人虎探偵 相賀赫真

榮織タスク

相賀赫真はウェアタイガーである

file1-1 相賀赫真は仕事がない。

 くたびれた暗緑色のスーツに、垂れ目がちの悪くない顔立ちが乗っかっている。中年と呼ぶには少々早く、若者と呼ぶにはそろそろ怪しい。

 総じて冴えない風体の相賀そうが赫真かくまは、今日も今日とて街の中を歩き回っていた。


「え……と。餌場は全部回った。後は集会場か。今日の寄り合いは二番かな……?」


 地図とメモを手に、きょろきょろと辺りを見回しながら。

 ようやくお目当ての相手を見つけて、遠間から声をかける。


「お、居た居た。旦那ぁー?」

『んん? カクマじゃねえか。どうした?』


 猫の集会場となっている広場に足を運ぶと、街中の猫がにゃあにゃあと好き勝手に会話をしていた。

 余人には猫の鳴き声でしかないが、赫真の耳にはそれぞれがしっかりと言葉として伝わってくる。


「どうしたじゃないよ、旦那。また屋敷をけ出しただろ? 御主人が探してるよ」

『あぁ? まったく心配性な事だぜ。俺が寄り合いに顔を出さない訳にいかねえだろ?』

「そりゃそうかもしれないけどね」


 猫たちは赫真が広場に踏み入っても気にする様子はない。元々の参加者が遅刻してきたようにしか思っていないようだ。

 赫真はお目当てのでっぷりと肥えた茶と白のぶち猫の前に立つと、その鼻先に指を突き付けた。

 だが、当の『旦那』は悠然とその指先から視線を逸らした。


「屋敷から出る時はちゃんと伝えるって御主人と約束したよね。何で無視して出かけるかな」

『やだよ恥ずかしい。大体よぉ、あそこはただの餌場であってヤサじゃあねえぜ。あそこの婆さんもいちいち主人気取りでいけねえや』

「……その通りに御主人に伝えようか?」

『……勘弁してください』


 威嚇するように笑みを浮かべれば、『旦那』はびくりと体を震わせる。


「ほら、帰るよ旦那」

『分かったよう。恰好くらいつけたいじゃないかよう』

「はいはい、そうだねえ」


 赫真はその言い訳を聞き流しながら、にぃ……と気弱に鳴くその体を摘み上げるのであった。


***


「あらあら、いつもありがとうね赫真ちゃん!」

「いえいえ。お気になさらず」


 品の良い老婦人が、赫真の抱えていたぶち猫を受け取る。

 満面に笑みを浮かべた彼女はぶち猫に頬ずりすると、何とも安心したような顔で呟く。


「どうしてこの子は赫真ちゃんが決めてくれたお約束を守ってくれないのかしら。他の子たちはちゃあんと守ってくれるのにね」


 嫌われてるのかしら、と眉を顰める彼女に、赫真は首を振る。


「ご主人との約束を守るのが気恥ずかしいようですよ。嫌われている訳ではないですから、ご安心ください」


 ぶなぁ、と反論するように鳴く『旦那』の言葉を人間のものに直して伝える。


「やめてくれよ、照れくさいじゃないかって言ってますね」

「まあ!」


 感極まって再び頬ずりを始める老婦人に苦笑いを漏らしつつ、赫真は大きく頭を下げた。


「では奥様、自分はこれで。今後とも『相賀探偵事務所』をご贔屓に」

「ええ、ありがとうね赫真ちゃん!」

『覚えてろよ赫真この野郎! うなぁぁぁっ、やめてくれ奥様ぁぁぁっ』

「……クライアントに恨まれるつもりはないんだ、悪いね旦那」


 その頬ずりが嫌いなんだ、と言ってしまえば老婦人はどれ程悲しむ事か。

 一度それらしい事を言った時に涙目になってじっと見つめる彼女に、白旗を上げたのは当の『旦那』だ。

 許した以上、それくらい許容してやるのが甲斐性だろう? と猫にだけ分かるような音で伝え。

 『旦那』の恨めしげな鳴き声を背に聞きながら、赫真は屋敷を後にした。


***


 遠い昔から、異質なものは恐怖の対象だった。

 古くより伝承として伝わる、人のかたちに似た怪異。獣の頭と、人の体。


人獣ウェアビースト』である。


 その姿は恐怖と一種の憧憬を重ねて語られてきた。

 満月の夜、人々は怯えて自分たちの家にこもって怪異をやり過ごそうとした。あるいは退治しようと夜の闇の向こうに挑んだ。

 それから幾星霜。

 現代。自らが人獣の末裔であると自称する者達は今も存在する。

 獣の頭を失い、人の群れに紛れながら。細々と、あるいは社会に密かに食い込んで。

 相賀赫真はそのひとつ、『虎群会議こぐんかいぎ』に所属する『人虎ウェアタイガー』の一人だ。

