file4-3 相賀赫真とジャッカロープの四人目

 ジャッカロープ一味の焦りが段々と恐怖に取って代わるのが、赫真かくまには手に取るように分かった。

 『格下には暴力を行使しない』という自分のルールを守りつつなので、少々手間ではあるが。特に痛めつけているわけではない。どんな手段を使っても通用しないと思い知らせることで、徐々に追い詰めていく寸法だ。

 夜なのに加え、三人とも覆面で顔を隠しているので顔立ちまでは分からなかったが、一人が女性で二人が男性なのは声で分かる。ヘッドセットをつけており、お互い以外の相手と会話をしている様子もある。ここにはいないが、あるいはもう一人仲間がいるのだろうか。


「ぐはっ!」


 三人の連携は素晴らしいものだったが、そのバランスがとうとう崩れた。巨漢が振り回す腕に、もう一人の男が直撃したのだ。コンクリートに叩きつけられて、バウンドする。


「げぇっほ、げほっ!」

「おいおい、大丈夫か?」


 巨漢は赫真より頭二つは大きく、腕も丸太のように太い。倒れた男もすぐには起き上がれないようだ。そちらに近付こうとすると、何かが体に巻き付いてきた。


「行かせ、ない!」


 巨漢が赫真を羽交い絞めにして持ち上げようと力を込めてくる。中々の腕力だが、赫真の動きを阻害する程でもない。

 そのまま歩を進めると、巨漢が悲鳴じみた声を上げた。


「な、なんで⁉」


 単純に力不足なのだが、それをわざわざ指摘するほど赫真も野暮ではない。

 代わりに、こちらの目的を告げておく。そろそろ向こうも疲れてきたようだから、頃合いだろう。


「なあ、もうやめにしようぜ。盗んだ物を返してお縄につかないか?」

「う、うるさい!」


 過度に反応したのは女性だった。懐から銃を取り出して構えてくる。

 赫真にとって、それほど恐れるようなものでもないのだが、どちらにしろ巨漢を撃ってしまう恐れがある現状、引鉄を引くことはできないだろう。

 巨漢はまだ冷静だったが、恐れおののくような様子で呟いてきた。


「化け物め」

『……から……ろって……んだ!』


 密着していたからか、ひどく遠いが何やら耳が声を拾う。聞き覚えのあるような。

 だが、それを思い返している暇はなかった。呼吸を整え、起き上がった男から問いかけられたからだ。


「何故、我々がここに集まると」

「ただの勘だよ。君らの行動を予測したとかそういう大層な話じゃない」


 いささか探偵としては残念な発言だという自覚はあるが、幸いなことにここにいる誰もそれには触れないでくれた。


「『鳥の楽園』がターゲットじゃないと気付かれていたとは思わなかった」

「ああ、あれな。あの絵の本物がうちのかみさんの実家にあるんだよね」

「え」


 かみさん、と自分で言ってみて気づく。そう言えば自分の素性を明かしていなかった。


『……くそっ、……囮……から……に……なかっ……!』

「そう言えば、ちゃんと名乗っていなかったな」


 何やら再び聞こえてくる。ようやくそれが誰の声かを理解したが、まずは名乗りを優先することにする。


「相賀赫真、探偵です。君たち。それとも、君たちの誰か一人を指して『怪盗ジャッカロープ』と言うのかな?」


 今更感が強いなと苦笑しつつ、一応挨拶をしておく。

 三人もきょとんとしていたが、本気で質問していることを察したのか呆れたように答えてくる。


「怪盗ジャッカロープは、僕たち全員を指している」

「そうかいそうかい。で、だ。四人目は羽計はばり嶺二れいじで間違いないね?」

『げっ⁉』


 三人は態度に表さなかったというのに、当の本人が反応してしまった。台無しである。


「聞こえてるぞ、嶺二。お前、しばらく会わないうちにやくざな業界に踏み入りやがって」

『……か……兄……』

「聞こえることは聞こえるんだが、聞き取りにくいな。悪いが予備があるなら貸してくれないか」


 三人は顔を見合わせた後、諦めたように女性が自分のつけているヘッドセットを外して渡してきた。どうやら予備はなかったらしい。


