file1-5 相賀赫真は退屈しない。

 ツヨシが目を覚ました時、彼の体は大きなベッドに寝かされていた。

 非常に寝心地が良く、吸い込まれるように再び意識を手放してしまいそうになる。

 数秒、その心地よさに微睡んだツヨシだったが、自分が何故こんなベッドに寝かされているのかという事に意識が及んだ瞬間、がばりと跳ね起きた。


「そうだ、人狼ウェアウルフ!」


 声を上げてから、自分の失策を理解する。

 見覚えのない部屋だ。それなりに部屋は広い――キングサイズのベッドが置かれていて、尚も余裕がある――が、当のベッドのせいでむしろ手狭に感じる。

 誰かにここまで連れて来られたのだと理解し、次の行動をどうすべきか考えたところで、ドアが開いた。


「ああ、起きたのね?」


 顔を見せたのは、びっくりするほど綺麗な顔立ちの女性だった。

 はにかむような笑みを浮かべたその顔に見惚れていると、


「おう、おはよう」


 その後ろから顔を出したのは、赤みがかった毛並みの虎だった。

 明るい場所で見ると、その体毛は作り物には見えない。


「うぇ、うぇうぇ人虎ウェアタイガーッ!」

「ああ、さっきは驚かせて悪かったな。相賀そうが赫真かくまです、よろしく」


 口角を上げたその様子は、威嚇にしか見えない。虎の口から人の言葉が出てくる違和感に目を白黒させていると、人虎は女性に声をかけた。


「ああ、まだ混乱してるみたいだな。ミトラさん、鏡持ってきてあげて」

「あ、そうですね。先生、これ以上脅かしちゃ駄目ですよ?」

「勝手に驚くのは仕方ないんじゃないかと思うんだ」


 言葉を交わす様子に信頼関係以上のものが感じられて、ツヨシは不覚にも嫉妬じみた感情を覚えてしまう。

 頭を振って妙な考えを追い出す。少なくともこの場の異分子は自分なのだ。


「あー、言いにくいんだけどさ」

「は、はいっ!」

「起きたなら、取り敢えずこっちに来てくれるかい。そこ、俺達の寝室なんだわ」

「あ、し、しし失礼しましたっ!」


 ツヨシはすぐに意味を察して、わたわたとベッドを降りる。

 大きさといい寝心地といい、つまりはそういう事なのだろう。


***


 人獣ウェアビーストが実在の存在であるかを示すかのように、何世代かに一度、珍妙な異能を持って生まれる者がいる。

 赫真もそのうちの一人で、生まれ持った異能は『ネコ科の動物と会話が出来る』という地味なものだった。

 だが、人獣の中には更に、既に失った筈の『人獣』への変身能力をも受け継ぐ者が生まれてくることがある。

 相賀赫真は異能を生まれ持った事より、『人虎』への変身能力を持っていた事が重要視された。

 満月の夜、赫真はその顔立ちを虎のものに変える。身体能力も格段に向上し、爪や牙はまさに絶対強者の風格だ。

 だが、赫真がその爪と牙を思うままに振るった事は一度もない。

 現代社会では、こんな力は完璧に無用の長物なのである。


***


「それで、僕が連れてこられた理由は一体」


 来客用のソファに座る北海の対面に座り、赫真は一つ頷いた。

 ツヨシは縮こまるようにして、こちらを上目遣いに見てくる。正真正銘の虎の顔だから、怖いのは分かるのだが。


「人狼に追われてただろう?」

「はい」

「心当たりは?」

「……何となく」

「さっき脅かしてしまった事は覚えてる?」

「食っちまうぞー、ってアレですか?」

「そうそう。覚えてるんだな」


 彼が目覚めた時にはまだ食事の途中だったので、わざわざミトラが皿に載せて持ってきてくれた牛肉の切れを一枚つまみ、口に運びながら確認する。

 ミトラは鉄板で焼いた肉を食べているが、赫真が食べているのは生だ。虎の頭になると不思議と生肉しか受け付けなくなる。これも失われた人虎の特性なのだろうか。


「ぼ、僕も」

「ん?」

「僕も食べられてしまうんでしょうか」

「『僕も』ってなんだ。ってああ」


 確かに、食っちまう発言の話をしている時に生肉を頬張っていれば怯えられても仕方ない。

 と、赫真は大事な事に触れてなかった事に気づいて、ミトラが皿と一緒に皿の隣に置いておいてくれた手鏡を手に取った。

 

