file4-2 相賀赫真と老盗と怪盗ジャッカロープ

 赫真かくまが予告された遠藤社長とやらのビルに向かったのは、予告された時間の二時間ほど前だった。

 何やら物々しい警備が始まっている。

 自社ビルの最上階に自宅スペースがあるつくりだそうで、下の階では社員が帰宅を始めている。その出ていく一人ひとりの持ち物と変装の確認までする辺り、随分と獣対課は慎重な姿勢のようだ。

 同行しているミトラが、きょろきょろと辺りを見回す。野口たちを探しているのだろう。


「おや」

「センセイ?」


 赫真が真っ先に目に留めたのは、その様子を遠目に眺めている和装の老人の姿だった。

 ミトラが呟くのとほぼ同時、老人もこちらに気付いたらしい。驚いたような顔をして、深々と頭を下げてくる。


虎群こぐんの若旦那、こいつぁ奇遇ですなぁ」

「お久しぶりです飛田とびたのご隠居。お元気そうで何よりでした。今日は六代目はおいでではないんで?」

「いやいや、今日ぁ倅にゃ内緒の仕事の算段でございやしてね」


 にこやかに挨拶をすれば、飛田老人も表情をくしゃくしゃに緩めて頷き返してくれた。

 ミトラが怪訝な顔で赫真の袖を引いてくる。


「センセイ、こちらの方はどちら様ですか?」

「飛田稲荷のご隠居と言えば、ミトラさんもピンとくるんじゃないかな」

「飛田稲荷!? じゃ、じゃあもしかして、義賊『飛田大狐おおぎつね』ですか!?」

「そ。五代目飛田大狐ご本人ですよ」


 目を輝かせるミトラ。

 人獣ウェアビースト界隈で著名な人物はそれなりの数に上るが、この国で最も有名な人獣を三名挙げろと言われたら、全ての人獣が順序は違えど必ずこの三名を挙げるという。

 虎群会議の筆頭、『大虎殿』眞岸まがん寅彦とらひこ

 八木沼医院の院長、『大山羊様』八木沼貴恵きえ

 飛田稲荷の頭領、『大狐』飛田狐太郎。

 そのうちの一人である大狐こと飛田狐太郎が、二人の目の前に立っているのだ。

 飛田稲荷は人狐ウェアフォックスの互助組織であり、同時に古くから連綿と続く由緒正しい盗賊団の顔も持つ。頭領は腕前に応じて『大狐』『化狐ばけぎつね』『山狐やまぎつね』などの異名で呼ばれるのだが、目の前の好々爺は上から二番目の『大狐』を引き継いだ歴代五人目の大盗賊である。そもそも、名の通った人獣に異名がつく文化の発端が彼らだとも言われている。


「眞岸の末姫すえひめ様、あっしぁケチな盗人でやす。人様からそんなきらきらした目ぇで見られるとこっ恥ずかしくていけねぇや」

「え、私のこと、ご存知なんですか?」

「そりゃぁね、相賀の若旦那とご一緒であれば、眞岸の大旦那の末姫様だってこたぁすぐに察しもつきまさぁ。それにね、末姫様は覚えておいでじゃねえでしょうが、あっしぁ生まれてすぐの末姫様とお会いしたことがあるんで」

「!」


 ミトラが感動に震える。父親がいまいち尊敬出来ない人物だからか、どうにも他の著名な人獣に過度の憧れを抱いている節のある彼女だ。

 ともあれ、あまり騒ぐと飛田老人に悪い。赫真は本題に入ることにした。


「今日は獣対課に駆り出されてね。ジャッカロープと名乗る盗賊を捕まえるように仰せつかったんだけど、まさかご隠居じゃないよね?」

「おや、若旦那もお関わりに。あの『じゃっかろぉぷ』ってぇ奴らぁね、最近じゃ見かけねぇ骨のある連中でしてねぃ。何やらちゃあんと『傷つけず、壊さず、良き人からは盗まず』の盗人ぬすびと三則さんそくを守っている。だがなぁ、なんともまだ若い!」


 かか、と笑う飛田老人。どうやらこの御老人、怪盗ジャッカロープを鍛えている腹積もりのようだ。


「腕は十分、度胸も十分、仕込みに至っては十二分の出来だぁ。しかしちぃっと派手好みが過ぎる。一度や二度、痛い目を見ておいたほうが良い塩梅になると思いやしてねぇ」

「なるほど、ご隠居の道楽の虫が騒ぎましたか」

「あいた、若旦那は手厳しいや! っと、まあそんなわけで、たまぁに横からつついちゃいるんですがね。今回は何やら自分たちの狙いをそれとなしに流してきたんで、どうしたことかと見に来たってところで」

