幕間1

fileX-1 相賀探偵事務所の平穏な一日

「やれやれ、やっと見つけた」


 赫真かくまはゆるゆると安堵の溜息をついた。


『おお、カクマ。慌てているみたいだけど、どうした?』

「どうしたじゃないよ、旦那! もう三日も帰ってないんだって? みんな心配してるよ?」

『あ、ああ? もう三日も経ってたのか。すまねえな』

『あうー』


 見下ろされているかたちの『旦那』は、目を三角にする赫真の言葉に「ぶなう」と暢気な声を上げた。


「だ、旦那? どうしたのその子」

『ん? ああ、こいつか』

「まさか隠し子!?」

『ち、違う!』


 茶と白のぶち猫こと『旦那』は、赫真の問いに慌てた様子を見せる。

 その足元には、生まれてからまだそれほど経っていないだろう白毛の子猫が、旦那よろしく暢気に「ふなぅ」と。


「どうしたのさ、その子。誘拐は犯罪だよ」

『親とはぐれたらしくてな。てか、お前いちいちキツくないか!?』

「当たり前だよ旦那。御主人がどれだけ心配したと思ってるのさ!?」

『う。しかしだな、俺も奥様も互いに言葉は通じんのだぜ』


 どうやら、親とはぐれて困っていた子猫を保護していたという。

 その考え方自体は素晴らしいものだったが、それが原因で周りに心配をかけては本末転倒ではなかろうか。


「で、どうするのさその子」

『どうしよう』

「あのね」


 無邪気に首を傾げる『旦那』に、赫真もまた頭を抱えるのだった。


***


『もう、心配かけて』

「うわぁ、奥様! 苦し、苦しいっ!」

『いいの、いいのよ。あなたが無事でいてくれれば、それで』


 感極まった表情でひしっと『旦那』を抱き締めているのは、その飼い主である老婦人だ。

 この三日間、飼い猫を心配しすぎて体調を崩していた彼女は、他には何も目に入らないといった様子である。

 赫真と違って猫の言葉を解さない彼女には、絞め殺されんばかりの『旦那』の声が心の限りに詫びているように聞こえているのだろう。

 赫真は特にその勘違いを訂正するつもりはなかった。


「では奥様、今日のところはこれで失礼します」


 一応言ってはみたものの、老婦人から反応はない。『旦那』のことで頭がいっぱいで、こちらのことに意識が向いていないのだろう。

 そっと屋敷を後にしようとすると、『旦那』が抗議の声をあげてきた。


『あ、おいカクマ! あのチビはお前、どうするつもり、お、奥様! つぶれ、潰れる! 腹が、腹があっ!』

「そうね、そうよね。お腹空いたわよね。とってもおいしいご飯を用意したからね、もう心配させないでね!」

「あー、奥様惜しい。旦那、あのちびっこはこっちで面倒見るよ。心配なく」

『本当だろうなカクマ! 後で確認するからなっぐぇっ! 奥様、奥様そろそろもうホント無理だからぁぁぁっ』

「はいはい。落ち着いたら旦那のところにも連れてくるよ」


 最後の一言は聞こえていたかどうか。

 赫真は『旦那』の無事を祈りながら、その場を静かに離れた。


「センセイ、お疲れ様です」

「ええ。ミトラさんもお疲れ様。助かりました」


 屋敷を出て少し歩いたところでは、ミトラが待っていた。

 その懐で、白毛の子猫が抱かれて寝息を立てている。

 すぐ傍にはほぼ唯一の高級資産である自動車が停められている。ミトラは赫真に鍵を手渡す時に、ちらりと胸元に視線を落とした。


「よろしかったんです? この子」

「連れ帰ったとしても旦那が育てるわけじゃありませんからね、奥様に見せれば喜んで受け入れてくれそうですけど」

「それもそうですね」


 仕事として請け負った以上は、依頼主の負担となりかねない要素は排除しておくべきだ。

 というのは半ば以上建前で、実際はちょっと違った。

 子猫を優しく見下ろすミトラの表情を見て、引き取ることを決めたと言ってもいい。

 赫真は胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、連絡先のひとつを選ぶ。


「センセイ?」

「ちょっと待ってねミトラさん。やあ、相賀です」

『赫真さん? 久しぶりだね。また身寄りのない動物を保護したの?』

「ああ、りん。ちょうど良かった。実はそうなんだよ。子猫なんだが、仕事の最中にちょっとね。野良だから色々と頼みたいんだが」

羽計はばりさんのペットショップですか」


 どこに連絡を入れたか理解したミトラが、納得したような残念そうな顔でぽつりとつぶやいた。


『子猫なんだね。血統書がないとなると、店じゃ駄目だね。一応仲間たちの方にも声をかけてみるけど』


 電話口の女性、羽計稟は近くでペットショップを経営している『人猫ウェアキャット』の女性だ。

 赫真とは古い知り合いであり、人猫の仲間たちと野良猫の保護活動を行ってもいた。こういう時には非常に頼りになるのだ。


「あー、それがだね」

『どうしたの?』


 ちらりと横目でミトラの様子を見た赫真は、少しだけ口ごもってから切り出した。


「今回はうちで引き取ろうかと思っているんだ」

「え」

『え? 大丈夫なの、赫真さん』

「ちょっと前に大きな仕事を済ませたから、一応それくらいの余裕はあるんだ。どちらにしろ一旦は預かってもらうことになるが」

『それは構わないけど』


 普段の貧乏ぶりを知ってか、半信半疑な様子の稟。

 赫真はスマートフォンをそのままミトラに手渡すと、車のカギを開けた。


「せ、センセイ⁉」

「ミトラさんからもお願いしてくれますか。とりあえず、ずっとここに停めておくのもまずいですから」

「あ、え?  そうですね。ええと、お久しぶりです羽計さん。ええ、そうです、はい。眞岸です」


 慌てながらも稟と話しはじめたミトラに助手席をドアを開けてやる。子猫を起こさないように静かに閉めて、自身も運転席に乗り込んだ。


「そうなんです。ええ、虎群会議の方で。だから何とか」


 エンジンをかけるが、子猫は目を覚まさなかった。安心して、静かにアクセルを踏み込む。


「はい。では伺いますので。はい、はい。ありがとうございます! ……センセイ」


 通話を切ったミトラが、軽くじろりと睨んでくる。

 その視線に強さはなく、赫真は内心でほっと息をつきながら聞き返す。


「無駄遣いでしたかね?」

「そうですよ。あまりほいほいと散財したら、すぐになくなっちゃうんですからね? でも、ありがとうございます」


 普段から事務所の資金をあれこれとやりくりしてくれているミトラに対して、お金の面で赫真は頭が上がらない。

 が、小言を言いながらも嬉しそうにはにかむその顔だけで、引き取ると決めて良かったと思う。


「ね、センセイ」

「何ですか?」

「この子を羽計さんに預けたら、あの、そろそろちゃんとお支払いもしておかないといけませんし」

「たまには外食もいいですねえ。ま、今日くらいは」

「ええ。今日くらいは」


 赫真は口許を緩めてそれに応じ、少しだけアクセルを踏む足に力を込めた。

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