file4-7 相賀赫真と獣の定義
三人の手首と腰はロープで拘束してあり、赫真が引いて歩く様は、本当に犯罪者のようである。
「まさかこれほど早く依頼を達成していただけるとは」
「ええ、私も驚いています。引き渡しはこの場で?」
「いえ。弊社の佐田がぜひご挨拶をと。ご案内致します、こちらへ」
応対をしたのは秘書室長の市間だった。応接室に通されて、建物の主の来るのを待つ。
ジャッカロープの三人は抵抗する様子もなく、無言で立ち尽くしている。赫真も声をかけたりはしない。
と、足音が聞こえてきた。複数人の足音だ。
無遠慮にドアが開けられ、入ってきたのは恰幅の良い老人だった。人当たりの良い笑顔で、朗らかに名乗ってくる。
「やあやあ、お待たせしましたね。ええと?」
「相賀先生です、会長」
「そうだ、相賀先生! 初めまして。とても有能な方だと聞いております。佐田グループ会長の佐田衆円と申します」
「初めまして会長。私立探偵の相賀赫真と申します」
赫真が頭を下げると、佐田はうんうんと頷いた。
ソファにどかりと座りながら、続いて赫真の背後に立つ三人に目をやり、首を傾げる。
「彼らが怪盗とやらですかな?」
「ええ。ジャッカロープ一味、と呼ぶべきでしょうか」
「ほお、成程。本当にやり手でいらっしゃるのですな、先生は」
佐田にじろじろと見られているが、誰も反応はしない。ううむと唸りながら、佐田は隣に立つ市間に確認する。
「彼らに狙われる理由が分からんのだが、市間、お前は分かるか?」
「はい、会長。先ほど顔を履歴で確認しましたところ、五年前に廃棄したはずの三体でございました」
その言葉に、赫真は反応を返さなかった。こちらを抱き込むつもりか、生かして返すつもりがないのか。どちらかであることは最初から分かっていたことで、特別意外ではなかった。
どうやらこちらの反応を探っていたようで、赫真が反応しないと分かるや会話を加速させる。
「廃棄したと? 勿体ない、理由はなんだね?」
「この三体は、梶村博士による因子発露のコントロールを目的に行われた実験の対象でした。一号と二号は複数の因子発露が確認されたために廃棄。三号は単一因子のコントロールには成功しましたが、因子発露が不十分でしたので廃棄が決まりました。因子発露のコントロールはコストが高まる割に成功率が低いと判断され、計画はその後凍結されています」
「そうか。ふむ、先生は驚かれないのですな?」
「何やら人体実験を行ったというのは分かりましたが」
「人体? 人体ではありませんよ先生。動物実験です」
佐田は笑顔のままそう告げる。表情を変えずに動物実験と言い切る、そのおぞましさに赫真は思わず体を震わせた。
「動物、ですか。なるほど、人もまた動物ですからね」
「違いますよ先生。そういう意味ではありません、それらは本当に動物なのです」
そう断定し、人差し指を立てて佐田は顔を近づけてきた。
段々とその笑顔が、形を変えたわけでもないのに醜悪なものに見えてくる。
「先生は
「ええ、人並みには」
「では詳しく説明致しましょう。やつらは人間社会の中に紛れ、人間のフリをして生きているのです。私どもはボランティアでそういった人間モドキを探し出し、もとの獣の姿を取り戻させるといった行動をしておりましてな」
「ほぉ?」
「人獣は満月の夜にしか獣の姿を取りませんし、最近は獣の姿を取らない新種も出てきている始末。獣が人に紛れて生活しているなどおぞましいことこの上ない。そうは思いませんかな?」
「さて、私にはその辺りはよくわかりませんが」
「でしょうなあ。その辺りは、人にしか理解できない感性であろうと思いますよ。先生は確か、
「ええ」
よく調べている、と内心で舌を巻く。戸籍があるから無茶はするまいと思っていたが。
佐田と目が合う。こちらを見透かそうとしているようで、何とも気分が悪い。