「ちょっと先生。肉を摘まんだ手で持たないでくださいね?」

「分かってますよミトラさん。肉を摘まんでいるのは左手、皿と鏡は右手。オーケー?」


 ミトラが安心したように頷くのを見て、赫真は北海に手鏡を手渡した。


「自分の顔を見てごらん」

「顔? えっ」


 手鏡に映る自分の顔を見て、ツヨシの動きが止まる。

 何とも深刻そうなその様子に、胸の奥からこみ上げる感情。

 自分も最初はそうだったなぁ、と何となく感慨深い思いになりながら、反応を待つ。


「えええええっ!?」


 再起動には一分ほどかかった。

 まるで咆哮するかのように大口を開けて叫ぶツヨシ。無理もない。


「そんな訳で、人獣への目覚めを果たした気分はどうだい?」

「人獣。僕が」

「ああ、そうだとも。そういった先祖返りを果たす人獣は滅多にいないんだ。君は立派な人獣のお仲間さ。そう、立派な――」


 落ち着いて一つ息を吸う。落ち着いて告げなくてはいけない。彼の心に重大なトラウマを残してしまう事になるからだ。

 赫真は愕然としているツヨシに、震える声で宣告した。


「立派な『人大熊猫ウェアジャイアントパンダ』だよ、北海ツヨシさん」


 後ろでミトラがぷふぅと噴き出すのが聞こえた。

 もう駄目だ。

 赫真も肩を震わせて轟沈した。

 流石に失礼なので、声を上げて笑う事はしなかったが。


***


 人獣の血筋は長い歴史の中で、だいぶ薄まってしまった。

 人狼は髭が濃くなる、人虎は髪や体毛の一部が全体と違う色に変色する事があるなど、身体的な特徴も代を重ねるごとに地味になっていく。

 だからこそだろうか、獣頭に変身出来る『先祖返り』の人獣はそれだけで大事にされた。

 数世代に一人、生まれるか生まれないかといった確率らしい。

 現在、人間社会で最も繁栄している人獣は人狼か人鼠ウェアラットだろうと言われているが、そのどちらの組織にも存命中の先祖返りは一人もいない。

 そして人虎の組織でもまた、世界中を見回しても先祖返りは現在赫真一人しかいないのである。


***


「はあ。つまり、僕が想像した世界観は彼らの組織を予知したものだったと」

「まあ、そういう事になるね。結果として彼らは小説のような結末を迎えなくて済んだ。友人として感謝している」

「なら、僕を知ったのも、偶然ではないという事ですね?」


 説明をすればするほど、段々とツヨシの質問が鋭くなってくる。

 特に隠し立てするような事でもないので、赫真は堂々と頷く。


「まあね。ひと騒ぎ画策させてもらったよ」

「殺されるかと思ったんですが」

「本当に殺されるよりはマシだろ?」


 肩を竦めてそう言ってみせれば、ツヨシは驚いたようだ。

 彼が人獣でなければ、わざわざ説明するつもりのない事だったのだが。


「人の中に人獣を面白がって語るのがいるのと同じように、人獣の中にはそういう人間を『人猿ウェアモンキー』と呼んで嫌う連中がいるからな。あいつらは君を危険分子として、筆を折らせる事を検討していた」

「筆を折らせる、って事は」

「脅かす程度なら簡単な方さ。腕一本くらいで済めばいいよな」


 その言葉にツヨシが自分の右腕をさする。そう言えば彼は捕まった時、六號に腕を抑えられていた。あのままだと折られていたかもしれないと思ったのか。


「現代の人獣にとって、人獣であれば種族を問わずみな仲間だ。運命共同体だと言っても良い」


 だから、人獣だと分かった以上はそういう襲撃はもうないだろう。特に彼は先祖返りだ。人獣の組織が今までとは違う意味で彼を護るだろう。


「ま、自分の書いた作品が周囲にどれだけ影響を及ぼすものなのか、理解してさえくれれば俺から言う事はもうあまりないんだ」

「はい、それはもう十分」

「後、あるとすれば、そうだなぁ。先祖返りは満月の夜には気合を入れないとすぐにこの顔になるから、極力そういう時は外に出ない方がいい。必要なものがあれば日が沈む前に準備しておくか、理解のある人たちに持ってきてもらうようにするといい」

