file1-2 相賀赫真はやる気がない。
用意された小説を、落ち着いて読み進める。
作品は
『銀狼会』と『秘密結社 蒼い狼』との縄張り争いから始まった抗争の中、偶然知り合った人狼の青年二人。互いが互いの敵対組織に属していると薄々察しながらも、それを確認して友情が壊れる事を恐れる。
二人はとうとう抗争の場で再会し、互いの組織と仲間、信念の為に拳を振るうのだった。
「……これ、一昨年の『
「うむ、その理解で間違いない」
頷く
大体一冊めの半ばまでを読んだところで本を閉じる。
あとは持ち帰って読めばいいが、何が問題であるかは理解できた。
「詳しすぎるね」
「ああ。銀爪舎の長だった
「それは、どう考えても外部に漏らしてはいないだろうなぁ」
何となく
人狼は長を頂点とした、完全上下関係の組織を作る事が多い。
長が先陣を切って外敵に当たる訳でもないので、何から何まで狼の性質を引き継いだわけではないようだ。が、そういう組織を作る事に安心感はあるのかもしれない。
虎群会議は彼らと比べると随分組織として緩い。少なくとも人狼の組織内では、赫真が大虎殿にしたような悪口は決して許されない。
「そりゃあそうだろうよ。例えば赫真、お前さんがこの天井の事を誰かに話すようなもんだ。彼らの隠し通路のように隠さなきゃならんようなものでもねえが、それを話すような輩は
「だなぁ」
そもそも、
現代では、すでにほとんどの者が獣の頭を持った『本来の人獣の姿』に変身する能力を喪失している。
組織の末端では、自分の子に自分達が人獣である事を明かさない者も一定数いる。その為、人獣の因子を持っている事に気付いておらず、普通の人間として暮らしている者も少なくない。
そういう者達が先祖返りなどで突然常人ならざる能力に目覚めたりすると、無用な混乱が起きがちだ。
虎群会議をはじめとした人獣の互助組織は、人獣にまつわるあらゆるトラブルを秘密裏に処理する事を主の目的としている。
とは言え、赫真は自分がこの件にどのように関わる必要があるのかいまいち測りかねていた。
「それで、この件を調査すればいいのか? でもこれ、人狼連中が扱うべき案件なんじゃないの?」
「ああ、この小説についての件は別に構わん。もう事後処理も終わっとる」
「解散して再編成したんだよな」
翠狼組も銀爪舎も、手打ちの後に組織を解体した後、新たに『天狼会』なる互助組織を作って双方の構成人員をすべて受け入れたのである。
当時はいつ抗争が始まるかと付近の無関係な人獣達がぴりぴりしていたから、穏便に片付いた事を皆して喜んだものだ。確かに今思えば人狼にしては不自然な解決の仕方だ。
「そういえば、普通ならどちらかが縄張りを移す話だけど」
「うむ。まあそれはその小説を最後まで読めば明らかとなる。問題は、な」
「うん?」
「その作家の次の作品が、我々虎群会議を題材としているという事よ」
「なんだって?」
今度こそ赫真は目を剥いた。
虎群会議は翠狼組とも銀爪舎ともそれなりに付き合いがあったので、大虎殿が内部事情に詳しいのは分かる。
しかし、虎群会議のメンバーの中にそこまで人狼の組織について精通している者も居なければ、逆に人狼の中で虎群会議をよく知る者も居ないだろう。
「諸々の事情があってな、北海の出版契約は
「……ああ、成程」
虎群会議の強権を使って出版禁止にすれば、人獣に対しての懸念や疑惑に繋がる。知る者が知れば恐ろしい暴露本になる訳だが、あくまで現代ファンタジー小説の体裁なのだ。荒唐無稽とか、リアリティを理由に出版禁止にも出来ない。
「問題は、この男がどのようにして彼らや我らの情報を得たのかという事よ」
「取材相手か」
「ああ。日向に専属契約をさせたのもそれが理由でな」
「俺、両方をよく知っている奴に一人心当たりがあるよ」
「やかましいわ」
あからさまな視線を向ければ、大虎殿も渋い顔でそれを切り捨てた。
