file4-X1 ジャッカロープは虎に挑んだ

「悪いね、野口さん! こいつはいただいて行くよ!」

『待て! ジャッカロープ!』

「待てと言われて待つほど暇じゃないんだ!」


 ビルからビルへ、飛び移る。

 真夜中の繁華街を、パトカーとヘリが唸りを挙げて追いかける。

 怪盗ジャッカロープ。

 人間離れした身体能力を持ちながら人を決して傷つけず、厳重な警備の合間を掻い潜って目当てのものを盗み去る。予告状を送り、その予告どおりに盗みをはたらくのは怪盗を名乗る者の矜持からか。

 既に何度目かとなっている、警察の責任者――野口に誠意のない謝罪をしながら、ジャッカロープは縦横無尽に夜の街を駆け回っている。


『逃がすな!』

『わぁ、ジャッカロープだ!』

「坊や、こんな悪人になってはいけないよ?」


 警官のみならず、周辺住民もジャッカロープを一目見ようと視線を向ける。

 空から、地上から、多くの目がジャッカロープを見つめる中。


「楽しい時間だったよ野口さん! それでは今宵はこの辺りで。失礼!」


 これで何度目になるか、ビルから跳んだジャッカロープに、ヘリからライトが照らしつけられる。

 だが、次の瞬間、まるで煙か何かのように。

 怪盗ジャッカロープは空中で忽然と姿を消したのだった。


***


 怪盗ジャッカロープ、現る。

 今日も空中で謎の消失!

 どのようなトリックか、はたまた魔術か。

 翌朝の新聞では、黒づくめの趣味的な服装で空を舞う覆面の姿が、まるでシルエットのように写されていた。


***


 怪盗ジャッカロープが持つ、アジトのひとつ。

 怪盗ジャッカロープこと宇佐見うさみ安吾あんごは、今回のターゲットとなる建物の見取り図をテーブルに広げた。

 口元には溢れる自信が笑みを形作り、目的の成功を微塵も疑っていないのが見てとれる。その自信を証明するかのように肉体はすらりと整っており、細く見える体型ながらしなやかな筋肉が詰まっている。

 しかし、その目に油断はない。万が一の失敗もないように、建物に関わる全ての要素を構築していく。


「安吾。面白い情報よ」

「どうしたんだい、フタバ」


 と、背後からかけられる声があった。特に反応はしない。ここに居るのは信頼できる仲間だけだからだ。

 すべて計画の段階から協力し、共に目標に当たっている。怪盗ジャッカロープは自分だけで構成されるものではなく、仲間たちと共に作り上げたひとつの組織なのだ。

 歩いてきたのはこれでもかというくらいに整った顔立ちの美女だ。豊満な体つきも相まって、道行く人の視線を釘づけにするだけの魅力を普段から振りまいている。

 彼女――フタバ・キャビットは安吾にしか見せない緩んだ笑みを浮かべて、情報が書かれたメモを渡してくる。


獣対課けいさつが探偵を雇ったらしいわ。自分たちだけで解決出来ないからって、思い切った手を打つものね」

「探偵? ドラマか何かの見すぎじゃないの?」

「失礼ね!」


 あるいはもう手の打ちようがなくて妙な情報を流し始めたか。

 が、もう一人の仲間がその言葉を聞き咎めた。


「探偵だって? 名前は」

「何よ嶺二れいじ、そんなキツい顔して。ええとね、相賀探偵事務所? ってところの協力を取り付けたらしいわ」

「……最悪だ」


 そのもう一人――羽計はばり嶺二がしかめ面でそうこぼす。何がそれほど問題なのか、安吾には分からない。

 仲間になった時期こそ遅い為に、フタバやもう一人の仲間は今も厳しい目で見ているが、安吾は彼を強く信頼していた。何より、人獣社会について非常に詳しく、彼らは何度となくその知識に助けられていたのだ。


