file3-8 相賀赫真は飛行機に乗る

 翌朝。赫真かくまはレオーテ王国の王族専用飛行機の中で、ツヨシの新刊に目を通していた。

 大虎殿から投げつけられた依頼は二つ。『三人の無事な帰還』と『事態の解決を見届けること』だ。両方ともシヴァン王とフィエールからの指定であったと言うから断ることも出来ない。

 ミトラも行きたがっていたが、不用意に行くと王族どもに求婚されるぞと言われて引き下がることとなった。何しろ真琥マコのこともある、説得力が違った。

 真琥は落ち着かない様子だ。大虎殿からいろいろと言い含められたようだが、やはり不安は拭えないのだろう。

 そして、無邪気な子供たち二人はと言えば――


『ねえねえ、叔父様。このレッドって人が叔父様なの?』

『ティコ。質問は後にしてよ。カクマが読めないじゃないか』


 赫真の左右に張り付いて、書かれている内容を読んでくれとせがんでくるのだ。レオルが分かるようにと、ティコも今日はレオーテ語で通している。

 緊張感がないのは良いことだと思うが、なんとも懐かれてしまったものだ。


『はいはい。『レッドはにやりと笑って告げた。「ふん、どいつもこいつも追いつめられると最後にはみんなこれだ。死にたくない奴はとっとと失せな。さもないと……食っちまうぞてめえらぁっ」』』

『おおおっ』

『すごい、決め台詞ってやつね』

「こんな格好つけた言い方したことないぞ」


 ツヨシの新作は『レッド・クロウの日記』というタイトルで、人虎ウェアタイガーの男が活躍するアクション小説だ。

 アクションシーンでは人虎の姿に変身したレッド・クロウが、悪役の人狼たちを相手に、その卓越した身体能力で軽々と叩きのめし、監禁されていた美女を助け出している。


『ね、叔父様。これって浮気? 浮気?』

『え、カクマはミトラ一筋なんでしょ? どういうこと?』

『脚色だよ、脚色』


 頭を抱える。

 恐らく日向二席へんしゅうちょうがテコ入れをしたものだろうが、間違いなく面白がっている。

 読まなければよかった。まさか二人が興味を示すとは思わなかったのだ。

 何とか読み終えて、本を閉じる。このシリーズは二度と手に取るまい。


『あーあ、終わっちゃった。ねえ叔父様、続きはないの?』

『これが最新作だからね。続きも出るかどうか』


 むしろ出ないで欲しい。

 普段の読書の十倍くらい疲れた。


『悪いけど少し寝るよ』

『うん、お休みカクマ』

『おやすみなさい、叔父様』


 二人揃って赫真の元から離れていく。

 楽しそうに機内を動き回る様子を少しだけ目で追ってから、赫真は座席に体を預けた。

 真琥が二人に話しかけられてぽつぽつと応じているのを耳が拾う。

 真琥の声が心なしか明るくなった。いい傾向だと思う。


***


 東欧の小国レオーテ。

 その歴史は自衛と排他の歴史と言えた。

 国民の生活をほぼ国内の産業で賄い、周辺諸国とは極力関りを断つ。

 それでいて周りの国には率先して人獣ウェアビーストの国だと噂を流し、歴史上『人獣討伐』として送り込まれた他国の兵士を世にもおぞましい形で殺戮したのが少なくとも十回以上。 

