっと顔を明るくした。僕の腕を取って、ぐいぐいと店内へ引っ張ってくる。

 冷気の中へ入ると、やっと生き返った気がした。この暑さのせいか、店内は大盛況だ。僕たちもその列に並んで、カラフルなアイスがいくつも並べられているショーケースを見る。


「真夏のスノーマンアイスだって! 二つの味が選べるんだ~へえ~! これにしようよ!」


 彼女がそう言いながら指さした先には、キャンペーンの内容が書いてあった。一番大きいアイスを頼むと、上に一番小さいアイスを無料で追加してもらえるらしい。なんとも魅力的なキャンペーンだ。


「いいね」

「愛くん、意外と甘いもの好きだもんね」

「うん好き」


 彼女は嬉しそうに笑った。


「なに味にする?」


 アイス屋さんでアイスクリームを誰かと食べることなんて久方ぶりで、色とりどりのフレーバーに次々に目移りしてしまう。チョコレートやバニラの定番も捨てがたいし、ミルクキャラメルやチョコチップクッキーなんかもいいかもしれない。でも抹茶も好きだし、フルーツのシャーベット系もしつこくなくてこの暑さには美味しそうだ。


「うははは、めっちゃ悩んでるじゃん」


 彼女は僕がじっとアイスクリームを見ている様子を見て、豪快に笑っている。


「いつもは何か決めるときとか興味なさそうにしてるのに、たかがアイスごときで悩むんだね」

「いいじゃん。だって滅多に来ないからさ、こういう店」

「……また来ようよ。いつでも行くよ、一緒に」


 僕の言葉を見て、彼女は静かに微笑んで言った。


「一緒にぜーんぶ! ぜんぶのメニュー、二人で食べつくそう! 目指せ全制覇!」

「何日かかるかわからないね」

「へへへ、毎日一緒に来てもいいんだよ?」

「遠慮しておきます」

「えー、私はいつでも準備オッケーだから!」


 毎日彼女と会うなんて想像もつかない。しかもアイスを食べるためだけに。


「キャラメルと……チョコチップクッキーにしようかな」

「私はこのカラフルロリポップとチョコミントー!」

「チョコミントなんて歯磨き粉でしょ」


 ありえない。邪道だ、チョコミントなんて。

 昔一口だけ食べたことがあるけれど、食べれたもんじゃなかった。まるで歯磨きをした後にアイスを食べているようだった。もともとミントがあまり好きじゃないからということも手伝って、それ以降一度も食べていない。


「ちっちっち。チョコミントの良さがわからないなんて、愛くんはまだまだおこちゃまだね」

「おおげさな」

「人生の半分損してるよ」

「あれ、君も玉ねぎ食べられないんじゃなかったっけ? 君は人生の半分以上を損していると僕は思うよ」

「玉ねぎはしょうがないんですー!」


 僕たちがこんな会話をしながらやりあっていたら、前にいたカップルの男の方が後ろをチラリと振り返った。

 二人で会話していると、よくあることなのだ。僕は声を発していないから、まるで彼女が一人で話しているように周りには聞こえてしまう。不思議に思う人も多いらしく、しばしばじろじろと見られることもあった。

 そんな視線を、まったく彼女は気にしないから僕は彼女をすごいと思う。


「あれ? なんだっけ、愛くん頼むやつ」

「キャラメルとチョコチップクッキー」

「あ、おっけーおっけー」


 僕たちの番が回ってきて、彼女は僕の分の注文と彼女の分の全てを伝えた。店員さんは、イニシアティブを取る彼女と一言も話さない僕を見ながら、不思議そうに対応していた。





 何とか空いている席を探し出して、向かい合わせの小さな丸いテーブルに二人で座った。

 僕は食べているうちに溶けるだろうと思ってカップを選んだけれど、彼女はコーンが好きだからと欲張ってコーンを選んだ。結果、食べる前からアイスクリームは溶けだしている。

 上のミントグリーンのチョコミントとピンクや紫が基調の下のアイスの色が混ざり合ってなんとも食欲をそそらないカラーになっている。彼女は垂れているアイスの雫を舐めてとった。

 僕もアイスを一口食べると、冷たさが口に広がった。すぐにアイスは口の中で解けてしまう。


「ねえ、ミント食べなよ」

「いいよ」

「そのいいよはOKのいいよ? それともいいえのいいよ?」

「いいえ」

「ちぇ。残念。愛くんのアイスも食べたかったのになー」

「そんなことだろうと思った」


 彼女の目が僕のアイスをじっと見ていたことに、僕は気づいていた。しょうがないから彼女にも少し分けてやろうと思って、僕はカップを彼女に差し出した。


「え? いいの? 愛くんも私の食べていいよ?」


 彼女も僕にアイスを差し出してきたけれど、僕は首を振った。チョコミントと僕の舌はどうしても相容れないのだ。


「うわーキャラメルもチョコチップもおいしいねー!」


 彼女は僕のアイスをガッツリ食べて、満足そうに笑った。





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