「気合を入れたらもとに戻るんですか?」

「ああ。こればかりは訓練次第だけどな。ふんっ!」


 顎の下に力を込めるように気合を入れる。

 ツヨシの顔が驚愕に染まる。実はこの手段は自分では不思議と顔の形が変わった実感を持てないので、周りの反応か鏡を見ないと分からないというのが難点だ。

 それに伴って手――先祖返りの時はどちらかというと前脚にしか見えなくなるのだが――も元の形に戻る。


「少しばかりコツが要るから、気をつけてな。あと、少しでも気を抜くと」


 言うが早いか、手の形が前脚のそれに戻る。見えないが顔も虎のものに戻っているだろう。


「本当に、人獣は実在するんですね」

「ああ。つまり、君はライトノベルを書いているつもりで、実際はノンフィクションを書いていたっていう訳さ」

「ノンフィクションかぁ。でもこの内容だと、ノンフィクションじゃあ出せませんよね」

「今後は気をつけてもらわないとな。人獣から余計な恨みを買う事になるぞ」

「はい、それはその。すみません」

「ま、君が専属契約をしている日向出版はうち……虎群会議の一員だから。事前に指摘と指導くらいはしてくれるんじゃないかな」

「あ、それってもしかして」

「人虎を中心とした作品を書いたんだってね? それが出版されていない理由、今なら分かるだろう?」

「そういう事だったんですね。お手数をおかけします」


 ようやく納得が出来たと頷く北海。その様子からも、彼が今回書き上げた作品を傑作だと信じているのが見て取れた。

 人虎は特に別の組織と敵対している訳ではないのだし、荒っぽい話は書けないと思うが。


「ちなみに、どういう内容の話なんだい?」

「あ、それはですね。僕は人獣は先祖帰りだけではなく全員が獣の頭になると思っていたのですが――」

「その辺りはフィクションという意味では別に良いと思うよ」

「人虎の探偵が、様々な困難を解決するストーリーです」

「ん?」


 何となく聞いたことがあるような話である。

 どことなく嫌な予感がして、赫真は恐る恐る続きを促した。


「そ、それで?」

「はい。ひとまず仕上げた部分は、探偵が他の希少な人獣の婿探しの依頼を手伝うというストーリーです」

「探偵は、もしかして仕事が少ない?」

「ええ。今どきの探偵ですからね」

「探偵は、もしかして組織のトップの娘と恋人同士だったり?」

「はい。やっぱり皆さんに心当たりがある方なんですね?」


 まずい。非常にまずい展開だ。

 背後でミトラが反応したのが分かった。頑なな父親の大虎殿と冷戦中なのは彼女も一緒で、赫真を呼び出す用でもない限り会話のひとつもない、とは彼女の姉からの情報だ。

 それに、最近は仕事のあるたびに赫真の家に入り浸っている。大虎殿も面白くはないだろう。

 それはともかく。


「その物語の落としどころはどうなるんだろうか?」

「シリーズの完結ですか? 取り敢えず事件とかについてはまだ浮かんでないんですが、結末は」

「どういう風になるんですか!?」

「うわ、奥さんも凄い勢いですね。ええ、探偵は組織のトップの跡を継いで、恋人と幸せな家庭を築いた感じで締めようと思っているんですよ」


 その言葉に、思い切り頬が引きつる。

 恐る恐るミトラの方を見れば、彼女もこちらを見ていた。どことなく期待と不安を瞳に乗せて。

 