自分が最も怪しい立場だという自覚はあるらしい。
「まあ、爺さんが取材元って事はないわな」
「当たり前だ馬鹿タレ。こちらとしては何とか出版を断念させたい。取材相手が誰か分かればそちらから手を回す。分からなければ分からないで仕方ないが、どうにかして虎群会議から他に執筆対象を変えさせてくれ。頼むぞ」
「どうにかして、ってそりゃまた曖昧な」
脅せば良いのか、人獣の事実をそれとなく伝えれば良いのか。
随分と厄介な仕事だ。
「で、だ。
「……ちょっとな。詳しくは日向に聞くと良い」
気づかれたか、とばかりに横を向く大虎殿に溜息で答える。
つまり、こちらに伝えていない範囲で彼女が動けない理由が何かあるという事だ。更に厄介さが増すし、先程の曖昧な指示の意味が分かる。
「席次持ちが動くレベルの厄介な役目で、表向きの組織を持っている他の席次持ちには任せられないって話なんだな?」
「うむ」
「仕方ねぇな」
どうやら受けないという選択肢は用意されていないらしい。
このままどう渋っても、是が非でも目の前の二人は赫真に仕事を受けさせようと試みるだろう。ここでより良い条件を得る為に粘るのも手ではあるが、この手の事でごねたところで大虎殿は絶対にこちらが最も希望している条件は提示しないだろう。
「報酬は弾めよ、爺さん」
「期待しておれ」
***
「
人獣は頭が獣のそれではあるが、食性までその獣に引き摺られるものではないらしい。
人虎であるからと肉しか食べない訳ではないし、
「そうか。その程度だよなぁ」
行きつけの焼肉屋で肉を炙りながら、赫真は友人の
寛人はこの焼肉屋の経営者であると同時に、
彼が嬉々として焼き上がったカルビを口に放り込む様子を見るたび、何とも言えない気分になる赫真だ。
「で、赫真は気が乗らないみたいだけど」
「日向の姉御が匙を投げたって聞いたらなぁ」
「それは厄介な話だね」
斗岐市は虎群会議の縄張りであり、ここに住む人獣は彼らの庇護下にある。この店は丑道の出資で開いた店を、虎群会議が後見している形になっている。
寛人は店や丑道のネットワークを駆使して、赫真に情報を提供する情報屋でもあった。
「ヒロ、ライス大」
「あいよ。父ちゃん! 赫真に大ライス!」
「おぉーう」
厨房の奥から聞こえてくる野太い声は、赫真も何かと世話になったこの店の先代だ。店主を倅に譲った後も、赫真が来ると厨房に立ってくれるのが何とも嬉しい。
「小説のタネに人獣の情報を集める作家は結構すぐに噂が聞こえてくるけど、北海って作家がそういう情報を仕入れ始めたって話は聞かないなぁ」
「そっか。ヒロのとこでも駄目か。姉御の所に行くしかねえかぁって美味いなこれ」
「そりゃ秘蔵の一品だからな」
秘蔵のタンモトを頬張り、目を丸くする赫真。
存分に味わって飲み込んだところに、差し出される大盛のライス。至福に浸りながらライスで口をさっぱりさせれば、思わず満足の吐息が漏れた。
「赫真は日向二席の所に行きたがらないよな?」
「あの目が苦手なんだよ」
主に捕食されそうで。
虎群会議は実力主義だ。財力・権力・腕力などを独自に計算し、筆頭から二十五席までを決めている。
後ろ盾も表だった財力もない赫真が四席に居るのは、腕力が特別に優れていたからだ。
赫真からすれば幼い頃の自分を掘り返されているようで、気恥ずかしいだけの序列でしかないのだが。
「ま、いいや。ごっそさん、幾らだい?」
「何言ってんだぁ、赫真ちゃん。赫真ちゃんから銭なんて取れねえよぉ」
席を立って寛人の父に声をかければ、返ってくる言葉はいつも通りのものだ。
「おい、ヒロ」
「いつもの事なんだから諦めなよ赫真。だいたいこの街に昔から住んでて、お前から金を取ろうと思う奴はいないって」
「……勘弁してくれよ」
それこそ幼い時分の恥ずかしい過去だ。眉間に指を当てて溜息をつくが、腕組みをした二人は決して支払いを受け取らないだろう。