 人獣の血はすでに薄れ、姿も能力も人とほぼ変わらない時代。

 種族としてのアイデンティティも見失いつつある彼らは、それでも人獣として日々を過ごしているのだった。


***


 相賀赫真は私立探偵である。

 築三十五年のマンションの一室を格安で譲り受け、『相賀探偵事務所』を開設してはいるから、自称と言うには本格的か。

 事務所兼自宅のこの部屋に戻って来た赫真は、日課として留守番電話とファックスを確認する。

 特に依頼が来ていない事に肩を落としながら、事務所のスペースを抜けて自室に入る。


「あら先生、お帰りなさい」

「あ、来ていたんですね、美虎ミトラさん」


 優しい笑みを浮かべながら赫真の服にアイロンをかけているのは、スレンダーな体型の美女である。

 黄色がかった茶髪は肩までかかる長さで、少し垂れ気味の細目。

 振り返った笑顔が眩しくて、赫真は照れたように頭を掻いた。


「今日もお仕事だったんです?」

「ええ。いつもの阿良々木さんの『旦那』が勝手に家を抜け出していましたので」

「『旦那』さんにも困ったものですねぇ」


 その言葉に苦笑いする赫真。

 まったく同感なのだが、そのお礼金は数少ない赫真の定時収入なのだ。こればかりは内心で感謝している部分もあった。


「それで、先生?」

「はい?」

「お戻りになったら、父が来るように伝えろと」

「うげぇ」


 赫真は喉から潰れた蛙のような声を上げてソファに突っ伏した。

 ミトラの父は、彼にとって人生で関わりたくない人物のベストスリーに入るが、同時にお呼びがかかったら確実に相手をしなくてはならない相手でもある。


「嫌そうですね、先生」

「ミトラさんとの仲を認めてくれるのであれば、いつでも酒を持って挨拶に伺うんですけどね」

「父も強情ですから……。それに先生、私との約束はそこまで気にしないでくださいね? 虎群会議の一員である以上必ず求められる資質なんです。私も昔のような何も知らない小娘ではないですよ」

「いざとなれば、そうしますけれど。でもね、ミトラさんの言葉が荒んでいた俺の救いになったのは確かです」

「もう、強情なんですから」

「うあぁ……面倒だなあ。どうせ酒盛りの相手なんですよ?」


 笑うミトラに気怠い調子で返し、赫真は仕方なくソファーから降りた。

 このまま寝てしまうのは簡単だが、そうなると伝言を頼まれたミトラが叱られてしまうだろうから。


「もう一着のスーツ、皺はのばしておきました。シャワーを浴びて、着替えてから行ってくださいね」

「何から何までありがとうミトラさん。愛してますよぅ」

「私もですよ、先生」


 ミトラさんには敵わないなあ、と溜息をひとつ。

 赫真は言われたとおりに準備をすべく、まずは汗を流す為にシャワー室に向かった。


***


「おう、爺さん。いい加減許す気になったかい」

「何をぬかすか小童め。……条件を飲んでくれたらすぐにでも許すと言っとろうが」

「それはヤだって言ってるだろうに。ええい、強情な爺さんだ」

「どっちがじゃ!」


 虎群会議本部は、赫真のマンションから電車で四駅ほどの斗岐中央駅のそばにある。

 虎群会議筆頭、大虎殿こと眞岸まがん寅彦とらひこはミトラの父親だ。

 齢七十三。ミトラは二十三歳で、大虎殿の三人目の奥方との間に生まれた――現状では――末の娘だ。

 老いて尚まだまだ盛んを地で行く豪傑で、素手の喧嘩では今なお無敗を誇ると言うから恐れ入る。

 その大虎殿の息子娘は認知しているだけで十八人に上るのだが、ミトラ以外はすでに所帯を持って各々の生活を始めている。

 その全てに、大虎殿は虎群会議の実権を持たせていない。

 虎群会議は実力主義であり、実力があれば勝手に席次を上り、実力がなければ埋没すると分かっているからだ。

 その大虎殿が末娘の婿として認めているものの、『ある条件』を呑まないから結婚までは認めないとしているのが――


「まあまあ、相賀四席。筆頭もそんなにいきり立たずに」

虎宮こみやのオッサン……」

「む、済まんのう」


 虎群会議第四席、相賀赫真だ。

 周囲で見ている者達にしてみれば、赫真と大虎殿の口喧嘩はいつも通りの風景であるが、逆にいつまで経っても対応に困る類のものであるらしい。

 序列四位とはいえ、筆頭である大虎殿に口の利き方がなっていないと咎めれば良いのか、これを――まだ正式ではないが――義理の親子の口喧嘩と見るべきなのか分からないからだ。