「つまり、出自が明らかでないということ。よろしければ血液検査をさせていただけませんかな? 人であるならばこれまでのご無礼をお詫び申し上げつつ、私どもの飼育している人獣を一頭差し上げましょう」
「血液検査の必要はありませんよ。私は人です」
「申し訳ありません。人獣どもは皆そう言いましてな、ぜひ――」
「ヒト科
「……き」
堂々と、言い切る。
佐田は目を円くしたあと、堪え切れない様子で笑い出した。
「ききき、キキキキキッ! いやあ、まさか人の一種であると言い切る人獣が現れるとは! 愉快、実に愉快!」
「人ですからね、実際。まあ、あなたのような人に、私も普段から聞いていることがあるのですよ」
「何です? 獣の戯言でも今は気分がいい。聞きましょうとも」
「あなたが猿の人獣ではないということを証明しちゃあくれませんか」
「何ですと?」
「あなたが
赫真もまた、笑みを浮かべた。体に力が満ち始めているのが分かるが、意志の力でそれを押さえつける。
まだ早い。
佐田は笑顔を収めた。ひどく機嫌を損ねたような顔で、だがなおも愉快と言うのだ。
「愉快なことを言う獣だ。人獣の因子を持った者がどういう姿を取るのか、教えてやろう。市間」
「はっ」
と、声をかけられた市間が躊躇なく自らの首筋に注射器を突き立てた。
表情を変えずに青い薬液を注入する。
「弊社の新製品です。今までは因子を呼び起こした者であっても、薬剤の効果が切れれば満月の夜にしか獣の姿を取らないのが難点でしたが、これはその効果が満月の夜に限らないのです」
「あんたも人獣か」
「はい。佐田製薬研究機関、実験動物タイプ人狼。佐田グループの作り出した貴重な成功例であり、忠実な消耗品です」
みきみきと音を立てて、市間の姿が変貌する。
だが、それは人狼と呼ぶにはあまりに歪なかたちだった。確かに犬系の人獣ではあったのだろう。遠目から見れば狼に見えなくもない。しかし、所々の毛色も違えば、顔の左右すら非対称だった。
この程度で成功例だと誇らしく言う市間が哀れで、佐田グループで失敗とされた人獣たちがもっとたくさん生み出されたであろう事実が悲しい。
「嶺二にも注射したのか」
「ああ、したとも! 彼は猫の人獣だったな。比較的顔は順当に猫の姿を取ったが、残念ながら肩から下は上手く因子が出なかった。好事家の中には喜ぶ者もいるかもしれないが、商品としては失敗かね」
「そうか」
視界が真っ赤に染まる。これは怒りだ。
市間が空気を察してか、佐田をかばうように立つ。
「よくわかった。お前たちがギャバン・ギムレイの系譜だということがな」
「ほう、ギャバン・ギムレイのことを知っているのか。確かに、私たちはギャバンの孫を名乗る人物から薬物の情報を提供された。ここは彼にとってはフランチャイズ先のひとつに過ぎないようだね」
「孫だと?」
「ああ。ギャバン・ギムレイは何故あれ程の財を得たと思うね? 彼はある少数民族に伝わる『人獣の力を蘇らせる薬草』を得て、それによって生み出した人獣を最初、ある宗教に売った」
佐田は顔を歓喜に歪めて語り出す。
語りたかったのだろう。仲間にも語ったことのないであろう、その事実を。
「教祖は薬草の調合方法と、その人獣を購入した。教団に貯蓄してあった財の半分をギャバンに提供したというからその喜び方が分かるだろう。教祖はその人獣を生きたまま解体し、頭骨までもが獣のものであるとして人獣を獣の仲間と宣言したわけだ!」
ききき、とまるで猿のような笑い声を漏らしながらまくしたてる。
「ギャバンは以後も教団をパトロンとして活動を続けた。娘を教祖の息子に嫁がせてもいる。分かるかね? ギャバンの死で終わったのではない。ギャバンの死から、ギャバン・ギムレイの裏オークションは本当の意味で始まったのだ!」
