幕間2
fileX-2 相賀赫真と兄と受付嬢
太賀貿易は
さて、そんな太賀貿易本社ビルの受付で、赫真は困った顔で受付嬢と対峙していた。
「アポイントのない方は、申し訳ございませんがお繋ぎできません」
「ええと、一応聞いてみていただけませんか? 社長に相賀赫真が来たと伝えていただくだけで良いのですが」
「申し訳ございません」
現在、義父の誠は経営の一線から退き、この建物にはいない。社長室に居るのは誠の実子で、赫真の義兄に当たる
一応、赫真はアポイントなしでの訪問を許可されている立場であるのだが、見慣れない目の前の受付嬢は、どうやらこちらの素性を知らないようだ。
赫真の手には、義兄夫妻と義父母に渡す予定のレオーテ王国土産があるのだ。ここで預けたとして、ちゃんと彼らの手元に届くかは甚だ不安である。
そろそろ昼休みの時間の筈なので、会議中でもなければ時間はあるはず、なのだが。
「困ったな。日持ちしないんだよな、これ」
いい加減根負けしかかって、一旦帰ってアポイントを取り直さないと無理かな、などと考えていると――
「か、赫真坊ちゃん!」
「
義父の側近であり、今は義兄の補佐として副社長に就いている班目がちょうどエレベータから降りてきたのだった。
とは言えこちらももう三十を過ぎたのだ、そろそろ坊ちゃんはやめて欲しいのだが。
「お久しぶりですね、坊ちゃん。今日は社長に御用ですか?」
「ええ。仕事でレオーテに行っていたので、義兄さんたちに土産を」
「そうですか、それは会長も喜ぶでしょう。君、社長は何と?」
「え? 副社長、あの、こちらの方は……?」
班目の反応に、困惑した様子の受付嬢。
その様子に事情を察したのか、深い溜息をつく班目。
「アポイント無用の来客については通知してある筈ですよ? こちらは社長の弟さんの赫真さんです。今すぐ社長につなぎなさい」
「ええっ、この胡散臭い感じの人がですかぁ!?」
「君っ!」
「いやあ、胡散臭くて申し訳ない」
目を吊り上げる班目に被せるように、赫真はへらりと笑って頭を下げた。
受付嬢も思わず出た言葉が無礼だったのは理解したようで、慌てて電話を取って二人の視線から身を隠した。
「坊ちゃん……」
「まあまあ。このくらい大したことじゃありませんよ」
「いえ、後で説教です。社長のご家族に対する無礼は坊ちゃんに免じまして許しますが、虎群会議の四席相手への無礼は大きな問題でしょう」
「ああ、まあ」
ふん、と鼻息荒く腕組みをする班目。これ以上は言っても無理なのは、過去の経験からも明らかだ。内心で受付嬢に軽く詫びつつ、そちらの反応を待つ。
「ええ、はい。分かりました。すぐにお通しします!」
固い表情で電話を切った受付嬢は、何とか笑顔に見えなくもない程度に表情を緩めて言った。
「しゃ、社長がお待ちです。そちらのエレベータからどうぞ」
***
「班目さんもブレないな! しかし済まなかったね赫真」
「いや、全然問題ないよ」
ゆったりと上質のソファに体を預けて、赫真は淹れられた茶を一口含んだ。
比較的猫舌の
ほっと一息つきながら、赫真は嬉々として土産の包装を解く義兄に目を向ける。
「そんなに慌てなくても」
「そうだね、赫真の土産だと思うと気が急いていけない。おお、レオーテ産のコーヒーか。後で楽しませてもらうとしよう」
それで、と青壱がにこやかに赫真に視線を向けた。
「今日はどうしたんだい? ああ、まあ大体見当はついているんだけど」
「
「うん。赫真が自分より上の席次にならない限り会議には参加しないとさ」
「まったくもう」
自分を理由にされると説明が難しいんだけど、と唸る赫真である。
青壱の実父であり、赫真の義父である太賀誠は、実子の青壱ではなく、義息である赫真を虎群会議での後継に指名した。
表立って批判する者はなかった。赫真が先祖返りであること、生まれ持った能力は確かに虎群会議の席次を継ぐに足るものだったからだ。
しかし赫真はそれを断った。青壱もまた、誠の後を継ぐに力量も人望も不足していなかったし、何よりそれによって太賀の家を支える者が割れる可能性を感じたからである。
「親父も頑固だからね。お前が席次を上げない限り、家に入れるつもりもないだろう。お袋も会いたがっているんだが」
「まあ、それについては俺が決めたことだからね。義母さんには会おうと思えば家の外で会えるわけだし」
「そうだな。たまには赫真の事務所にでも顔を出すように伝えておくよ」
赫真の決断を、誠は咎めなかった。声を荒げもしなかった。
しかし、太賀の本家から虎群会議に二人の席次持ちが出ることを危惧し、赫真を既に絶えた分家である相賀家の跡継ぎとすることで送り出したのである。
そして、その辺りの判断を独断でしたことを言い訳に、大虎殿に隠居を申し出たのであるが、それは当然のように却下された。
誠は大虎殿の右腕であり、その事実は年齢によって左右されないからである。
以後、誠は何かと理由をつけて、虎群会議に姿を見せるのを拒むようになった。事情を説明した大虎殿からは、折に触れては説得を命ぜられるのだが。