 今日はちょうどその場所に居合わせた六席の虎宮が取り成して、二人はようやく落ち着きを見せた。


「六席に免じて今日のところは許してやるわい」

「オッサンに免じて爺さんの耄碌を指摘するのはやめてやるよ」

「何じゃと小童ッ!?」

「ほら、だからお義父さん……」


 虎宮は大虎殿の娘婿に当たる人物である為、その操縦が上手い。彼だけはミトラ以外の十七人の大虎殿の子ども達とその伴侶の中で唯一、虎群会議で発言力を持った人物でもある。ただし、それは自力で勝ち取ったものであり、大虎殿から与えられたものでは断じてない。


「分かっとるわ! 口の減らぬやつめ……」

「ところで何の用だね? あまり事務所を空けておくのも良くないんだが」


 望んでいた用件でなかった以上、どうせ何かしらの厄介ごとを押し付けられるだけなのだ。

 帰り支度を始めながら要件だけ聞く姿勢の赫真に、大虎殿は半眼でぼそりと呟いた。


「……仕事なんぞなかろうに」

「アンタの所為だろうがジジイ」


 今度は赫真の方が看過できない発言だった。

 眉根を寄せて苦情を申し立てるが、大虎殿は鼻で笑うばかり。


「何を言うとるか小童。それはお前さんの心がけが悪いだけというものよ」

「言いやがったな……ッ!」


 赫真が虎宮の方に血走った眼を向けると、矛先が向くのが分かっていたらしい彼はその場を立ち去ろうとする所だった。


「どこぉにぃ……行くつもりかなぁ……? 虎宮六席ぃぃ……?」

「か……かっくん、六席って呼ぶなんて随分他人行儀じゃあないかい」

「六席ぃ、俺を雇ってくれってお願いした時、なんて答えたかこの場であのボケジジイに披露してくれないかい」


 逃がさんとばかりに虎宮の肩を抱え、チンピラとしか言えないような言葉を放つ赫真。

 冷や汗どころか脂汗を流す虎宮は、だが特に大虎殿から何も言われなかったので恐々と口を開く。


「すっ……『すまない赫真君。雇ってあげたいのは山々なんだが、師匠から君を雇わないように圧力がかかっているんだ』……って、言ったね、確かに」

「ほおう。虎宮の、その師匠というのは酷い奴じゃのう。誰かは知らんが鬼のような輩じゃ」

「お義父さん!?」

「こっのクソジジイ……!」


 平然と惚けてはいるが、この師匠とは当然この老人の事である。

 実業家としての顔を持つこの二人が、義理の親子となる前に師弟関係だったのは虎群会議では周知の事実だ。


「……まあいい、用件を聞こう」


 これ以上粘ったところで、この老獪と建設的な話は出来ないだろう。赫真は出来る限り長い息を吐いて気を落ち着かせると、用意されている椅子に乱暴に腰を下ろした。

 大虎殿も表情を真剣なものに戻した。


「虎群会議で最も暇であるお前さんに仕事だ」

「爺さん、熱岐あたぎに囲っている愛人の情報をミトラさん経由で奥様に――」

「待て! 分かった! 悪かった! ……虎群会議四席の実力者であるお前さんに仕事だ」


 額に青筋を浮かせた赫真に、流石に顔を真っ青にした大虎殿が吼える。

 その先を告げずに口を閉じると、大虎殿は汗を拭って溜息をついた。


「要らん知恵ばかりつけよってからに……。赫真、その作家を知っているか?」


 運ばれて来たのは、数冊の本だった。俗に言うライトノベルというジャンルであるらしい。持ってこられたのはシリーズもので、全七巻が揃っている。


「『北海きたみツヨシ』? 初めて聞く作家だな。この人がどうしたんだ?」

「この作家の書く物語に問題があってな」

「へぇ?」


 裏表紙の説明によると、人獣の伝承をモチーフにした作品であるらしい。イラストは人狼ウェアウルフのものだ。

 その手の伝説はどうしてもファンタジー小説の区分になるからか読み手を選ぶ。ミトラが好んで読むので、赫真もある程度は読んでいるが。


「新進気鋭の作家で、才能は確かだ。ひと通り目を通してみたが、よく書けていると感心したわい」


 ならば何が問題なのか。ひとまず一巻目を手に取り、目を落とす。

 何ページか読み進めたところで手を止める。


「これは……」


 頷く大虎殿。

 渋面を浮かべた彼の口から放たれた言葉は、


「間違いなく実在する人獣と組織を描いておる」


 赫真の感じた事を認めるものだった。

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