「すまないね。さて、嶺二」

『う』

「お前、いつからこいつらの仲間になった? 確かシステムエンジニアとして就職していたはずだよな」

『あの、赫真兄。彼らは』

「今質問をしているのは俺だぞ、嶺二」

『う……。最初、からです』

「お前なあ」


 その言葉に、赫真は頭を抱えた。弟分が知らない間に犯罪集団の一人となっていたのだ。怒りよりも悲しみと戸惑いの方が強かった。


「目的は金か? スリルか? どちらにしたって平穏な日常を捨ててまでするようなことじゃないだろう。りんが知ったらどう思うか」

『済まない。でも、俺は彼ら目的が正しいと思ったから協力しているんだ。間違ったことをしたとは思ってない』

「目的がなんであれ、法に触れる行為をしていることが問題なんだ」


 あくまで静かに、弟分の短慮を叱る。

 だが納得していない様子の嶺二は、拗ねたように更に言い募ってきた。


『赫真兄は知らないかもしれないけどね、彼らの目的は『ギムレイのオークション』っていう』

「嶺二!」

『っ……すまない』


 リーダー格の男が、嶺二に鋭い声を飛ばす。嶺二も言い過ぎたと理解したのか押し黙るが、赫真は全身が総毛立つのを感じていた。

 表情が強くこわばるのを自覚しつつ、絞り出すように声を上げた。そのトーンもだいぶ低くなってしまったが。


「ギムレイ、だと?」


 怒気が漏れ出してしまう。その言葉は、それを知る人獣ウェアビーストにとっては禁忌に等しいものだったからだ。


「それはもしかして、『ギャバン・ギムレイの裏オークション』のことじゃないだろうな?」

『知って、いるのかい? 赫真兄』

「事情を確認しないわけにはいかなくなった」


 ち、と軽く舌打ちしつつ、赫真はリーダー格に声をかけた。


「盗んだ品はなんだ?」

「それを知ってどうする」

「この場は見逃してやる。明日……いや、明後日の午後がいいか。嶺二と一緒に俺の事務所に顔を出せ」

「何故そんなことをしなくちゃならないのよ!」

「一つ貸しにしてやる、ということさ。『ギャバン・ギムレイの裏オークション』絡みとなれば、人獣社会全体に関わる案件なんでな」

「それを信じろと?」


 しばし睨みあう。赫真は答えない。元々こちらが譲る立場ではないのだ。この時点で、赫真は自分のルールに対する一切の拘りを捨てることを決意していた。

 自分自身の個人的事情よりも優先されるべき事態であるからだ。


「分かった。これだ」


 ぽい、と無造作に投げ渡されたのは二つの指輪だった。


「これは?」

「ギムレイのオークションに携わる人間の証拠であるというマークが刻印された指輪だ。会場に潜入するために必要だったんでな」

「へぇ?」

「もういいか?」


 暗いとは言え、人虎ウェアタイガーである赫真の目には意匠がしっかりと見えている。確かに凝っているとは思うが。


「いいだろう。嶺二、近々この三人を引き連れて事務所に来い。事情を聞かせろ」

『いいのかい、巻き込んでしまっても』

「その辺りも含めて、お前らに確認しておくことがある。必ず顔を出せよ」

『分かったよ、赫真兄』


 その言葉を受けて、赫真はヘッドセットを外した。こちらを警戒している様子の女性に手渡して、階段に向かう。


「どこへ」

「こいつを返しに行くんだよ。じゃあな、事務所に顔を出す前に捕まるんじゃないぜ」


 まだ警戒を崩さない三人を置いて、赫真はその場を後にした。

 手元で指輪を弄びながら。


***


 赫真が盗まれた指輪を取り返してきたことを知ると、野口は涙を流さんばかりに喜んだ。

 指輪はどうやら遠藤社長の結婚指輪であるらしく、確かに予告状にあった『最も盗まれたくないもの』の条件に合致してはいた。

 聞くと、絵は予告の時間になった途端に煙を上げて消えてしまったという。後には枯れ葉が一枚落ちており、事情に明るい者が見れば五代目飛田とびた大狐おおぎつねの仕業だとすぐに分かる仕掛けだったわけだが、ジャッカロープだけに気を向けていた獣対課は大混乱に見舞われたとか。