 近代になると逆にそういった過去の歴史を他国による悪意ある人権侵害だと批判し、周辺諸国に対しての永世中立と相互不干渉を宣言する。

 その頃には大国の政治中枢にはそれなりに人獣が潜り込むことが出来るようになっており。

 周辺諸国の微妙な牽制と、大国で権力を掴んだ人獣たちによる圧力。レオーテ王国は過去の大戦にも不干渉を貫き、とうとう国家としての孤立を果たす。

 東欧の秘境とも人獣の根城とも噂されるこの国は、世界中の人獣たちにとっての希望の象徴なのだった。


***


「ま、その代わり妙に気位の高い連中がいるのは良くない特徴だよな」

「そうね。私も今回で嫌ってほど身に染みたわ。いいえ、現在進行形で染みてるわね」


 赫真がぼやけば、真琥も頭を抱えた。

 レオルは不機嫌そうな顔をしており、ティコは何やら怒っている。

 レオーテ王国唯一の国際空港に降り立った一同は、すぐに貴賓専用の出入り口へと通されるはずだった。

 しかし、一緒に入国させるよう指示が出ているはずの赫真が、何故かその出入り口を通ることを拒否されたのだ。

 他の三名は問題なく通されたのにである。真琥が職員にどれほど確認するように言っても聞いていないの一点張りで融通が利かない。

 暫く揉めた後、埒が明かないとみた真琥が王宮に直接連絡を入れた結果、ようやく赫真も入国することができたのだった。


「やれやれ、どうにもこういう所だけは苦手だ」


 通ったあとも、何やら赫真に向けられる視線は冷たい。

 この国に来たのは初めてではないのだが、こういう扱いをされたのは初めてだ。

 これ以後も一体どれほどの妨害があるか分かったものではないので、一同はこのまま王宮からの迎えを待つことにしたのだが。


「これもユングベイルの差し金かしら」

「そんなにいろいろできる人物なのか? ユングベイルという男は」

「どうかしら。私はレオーテ王国の古い貴族としか知らないから」


 この程度の小さな嫌がらせならともかく、国内でのレオル襲撃に関与し、王族を国外に脱出させ、なおかつ獅子の結社に顔が利く。

 随分と手広く影響力を持っているような気もする。


「あ、いや。外交に関わっているなら可能なのか?」

「その通りだよ、カクマ。奴は外交の仕事に従事する一族の出でね。どうやら内外に手駒を持っているようだ」


 差し込まれた声は、この国では二番目に信頼できる人物のものだった。


「フィエール! あんたが来てくれたのか」

「ああ。カクマが来るのであれば兄たる俺が来ないとな」

「助かる。どうも敵視されているようでね」

「まあ、貴賓室の管理は外交省の管轄だ。ユングベイルが何やら手を回していたとしても不思議はない」


 そして、そういう姑息な手を使って時間稼ぎを行う恐れがあると思ったフィエールは、到着時刻に合わせて空港に来るつもりだったのだと言う。結果として少し遅れてしまったわけだが、ありがたいことに変わりはない。


「ふぃ、フィエール王太子、殿下」


 そして、少し前まで黒幕だと信じていた真琥にとっては複雑な対面である。

 フィエールはそういった彼女の内心を知ってか知らずか、にこやかな笑顔で応じた。


「ああ、迷惑をかけたねエンディーネ夫人。カクマの義姉と聞いていれば話をする機会くらいは作れたと今更ながらに思うが」

「そうですね。妙な疑いをおかけして、申し訳ありません」

「なに、アレクシオスに迷惑をかけられるのは初めてじゃない。なあ、カクマ?」

「倅の前でその話はやめてやれよ」


 呆れ声を上げれば、そうだったなとフィエールも頭を掻いた。


「では王宮に向かうとしよう。父もカクマが来るのを首を長くして待っているよ」


 フィエールがそう言って赫真の肩を抱くと、周囲で赫真に冷めた視線を向けていた空港職員たちが何やら顔を見合わせ始めた。

 無礼な対応をしているのは彼ら彼女らも理解していたようで、その中の一人が恐る恐るフィエールに声をかけた。


『殿下。その人虎の男は、一体何者なのですか?』

『ふむ? 貴賓リスト二冊目の十九人目にあるカクマ・ソウガだが』

『に、二冊目⁉ せ、先祖返りのリストですよね。それに、カクマ・ソウガと言えば東国の『紅毛虎ティグリス・ルティラーレ』?』

『そのソウガだよ。君たちは勇気がある。彼を相手にユングベイルの依頼を全う出来たのだから。ただ、私としては彼がこの国に滞在している間、満月の晩には外出しないことを勧めるぞ。食われてしまっても責任は持てないからな』

『そんな!』


 蒼白になる職員たち。

 赫真はもちろんフィエールの言葉も彼らの言葉も理解できていたので、敢えて口角を上げて牙を剥いてみせた。獣の頭ではないので威圧感はそれ程でもないが、軽く脅かす程度ならばこれでも良いだろう。


「フィエール殿下って、どことなく親父に似ている気がするわ」 


 真琥がしみじみと呟くのを、赫真は聞かないふりをするのだった。

 まったくもって反論の余地がなかったとも言う。

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