file2-3 相賀赫真は疑問を持つのこと。

『わたしは彼らとともに生きたかった。でも、わたしにはそれを願うことはできても、実現する方法はなかったのです。そしてやはり、誰も手伝ってはくれませんでした』


――シェリオ・ルゥの手記より


***


 赫真かくまがそのことに対して疑問を抱いたのは、歓迎会でのえがくの様子を見たからだ。

 彼女が婿探しになりふり構わないというのは有名だった。実際に赫真も追いかけられたのだから、それ自体は事実だ。しかし。


「その割には枇々木ひびきさんへの応対が初々しかった、と」

「そうなんですよ、ミトラさん」


 事務所に戻ってきた赫真はツヨシをソファに転がして、眠らずに待っていたミトラに事情を説明していた。

 赫真が当初イメージしていたのは『結婚願望の強さの割に理想が高すぎて、なおかつ妥協できないタイプ』だった。

 しかし、見た感じでそうではなかった。あれではまるで――


「なんか気になるんですよね。噂と実際の印象がちぐはぐというか」

「まあ、枇々木さんが良いならいいんですけど」


 幸せそうな顔で眠るツヨシを呆れたように見ながら、ミトラは渋い表情を浮かべた。

 確かに赫真が追いかけられた時の、般若か夜叉かと言わんばかりの様子しか見ていないミトラにしてみれば、描に一目惚れするという理由が分からないのだろう。


「いや、落ち着いている時は大熊さんは美人ですよ」

「せ、センセイ⁉」


 赫真の言葉に、愕然とした様子のミトラ。

 何の空想をこじらせてそんな反応になるのか分からないが、心配そうにこちらを見る表情は可愛らしいことこの上ない。


「枇々木くんの美的感覚がおかしいわけじゃありませんよ。美人だからこそ、なぜあんなに振られるのかが分からないって話ですし」

「あ、ああ。そういうことですか」

「何を心配したのか分かりませんけど、俺はミトラさんだけですよ」

「センセイ……」


 ミトラと二人、見つめ合う。


「うぅん、えがくさぁん……」

「!」


 そこに挟まれたツヨシの寝言に、高まりかけていた何かが消え失せる。

 赫真は小さくせき込むと、何となしにミトラと二人、苦笑いを浮かべる。


「そろそろ休みましょうか」

「そうですね」


 ツヨシに掛布団をかけてやって、赫真とミトラは寝室に入るのだった。


***


『分かったよ、何か分かったら連絡する』

「済まないな、ヒロ」

『それは言いっこなしだ。またミトラお嬢様と二人で来てくれよ。お袋が喜ぶ』

「ああ、必ず」


 翌朝。

 赫真が事務所から電話した先は、友人の金谷かなや寛人ひろとの携帯だった。焼肉店を経営する傍ら、腕の良い情報屋として鳴らす彼への依頼は、本来は目が飛び出る程の金額を積まなくてはならない。が、こと赫真の相談については、彼はほぼ無償で引き受けてくれるのだ。

