file1-3 相賀赫真は敬わない。
日向の話を受けて、次に
彼らは権力の行使よりも秘密裏に人獣に関する報道などのもみ消しを重視している。自然と、どの組織でも地域政治や国政に参加する者の序列は高くなる傾向にあった。
その場所にふらりと現れた赫真は、周りの鋭い視線を物ともせずに用向きを告げた。
「
「また人獣か。いま大臣は執務中で忙しい、日を改めてはどうだ」
「悪いが急用だ。俺が来た事を伝えた上で、日を改めろと大臣が言うならば仕方ない。ただし、誰が来たかは一言一句間違いなく伝えろよ」
「何を偉そうに」
不愉快を満面に浮かべた見覚えのない秘書らしき人物に睨み付けられながら、案内されるでもなく堂々と空いている椅子に座って反応を待つ。
待っている間にと開いた本は北海ツヨシの連載作品『現代人狼抗争史 最終章・牙は砕け爪は折れ』である。
主人公の
「ド派手だねぇ。牙と爪で戦うってかい」
描写は非常に巧い。文字だけでも二人の
最期には城銀の牙が銅狗の頸を食い破り、銅狗の爪は城銀の腹を貫く。
互いの爪と牙が折れ、倒れ伏して声もなく絶命したところで二人の描写は終わる。その後には二つの組織がそれぞれ壊滅的な打撃を受けながらも和解し、争いが終わった事が記されて完結となるのだ。
現実には最後の抗争はなく、人死にを出さずに二つの組織は和解を果たした事になる。その要因がこの本にあったとするならば、そこにはどういう意味があるのか。
既に三度目になる文章に目を落としながら、熟考する。
と。
「か、赫真くん!?」
「おや大臣。お久しぶり」
何やら顔を青ざめさせて奥から飛び出してきた、六十代手前に見える男。
板取亨一大臣である。
「済まない、待たせてしまった!」
「いやいや、忙しいのは分かっていたからね」
年齢差を気にしない赫真の口ぶりに、周囲の緊張感が更に増す。
その様子を知ってか知らずか、微妙に低姿勢な板取の様子に赫真も苦笑いを浮かべる。
大臣手ずから応接室に案内され、赫真は上等なソファに腰を下ろした。
「コーヒーでいいかな?」
「済まないね」
秘書達に「最上級のコーヒーを」と指示を出してから、板取は赫真の正面に腰を下ろした。
「用向きは……聞くまでもないだろうね」
「そうだね、この本の作者の件だよ」
と、今まで読んでいた本をテーブルに置けば、板取はやはりかと呟いて目を閉じる。
「その件については、確かに私が筆頭に申し入れた。北海くんが何らかの人獣の血を継ぐ可能性も視野に入れて現在調査している」
「どうにも話がちぐはぐでいけない。俺が爺さんから受けた依頼は、この作家に虎群会議を題材にしないように手を打つ事だった。しかし日向の姉御は爺さんから北海への干渉を禁じられている。そして、そのように爺さんに求めたのはあんたで、爺さんはそれを請けた訳だ。どういう事だ?」
板取がその言葉に大きく目を見開いた。赫真の問いには答えず、しばし黙考する。
そしてふと「そうか」と何かに得心したような様子を見せた。
「実は、彼の頭に浮かぶ小説の世界観が、実際のこの世界と接続されているという可能性がある」
「それは未来予知のようなものではなくて、か」
「予知であれば自分に何か関係のある事柄の未来となるよね。しかし彼の場合そうではなく、そして彼はそれを現実だと認識していない節がある。つまり、彼の作品は人獣たちに運命を知らせる予言書のような存在になり得る。そう思っている者が内閣の中にも居ると理解して欲しい」
「あんたも含めて、か?」
「いや、私はそうは思っていない。しかし事実として
赫真が記憶している限り、内閣には確か人狼が一人いる。おそらくその辺りからの横やりなのだろう。
板取はそれを信じたわけではないのだろうが、彼としては当事者である人狼と虎群会議とに板挟みになった結果の措置なのだろう。日向に直接の手出しを禁じた事で人狼たちに一定の配慮を見せた形だ。