「何者だい?」

「二人は知らなくても仕方ないか。人虎ウェアタイガーの先祖返りだ」

「先祖返りだって!?」

「ああ。俺の孤児院での兄貴分でもある。味方にすれば頼もしいが、敵に回すとなるとな」


 嶺二が溜息をつきつつ頭を掻く。そう言えばこの辺りが出身だと言っていたか。

 この町の近くには彼の姉も居るというから、巻き込んでしまわないかも心配なのだろう。

 と、フタバが不満そうな顔で嶺二に突っかかる。


「嶺二。昔の家族を相手するのが嫌なら、素直にそう言いなさいよ!」

「そうじゃない、とは言えないな。確かにあの人の相手をするのは嫌だよ。負けると分かってて挑むのは馬鹿のすることだし」


 嶺二の表情に曇りはない。心からそう信じて発言しているのが分かる。

 安吾は嶺二が嘘を言っていないと判断する。しかし。


「負ける?」

「まず勝てない。ああ、これは俺があの人の家族だからとかいうのを分けて考えて欲しい。獣対課辺りのレベルを基準に考えないでくれよ」


 嶺二がここまで断言するのは珍しい。安吾たち三人の実力を十分に理解している彼がそう言うとなると、何やらきな臭くなってくる。

 フタバもそれを察したのか、真剣な顔で椅子に座った。


「獣対課は人獣たちで構成されているんだよな?」

「うん。先祖返りが違うのか、それとも赫真兄……っと、相賀赫真が特別なのかは俺も知らない。とは言え、彼は普通の人獣とは違う」


 曖昧模糊とした説明ではあるが、嶺二がその人物を人獣犯罪対策課よりも警戒しているのは十分に理解できた。

 顎に手を当て、しばし考える。

 予告状を出したのには、意味がある。今更それを反故になどできるはずはなかった。何も伊達や酔狂で用意したわけではないのだ。


「僕たちは『ギムレイのオークション』を潰す。ようやく尻尾を掴んだんだ。今回の仕事だけは失敗できない」

「分かってるよ。ならもう一人囮が要るな」

「アタシとちからでは足りないってこと!?」

「安吾とフタバと仂。そのうちの誰かが赫真さんに相対することになったら、三人がかりでかかるべきだ」

「失礼だ」


 と、物陰で静かに話を聞いていた巨漢――仲間の最後の一人、我那覇がなは仂がぼそりと呟く。

 寡黙な彼は、じろりと嶺二を見つめる。しかし、彼が自分を侮って言ったのではないと理解したようで、しばらく見た後に納得したように頷いた。


「……ならいい」

「ああもうっ! なにが『ならいい』なのよ! 仂、気に入らないならちゃんと文句言いなさい!」

「大丈夫」

「自分だけで納得するなぁっ!」


 フタバだけがきゃんきゃんと騒ぎ立てる。

 その様子を見て、誰からともなく笑みを浮かべる。


「勝つ」

「目標はそっちじゃないだろ? そうだな、飛田とびたの爺さん辺りに情報を流してみるか。勝手に囮になってくれるだろうし」


 静かに闘志を燃やしている仂。子どものように騒ぎ立てるフタバ。一方で淡々と目標達成のためのプランを組んでくれる嶺二。

 自分には仲間がついてくれている。不安要素はあるが、覚悟は既に決まっているのだ。


「では、手順を再構築しよう。なあに、今回もきっと上手くいくとも」

「ああ」

「うん」

「そうね!」


 一同は頷きあい、テーブルに広げられた見取り図に目を落とした。

 予告状の日時まであと一週間。今回の仕事は目標の達成に向けた、通過点のひとつに過ぎない。

 安吾は嶺二の心配を心に留め置きながらも、なお成功を確信していた。


***


「げぇっほ、げほっ!」

「おいおい、大丈夫か?」


 咳き込む。

 強かに打ち付けられた背中が痛むが、それどころではない。

 起き上がってみれば、仂が全力で相手を押しとどめようと羽交い絞めにしている。だが、まるで気にする様子もなく、そのままこちらに歩いてくる。

 怪力自慢の仂が引きずられる様など、見たことがなかった。顔を隠すマスクの向こうで、彼はどんな絶望を表情に浮かべているのだろうか。


「なあ、もうやめにしようぜ。盗んだ物を返してお縄についてくれよ」

「う、うるさい!」


 呆れた声を上げる男。くたびれたスーツを着て、こちらに悠然と歩いてくる様はあくまで自然体だ。

 垂れ目がちの顔は柔和で、なまじ整っているだけに始末が悪い。

 恐ろしいのは、こちらのあらゆる攻撃を防ぎ、いなし、あるいは無視しながら、反撃の類は一切してきていないという事実だ。それでもなおこちらが制圧されているのは、悪夢のようだ。

 フタバは銃を取り出しているが、男に向けるにしても、仂が密着している状態では撃てないだろう。


「化け物め」

『だから逃げろって言ったんだ!』


 仂の呟きに、イヤホンから嶺二の焦ったような声が響いてくる。

 安吾は呼吸を整え――背中から地面に叩きつけられたのだって、飛び上がったところに仂の振り回す腕を誘導されたからだ――反撃の機会を探す。

 仂に羽交い絞めにされながらも、まったく意に介さない様子を見ると勝ち目などまったくなさそうだ。まさか、嶺二の言葉に一切の誇張がないとは。


「何故、我々がここに集まると」

「ただの勘だよ。君らの行動を予測したとかそういう大層な話じゃない」


 仕事はほぼ上手く行った。ターゲットとして誘導していた絵画『鳥の楽園』に意識を集中させ、自分たちのライバルを自称する大泥棒の五代目飛田大狐おおぎつね老人が盗み出す混乱に乗じて『本当のターゲット』を盗み出すことに成功。

 夜陰に紛れてビルからビルへと跳び移り――特に、普通の人獣では跳べない距離を跳ねることで警察の予想だにしない逃走経路を確保して――待機していた仂と合流したところで、現れたのがこの男だった。

 気絶させて逃げようと判断したのが過ちだった。嶺二は一も二もなく逃げろと叫んでいたが、それでは仂が逃げ遅れる恐れがあるからと受け入れなかった安吾のミスだ。


「『鳥の楽園』がターゲットじゃないと気付かれていたとは思わなかった」

「ああ、あれな。あの絵の本物がうちのかみさんの実家にあるんだよね」

「え」


 男の言葉に絶句する一同。名画『鳥の楽園』は遠藤社長が大枚を叩いて購入したという触れ込みの逸品だ。

 だからこそ囮としての価値があると信じていたし、そこを疑ってはいなかったのだ。


『ああくそっ、まさか囮が最初から役に立ってなかったとか!』

「そう言えば、ちゃんと名乗ってはいなかったな」


 ふと、男が思い出したように声を上げる。

 安吾達にしてみればそれどころではないのだが、男はこちらの様子を気にしたそぶりもなく。


「相賀赫真かくま、探偵です。君たち、それとも、君たちの誰か一人を指して『怪盗ジャッカロープ』と言うのかな?」


 こういう場面でさえなければ、きっと仲良くなれるだろう笑みを浮かべてきたのだった。

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