 ツヨシは案の定二日酔いで、今はシャワーを浴びている。

 あまり聞かれたくない話をするにはちょうど良かった。窓から下を見下ろしながら、電話を切る。


「やれやれ、情の深いことで」


 昨夜の車が停まっている。心配ならば上がってくれば良いとも思うが、こちらが敢えて口にすることでもない。

 と、シャワーから上がったツヨシが、こちらに向かって頭を下げてきた。顔色は少し良くなったようだ。


「相賀さん。シャワーお借りしました」

「少しはすっきりしたかい?」

「ええ、何とか」


 だが、その表情は晴れない。

 ツヨシは意を決したように口を開くが、こちらとしてはそこまで構えられるほどのことでもない。


「あ、の。相賀さん」

「うん?」

「昨日、僕は。何か粗相とか」

「いや、特に何ということもなかったよ。大熊女史は心配そうにしていたけど」

「なっ、僕は別に」

「今更何を誤魔化そうというんだい。交際されている方はいますか、なんて人の目の前で聞いておいて」

「うっ!」


 ツヨシの頬に朱が差す。

 男の照れる様子など、見ていても気持ちの良いものではない。


「ま、向こうも怒ってはいないと思うよ」

「そ、そうでしょうか」

「気になるなら電話してみればいい。番号、聞いたんだよね?」


 もじもじしているツヨシから視線を外し、本人に聞こえないように初々しいなあと呟く。

 決断するかどうかは本人の問題だが、どちらにしても他人の家ここで決めることではないだろう。


「ま、電話するにしろしないにしろ、家に戻ってからしっかり悩むといい」

「え? あ!」


 よほど深刻に悩んでいたのだろう。ここがどこかにようやく気付いたようだ。


「さて、朝飯くらい食っていくだろ?」

「ご、ご馳走になります」


 泊めてもらってシャワーも使って。最早朝食は誤差だ。

 ツヨシはひどく恐縮しながら頷いたのだった。


***


 送ろうか、という提案だけは必死に固辞したツヨシは、朝食を済ませるとすぐに帰っていった。

 マンションのエントランスでツヨシが見えなくなるまで見送った赫真は、事務所に戻らずに、すぐそばに停めてあった黒塗りの高級車の前に歩み寄る。

 スモークフィルムで後部座席は横からは見えないが、迷いなくノックすると少しの静寂の後、窓が下ろされた。


「いつから気づいていたのですか」

「昨日の晩から」

「っ⁉」

「心配なのは分かるけど、あまり度が過ぎるとストーカーだからね。気をつけた方がいい」


 えがくの顔が赤くなる。やはり女性の方が絵になるな、などと思っていると。


「えと、その。わ、私は枇々木さんが体調を崩されなかったかとか嫌な思いをされなかったかとか、心配なんて。いえ、してないわけではなくてですね」


 こっちもか。

 口をついて出かかった言葉を飲み込んで、頭を掻く。


「まあ、二日酔い程度みたいなので心配しなくても。気になるならば家に着いた頃にでも電話をしてみれば」

「え、そんな。その、ややこしい女と思われないでしょうか」


 こっちもか。

 今度ばかりは口を閉ざすことはできなかった。とは言え、出てきた言葉は別である。


「最初の時からは考えられない言葉だなぁ」

「あ、あれは忘れてください。ずっと断られてばかりで、どうしたらいいか分からなくなってしまいまして」

「あぁ、うん。その辺りの気持ちは分からなくもない」


 こちらの場合は難攻不落の義父の所為だ。

 描はその言葉が予想外だったのか、目を見開いてこちらを見てきた。


「厄介な条件を出されていてね。正直なところ、妥協のラインがなかなか」

「あぁ」


 赫真が先祖返りで、ミトラが大虎殿おおとらどのの末娘であるという話は人獣ウェアビーストの界隈ではそれなりに知られている。

 納得したように相槌を打つ描。納得されるのもそれはそれで悲しいものがあるが。


「まあ、俺とミトラさんは応援しているから。しっかり頑張って」

「応援、ですか?」


 笑みを浮かべる赫真に、逆に描は当惑したようだ。

 彼女にしてみれば対応が逆転しているのだから、無理もないか。


「彼を人獣の世界に引き込んだことに後悔はないんだけどね。責任は感じているんだ。枇々木くんには幸せになってもらいたい」

「幸せ、ですか」

「彼が先祖返りだとは思わなかった、ってのは言い訳だな。先祖返りなんて今の時代でいいことなんてひとつもない」


 赫真の言葉を、描は真剣に聞いていた。

 何となく照れくさくなって、へらりと表情を崩す。


「まあ、枇々木くんが嫌がっていたり、そちらが強引に押していたりしたら応援なんてしなかったけれど」

「え? だ、だからそれはっ」

「あ、これ名刺ね。何か困ったことがあったら相談してくださいな。枇々木くん絡みなら、アフターサービス期間だからお安くしとくよ」

「あっ、ありがとうございます」

「じゃ、今日はまっすぐ帰るといい。目の下、隈になってるよ」


 一睡もしていなかったのだろう。本当に情の深いことだ。

 恥ずかしげに俯き、それでも頷いてくる描の様子は、やはり年相応の女性だった。

 失礼しますと断って、窓が上げられる。

 赫真が下がると、車はゆっくりと走り去って行った。


「やれやれ。これはヒロの連絡を待つまでもないかな」


 確信をもって呟く。