「やれやれ。クソジジイも義親父に言うこと聞かせたいなら自分で言えばいいのに」
「お前、大虎殿をそういう風に呼ぶの止めないか……? あの方を神様のように崇拝してる人、少なくないんだぜ」
赫真の物言いに青壱は頬を引きつらせる。
大虎殿は世の人虎にとって、憧れの存在と言っても良い。
表社会においても類稀な財力と権力を併せ持つ、世界有数の人獣組織の長。英知の人であると同時に、今もって虎群会議において最強と呼び声高い肉体の頑健さ。
先代筆頭から座を引き継いで以来、『喧嘩に負けたら即座に筆頭の座を明け渡す』と公言しており、毎年国内外の猛者が挑んでは敗れるというのが虎群会議の風物詩でもあった。
「そんなに大した爺さんじゃないけどな、あのジジイ。怒りっぽいし子供っぽいし」
「お前、そんなことが本人の耳に入ったらどうするんだよ」
「いや、大丈夫じゃない? 日頃から言ってるけど特に何も」
「そんなことを言って許されるのは、お前だけだからな。で、そういう特別扱いを苦々しく思う連中も多いんだ、気を付けろよ」
「さすがに公式の場では言わないから大丈夫だよ」
多分。
茶菓子として用意されたケーキを一口で頬張り、甘みを存分に楽しんでから紅茶を飲み干す。
ミトラへの土産用として包まれた箱を持ち、赫真は軽やかに立ち上がった。
「うし、用件は終わり! 時間を取らせて悪かったね、義兄さん」
「構わないさ。またいつでもおいで。受付にはちゃんと伝えておくから」
「悪いね」
「それと、もう一つ。これはお願いなんだが」
「ん?」
「大虎殿のサイン、貰って来てくれないか。嫁の従兄弟がファンらしくてね」
「……直接もらえば?」
貰ってくるのはやぶさかではないのだが、本人のドヤ顔を見せつけられるだろうから精神衛生上よろしくない。
紹介して直接預かれば赫真のダメージは比較的減る。そもそも青壱も虎群会議の席次持ちなのだ。直接頼めないわけでもない。
が、青壱は神妙な表情で首を横に振った。
「いや、いい。お前が嘘をついているとは思わないからな」
「え?」
「俺だって大虎殿には憧れがあるんだ。お前の言葉通りの様子を見て幻滅したくない」
「りょーかい」
気持ちは分からなくもないので、頷いておく。
ドヤ顔を我慢すればいいだけのことだ。
「じゃあ。また来るよ。元気でね、義兄さん」
「ああ。お袋が行く時には連絡させるよ」
忙しい仕事の時間を縫って応対してくれた義兄に感謝を告げつつ、赫真は社長室を後にした。
エレベータに乗り込み、溜息混じりに呟く。
「義親父も頑固なんだからなあ。爺さんも難儀するぜ」
青壱には自分で言えばいいと言ったものの、赫真は大虎殿が誠に直接言わない理由を理解していた。
自分が言えば、誠は自分の意志を押し殺して会議の席に顔を出すと分かっている。だが、それはけじめをつけた彼の意志を踏みにじるものであり、そのような結果を大虎殿は望んでいない。
とはいえ、大虎殿が自分を筆頭に推す理由がそこにあるとは赫真には思えないわけだが。
「面倒を背負いたくはないんだけど」
エレベータが一階に停まる。
そこには何やら目を輝かせた受付嬢が立っていたので、赫真はひとまず無言でその脇を通り過ぎた。何やら不穏な雰囲気だからだ。
「相賀様、先ほどは失礼を致しました」
しかし、言葉は赫真の足よりも速かった。
「いえいえ、お構いなく」
「そんなこと、おっしゃらないでください。私、どうしてもお詫びを申し上げたくて――」
目を合わせてはいけない。本能の申し出に従うが、どこをどうやって回り込んだのか、受付嬢は赫真のスーツのポケットに右手を差し込んできていた。
「私の連絡先です。お暇な時にご連絡くださいね?」
「いや、必要ないですから――」
「私、愛人からでも一向にかまいませんから」
こちらが構うのだ!
赫真は思わず言い返そうと受付嬢の方を見やり、その目に戦慄を覚える。
獲物をロックオンした、獣の眼光。
「連絡することはないと思いますので。じゃ!」
こういう手合いは、相手にしないことが一番だ。
そう心得ていた赫真は、躊躇なく撤退を選択した。建物の中であることにも構わず、全速力で駆け出したのだ。
「あん、つれない」
背筋に寒気が走る。
赫真はひとまず逃げおおせたことを確認しつつ、ポケットの中に仕舞われたメモ――が書かれた女性ものの下着――を取り出した瞬間、再びポケットにそれを突っ込んだ。
「な、なぁ――ッ⁉」
太賀建設から出れば、そこは往来だ。
少なくない人通りがある中で、簡単にそれを捨てるわけにはいかない。
赫真は恐る恐る背後を振り返った。
笑顔で手を振る受付嬢。
「俺、これから毎回あの人の前を通ることになるのか……?」
新手の嫌がらせだろうか。
赫真は軽く涙目になりつつ、ひとまず事務所に戻ることにしたのだった。
彼が事務所に戻るまでにメモを処分したのか、あるいは出来たのかは不明である――
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