「当初、彼らも内通者が情報を流していると勘ぐっていたみたいだ。しかし、最終巻のどこかの描写が、互いのトップしか知り得ない何がしかの情報を書いていたらしい。その描写がどこなのかは我々も聞いていないけれど、ある種被害者であるところの人狼が彼の活動を認めているとなると、まだ出版もされていない虎群会議は強硬な手を使えないのさ」
「ま、俺に任せるくらいだからなぁ」
虎群会議以外に背負うべき組織も後ろ盾もない赫真には、人狼の組織からは圧力などかけようもない。今回はそれなりに急ぎの仕事だ。各所に無理を通せるだけの席次があって、かつ圧力があった時に組織どうしの衝突に直結しない人員と言えば確かに自分しかいないだろうな、と『厄介ごと』の詳細を今更になって理解する。
「大臣のスタンスはどの辺りになるんだ?」
「私はあくまで調整役だよ。情報は流すし、詳しい話もする。だけど協力は出来ないという状況だね」
「まあ、表立って敵にならないなら十分かな」
「そんな度胸は私にはないよ」
苦笑いする板取。
大体、今回の件の時系列が呑み込めてきたところで。
ようやく扉がノックされ、コーヒーをトレイに乗せた秘書が部屋に入って来た。
「……お待たせしました」
ひどく不機嫌な顔の、最初に赫真に対して横柄な対応をした男性秘書である。
板取の前には涼やかにコーヒーを置き、赫真に対しては雑に。しかし一滴も零していない辺り、無駄なスキルの高さを感じさせた。
特に気にせず赫真はコーヒーを一口含んで喉を湿らせ、話を続けた。
「人狼からの妨害は?」
「申し訳ないが、まったくないとは言えない。彼らの方も一枚岩ではないようで、北海くんに決着の場を奪われたとして恨みを抱いている末端の者が少なくないみたいだね。赫真くんの動きが向こうに把握されている事はないだろうが、偶然かち合う可能性までは否定できないかなぁ」
「ま、仕方ないか。そこまでの情報を大臣に把握していてもらうつもりはないよ」
「助かる」
「大臣、少々この男は気安いのではありませんか?」
会話に介入してきたこの秘書の言葉を、赫真は平然と無視した。
「で、大臣。俺は虎群会議の一員として動く事になるけれど、それは構わないのかね?」
「構わない。いろいろややこしくして済まないね。ただこれ以上、権力側からの横やりは私の名前に懸けて入れさせないから安心して欲しい」
「まあ、期待しないで聞いておくよ」
板取もまた秘書の言葉を無視した。
秘書の顔が赤くなる。無視された事もそうだが、最後の言葉は気安いとかどうか以前のものだったからだ。
「貴様っ! 大臣に対して無礼ではないか!」
「ふむ。大臣?」
「ああ、ちょっと極端な思想の持ち主でね。矯正したいと思ってはいたのだけれど。申し訳ない赫真くん」
流石に耳元で怒鳴り声を上げられては赫真も無視ばかりはしていられない。
板取が頭を下げてくるが、それには秘書の方が驚いたようで慌ててそれを止めた。
「だ、大臣! そのような事はお止めください! このような血の汚れた粗暴な人獣などに、頭をお下げになる必要などありません!」
「ああ、成程。極端ね。こりゃあ問題だわ」
ただ一度の言葉だけで、何が問題であるのかを理解する。人と獣の血が混じったという人獣への偏見を持つ者は、不思議と人獣に近しい環境に居る者の中に多い。
赫真は仕方なく、秘書の方に顔を向けた。
「人獣の血が汚れているって言うけどさ、あんたは混じりっ気なしの純粋な人間とでも言うのかい?」
「ああ、そうだ。大臣は寛大な方だから貴様らのような者の来訪に嫌な顔ひとつされないが、本来は親しくお話をする事すら許されない事を弁えるんだな」
「そいつは済まないね。じゃあお偉い大臣じゃなくてあんたに聞かせてもらいたいんだけれども」