「分かりますか、相賀先生。我々は獣なのです。家畜として、主人のために尽くすことこそ本懐」
それが正しいと、信じ切ったような声音で告げる市間。
佐田は満面の笑みを浮かべた。赫真を見て、楽しそうに言うのだ。
「相賀くん、君の獣としての姿が見たいなあ」
と。
***
赫真は溜息をついた。このままでは勢いのままに吼えてしまいそうだったからだ。
感情を押し殺して、宣言する。
「俺はあんたたちを叩き潰す。おそらく、一切の良心の呵責もなくそれをすることが出来るだろう」
「キキキ、キキキキキ! 君は知らないかもしれないが、人獣は獣の姿を取る者の方が獣の姿を取れぬ新種よりも強いのだ! 君は後ろの三人と力を合わせたところで、この市間には勝てないのだよ! 更に!」
佐田は勝利を確信している。だからこそ、饒舌に語るのだ。
そして赫真を、ジャッカロープを見世物として、商品として扱う未来を夢想しているのだろう。上機嫌に笑いながら。猿のように体を揺らして。
「よしんば逃げおおせたところで、このオークションの参加者は経済力も力もあるのだ。君ひとりで何が出来るね?」
「そうだな。俺ひとりじゃ、そこの市間さんを叩きのめすくらいしかできないかもしれないが」
ふと、窓の外を見る。日は沈み切り、街灯と満月の明かりが夜を照らし始めていた。
既に体にかかる力の奔流は、赫真の頭を埋め尽くす怒りと重なって弾けそうにさえなっている。
と、これまで黙っていた後ろの三名がようやく口を開いた。
「若旦那、三人からつなぎが入りやした。もう一人のお仲間さんを助け出したそうですぜぃ」
「もう筆頭殿だよ親父。皆さんも準備が出来たと仰っておりやす。お吉、窓を開けな!」
「あいよぅ、親父ぃ!」
威勢よく叫んだ少女が、拘束された縄からするりと抜け出して窓に駆け寄る。
それが当然のことのように、彼女が触れた窓はカギを開けたようにも見えないのにするすると開いていく。
「な、何事だ!? 顔が、体もっ」
「飛田稲荷が七化けの芸、ご覧に入れやした。ジャッカロープの方のふりをするにゃぁ、ちょいと骨が折れやしたねぇ」
声を上げた途端、三人の姿がまったく別のものに変わったのだ。
驚くべきは仂のふりをしていた人物で、何と飛田老人である。赫真も事前に聞いてはいたが、実際に見たわけではなかったので何がどうなってそんな真似ができるのか、一瞬怒りも忘れて目を剥いてしまった。
安吾のふりをしていた六代目と、フタバのふりをしていた少女は六代目の娘で
「さあて、狐の芸はここまでだぁ! こっからぁ若旦那の率いるお力ってぇやつを、その目ん玉かっぽじってよぉっく見やぁれ! お吉ッ!」
「あいよっ、爺ちゃん!」
くわっと目を見開いて見栄を切る飛田老人。
呆気に取られている市間と佐田を後目に、窓に向かって手を振る吉音。
「待たせたね、赫真!」
窓からするりと飛び込んでくる人影。狭くはない応接室に入るや、他を邪魔しないようにすぐに窓の前から部屋の中へ。
「ひ、日向恵! 日向出版の……何故ここに」
「決まってるじゃないさ、佐田の腐れジジイ。てめぇとてめぇの手垢のついた薄汚え集まりを叩き潰すためだよ」
「き、キキキ! そうかそうか、成程、お前さんが後ろ盾になっていればこの若者の強気にも納得がいくな。だが、お前程度じゃとてもとても」
「誰があたしだけって言ったね?」
「え?」
「あたしゃこの場じゃ『その他大勢』の一人ってことさ。来なっ!」
日向の号令に、開いた窓から次々と飛び込んでくる人影。
その一人ひとりに佐田は目を見開くが、中でも最も年かさの男を見た佐田は思わず叫ぶ。
「た、太賀誠ッ!? き、貴様もなのか」
「久しぶりだな、佐田の。お前たちが人獣を食い物にして肥え太っている間に、俺たちもまた牙を研いでいたってぇわけさ」
「くっ! だが、だがこれだけの数を集めたとしても、この佐田には届かん! せいぜい私以外を潰すことが出来る程度だ!」
