3-10 心の葛藤
アイスを食べ終わって、僕たちは帰り路を二人で歩いていた。これで
しかし、僕は知っている。いつか彼女が僕から離れていくのだろうということを。そして、いつか彼女は僕のことを裏切るだろうということを。
彼女の事は、信頼している。喋ることができない僕をあらゆるときに助けてくれるし、きっとこれからも助けてもらう場面があるだろうから。けれど僕は、彼女を信用するには至っていない。
僕はかつていた僕の“友達”に裏切られたから、もう人を信用することはできない。それは家族以外のどんな人にも適用される、僕の中のルールだ。
だから、決してこの時間に慣れてはいけないのだ。この時が永遠に続くとは思ってはいけない。いつか終わりがくるものだと理解して彼女と付き合わなきゃいけない。彼女がいなくなったとき、余計に苦しくなるのは僕なのだ。これは僕の一つの予防線だった。
裏切られた時に辛くなるのは僕だ。何も知らない顔で生きていくのは彼女だ。
僕と一緒にいなくなっても彼女は困らないだろう。彼女は日向。人に囲まれて生きていくのだ。残されるのは日陰に佇む孤独な僕だけだ。
頭では、わかっているのだ。分かっているのだけれど、なぜか僕は彼女と一緒にいることを選択してしまう。悪い傾向だ。自分で自分の首を絞めている。
「綺麗だねー」
駅までの川沿いの道を歩いていると、彼女が足を止めてポツリと呟いた。僕も同じように足を止めて、川を眺める。傾いてきた太陽に、水面はキラキラと反射して輝いている。眩しすぎて目を細めてしまうほどだ。
「あ、野球やってるー。愛くんは何かスポーツとかやってなかったの?」
河辺のスペースにグラウンドがあり、そこで地元のおそらく小学生たちが野球をやっていた。練習試合でもしているのか、周りで大人も試合の様子を見守っている。
「ないよ」
実を言うと、僕も小さい頃に親に連れられて、サッカーの体験にまでは行ったことがあった。けれど、一緒に行った
昔から外で遊ぶよりも家の中で遊ぶ方が好きだった僕にとって、それは当然の結末だった。
「君はダンスだっけ?」
「うん。やめちゃったけど、好きだった」
「なんでやめたの?」
「自分に限界を感じたから」
ポツリ、と彼女はそう言葉を零した。彼女の視線は、変わらず水面に注がれている。
何を思っているのだろう。
限界を感じた、というのは才能を感じられずに辞めた僕と同じ意味で言っているのだろうか。いや、なんだか彼女の言い方だと少し違う気がする。好きだった、彼女は確かにそう言った。好きだったなら、簡単にはやめないのではないだろうか。限界を感じても趣味として続けられるのではないだろうか。
頭からふつふつと疑問が噴出してくる。
「あ、わんこだー! かわいい!」
僕が言葉を考えている間に、彼女は見知らぬおばさんと歩いてきた大きなゴールデンレトリバーの方にすでに気を取られていた。
彼女にとってはそれくらいのことなのだろうと思うと、さっき頭の中に浮かんだ疑問はすぐにはじけて消えた。
「こんにちは!」
「こんにちは」
彼女が挨拶をしたので、僕も小さなお辞儀をした。おばさんは温厚そうな笑顔で微笑んでいる。
「かわいいねー」
ゴールデンレトリバーは、彼女に撫でられて嬉しそうに笑っている。ぶんぶんとしっぽを勢いよく振っていて、ずいぶんと愛想がいい。
僕も彼女のように足をまげて姿勢を低くして、そっと身体に触れた。
家で飼うことはできないけれど、動物は好きだ。どんな時でも慕ってくれるし、同じ言葉を持っていないから彼らからは不満や悪口を聞くことはないし、人とは違って決して裏切らない。そして、ご飯をやる人を必ず必要としてくれる。僕がご飯をあげれば、動物にとって僕は必要不可欠な人間になることが出来る。
ゴールデンレトリバーは、僕が撫でると彼女の方に向いていた顔を僕の方に向けて、僕の手の匂いをひたすらに嗅いだ。そして満足したのか、僕の手に顔を押し当てて撫でろと催促してくる。
――かわいいやつだ。
思わず抱きつきたくなる衝動をこらえて、頭を撫でるにとどめた。
「愛くん、笑顔になるくらい動物好きなんだ……」
彼女の呟きが、僕の耳に届いた。
僕がおばさんに会釈をすると、おばさんは「ありがとうね」と言ってまた歩き始めた。ゴールデンレトリバーの後ろ姿は、足取りが軽かった。
「わん」
彼女は両手をまげて犬の真似をして、僕の方を向いていきなりそう言った。
「……なに?」
不審に思って彼女に聞くと、頬を膨らませて不満そうに僕に言う。
「笑顔で撫でてもらえる犬、ずるい」
「君が犬の真似をすれば僕に撫でてもらえるとでも? 君の頭は犬並みだ」
僕の言葉に、さらにふくれっ面になった彼女。
僕に撫でてほしいなんて、彼女はやっぱり変な奴だと思った。
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