file4-4 相賀赫真と胡散臭い依頼人

 赫真かくまの前に座る、かっちりとしたスーツ姿の男と、真っ青な表情の遠藤社長。


「サダインダストリー秘書室の市間いちまと申します」

「佐田財閥ですか」


 手渡された名刺の肩書に、赫真は眉を跳ね上げた。佐田財閥の中核企業の秘書室長。思っていた以上のビッグネームだ。

 どう考えても、遠藤社長の事業規模で出張ってくるような人物ではない。

 非の打ち所がない笑顔の市間という男は、朗らかに笑いながら首を振った。


「いえいえ、遠藤社長には先代の頃から弊社もお世話になっておりまして。今回もご相談を受けました時に、佐田が遠藤社長の苦境であれば率先して手を貸すようにと」

「そうですか」


 目までしっかり笑っている完璧な笑顔だ。成程、一流どころの秘書は感情さえも見事にコントロールしてのけるものらしい。

 と、市間はすっと困ったような顔を見せた。表情のコントロールが完璧すぎて、逆に違和感を覚えてしまう。


「つきましては、ご連絡させていただきました件ですが」

「ええ」

「怪盗ジャッカロープを名乗る産業スパイの捕縛をお願いしたいのです」

「ほう、産業スパイ」

「相賀先生はジャッカロープから指輪を取り返した実績がございます。残念ですが、私どもが秘密裏に動かした者たちには一度も達成できなかった結果なのです」


 市間の目がきらりと光った。

 出された茶に口をつけて、困ったような笑みを浮かべる。


「ふむ。つまり、警察以外に独自の捜査網を動かしていたと仰る」

「恥ずかしながら。実は、ジャッカロープは佐田グループの関連企業に何度も盗みに入っておりまして、今回盗まれた情報は通算で三つ目の機密情報なのです」

「情報、ですか」

「はい。秘密裏に進めておりました新規事業の計画書と、水面下で交渉していた企業のリスト。今回盗まれましたのは、そのリストでございまして」

「リストを取り返すだけではなく。ジャッカロープ自体が既に?」

「ええ。機密情報の発信源になり得ます。金銭で転ばせるだけならばいくら積んでも構いませんが、最早」

「つまり、私も疑われていると」

「…………」


 市間はそれには答えなかったが、笑みの形は変わらなかった。

 無言の肯定と捉えて、話を先に進める。


「ジャッカロープの捕縛と引き渡しをもって、そちらの疑念への回答としろと仰るわけですね」

「ご理解が早いと助かります」


 表向きには後ろ盾など何もない相賀探偵事務所だ。佐田財閥の力を使えば所員の命を含めてどうとでも出来るぞ、という姿勢が透けて見える。

 聞いていたミトラが憤慨して口を開こうとするが、赫真はそれを事前に手で制した。


「期限は」

「一週間でどうでしょう?」

「ご覧の通り、小さな探偵事務所ですよ? 佐田財閥に喧嘩を売るような産業スパイを相手に、一週間ですか」

「その小さな探偵事務所が、我々ではできなかったことをやり遂げた訳ですから。決して過小評価ではないと思うのですがね?」

「いいでしょう、私も命は惜しい。では、そちらが集めたジャッカロープの情報を提供していただけます? まさかそこまで自前でやれとは仰いませんよね」

「それは」


 こちらが提案した言葉に、市間は絶句した。

 受ければジャッカロープと繋がっている疑惑のある相手に情報を渡してしまうことになるし、断れば相手は自分たちを体よく使った後に潰すと判断することになる。更に、ここで黙ってしまうのは悪手だ。後者を肯定していることになる。