 ミトラが飛田老人に会ったことを伝えなければ、野口たちは今も状況を把握できずにバタバタしていたことは想像に難くない。


「ともあれ、取り返せてよかった」

「はい。ありがとうございます」


 ここはエンドウビル近くのホテルの一室である。ビルの中は上から下まで現場検証の最中ということで、社長の家族は用意されたこのホテルに泊まるよう指示されていた。

 青い顔の遠藤社長が、憔悴した様子で頭を下げてくる。直接手渡したものの、反応は鈍い。大切な指輪が戻ってきたことを喜んでいるようには見えない。『鳥の楽園』は盗まれたままなので、喜べないのも当然と言えば当然だ。贋作だと知っているのは赫真たちだけなのだ。

 被害者であるはずの彼だが、周囲が向ける視線は微妙に冷たい。

 義賊飛田大狐は、決して真っ当な人間からは盗みを働かないからだ。飛田大狐が盗みに入ったあと、盗みに入られた家の悪事が先に暴かれてしまったなどという話も少なくないのだ。

 獣対課が飛田大狐を検挙しようとしていないわけではないのだが、飛田稲荷は全く証拠を残さないので検挙されたことがない。

 獣対課は飛田稲荷の下部組織ではないか、などという陰口をたたかれることさえあるのだ。

 つまり。遠藤社長は飛田大狐によって悪人と認定されたと獣対課は捉えたということだ。それが伝わっているわけはないだろうが、遠藤社長も妙な居心地の悪さは感じているようだ。


「そういう態度を見せるから飛田稲荷の下っ端って言われるんだよ」

「うっ」


 遠藤社長は人獣ではないということなので、少し離れてからぽそりと呟く。聞こえていたらしい野口が呻くが、反論はない。

 赫真は苦笑交じりに野口の肩を叩きつつ、密かに遠藤社長の様子を見る。他に何かなかったかと聞かれたわけではなかったが、当の遠藤社長の方からも探るような視線を感じたからだ。

 素知らぬ顔で無視していると、落胆しつつも諦めたようだ。


「すいません。疲れたので休みます」

「ええ。私どももこれで失礼します。ゆっくりお休みください」


 野口達と一緒に部屋を出る。表には恵乃えのが待っており、連れだってエレベータに向かう。野口と恵乃はこの後もエンドウビルで徹夜だそうだ。

 遠藤社長は受け取った指輪を最後まで握りしめていたが、そこに注意を払っているようには見えなかった。エレベータに乗ってから、見城に声をかける。


「なあ、恵乃。あの社長さん、絵を盗まれた時からずっとあんな感じか?」

「え? いえ、盗まれた時には驚いてましたけど、私たちに無能だの役立たずだのって怒鳴りつけるくらいの元気はありましたよ」

「元気じゃなくなったのは?」

「そういえば、その後一旦上に引っ込んで、降りてきた時には真っ青な顔になってましたね。指輪がなくなったのがショックだったのかな」

「ふむ」


 その割には、指輪が戻ってきた時にはあまり喜んでいなかったようだ。お手柄ですね赫真兄ちゃん、などという言葉を適当に聞き流しながら溜息をつく。

 どうやら、ジャッカロープ一味が盗んだ本命は指輪ではなかったようだ。


「あのバカども、何かやばい物を盗み出したんじゃないだろうな」

「相賀先生、何か?」

「いや、何でも。すみませんでしたね、取り逃がしてしまって」

「いえいえ。指輪を取り返せただけでも大きな結果です。ありがとうございました」


 もしもギャバン・ギムレイの裏オークションに直接関わる品が盗み出されたのであれば、遠藤社長は警察には届け出せないだろう。

 ミトラもこちらの表情を見て何かを察したらしく、ちょいちょいと袖を摘まんで引いてきた。

 頷き返す。どうやら今度も厄介な事件に巻き込まれたようだ。


***


 被害者の遠藤社長からの紹介と名乗る人物から、依頼があると連絡があったのは翌朝のことだった。

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