「分かったよ、親父さん。美味かった」
「おぅ、また明日にでも来なよぉ」
「そこまで甘えたら俺ただのロクデナシだわ」
と、今度は寛人の母が奥から出てきた。手には何やら包みがひとつ。
「ほら、赫真ちゃん! これ、お土産」
「ちょ、ちょっとおっ母さん」
「ミトラお嬢様へのお土産だよ。二人でお食べ」
「……ありがたくいただきます」
ここまではいつも通りの流れだ。
頭を下げて受け取れば、三人は笑顔で赫真を送り出してくれたのだった。
***
「悪いね赫真。あたしの方じゃ完全に手詰まりなんだよ」
大虎殿から仕事を請けてから三日後。
日向出版、社長室。
斗岐駅前に建つ高層ビルを自社ビルとするこの会社は、純文学からライトノベル、漫画から教材まで幅広く手掛ける総合出版社だ。
その社長であり虎群会議の二席という稀代の女傑、日向
「姉御が手詰まりとなると、本人に直接接触するしかないのかな」
「悪いが赫真、それも禁止されているんだ」
「禁止されているんですか? どなたに」
更にばつの悪そうな顔になる日向に、助手として同行していたミトラが口を開く。
どなたにも何もない。二席である彼女に指示を出せるなど、虎群会議には一人しかいない。
「何で爺さんが」
「いや、筆頭から指示があったのは事実だけど、筆頭はお上からの要請を受けたみたいなんだ」
筆頭の更に上と言えば、それはもう国しかない。
何故一介の作家の仕事に絡んで国が動くのか。余程危険な相手と接触でもしたのかと二人が首を傾げると、日向は苛立ったように頭をぼりぼりと掻きながら話を続けてくる。
「あたしたちが調べた限り、そして専属にして管理している間において、北海ツヨシが人獣に接触して情報を仕入れた形跡はない」
「何だって?」
「それどころか、あらゆるネットワークを通じても人獣について詳しく調べた形跡もない。精々ネットに蔓延している都市伝説を調べた程度さ」
予想外の言葉に、赫真は反応に窮した。
北海ツヨシの小説はこの三日間で一通り読破した赫真である。小説と一緒に用意された確認書類と見比べても、翠狼組と銀爪舎の抗争前後と小説の内容が酷似していたのは疑いない。
赫真は今日、虎群会議内に情報を漏洩させた者が居る前提で話を聞きに来たつもりだった。しかし、その前提が最初から覆された形だ。
「偶然、だとでも言うのかい? 姉御」
「あたしはこれでも出版畑で生きてきた身だ。それに自分自身が人虎って都市伝説の塊みたいなもんだからね、大概の事は受け入れる度量があるつもりだ」
だからね、と吐き捨てるように告げる日向の顔は、なんとも複雑な表情で。
「これを偶然と切って捨てるには、いくらなんでも似すぎている。あたしとしては虎群会議の中に情報を漏らした馬鹿が居ると信じたかった。そうでなければあの男は
「その馬鹿は実在しないんだな?」
「あたしが本気で調べて尻尾が掴めない相手なんて、筆頭以外に居ないよ。筆頭がその馬鹿である可能性は……大いにあるけどさ」
「あるな」
「ありますね」
三人の心は一致したが、同時にそうではないと確信してもいる。
大虎殿は何かと悪戯好きで厄介な人物ではあるが、虎群会議の仲間達を売る事だけは決してない。
となると、北海ツヨシは自分の空想を文字に乗せて書いただけになる訳だが。
「その、出版前の文章はあるのかい?」
「確かに保存してるよ」
「見せてくれない?」
「そうしてあげたいのは山々だけどね。あたしはこれでも出版屋だ、いくらあんたたちとは言え、公開されていない原稿を見せてやる訳にはいかないよ」
上からの圧力やらなにやらで随分と疲れた様子の日向であったが、赫真とミトラを見据えるその視線には、強い意志が込められているようだった。
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