「ちっ! なんだ」
「
「……なに?」
「人猿だよ人猿。人の体に猿の頭の人獣さ。手先が器用で口も上手くてね。一人ひとりじゃ大して力もないから徒党を組む割に、他の人獣をひどく蔑む連中なのだがね」
「き、貴様!」
遠い昔からそれぞれの血は連綿と受け継がれてきた。それこそ、別種の人獣同士の混血など珍しくもない。その中で虎の因子が強いから人虎であり、両親が人虎なのに祖先のどこかで血が混じった人狼の子が生まれてくる事もある。
人獣の互助組織は種族の違う方が親密な例が多い。人獣にとって、あらゆる人獣が親類なのである。
いきり立つ秘書には構わず、赫真は大臣の方を向いて笑みを浮かべる。
「現代の人獣はほぼ獣じみた姿に変身する能力もなくしちまって、人虎だって微妙に髪にメッシュが入っている程度の特徴しか残っていないんだよ。なあ、大臣?」
「そうだねえ。私はもう齢のせいかな、白と黒のメッシュだからあまり目立たないと思うけど」
「え……?」
と、板取も笑みを返してきた。
赫真を視線で制して、困惑する秘書に言葉をぶつける。
「特に私は自分の出自を公表する必要性を感じていないし、出自で人を差別する事に論理的正当性を感じない。だが、これだけ人獣の諸氏が陳情に訪れるのだから、いい加減気付いてほしいところだったね」
「まさか、大臣……?」
頷く代わりに、口角を更に上げて歯を剥く板取。
表情を変えた訳ではないが、笑みが途端に威嚇に変わるから不思議だ。
「虎群会議五席、板取亨一。こちらにおわす相賀赫真くんと同様、私は君の嫌いな人虎であるのだよ」
「人、虎ッ!?」
「ついでに言えば、君以外のここの職員は全員が人獣だ」
「はぁっ!?」
「あと、赫真くんの席次は四席で私より上だからね、彼は私の頭に足を乗せたとしても許される立場だ」
「いや、そんな事しないし」
虎群会議の序列では許されるかもしれないが、社会的にアウトだ。
最後のは冗談にしても、板取の言葉は秘書にとってはショックであったようだ。顔色を蒼くして板取と赫真の表情を交互に見てくる。
「で、教えてくれよ。あんた達が人猿とはどう違うのか」
とどめに赫真が睨みつければ、秘書は一歩後ずさった。
膝が笑っている。獣の檻に閉じ込められた気分にでもなっているのか。
「たす、たすけっ」
「少し脅かしすぎたかね。いいよ、外して構わない」
「ひっ!」
板取が軽く手を振ると、ばたばたと転がるようにして部屋を飛び出す。
直後に悲鳴を上げたところを見ると、他の職員に抑えられたか。
「話の腰が折れたな。まあいいや」
コーヒーを飲み干し、赫真は席を立った。
「彼はどうなる?」
「さて? 静かになってからの話次第かな。まあ、続けるにしろ辞めるにしろ、口止めは必要だね」
「ま、そうだろうな」
現職の大臣が人獣だと騒がれても、頭がおかしいと思われる程度で済むのはまず間違いない。
とは言え、秘書が心を病んだというのは聞こえが良くない。
どういった口止めが行われるのか、少しばかり気になったが赫真はそれ以上を聞くつもりはなかった。
「では失礼するよ、大臣。忙しいところを悪かったね」
「穏便に話が終わってほっとしているよ」
「もしかして、表の連中が珍しく殺気立ってたのって」
「うむ。君を命がけで止めようという悲壮な決意というやつだろう」
「心外だ」
やんちゃをしていたのはもう随分と昔なのだが、と溜息をつく。
立ち去ろうとドアに向かう背中に、ふと板取が声を投げてきた。
「ところで、赫真くん」
「なんだい?」
「まだ筆頭になるつもりはないのかね」
「俺にゃ荷が重いよ」
「そんな事はないと思うんだがなぁ」
ぼやくようなその言葉には答えず、赫真はそのままドアを開けた。
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