「そうだな。お前さんの財閥は確かに大きい。だが、忘れちゃあいないかい、佐田の」
「な、何をだ」
「俺が居るってことは、必ずもう一人いるんだってことをさ」
「まさか……まさか!」
とうとう佐田衆円は顔色を変えた。
「あの男が、あの男もこの場に居ると言うのか!」
「おうよ!」
敢えて気づかれるまで待っていたのか、中央の窓から飛び込んできたのは誰あろう――
「眞岸! 眞岸寅彦!」
齢七十を超えてまだまだ盛ん。
「佐田ぁ、てめえうちの婿を相手によくも吹きやがった」
ぶよぶよに肥えた同世代の佐田と好対照の、引き締まった全身。
「婿? 婿だとっ!? じゃあ、この冴えない探偵が、貴様のガドゥンガングループの次期総帥だと――」
まるでその獰猛さを隠そうともしない笑みを浮かべ。
「そんな小せえものと一緒にしてもらっちゃあ困る。こいつはもっとでけえものを背負った男よ」
大虎殿と呼ばれ、人虎の一つの時代を築いた男がそこに立ち、そして赫真の斜め後ろに立った。
「こいつはな、虎の中の虎。世に隠れ住む人虎たちの互助組織、虎群会議の若き筆頭さ」
「虎群会議、だと」
「簡単に言ってやろう。赫真が振るう力は、今ここに居る人虎すべての力だ」
「馬鹿な、ありえん! 我々とお前たちが本当にぶつかったら、お前たちだってただでは済まないだろう!」
「それがどうした?」
佐田は常識的に否定するが、寅彦は無情にもそれを一言で切って捨てた。
「この中のどれだけのものが潰れようと、俺たちはやるよ。そして潰れたものは、残った俺たちが助け、また立て直すのさ」
「ふざけるな、それでは、それではまるで――」
「だから言っているだろう、佐田さんよ」
赫真はそこで、ようやく口を開いた。
虎群会議の仲間たちと、飛田稲荷の三人の前で。
ようやく押さえつけていたものを、全て解き放つ。
「俺たちは人獣だ。獣の姿を血の中に宿した、だけど確かに人なんだよ」
骨格が形を変え、表皮を覆う固い体毛。
人の形、虎の頭。鋭い爪と牙を剥いて、先祖返りの姿を見せた赫真は。
「――美しい」
市間の口から、そんな言葉が漏れ出るほどに美しかった。
***
佐田はもはや、一切の余裕もなくなっていた。
自分の身を護るはずの社会的地位も、経済力も。獣と蔑んだ者たちによって剥ぎ取られようとしていたのだから。
「あ、あああ! く、薬はまだ使ってないはずだ! なのに何故、何故お前は!」
「先祖返りというのさ。俺たちの人獣の血は、もう獣の姿を取るには薄すぎる」
「市間! いぃちまぁぁっ!」
「はい、会長」
「こ、ろせ! あの化け物を殺せぇっ! 殺して剥製にするんだ、骨は奴らに売ればいい!」
その命令は、立ちはだかる人虎たちを殺気立たせるものではあったが、同時に不可能なことであると分かり切ったものでもあった。
あるいは市間自身、それは分かっていたのかもしれない。
だが。
「承りました、会長」
市間は平然とそれを受け入れ、赫真の正面に立った。
「そうあることが、あんたの全てか」
「ええ。こうあることが、私の誇りです」
どこかいびつな。
しかし、確かに誇り高く。
「分かった。それじゃあ、仕方ない」
「いざ――」
言い終わる間も与えることなく。
静かに、目にも止まらぬ速さで、そして何より痛みを感じさせない優しさをもって。
赫真は人差し指で、市間の喉笛を一文字に裂いた。
***
「きき……キキキ……キキキキキキキキキキキキッ」
誰もいなくなった応接室。
うつ伏せに倒れた市間。広がる血だまり。
力なく膝を崩し、呆けたように笑う佐田の声だけが。
「キキキッ! キキキキキキキキキキィッ!」
いつ終わるともなく、響いていた。
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