last file 相賀赫真と別れの朝

「……本当に馬鹿なんだから」

「悪いね、姉貴」


 搭乗口で、羽計はばりりんはサングラスをかけた弟に精一杯の悪態をついた。

 人前では一生サングラスを外すことができなくなった彼の向こうには、だが一生を彼と共に駆け抜けてくれるだろう仲間たちが待っていた。


嶺二れいじ。二度と下手は打つなよ?」

赫真かくま兄、ありがとうね。まあ、生きていただけ儲けものだよ」


 たった四人だけを乗せる飛行機は、レオーテ王国への特別便だ。

 あの日、助け出された嶺二は、注射された薬物を抜く為に人獣の生態を研究する病院としては世界屈指である柳沼医院に担ぎ込まれた。

 虎群会議の肝いりで、すぐさま薬物を抜く治療が行われた結果、獣の顔を人のものに戻すことには成功する。

 しかし、後遺症は残った。彼の体は満月の晩の先祖返りこそ起こさないものの、瞳は猫のまま永久に元に戻らないという診断が下されたのだった。


安吾あんご、フタバ、ちから。嶺二を頼む。大事な弟分なんだ」

「任せて! あんたには借りもあるし、ちゃんと面倒見るわよ!」


 結果、嶺二はレオーテ王国に移住することになった。

 ジャッカロープ一味の裏方として、彼らをサポートするという。


「赫真さん、世話になった。あなたには借りが出来たからな、この国では二度と盗みは働かないよ」

「おいおい、レオーテでもやるなよ」


 彼らはこの先、レオーテ王国を根城にしてギャバン・ギムレイの残したものを追う役割を負うことになる。

 だがどうやら、彼らにとって怪盗稼業は天職であるらしく、いつその虫が騒ぎ出すか分からないらしい。何とも不安なことだが、それもまた仕方ないのかもしれない。


「妹も嶺二のことが気に入ったようだ。本当は嶺二と一緒になってくれるとありがたいんだが」

「妹?」

「言ってなかったか? フタバは母親が違う妹なんだよ」


 さらりと爆弾発言を残して、安吾は飛行機の中へと歩いて行った。

 真っ赤になったフタバがその後を追うが、特に反論する様子もなかった。中々お似合いだと赫真も思う。

 無口な仂は、笑顔で会釈だけして二人に着いて行く。


「じゃあ。元気で、赫真兄、姉貴」

「あんたもね。嶺二」


 嶺二を見送る稟の目には涙が浮かんでいる。

 ぐすりと鼻を鳴らすその頭を、ぽんぽんと叩く。


「ほら、笑顔で見送ってやれ。今生の別れってわけじゃないんだから」

「赫真さん」

「で、恵乃えの? お前さんは見送らなくていいのか?」


 と、物陰に隠れているもう一人の妹分に声をかける。

 恵乃はおずおずと現れて、飛行機に乗り込もうとする嶺二に向けて吠えた。


「嶺二!」

「え、恵乃!?」

「あんたねえ、レオーテ王国に行って問題起こすんじゃないよ! 赫真兄ちゃんが迷惑するんだから!」

「おま、何てこと言うんだ!」

「問題起こしたら、逮捕するから! あたしが、逮捕しに行くから!」


 ぶわっと、涙を流しながら。


「ちくしょう! 裏切者! あたしはまだ別れたつもりなんてないぞ!」

「げっ」

「――どういうことかしら、嶺二?」


 機内から伸びてきた手が、嶺二の首根っこを掴んで引きずり込んだ。


「このぉ、泥棒猫! あたしの嶺二を返せ!」

「ふん、言われなくても泥棒だからね! 一度盗んだものを返すわけないでしょ!」

「あの馬鹿」


 ぎゃんぎゃんと喚く二人を見比べながら、稟が苦笑交じりに頭を抱える。

 赫真はその様子に、何となく安心するのだった。


***


 虎群会議本部、筆頭執務室。


「こんちはぁ。あ、筆頭代理。お疲れ様です」

「……おう」

「ど、どうしたんですか? 機嫌悪そうですけど」

「悪いんだよ、ったく」


 筆頭の机の隣にある、机で作業を続ける寅彦とらひこはすこぶる不機嫌だ。

 報告書をまとめて持って来た職員がびくりと身を竦ませる程度には。

 と。


「邪魔するぞ。何だ寅彦、若い子を脅かしてどうする」

「うっせえなまこと。赫真はいねえぞ」

「うむ。から荷物を預かってくるように指示を受けたから知っとるぞ」


 入ってきたのは、赫真の義父である太賀たいが誠である。

 寅彦に気安く挨拶をすると、目当ての書類だけを選別して鞄にしまっていく。


「おい! 赫真のやつ、そっちに顔出してるのか!?」

「何を言っとるんだ。今日は羽計くんの見送りだから仕事じゃよ。やさぐれとるのはわかるが、いちいち絡むな。面倒くさい」

「なあ、どこの馬鹿が赫真のやつに代理なんてロクでもない役職を入れ知恵したんだ!?」