「そ、そうですか。安心しました」

「安心?」


 瞳を軽く潤ませて俯くミトラ。その反応は嬉しいが、虎群会議の筆頭の件は承服しがたい。

 赫真はここに至ってようやく、何故大虎殿あのジジイが今回の件を赫真に回そうとしたかを本当の意味で理解した。

 大丈夫、まだ大丈夫だ。

 後半は良い感じだし、前半はまだ『銀爪舎ぎんそうしゃ』と『翠狼組グリンウルフクラン』の例のように、上手く回避する方法はある筈だ。

 赫真はとにかく冷静を装って、ツヨシの両肩に手を置いた。


「北海君」

「はい、なんでしょう? ちょ、ちょっと痛いです相賀さん」

「素晴らしいストーリーだ、感動した」

「あ、ありがとうございます」

「だが、その小説は止めた方がいいだろう」

「え?」


 予想外の事を言われて、ツヨシが目をぱちくりとさせた。


「い、嫌ですよ! なんでそんな事を言うんですか!?」

「俺の名前は相賀赫真です」

「え、あ、はい。さっき聞きました」

「俺の仕事は探偵です。しかも仕事は少ないです」

「は、はぁ。……は?」

「あちらのミトラさん。恋人ですが、俺達の組織『虎群会議』のトップのご息女です」

「ま、まさか!」


 目の前のパンダもまた、愕然とする。

 小説の題材とした人物が目の前にいる事に気づいたようだ。


「ところで北海君。さっき言っていた希少な人獣の婿探しの件だがね。何の人獣なのだろうか」

「えっと、あの。ウェア馬来熊サンベアです」

「マレーグマか。確かに希少だな、ところで」

「な、なんでしょうか」


 こうなったらこの男も一蓮托生だ。

 赫真は口角をゆったりと持ち上げて、告げた。


「俺は、婿について、心当たりがあるのだが」

「あ、それは作中では成功する予定です」

「人大熊猫の女性なんだ」

「え?」

「口幅ったい言い方になるが、脳筋と言っても差し支えないだろう」

「ま、まさか」

「成功するんだったね。では遠慮なく同族を紹介する事にしよう。なに、先祖返りだと先方も喜ぶだろう」


 ひぃ、と。

 ツヨシが息を呑んだ。


「い、今すぐ取り下げますので、どうか――」

「よろしい、早々に次の作品を――」

「そういう下らない駆け引きはやめなさい!」


 ミトラにトレイで後頭部をすぱぁん、と叩かれる赫真とツヨシ。

 結局、これ以上の交渉は許されなかった。


***


 人獣の発祥には諸説ある。

 遠い昔の話である。今更、その真偽を確認する術はないだろう。

 しかし、人獣は人に紛れて社会の裏側で密かに生き続けている。

 その爪が、牙が、無用の長物となってしまった現代社会で、今も。


***


 人生は出会いによってその様相を変えるとは言え、すぐに大きな変化に繋がるとは限らない。

 今日も今日とて、赫真は猫の『旦那』を抱えて屋敷へ送り届け、帰り道をのんびりと歩いていた。

 ツヨシの書いた小説は人名や組織の名前に構成、建物の特徴など、虎群会議に繋がる要素を徹底的に排除されてから出版された。売り上げは上々であるそうで、作品が世間に受け入れられた事は喜ばしいやら悲しいやら。