 市間は一瞬だけ表情から余裕を失ったものの、何とか笑顔を作りなおして答えた。


「分かりました。こちらからも出来る限りの情報を提供しましょう。ですがくれぐれも――」

「内密に、でしょう? ご報告に上がる時にも市間さんからのご協力については伏せておきますよ。ああ、ですけれど――」


 と、ちらりと遠藤社長に目を向ければ、市間も察したかのように頷いた。


「ええ、もちろん遠藤社長も今この場で見聞きしたことについてはお忘れくださるでしょう。そうですよね? 社長」

「あ、ああもちろんだ市間くん! 私は何も知らない、何も分からない! 私はオークションのことだって――」

「社長?」

「ひっ!」


 脅えたように身を竦める遠藤社長。市間もこちらを気にする余裕もなく鋭い目つきで遠藤社長を睨みつけている。

 赫真は素知らぬ顔で声を上げた。こんなうっかりの一言で目をつけられても厄介なだけだ。


「いいですね、オークション! 私もよく利用しますよ。絶版になった漫画とか、買おうとするとプレミアがついたりして困っちゃいますよね」

「ほぉ、相賀先生は漫画がお好きですか」

「ああ、こんな仕事をしていますと暇なときはとことん暇でして。お恥ずかしい限りです」

「成程。今回の件で首尾よくいった暁には、佐田グループからお仕事を斡旋させていただく機会も増えるでしょう」

「それはありがたい! しっかり一週間以内に仕事を終わらせるように頑張りますよ。では、情報の件なにとぞよろしく」

「相賀先生とは長い付き合いになりそうですね。ええ、あまり長居してはこちらがお仕事の邪魔になってしまいますか。そろそろ失礼しましょうか。ね、遠藤社長?」


 首をがくがくと振る遠藤社長が痛ましいが、赫真にそれを気にかける余裕はなかった。

 席を立つ二人の後を歩き――特に市間が部屋に何かを仕込まないかに気を付けつつ――、表まで見送りに出る。


「では、これで」

「ええ、お任せください」


 そして二人が階下に降りて、車に乗って走り出すまできっちりと見送ってから。


「ミトラさん。『ヒロの所から出前を取ります』。『新しい仕事は割が良さそうなので、ちょっと前祝をしましょう』」

「っ!? はい、分かりましたセンセイ」


 まったく言葉とは裏腹の表情でミトラに指示を出したのだった。


***


 赫真は寛人が来社した後、事務所を出た。

 出前用の岡持に入っていた、盗聴器の確認機材で引っかかった数は六つ。赫真と向かい合って、その視線を受けていながらその数を取り付けたのだから、市間という男は十二分に異常な能力の持ち主だと言えるだろう。情報屋である金谷謹製の機材でなければ見つけられないようなものもあったから、こればかりは自分の所の機材に頼らなくて良かったと思う。

 何か取り付けられている可能性があるから、という懸念があったわけではないが――無論帰り際に寛人に確認してもらったが――車には乗らず、周囲をそれとなく警戒しながら駅に向かう。