 赫真が気にしていたのは、描の方ではなかったのだ。


***


 どちらから連絡を取ったのかまでは分からなかったが、赫真がこの件に再び首を突っ込む事になったのは、その四日後だった。

 ツヨシからの電話で、デートをしたいのだが自分はそういう経験がないのでどうしたら良いのか云々。

 コースの類は自力で調べろと突っぱねつつ、さりげなく待ち合わせの場所や人獣にとってのタブーだけはヒントを出して、当日早朝。

 赫真はツヨシの自宅マンションの陰で、欠伸交じりにツヨシが出てくるのを待っていた。


「ふぁぁ。さて、ヒロの話が確かならそろそろ」


 赫真は、ツヨシのデートを尾行するつもりはない。全力で楽しんでくれば良いのだ。問題はその前後にある。

 ツヨシがマンションから出てきたところで、周囲の気配を探る。

 注がれる視線が七つ、四つはすぐに離れて残りは三つ。ツヨシを追いかけていくから、間違いなさそうだ。


『大熊さんと見合いをした人は、初めてのデートの時に、複数人から囲まれて脅されたみたいだぜ』


 寛人が確認できた情報は一人だけだったが、すぐにその情報を赫真に伝えてきてくれた。

 相手の素性は不明。

 聞いた相手も人獣だそうだが、穏やかな人物で喧嘩などには慣れていなかったようだ。

 小突き回されて脅され、その場で描とのデートを諦めて帰ったのだという。

 おそらく、今回も同じ手合いだろう。


斑熊まだらぐま党の誰かであるのは間違いないわな」


 それも初めてのデートとなれば、描に近しい立場であるのは疑いない。

 視線の主が動き出す気配を感じ取る。

 それぞれの距離は離れている。ツヨシを囲むつもりならば、指示を出す者がいるはずだ。

 三人は共謀している様子もなく、まるで偶然のようにツヨシの歩く方向に進んでいる。

 そしてその三人の後を赫真が追う。


「やぁ」


 街中でも人が少なくなるポイントはあるもので、駅に向かうツヨシが線路沿いに歩いている辺りで、三人が合流した。

 頷き合って三人が今にも走り出そうとしたところで、赫真はそのうちの一人の肩にぽんと手を置いた。


「っ!?」

「はぁい、静かに」


 三人の前に立ちはだかるように立ち、にこりと笑みを浮かべる。

 何やら信じられないものを見るかのような目つきで、三人の人獣がこちらを見てくるので、あまり大声は出さずに挨拶をする。


「おはよう。俺の名前は相賀赫真、探偵だ」

「そ、相賀赫真っ!?」

「ちょちょ、声が大きいって」


 大声を上げた人獣の口を慌てて塞ぎ、後ろを確認する。

 ツヨシはこちらに目をくれることもなく、急いで歩いていた。これからのデートのことで頭がいっぱいなのだろう。ほっと一息ついて、三人に向き直る。


「さて、俺のことはご存知のようだね。出来れば平和に話し合いで解決したいものなんだけど」

「な、何のことだか」


 目に見えて狼狽える三人に笑顔は崩さず、ツヨシの方を親指で示す。


「狙いは彼、で問題ないかな?」

「だから何のことだって」

「極東斑熊党」

「なな、何の話かわからねえな!」


 口では否定しながらも、三人の目線は泳いでいる。

 赫真もまた明確な返答は期待していない。そのまま話を続ける。


「彼は俺が後見しているんだが、君たちはそれを知ってて彼を脅そうとしているのかね?」

「えっ?」


 ごく素直に反応を返してくる左端の男。どうやら彼が一番話が分かる隠し事が苦手なようだ。

 笑顔で肩を叩き、そのまま首に腕を回す。締め上げるつもりはないのだが、彼はびくりと体を震わせた。


「君はなんの人獣なんだい?」

「うぇ、人鷲ウェアイーグルです」

「おお、大柄なのはそのせいかあ。人鷲というと、鷲爪しゅうそう林業が有名だよね」

「あ、はい。いちおう、そこの」

「ああ、橋爪さんの下の人なんだね。橋爪さん、元気?」

「ええ、もちろん。あの人は山にいれば幸せな人ですから」

「そうだったね。また挨拶に行くって伝えておいてくれる?」

「はい、分かりました」

「で、今日のことは橋爪さんは知ってるのかな」

「はっ!?」


 突然重い口調で問いかければ、今度こそ人鷲の男はさっと顔色を悪くした。

 やはり分かりやすい。


「君たちが誰から依頼を受けているか教えてくれて、今日するはずだった仕事を諦めてくれるなら、俺も君たちとは知り合わなかったことにしてもいいんだけど」

「あの、それは、ええと」

「こっちも何の確証もなく君たちに突っかかっているわけじゃなくてね。そうだな、それなら判断してくれて構わないよ」


 残りの二人も、脂汗をだらだらと流しているものの、逃げようとも赫真の口をふさごうともしてこない。

 彼らも分かっているのだろう。一人でも抑えられてしまえば逃げても意味がないし、赫真の口をふさぐのは更に現実的ではないと。


「は、んだんって、何を」

「簡単な二択さね」

「二択?」


 ああ、と頷いて、赫真は口を開いて犬歯を晒した。


「依頼人への義理を果たすか、俺に喧嘩を売るか」


 三人が震え上がったのが分かる。

 赫真は表情を変えずに、返答を促した。最早聞くまでもない事だったが。


「さあ、どうする?」

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