「さて、ミトラさんに何かお土産でも。たまにはヒロの店にも支払いくらいはしないとな」


 大虎殿からの報酬は、今までに比べれば確かに破格のものだった。

 顔を合わせた時にはお互い小説の内容には一切触れなかった。触れたが最後、報酬が有耶無耶になってしまう恐れもあったからだ。

 私立探偵など、仕事がなければニートと一緒。矜持も大切だが、生活費はもっと大事なのである。

 ともあれ、生活レベルを不用意に上げなければ半年は余裕で生活できる程の稼ぎがあったのは事実だ。

 今日の稼ぎも馬鹿にならない。浮ついたような足取りで歩いていると、その前を塞ぐ影があった。


「もし。虎群会議が第四席、『紅毛虎こうもうのとら』こと相賀赫真殿とお見受けいたしますが」

「どちらさまで?」


 ひどく馬鹿丁寧な聞き方だ。十年以上も前、暴れ回っていた頃に呼ばれていた肩書までつけられると、恥ずかしいやら心が痛いやら。


「わたくし、極東きょくとう斑熊まだらぐま党の大熊おおくまえがくと申します。是非にもお伺いしたい事がありまして」

「ご丁寧にどうも。お初にお目にかかります、相賀赫真です。お噂はかねがね」


 中央の女性は丁寧かつ優雅に挨拶をしてくれたので、こちらもしっかりと頭を下げる。

 護衛らしき屈強な男たちを従えているが、それよりも頭一つ大きな体躯のせいか、残念ながら取り巻きを侍らせているようにしか見えない。

 身長は低く見積もって二メートル程度、肩幅は赫真の倍くらいはあるだろうか。それでいて特注だろうゴスロリ姿ともなれば、一度見たら忘れない自信がある。

 そもそも大熊描と言えば人獣界隈では有名な女傑だ。現在二十代前半。ホッキョクグマより強いと噂の武闘派で、ついたあだ名が『極東の覇王』。残念ながら女王ではない辺りにその肉体の屈強さが垣間見えるというものだ。

 赫真も名前だけは知っていた人物なのだが、会うのは初めてだ。噂に違わぬどころではないその堂々たる体躯に気圧されそうになる。


「まあ。わたくし、自分の噂ではあまり嬉しいものは聞いたことがないのですけれど。どのような内容なのか、興味ありますわ」

「ええ、若いながらも斑熊党で頭角を現している女傑であると」

「あら、照れますね。私も相賀さんのお噂はよく伺っております。気になりまして?」

「いやそれは特に。それでは、少々急ぎますものでこれで。お会い出来て光栄でした」

「あ、はい、そうですか。ご機嫌よう相賀さん」


 自分の噂についてはばっさりと切り捨て、頭を下げる。ごく自然に、一切焦る様子を見せずにその横を通り抜ければ、大熊女史もまた優雅に一礼を返してくれた。

 そのままゆっくり歩きながら、少しずつ速度を上げる。再び声をかけられるまでにどれだけ距離を稼げるかが勝負だ。

 走り始めようとしたところで、背後から大声が響いてきた。


「ちょ、ちょぉおっとお待ちください! まだ用件が終わってませんの!」

「すいません! 急ぐんですっ!」

「教えていただければすぐ済みますわ! 同族の件で少し」


 やはりか。

 誰が漏らしたのか気になるところだ。おそらくは人狼側の誰かだろう、意趣返しか礼金目当てかは知らないが。


「あぁ、悪いけど口止めされてまして! 婿探しについては他を当たってもらえますか?」


 大熊描の病的なまでの肉食系婿は有名な話だ。先手を打って牽制を試みる。

 だが、これは悪手だった。


「ふ、ふふ。知っているなら話は早い! 確保ぉぉっ!」

「イエス、フロイライン!」


 護衛のような取り巻き達が、赫真を追って走ってくる。

 未婚だからマムと呼ばせたくないのだろうか。とんだ暴君である。殺気すら滲ませながら追ってくるのを後目に見ながら、赫真は走る速度を上げた。

 だが、男達も速度を上げて追いすがってくる。


「やれやれ、捕まったらどうなるか分からないな」


 大熊女史は軽々には諦めないだろう。

 不毛な追いかけっこを続けるつもりもない。赫真はスーツのポケットから携帯電話を取り出し、相手先を選ぶ。


「あ、もしもしミトラさん?」

『どうしました先生?』

「実は追われてましてね、車出してくれません?」

『はいはい、今度は何したんですか?』

「今回ばかりは、俺のせいじゃないんじゃないか、と思うんですよ」

『詳しい話はあとでじっくり聞きますからね。それじゃ、いつもの所で』

「ありがとう、愛してますよミトラさん!」


 通話を終えて、気をつけて元のポケットにしまう。距離がつまってないか気になって背後を振り返ってみれば、追手が一人増えていた。


「見せつけやがってぇぇぇっ……!」


 見事なフォームで駆けてくる、怪人。もとい、覇王。もとい、女傑。

 顔立ちは怒りのせいか般若のように歪んでいて、何とも怖い。


「やれやれ」


 より恐ろしい相手が追手となったにも関わらず、赫真は口元に笑みを浮かべた。

 どちらにしろ、北海の書いた作品の運命を変える為には、この仕事を受ける訳にはいかない。

 最近は何とも平穏な日々だったが、久々に長く関わる事になりそうな刺激的な案件だ。


「こういう事があるから、止められないんだよなぁ」


 まずは逃げ切らないと。

 赫真はもう一段階、走る速度を上げるのだった。

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