 筆頭に就いた赫真は、佐田財閥と『ギムレイのオークション』で繋がった企業を潰した後の最初の定例会議でこう切り出した。


『自分の我が侭で組織を危機に陥らせて申し訳ない。皆さんには無理をさせた。今回皆さんが負った損失は、虎群会議が一丸となって回復させていく必要があると思う』


 この発言には寅彦も、赫真が立派な筆頭だと感じ入ったものだった。

 しかし。


『だが、若輩の自分ではその音頭を取るにはまだ実力が不足している。なので、その実力と、実績と、人望を兼ね備えた人物に全権代理としてこの難局を乗り越える手助けを願いたいと思う』


 などと言い出した辺りで、何やらきな臭くなってきた。

 だが。


『異議なし!』


 珍しく全員出席した虎群会議こぐんかいぎの席次持ちたちは、一人残らず――厳密には入れ替わりで四席になった寅彦以外は――賛成し。

 寅彦はその日から『虎群会議筆頭代理』という有難くない肩書を背負う羽目になったのである。


「まあ、自業自得じゃろ。今まで散々やらかして赫真とミトラちゃんの邪魔をしてきたんだから、少しくらい償うといい」

「お前はいいよな。どさくさに紛れて隠居しやがって」

「ふひひ」


 席次まで含めて完璧に隠居を決め込んだ誠は、相賀探偵事務所の相談役という怪しげな役職にちゃっかりと納まっていた。

 その辺りも、寅彦にしてみれば羨ましいやら妬ましいやら。


「じゃ、わしは行くぞ。金谷の坊主からいい鹿のレバーが入ってな。今日の昼飯はレバニラ炒めにする予定なんじゃ」

「自慢しに来たのか、この野郎っ!」

「当たり前じゃろう。ミトラちゃんと家内の手料理じゃ、ふひひ、羨ましいじゃろ」


 怒りのあまり机を放り投げようとした時には、誠は既に執務室を後にしていた。

 職員もいつの間にかいなくなっている。怒りのやり場を失った寅彦は、仕方なく椅子に座って仕事を再開する。

 こうして、寅彦の機嫌は更に急降下していくのだった。

 

***


「ふう、完成っと」

「お疲れ様、あなた」


 パソコンのエンターキーを最後にタン、と強く叩いたツヨシは大きく伸びをした。

 エプロン姿の描が後ろからモニタを覗き込む。


「例の事件?」

「そうだね。編集長が見て、これにゴーサインを出すかどうかは分からないけど、まあ一応ね」


 今回の題材は、赫真たち虎群会議とギムレイのオークションとの暗闘を描いたサスペンスだ。

 佐田財閥の総帥だった佐田さだ衆円しゅえんの表舞台からの引退は確かに虎群会議を有利な立場に置いたが、その後の経済闘争は表社会での大きなニュースとして取り上げられたほどだ。

 結果、ガドゥンガングループを始めとした企業連合(という体裁をとった虎群会議)が勝利し、佐田グループ(を始めとしたギムレイのオークションに参加していた企業)は終焉を迎えた。

 経済界ではガドゥンガングループによる佐田グループの吸収合併劇と見るのが主流だが、その真実が明るみに出ることは決してないだろう。


「そう言えば、あのお二人の挙式は近いんでしたっけ」

「うん。あの二人、ずうっと夫婦みたいな生活してたくせに、結局入籍はこっちが先になっちゃったね」


 くすくすと笑う描の頬を優しく撫ぜて、ツヨシは柔らかく微笑む。


「さ、あなた。お腹空いてるでしょ? ご飯の用意、出来てるわよ」

「ありがとう、描さん」


***


 明るい日の差す畦道を、赫真はゆっくりと歩いていた。

 隣にはミトラ。その胸元には、もう一匹の家族の姿がある。


「よしよしシロちゃん、いい子だね」


 ミトラがすやすやと眠る仔猫――安直だがシロと名付けて――に語りかける。

 起こさないようにゆっくり歩く彼女に歩調を合わせて、ふと赫真は空を見上げた。

 右手の指先に蘇る熱の記憶。


「……忘れないでおく。一生な」


 隣を歩くミトラにすら届かないほど小さく、口の中で告げる。

 右手の熱が消えた。

 視線を下ろすと、ミトラが笑顔でシロを見下ろしていた。

 何とも言えない衝動が心を駆け巡る。


「そうだ、ミトラさん」

「なんですか、センセイ?」

「いや、本当に今更なんですけどね」

「はい?」


 きょとんとした顔でこちらを振り向くミトラ。

 その、誰よりも何よりも愛おしい顔に心からの笑みを返し。


「愛していますよ――」







人虎探偵 相賀赫真

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