「ほう」

「まあ、若旦那が出張るってどこぞで聞いたんでしょうな。それなら理由が分かるってもんで。あの若造ども、あっしを囮に使おうって腹積もりでしょうな。中々目の付け所がいい!」


 どうやら、飛田老人はジャッカロープを随分と買っているようだ。そして、野口たちの情報にはなかったことだが、どうやらジャッカロープは複数人のチームであるらしい。この辺り、ご同業の飛田老人の言うことは確かだ。


「それにしても、この遠藤って社長。特に阿漕あこぎな商売してるってぇ話も聞かないんですが、あいつらどんなネタ掴んだんでしょうねぃ」

「ご隠居が知らない?」


 珍しいこともあるものだ。古今東西、裏稼業の情報で飛田稲荷が知らないものなどないと赫真は思っていた。何しろ、赫真が懇意にしている情報屋の金谷家が頼りにする情報源のひとつなのだ。

 ううむ、と唸る赫真に、飛田老人はからりと笑ってみせた。


「まあ、狙いは『鳥の楽園』って綺麗な絵だってぇじゃありやせんか。あまり爺を馬鹿にしとると痛い目を見るってことくらいは教えてやりゃあすよ」

「ああ、その『鳥の楽園』、贋作ですよ」

「なんですと?」


 目を円くする飛田老人。

 レオーテ王国から贈られた本物が眞岸の屋敷にあることを伝えれば、それなら確かだと額を叩きつつ、だがそれならそれでやりようがあるものですよと言いながら不敵に笑うのだった。


***


 予告の時間まで一時間を切った。

 飛田老人はあの後丁寧に二人に頭を下げた後、どこかへ歩き去って行った。赫真たちはその後すぐに獣対課の面々と顔を合わせたのだが、飛田老人のことについては告げることはしなかった。

 あくまで目的はジャッカロープであるし、飛田老人に『鳥の楽園』の情報をわざわざ流したのであるならば、彼らの狙いは別にあると考えるのが自然だ。

 建物の情報を改めて思い起こし、そして周辺の建物を眺める。


「ううむ」

「どうしたんです、センセイ?」

「この状況で、どうやって忍び込むつもりなんでしょうねって」

「ああ」


 地上には警官が所狭しと詰めていて、屋上には特殊班がライトで周囲を間断なく照らしている。

 それは遠藤社長の自社ビル――その名もエンドウビル――に限った話ではなく、周辺のオフィスビルにもたくさんの警官が詰めている。今回は獣対課以外の部署にも応援を依頼しているという。

 赫真の疑念は、何もジャッカロープに限った話ではない。むしろ飛田老人は飛田稲荷には独断であるようだった。となると、一人で済ませるということになるが。


「なに、そんなに難しい話じゃぁござんせんよ」

「ご隠居!?」


 再び飛田老人の声がして、赫真はそちらを振り返った。

 和装は変わらず、しかしその背には風呂敷に包まれた四角い荷物が増えている。


「ま、まさかご隠居」

「くしし。若旦那がお関わりとなりやすとね、あっしがいちいち手や口を出すまでもありゃぁせん。しっかり世の中の恐ろしさってやつを若造どもに躾けてやってくださいやし」

「あの警戒の中を、どうやって」


 含んだような笑みを漏らす飛田老人に、言葉を返す。

 飛田老人は片目を瞑って、細長い人差し指を口の前に持ってきた。何とも色気のある仕種に、赫真も息を呑むほかない。


「若旦那、そいつぁ狐の秘密ってやつでさぁ。ひとまず、若造どもの指定した時間までは誰も気づきやせんでしょう」

「そうですか。それはまた、何とも」

「ああ、教えていただきやした通り、確かにニセモンでやした。あんなもんを後生大事に飾ってちゃぁ、社長さんの為にも良くありゃぁせん。ひとまずお預かりして、きちんとした形でお返し致しやすよ」