 電車に乗って向かった先は、郊外にある寂れた外観の神社。

 飛田とびた稲荷である。


「ご隠居、おいでかい?」

「おやおや、若旦那。こいつぁせっかちでいけねぇや」


 獣道のような生垣の間を縫って奥に進む。ここでがさがさと音を立てるようでは二流と判断されて目当ての人物には会えない。しかし、時間をかけすぎても同様だ。

 赫真は慣れたものなのですたすたと進む。周りからは決して見えない社務所に入ると、飛田老人が煙管をふかしていた。

 壁には見せつけるように『鳥の楽園』が飾ってある。正直なところ、社務所の内装には似合わないようにも思う。額縁の所為だろうか。


「上手いことやっておくんなしたねぇ。ありがとうございやした」

「いやいや。ご隠居、ちょっと厄介な話になってね」

「ほぉぅ。若旦那が厄介と仰るたぁ、きな臭ぇ話なんでやしょうねぇ」

「ジャッカロープの連中の件なんだけど」

「おぉ、見事なお手並みだったとか。うちの若ぇのがどうやら遠目で追っていたようでやしてね、見てきたように語りやがってそりゃぁもぉ」

「おやおや、六代目はお見通しでしたかね」

「――まったく、若旦那も言ってやってくだせぇよ。年寄りの冷や水はいい加減にして、のんびり好きな煙草でも蒸かしとけって」


 と、奥から姿を現したのは、飛田老人を三十年は若くしたような人物だった。女性が見たら放っておかないような風情の、これまた粋な和装である。

 彼こそ職人と呼ばれた五代目の末子にして、三十五の若さで六代目の大狐おおぎつね号と飛田稲荷を譲られた天才。六代目飛田大狐こと、飛田狐十郎だった。


「身代を譲ってやったからって言いやぁるぜ畜生め。若旦那、倅の言うことなんざ聞き流してやってつかぁさいよ」

「そうですねえ。ご隠居の至芸は健在でしたよ、六代目」

「まぁたそうやって若旦那は親父を甘やかすんだからなぁ、叶ぁねぇ。んで、親父が見込んだとかいうそのジャッカロープがどうしなすったんで?」


 六代目が差し出してきた座布団に一礼して座り、大きな溜息を一つ。

 眼差しを真剣なものに変えると、二人の大狐も表情を険しくした。


「あいつら、何やら洒落にならない相手に喧嘩を売っているようでしてね。本来ならうちのジジイに真っ先に話さないとまずいんですが、一応ご隠居の筋でしたので、先に」

「ほぉ」

「そいつぁ痛み入りやす。で、その相手たぁどこの誰で」

「ギャバン・ギムレイ」


 その名を告げた瞬間。二人の目が炎を吹いたように赫真には感じられた。

 赫真も同じであった。その名には、それ程の憤怒と憎悪がたぎる。


「あの鬼畜外道がッ!?」

「どういうことでやんしょぅ、若旦那。冗談じゃぁ、ないんでやすね?」


 憤怒をまき散らしたのは五代目で、怒りを押し殺したのは六代目だ。


「当事者として関わったご隠居に冗談は申しませんよ。一味の一人が俺の身内でしてねえ、なにがどうなってそうなったのかはわかりませんが」

「何ですって? じゃあ、奴らは人虎うぇあたいがあなんですかい?」

「いや、虎群の方じゃなくて孤児院の方です。人猫ウェアキャットでしたが、あの場にはいませんでした。パソコンに明るいやつだったんで、おそらく裏方でしょう」

「そうでやしたか。それで、何が」

「虎群会議の一桁、飛田稲荷の幹部、後はそれに比するような役持ちでもない限り、ギャバン・ギムレイの名と所業は伝わらない。身内の奴は、人猫の互助組織に所属していました。『ギムレイのオークション』と奴は呼んでいましたが、その言葉を知るはずがないんです」

「じゃあ、昨日の遠藤社長とやらのところに押し入ったのぁ」


 渋面を浮かべた飛田老人が唸る。

 厳しい表情で頷いた赫真は、重い口を開いた。


「今朝がた、遠藤社長を連れてうちを訪ねてきた者がいます。あちらさんの身軽さを考えると、おそらくジャッカロープの連中は奴らの核心に触れた」

「どこの輩ですね、若旦那。親父も知らねぇ、うちの網にもそんな名前を使う輩の名前が入ってねぇとなると、余程の大物と見やしたが」

「佐田財閥」


 名前を挙げると、二人は成程と得心したように頷いた。

 どうやら落ち着いたのか、見開いていた瞳を今度は狐のように細め、それぞれ強く息を吐き出す。


「適度に大物ですなぁ」

「若旦那は、この後どうなさるおつもりで?」

「明日、連中に事務所に来るように伝えてあります。連中の知っている話を聞いた上で、筆頭に話を通します。お二方に話を通してあることも、その時に」

「よござんす。ではうちもすぐに動けるよう、準備だけはしておきやしょぅ」

「あっしは隠居した身ですから身軽なもんです。明日は若旦那の事務所にご一緒させていただきやす」

「親父?」

「あいつらぁ若造だ。一度痛い目見ただけじゃ、てめぇの腕だけでケリをつけようって色気出すかもしれねぇからな。念のためにヤサだけは押さえておきてぇ」

「そうかい、頼まぁ」


 てきぱきと段取りをつける二人。

 飛田稲荷の協力を取り付けることができたのは、大きな前進だった。

 虎群会議以上に社会の闇に精通した彼らの力を借りなければ、恐らく今回の件を解決には導けない。

 ひとつ仕事をやり遂げた赫真の脳裏に、ふと浮かぶ顔があった。

 事態が動き出す時には放置してはおけない人物だ。

 赫真は大狐二人と話しながら、次の行先としてその人物の居場所を脳裏に刻むのだった。

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