「ご隠居はジャッカロープがこの警戒の中でも上手くやるとお思いで?」

「やるでしょうなぁ」


 当然のように頷く飛田老人に、赫真はジャッカロープへの評価を少しばかり上げた。

 そうなると、うじゃうじゃと居座る警官たちはむしろ邪魔だ。

 ひとつひとつのビルの位置と警官の配置を確認して、気づく。


「ミトラさん、ちょっと外しますね」

「センセイ、どちらに?」

「ご隠居が仰る以上、多分、現場を押さえるのは無理だと思います。なので、逃走経路に選びそうなところに先回りすることにしようかなと」

「分かりました。私はどうしましょう?」

「そうですね、時間が過ぎたら野口さんにご隠居と会ったことを伝えてください。それだけでいいです」

「え、それだけでいいんですか?」

「ええ。ねえ、ご隠居」

「はてさて」


 ミトラの言葉と赫真の問いに、苦笑いを浮かべる飛田老人。納得いかない様子のミトラに、付け加える。


「いや、別に今言ってもいいんですけど、獣対課の顔を潰すことになりますからね。ジャッカロープが来る前に警備の甲斐なく盗まれたなんてことになれば」

「あぁー……」

「ジャッカロープの現れたどさくさに、あの飛田大狐に持って行かれた、となれば獣対課の顔もそれなりに立つでしょ」

「それもそうですね。でも、うわぁ」


 今一度警備の様子を見て、笑顔の飛田老人を見るミトラ。何だか弟子入りを志願しそうなくらいな尊敬の眼差しだ。

 と、その様子に飛田老人が真剣な顔で、だが茶目っ気たっぷりに問うた。


「おや。末姫様は若旦那っていう世の中でも一等でっけぇ宝を手の中に持っていなさるってぇのに、まだなんか欲しいものでもあるんですかぃ?」

「う。いえ、何も」

「でやしょぅ? この爺の昔話でも良ろしけりゃぁ、時たま若旦那のところにお伺いしやすので、それで勘弁してつかぁさぃ」

「あ、それ俺も聞きたいですね」

「おや、若旦那も? そいつぁありがてぇ! そしたらちょいと狸座のホラ吹きにでも弟子入りして、ちったぁ面白おかしくお話出来るようにしとかにゃなりゃあせんねぇ」


 そう愉快そうに笑って、飛田老人は狐のように目を細めた。


「では若旦那、末姫様。ご厚情有難く頂戴いたしやす。ごめんなすって」


 頭を下げてすす、と後ろ向きに歩いてから向こうを向いて、飛田老人は暗くなった町の方へと歩きだす。

 そこまで暗くないはずなのに、こちらも目を離していないのに、そして人込みがある訳でもないのに。

 飛田老人の姿は、数歩も歩かないうちに見えなくなってしまったのだった。


「至芸健在、というやつですかねぇ」

「私、まばたきしてないんですけど?」


 赫真とミトラ、各々感嘆の言葉を漏らす。

 気を取り直した赫真は、飛田老人の影響か冴え渡った勘を頼りにすることに決めた。


「ではミトラさん。お願いします」

「はい、センセイ。お任せしました」


 頷きあった赫真とミトラは、それぞれの役割を果たすべく動き出した。

 後は時間との勝負だ。


***


 普通の人獣では跳びきれないほどの距離。

 しかし、飛田大狐が認めたほどの怪盗ならば、それくらいの距離をどうにか無事に埋めることは出来るだろうと感じた赫真は、勘を頼りにひとつの廃ビルを選んだ。それなりに距離があり、跳ぶのは無理だろうと警察がチェックしなかったビルからも近い。

 時間は既に予告の時間を過ぎている。大きな喧噪がエンドウビルの方から聞こえたとすれば、絵が盗まれたことが判明したということだろう。その一瞬の混乱に乗じてジャッカロープが動いたのであれば、何らかの痕跡なりが残っているはず。


「おっと」


 静かに屋上に辿り着いた赫真は、そこに残る人影を認めて更に息を潜めた。

 巨漢が一人、巨大なネットのようなものを設置している様子が見えた。黒い艶消しの素材で、警察のライトが万一届いたときのことも考えているらしい。

 ビンゴだ。

 赫真は気配を殺しつつ、物陰に姿を隠した。

 待つことしばし。


「ふう、上手くいったぞ」

「今回も大成功ね!」


 気配が二つ増える。ほぼ音もなく跳んできたようだ。サイレンの音が遠く聞こえ始めた。

 安心して息を抜いたところで申し訳ないが、赫真はゆっくりと三人の前に身を晒した。


「やあ、こんばんは」

「っ!?」


 三人の警戒が一気に高まるのが感じられた。

 人獣特有の気配。だが、普通の人獣とは何かが違うような。


「何を盗もうと思ったのかは知らないんだけどさ、出来ればここに置いて行って欲しいんだ」

「くっ! 気絶させて逃げるぞ!」


 一瞬の間を置いて、リーダー格と思しき男が指示を出した。一流どころにしては少々不自然な間だが、それは気にしないことにした。

 赫真にとって、それ程脅威になるような気配ではなかったからだ。


「参ったなぁ」


 逃げる余裕がなくなる程度に体力を消耗させるか、盗んだ品物をタイミングを計って取り返すしかないかな、などと考えながら、赫真は自分を取り囲む三人に声をかけた。


「飛田のご隠居からも頼まれてるし、ちょっとばかり怖い思いをしてもらおうかな。上には上がいるって、教えてあげてくれってご依頼なんだ」

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